花沢城跡
所在 静岡県焼津市高崎
交通 JR東海道本線焼津駅よりバス高崎下車
歴史 花沢城の築城者・築城年代については諸説あるが、その中でも有力なのが今川義元による天文六年(1537)
築城説である。家督を継承した今川義元は遠江・駿河国境にあたるこの地にこの花沢城を築城し、西駿河の守り
を固めるとともに遠江侵出の中継点として利用したようである。
花沢城は今川の属城として関口氏・大原氏らによって治められるが、義元死後、甲斐より侵出してきた武田軍の
脅威を受けることとなり、この花沢城も武田軍に包囲されることになる。永禄十三年(1570)正月、包囲された
花沢城は城主大原肥前守資良以下、城兵は武田軍の猛攻をよくしのいだが、十四日後についに開城。城は武田
氏の手に渡る。
ただ、武田氏はこの花沢城を重視しなかったのか、そののちの徳川氏の侵攻にあたって花沢城における交戦の
記録はない。
花沢城跡遠望
花沢城本丸跡
本丸跡に建つ石碑
一言 花沢城跡は焼津市街の北東、東名高速道日本坂トンネル焼津側出口北付近に位置する。東名高速道建設のため
城域が一部破壊されたとされ、また一部茶畑・ミカン畑等に改変されているが、神社・石碑の建つ本丸跡のほか堀切・
土塁等が確認できた。
本丸跡はミカン畑に
土塁跡