蜂城跡
所在 山梨県東八代郡一宮町千米寺
交通 JR中央本線勝沼ぶどう郷駅よりバス東新居下車
歴史 蜂城の築城者・築城年代については不明な点が多く、不詳である。
しかし、城の位置的関係から鎌倉時代から室町時代中期にかけてこの地一帯を治めていた武田
一族支流岩崎氏の詰城として成立した考えられており、岩崎氏が守護代跡部氏との合戦により
勢力を失ったあとは岩崎氏に替わって台頭した同族栗原氏が治めたとの記録がある。
蜂城跡遠望
城跡登城口
蜂城天神社
一言 蜂城跡は勝沼町の南、市街を一望できる標高738mの蜂城山にあり、山頂に建つ蜂城天神社
付近が本丸跡である。
遺構は天神社建設により大部分が破壊されているが、天神社裏手には土塁の一部が残っている。
なお頂上付近の道は尾根に沿って直線状に伸びる道を進むことになるが、城が機能していた当時
は山頂北側の『数多く築かれた小さな郭付近』を通るような設計になっていたのではないかと思わ
れる。
裏手に残る土塁
北側小規模郭
城跡より勝沼市街を望む