江尻城跡

所在  静岡県清水市小芝町付近

交通  JR東海道本線清水駅より徒歩10分

歴史  室町時代より駿河を治めていた今川氏だが、当主義元が桶狭間の戦い

     により討死するとその勢力は急速に衰退していく。

     義元の子、氏真は甲斐より侵出して来た武田氏により駿府府中を焼き

     払われ、駿河を追われることとなる。駿河を手に入れた武田氏は、焦土

     と化した駿府府中より東に約10kmに位置するこの江尻に城を構え、

     占領地の軍事行政の中心とした。

     城の縄張は甲州流築城術の第一人者、馬場美濃守信房が行ったとされ、

     永禄十二年(1569)に城郭としての態をなす。

     その後、江尻城には山県昌景が入城し、城の改修が行われるが、天正

     三年(1575)五月、長篠の戦いにて昌景が戦死すると江尻城には武田家

     親族衆筆頭の穴山梅雪信君が入城し、大改修を施す。

     天正九年、遠江高天神城が徳川氏の手に落ちるとこの江尻城も徳川氏の

     圧力を受けることとなり、翌年、信君は家康の降伏勧告を受け、江尻城は

     無血開城した。

     信君は織田信長より江尻と駿河清庵地方の所領安堵を受け、その返礼の

     ため安土に赴くが、その折に本能寺の変が勃発、土一揆に遭遇し落命する。

     跡を継いだ勝千代も夭折、穴山家は断絶してしまう。

     その後、徳川・豊臣家臣が城代を勤めるが、慶長6年(1601)に廃城となる。

       三の丸跡に建つ小芝神社

一言  江尻城は清水駅より西約700m一帯にあったとされるが、市街地と化して全く

     遺構を残していない。

     町名として元城・二の丸・大手の名が残ることと、江尻城の三の丸跡に建つ小芝

     神社境内の石碑がこの地に城があったことを伝えるのみである。

 

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