好きという気持ちで強くなる











 一学期の終業式の日、源は北斗を探していた。
 あの遊園地からも、短縮ではあるが授業は続いているというのに、結局一日も北斗と同じ電車に乗れたことはない。
 一体どんな手段を使っているのか、幹の手腕に感心してしまうほどだ。それを認めるのは非常に悔しいが。
 夏休みになっても、補講という名目で授業は続けられる。
 けれど三年生はその補講よりも、予備校の夏期講習を選ぶ者の方が多いし、自分も国立理系の予備校を選び、学校にもそちらに行くことを申請してある。
 つまり、明日からは学校に来なくなり、北斗とも接点がなくなってしまうのだ。
 この夏休みは大学受験の天王山ではあるけれど、せめて何かしらの接点は欲しかった。ライバルがいなければ、受験が終わるまでという余裕も持てたが、この夏休みを逃せば、もう近づくことは不可能のようにさえ思えた。
 声変わりもまだの中学生。自分よりは頭一つ小さい少年が、邪魔をしてくれる。
「あ、源先輩」
 教室で黒板を消していた冬樹が気づいて声をかけてくる。
「北斗、いるかな?」
 冬樹はだいたい予想していたのか、源が北斗の名前を出しても驚きはしなかった。曖昧な笑顔を浮かべて、職員室に行ったことを教えてくれた。
「先輩、北斗に何の用ですか? って、一つしかないか」
 冬樹が黒板消しをクリーナーにかける。
「俺、先輩はもっとドライな人かと思ってました。人のものには執着しないっていうか」
「北斗はあの坊やのものでもないだろ」
 冬樹の口から自分への批判めいた言葉が出てきて、胸の中にもやっとしたものが広がる。
「そんな風に思ってるんなら、幹に負けると思うなぁ」
 冬樹はいつもミキちゃんミキちゃんと呼んでいるので、そういう風に呼ばれると、別人のように感じるから不思議だ。北斗は普通に幹君と呼んでいるので、同じ人物であるのに間違いはないのに。
「勘ぐるなよ。そんなんじゃない」
 からかい半分の言葉を牽制すると、冬樹はわざとらしく肩を竦めた。
 ちょうどその時、反対側のドアから、北斗が教室に入ってきた。
「北斗、源先輩」
 プリントをカバンに入れようとしていた北斗は、顔を上げて声をかけた冬樹を見て、そしてドアに立つ源を見た。
 ぴょこりと頭を下げて会釈し、北斗はおいでおいでと手招く源のところまでやってきた。
「もう帰れるか? ちょっといいかな」
「はい……」
 不思議そうな顔のまま、北斗はカバンを取ってきますとことわって、教室の中へ戻っていく。
 その様子を見ていた冬樹を軽く睨むと、ふうと息を吐いて離れていった。
「お待たせしました」
 北斗がすぐ近くまで来ていて、源ははっと意識を戻す。
「悪いな。ちょっとだけな」
 北斗を誘って、校舎を出る。中庭への出口で立ち止まると、北斗は少し離れた場所で首を傾げている。
「夏休み中にさ、一度二人きりで出かけないか。その時に話したいことがあるんだ」
 余分な参加者はいらない。二人きりで出かけようと誘う。
「でも先輩、夏期講習がありますよね」
「まあな。でも、毎日24時間、机にかじりつくつもりはない。たまの息抜きにつきあってくれないか?」
 北斗は俯いている。表情が読めずに、源はジリジリとした気持ちになる。
「北斗?」
「……ごめんなさい」
 小さく謝る声が聞こえて、源は顔を歪める。
「俺と一緒に出かけるのは、そんなに嫌なのか?」
 思いかけず厳しい声になったらしく、北斗の肩がビクッと震えるのがわかった。
「先輩とだけっていうわけじゃないです。二人で出かけることが苦手なんです」
「この前はOKしてくれたじゃないか」
「あの時は、断る前に」
 しどろもどろになりながら北斗が話すのを見ていると、可哀想なことをしていると思う反面、どうして嫌われるのかわからずにイライラする。
「あの中坊に止められてるのか?」
「幹君はそんなこと言いません」
「だけど、この前はついてきた」
「それは……」
 上手い言い訳が見つからないのか、北斗はますます深く下を向く。
「俺さ、北斗のこと、好きなんだよ。付き合って欲しい」
 二人の間の重苦しい空気を、取り払うつもりではなかった。やけくそだというのが正しいかもしれない。
 北斗が顔を上げる。驚いた表情を見て、少しだけモヤモヤしたものがましになる。
「恋人になりたいっていう意味だよ」
 どうせ断られるとわかっているから、自棄を起こしたと思われてもいい。
「でも……男同士で……」
 源にとっては意外な言葉が聞こえてきて、自分の立場も忘れて、はっと笑ってしまう。
「男同士だと、恋人になれない?」
 北斗は困ったように頷いた。
「そっか。まぁ、いいや。俺が嫌いって言われるよりはさ」
 源があっさり引くと、北斗はほっとした顔をする。
 その顔が憎らしい。
 だから、どうせなら、波風の一つもたててやりたい」
「じゃあ、もう今日のことは忘れてくれ。無理に誘ったりしない」
「すみません……」
 ぴょこりと頭を下げて、北斗は行こうとする。
「北斗!」
 その背中へもう一度だけ声をかける。
 北斗は不安そうに振り返った。
「男同士で駄目って言うならさ、本城幹って、北斗にとっては何なんだ?」
 北斗は立ち止まり、首を傾げる。
「幹君は……友達で……」
 頼りない声が北斗の唇からこぼれ出る。
「友達ね。その枠の中では、彼が一番なんだね」
「はい」
 どうしてそんなことを確かめるのだろうというような北斗に、源は溜め息を一つついた。
「悪かったな、呼び止めて」
「いえ……失礼します」
 今度こそと頭を下げて、北斗は駆け足で去っていった。
「俺とあいつ。案外スタートライン上で並んでるのかもね」
 源は力なく笑って、北斗とは反対の方へと歩き始めた。



「ごめんね、待たせて」
 いつもの待ち合わせの場所で幹が一人ぽつんと立っているのを見て、北斗は慌てて駆け寄った。
「そんなに待ってないよ。何? 掃除で遅くなった?」
「え、……う、うん」
 何か隠されたような北斗のうろたえぶりに、幹は眉を寄せる。
 並んで歩き始めても、打ち明けてくれそうになくて、チリチリとした焦燥を感じる。
「夏休みになったらさぁ、またプールに行かない?」
「えっ…! あ、あぁ、そうだよね。また行きたいね」
 会話が弾まず、途切れがちになる。
 何か隠し事をしてるの?!と問うのは子供っぽ過ぎて躊躇ってしまう。それに隠し事なら、北斗は自分から話す気になるまで黙っているだけだろう。
「何か心配事でもあるのか?」
 はぁと北斗が溜め息をついたときに、我慢できなくなって問いかけた。
「え、ううん。何もないよ」
 北斗が笑顔を作るのに、幹も平気そうな顔をしなければならなくなった。
「なんかあったら言えよな。俺、相談に乗るし」
「うん、ありがと」
 それは、いつもの北斗の笑顔だったけれど。
 つい見惚れてしまうような、優しい笑顔だったのけれど。
 最近は感じなくなっていた、年齢という溝を感じさせる、優しいお兄さんの顔だ。
 胸が小さく痛む。
 隣に並んでいるのに、北斗がずっと前を歩いているような焦りを感じる。
「北斗……」
「ん? 何?」
 振り返った北斗はいつもの北斗で。
「なんでもない」
 無理にも笑って隣に立った。
 絶対に追いつくんだ。密かな決意を新たにして。