甘利氏館跡

所在  山梨県韮崎市旭町上条北割

交通  JR中央本線韮崎駅よりバス旭駐在所下車

歴史  武田信義の嫡男、一条忠頼はその子行忠をこの甘利庄に配し、甘利氏を名乗らせた。

     行忠はこの地に居館を造って領地経営を行うとともに、ここより西2キロメートルの所に扇子平山城を

     築いて有事に備えたという。

     以降、甘利氏は代々続き、室町時代後期の当主甘利備前守虎泰は武田信虎に従軍、数々の戦功を

     立てた。また天文十年(1541)に起った晴信(信玄)による信虎追放では、同じく重臣だった板垣信方・

     飯富虎昌らとともに晴信を支持し、無血クーデターを成功させている。

     のち虎泰は信濃攻略でも活躍するが、同十七年(1548)信濃上田原にて村上義清軍との交戦により

     戦死。甘利家は嫡男昌忠が継ぎ、永禄十年(1567)に没するまで信玄に仕え、活躍したという。

       甘利氏館跡の大輪寺

       大輪寺寺域

一言  甘利氏の居館跡には現在、昌忠開基の日蓮宗大輪寺が建つ。

     居館跡は寺域・道路・水田に変貌し、残念ながら遺構は確認できなかったが、道路建設に伴ない行われ

     た発掘調査では十六世紀の陶磁器・椀・古銭などが出土し、中世居館がこの地にあったのは間違いない

     という。

     なお、甘利氏の詰城である扇子平山城にも行こうとしたが、城域は日亜鋼業の社有地らしく、電流が流れる

     柵が設けられていたために断念した。

      周辺は水田・寺域・道路となって遺構は確認できなかった

       扇子平山城は立ち入りが出来ない

 

     前のページに戻る   メインページに戻る