安倍城跡(久住砦を含む)
所在 静岡県静岡市羽鳥
交通 JR東海道本線静岡駅よりバス羽鳥下車
歴史 安倍城の築城は南北朝時代初期、伊豆狩野氏の一族である狩野介貞長によって築かれた
という。狩野介貞長はこの安倍城を本城として南朝側に属し、周囲の南朝側豪族の中心人物
として活躍した人物である。
狩野介貞長はこの安倍城に興良親王・宗良親王を迎えるなど南朝側に忠節を尽くし、北朝側に
属した今川氏と駿河各地で抗争を繰り広げるが、日本各地で南朝軍が劣勢に陥ると駿河国内
における狩野氏の旗色も次第に悪くなり、明徳三年(1392)、南北朝統一がなされると狩野氏
も駿河守護の地位を固めた今川氏に服属した。
のちの永享五年(1433)、今川家では家督を巡る内紛が起こるが狩野氏は今川持氏を支持して
幕府の推す今川範忠と対立する。狩野氏は軍勢を率いて今川館を襲撃するが失敗し、範忠軍の
反撃により安倍城を退去。支城の湯島城に篭もるが、ここも攻められ逃散したという。
安倍城跡本丸跡
本丸跡に建つ石碑
堀切跡
安倍城跡副曲輪跡
一言 安倍城跡は静岡市街の北、市街地を一望できる比高約400mの地に位置する。
山頂の本丸を中心として幾つかの曲輪を配した縄張りであるが、この城の使用年代が南北朝
時代から室町時代中期とされ、また植林・ハイキングコースの設置などにより遺構の判別にやや
難儀するが、所々に土塁跡が残存し堀切跡も確認出来る。
麓の洞慶院からハイキングコースを進むのが最短距離と考えられ、約30分の登山で安倍城の
出曲輪とも言える久住砦に到着できる。その久住砦から安倍城跡へは約15分足らず。
なお、その久住砦の縄張りは安倍城跡よりも明確である。
久住砦跡
安倍城本丸跡より静岡市街を望む
麓に建つ洞慶院