浅利氏館跡
所在 山梨県東八代郡豊富村浅利
交通 JR中央本線甲府駅よりバス役場入口下車
歴史 鎌倉時代初期、源清光の十一男義成を祖とする浅利氏は、甲府盆地の南部に位置する浅利庄に所領を得て
浅利姓を名乗った。
義成は源頼朝軍に従軍、壇ノ浦の戦いや奥州藤原氏征伐においては弓の名手として名を挙げ、『吾妻鏡』『平家
物語』にもその名が散見する。
その後の浅利氏の動向については不明な点が多いが、下って戦国時代、後裔浅利右馬助信種は武田晴信(信
玄)の武蔵・相模侵攻に従軍し、小田原城包囲のの相州三増峠にて北条氏と交戦、武田軍は勝利を得るが、信種
は北条軍の鉄砲により戦死したという。
浅利氏館跡付近に建つ大福寺
大福寺正面
一言 浅利氏の館跡については『甲斐国志』に「七倉ト言処アリ浅利与市ノ館跡ナリト言伝フ」とあるのみで正確な位置
は解かっていない。一説には義成の菩提寺大福寺付近とも、浅利七蔵の台地中腹地点とも言われる。
なお、大福寺院内には義成の墓と伝えられる層塔が、また浅利七蔵中腹の平坦地には豊富村教育委員会が建立
した館跡の石碑が建っている。
浅利庄に建つ義成開基浅利山法久禅寺