好きという気持ちで強くなる








 火曜日は数学の小テストがあり、皮肉にも北斗は合格点にわずかに及ばず、放課後に一時間の補習を受けることになってしまった。
「松倉、自分の勉強も頑張らないとな」
 田辺は笑いながら、北斗に小テストのやり直しをさせた。
 落ち着いて考えると、解けないと思った問題も、少し難しくは感じたが、正解することができた。
「たまには補修もうけに来いよ。いつもぎりぎりでも解けていると、理解不足に定期テストで苦しむことになるから」
「はい……、え、えーと……」
 素直に頷いてから、北斗は補習の大変さを思いやって、言葉を濁す。いくら親しみのある先生とはいっても、放課後残ることはあまりしたくないものである。
 北斗の返事にまたも田辺は笑って、気をつけて帰れよと北斗の肩を叩いた。
「ありがとうございましたー」
 クラスメイトたちはもちろん帰った後で、教室に残しておいたカバンを取りに寄って、北斗は一人で帰り道を歩いた。
 グランドではクラブ活動の生徒たちが、そろそろ暑くなり始めた太陽の下、練習に励んでいる。
 音楽室からはブラスバンド部の練習する音が響いてくる。
 北斗自身はどこのクラブにも所属していない。
 運動は苦手で、文化部の活動も特にやりたいと思うものがなかった。
 私立高校なのでアルバイトは禁止されている。そんな時間があるのなら、勉強して進学率を上げろという考え方である。
 校門を出て振り返る。
 流麗な文字で『鵬明学院高等学校』と書かれたプレートが恭しく掲げられている。
 鵬明の生徒であるということは優秀であると誰もが認めるところであるが、北斗は自分の肌に合わないと感じていた。
 大人しいタイプで、管理されることに反発は感じないほうであるが、のんびり屋の北斗は皆の競争意識が苦手であった。
 付属中学の校門は角を曲がった向こう側になっている。
 高校の受験よりさらに厳しい競争率であるという。
 北斗は高校で受験して入ってきたので、どことなく持ち上がり組の生徒とは隔たりを感じている。
「小学生で受験なんて、大変だよね」
 それを乗り越えてきた生徒たちは、のんびり高校受験してきたものたちに、一線を引いているように感じる。
 幹の成績がどうなのかは詳しくは聞かなかったが、ここを目指すということは、優秀だとしてもそれ以上に頑張っているのだろうと想像がついた。
 手伝ってあげたいが、経験のない北斗には、アドバイスできることも少ない。ましてや幹を怒らせてしまった。
 つらつらと考えて歩いていると、すぐに駅に着いてしまった。制服のポケットから定期を取り出すと、携帯がメロディーを奏でた。
 音は小さめにしてあるのだが、北斗は慌てて名前も見ずに携帯の通話ボタンを押した。
「もしもし」
『うしろ』
「え?」
 ぶっきらぼうに聞こえた声に、北斗は相手が誰だかわからずに、言われたとおりにうしろを振り返った。
 ぷつっと途切れた携帯を持って、幹が立っていた。
「幹くん……」
 まだどこか怒ったような顔。微妙にそらされた視線に、北斗はどうしていいのかわからなくなる。
 けれど幹から声をかけてきてくれたということは、もう怒っていないのだろうかと思う。
「あの、……どうしたの?」
 むっとしたような顔で立つ幹に、北斗は恐る恐る話しかけた。
「遅いじゃん。他の生徒、たくさん帰ってったのに」
 補習もクラブもない生徒たちが帰る時間からここにいたのかと驚いてしまう。
「ごめん、あのさ、補習うけてたから……」
「なんの?」
「数学」
「だっせーの」
 ぼそりと呟いて、幹は改札を入っていく。
「あっ、あのさ、幹くん……」
 北斗は急いでその後を追いかけた。
 改札を入って階段を昇ると、ちょうど電車がやってきた。
「あのさ、……会いにきてくれたの?」
 乗り込んだ電車のドアの所に立って、窓の外を見つめる幹に、北斗は自信がなさそうに小さな声で話しかけた。
「北斗の降りる駅ってどこ?」
 北斗の問いは無視して、幹が尋ねてきた。北斗は素直に自分の降りる駅名を告げた。
「へ? なんだ、一緒じゃん」
「うん。歩きならバスに乗る距離なんだ。いつもは自転車で駅まで」
「あの時は自転車どうしてたんだよ」
「あの時?」
 幹に何を尋ねられているのかわからずに、北斗は首をかしげた。
「かつあげ」
「あ、ああ、あの時」
 幹とはじめて会った時のことを思い出した。
「前の日にブレーキ壊されてて。修理に出してて、それでバスで」
 しどろもどろに説明する北斗に、幹は呆れたように北斗を見上げた。
「幹くん、あの、この前……」
「着いたよ」
 肝心なことを話そうとすると、電車は駅についてしまった。
 さっさと下りて、改札も出てしまった幹を、北斗は一生懸命追いかけた。
 急ぎ足の幹が足を止めたのは、先日待ち合わせをした公園だった。
「幹くん、この前は……ごめんね」
 今度こそと北斗は謝った。早く謝らないと、このまま幹が帰ってしまいそうな気がしたからだ。
「どうして北斗が謝るんだよ」
 謝った北斗を見て、幹は前のように笑おうとして、笑えなかった。
「俺が北斗に謝ろうと思ってたのに」
 少し辛そうに、幹は北斗に背中を向けた。
 ぶっきらぼうで、ふてくされたような態度は、北斗に謝るきっかけを探していたのだとわかると、北斗は自分を待っていてくれた幹が愛しくなった。
「昨日の手紙、読んだ。ありがとう、北斗。そんで……わがまま言ってごめん」
「幹くん、仲直りに来てくれてありがとう」
 幹はくるりと振り返って、北斗が笑っているのを見ると、自分も照れくさそうに笑った。
「すごくよくわかったよ」
「ほんと? 良かった。あの問題、鵬明の入試問題なんだってね。数学の先生に解き方聞いた甲斐があったな」
 北斗が嬉しそうに話すと、幹はそれまで浮かべていた笑顔をすっと消した。
 けれど北斗は幹の変化に気づかずに、一生懸命に昨日の出来事を説明していた。