秋山氏屋敷跡
所在 山梨県中巨摩郡甲西町秋山
交通 JR中央本線韮崎駅よりバス系沢荊沢下車
歴史 平安時代末期、甲斐源氏加賀美遠光の嫡子太郎光朝はこの地に所領を得て秋山姓を名乗った。
平時、光朝は京都に駐在して平清盛の子知盛に仕え、また清盛の長男重盛の娘を妻とするなど当時絶頂期
にあった平氏との結びつきを強くし、その地位は揺るぎ無いものになるかと思われたが、平氏没落にしたがい
光朝の地位も危うくなっていく。
治承四年(1184)の頼朝旗揚げの際には遅参し頼朝の不信を買い、更には木曽義仲と内通していたことが
露見し翌文治元年(1185)、鎌倉勢に攻められ詰城のあった雨鳴山にて自刃したという。
館跡に建つ熊野神社
館跡を示す木碑
一言 秋山太郎光朝の居館跡には現在、熊野神社が建っている。
当時、館の周囲には堀をめぐらせていたというが、現在は道路・農耕地・民家となりその形跡は確認出来な
かった。
なお江戸時代には、この地から光朝の弟光経が十三回忌供養の際に埋経した銅製の経筒が出土したという。
周辺に遺構は確認出来なかった
光朝が自刃したとされる雨鳴山