土曜日。週休二日制の世間では休みの日だが、進学校である鵬明は土曜日も授業がある。 さすがに6時間ということはなかったが、午前中いっぱいはしっかり4時間の授業がある。 その3時間目、北斗は上着のポケットで携帯電話が震えるのを感じた。授業中はマナーモードにしてあるので、誰からなのか気にはなったが、もちろん出ることはしなかった。 授業が終わったとき、教師に頼まれて資料運びを手伝わされているうちに、電話のことを忘れ、4時間目になってしまった。 そして4時間目の授業に再び携帯が震えたとき、北斗は「あっ」と小さな声を出してしまった。 「松倉、質問か?」 耳敏い教師に睨まれたが、北斗は無言で首を振って、なんでもないと返事の代わりにした。 だが、誰から電話がかかってきたのか、気になり始めてしまって仕方なくなった。 もともと、北斗の携帯にはメモリーが少ない。 高校になってから携帯を持ったということもあるが、中学の同級生で登録した友人は数えるほどだし、高校になってからは、まだそれほど友人が多くない。 のんびり屋の北斗は自分から積極的に相手の番号やメールアドレスを聞くということはなく、教えてもらってようやく登録するという感じだから、500件登録できるメモリーは、まだ20件ほどだったりする。 もしかして自宅からだろうかと思ったら、それ以外にないように思えた。 中学の同級生は、土曜日の遊び相手に自分など考えないだろうし、高校の同級生は言わずもがなの授業中である。 だとしたらあとは家からしか考えられない。しかも母親なら今が授業中だと知っているはずで、それでもかけてるのなら、何か緊急事態ということも考えられる。 そう、例えば、急病で歩くこともできず、自分に助けを求めているとか、家に強盗が入って、犯人の目を盗んで連絡を取ってきているとか……。もしか外出中に事故に遭って、母の携帯から息子のメモリーを呼び出して、連絡してきているのかも。 考え出すと悪いことばかりが思い浮かぶ。 どうしよう、誰からかかってきたのか見てみたい。けれど、授業中に携帯を取り出せば、取り上げられてしまう。取り上げられれば卒業まで返してもらえない。 悪い想像ばかりして、おろおろと焦る北斗に、隣の席の清水冬樹が気がついた。 「どうかしたのか?」 冬樹は同級生の中でも人当たりが柔らかくて、気の弱い北斗にとっては話しやすい友人である。 声を潜めた冬樹に、北斗は教師にしたのと同じように、首を左右に振るが、顔色の悪い北斗が気になって、冬樹は「先生」と声を上げて立ち上がった。 「なんだ清水」 「松倉君が気分が悪いようなので、保健室に連れて行ってもいいですか?」 冬樹に言われて教師も北斗をあらためて眺めた。確かに顔色が悪く、気分が悪そうに見える。 「大丈夫か、松倉」 「は、はい」 自分が教師だけではなく、クラス中の注目を浴びてしまったことで、北斗はますます青くなる。はいと返事をするので精一杯だ。 「清水、連れて行ってやれ」 「はい」 冬樹に腕を掴まれ、立つように上へと引っ張られ、ぎくしゃくと北斗も立ち上がった。 机の列をうしろへと進み、90度に曲がり、ドアを目指す。二十歩ほどの距離がとてつもなく遠く感じた。 冬樹がドアを開け、ドアを潜り、そしてドアが閉じられると、思わずそこにしゃがみそうになってしまう。 「本当に大丈夫?」 「あ、あの、……清水…」 足をもつれさせるように、階段まで歩いて、北斗は思い切って立ち止まった。 「あの、気分は悪くないんだけど……」 北斗が必死で説明しようとすると、冬樹はわかっているよというように笑った。 「携帯が気になってるんだろう? 誰からかかったのか、ここで見れば?」 「どうして……」 何故わかったのか驚く北斗に、冬樹は簡単に説明してくれた。 「ポケットに入れてるだろう。マナーモードにしてても、近くにいるとわかるよ。振動音がするからね」 「あ、ああ、そうか」 教師が側を通ったときでなくて良かったと思う。 「メールの短い着信じゃなくて、通話みたいだったし、それから松倉がそわそわして青くなってるから。もしかして身内に重病人がいたりする?」 「う、ううん。そうじゃないんだけど」 「早く見てみれば? せっかく出てきたんだし」 再度促されて、北斗は慌ててポケットから携帯電話を取り出す。二つ折りのそれを開いて、履歴を見た。 「あ……」 そこに表示された名前に、北斗は目を見張る。 「誰から?」 北斗の様子がそれほど緊急を要するものでないとわかったのか、冬樹が携帯を覗き込んだ。 「なーんだ、彼女か」 「……え?」 冬樹の呟きに北斗は不思議そうに同級生を見た。 「だって、彼女だろ? 本城ミキちゃん。授業があるって知らなかったんだ? 今かけてあげれば?」 「え、ちがう」 モトキの名前をミキと読んで、冬樹は勝手に北斗の彼女と思い込んだらしい。ニヤニヤしながら、肘で北斗をつついてきた。 「いいから、電話して、授業が終わったら戻って来いよ。な?」 ポンポンと北斗の肩を叩いて、冬樹は戻っていく。それを見送って、北斗は階段の脇のトイレに入って、幹へと電話をかけた。 二回目の呼び出し音で、変声期前のボーイソプラノの声が答えた。 『もー、何やってんだよ。おっせーよ』 出る前に北斗だとわかったのだろう、いきなり文句を言われる。 「ご、ごめん。あの、授業中だったから」 怒られれて、よく考えもせずに北斗は謝っていた。 『土曜日なのに学校あんの? やっぱ、私立ってば、やだなー』 「それで、幹君、何か用だった?」 『あ、そうそう、北斗、算数教えてくれるって言ったじゃん。今夜塾があるから、一つだけどうしてもわかんなくて。学校、午前中で終わる? 塾、5時からなんだけど』 「午前中で終わるよ。えっと、どこへ行けばいいのかな」 幹の勝手に進めるペースはかなり早かったが、北斗にとってはそれくらいしてもらったほうが、ついていきやすい。それに、幹にまた会えるというのは実は嬉しかったりした。 『じゃあ、一昨日の公園。あそこからうち近くなんだ。北斗お弁当持ってってないだろ? お母さんがお昼作ってくれるって。だから食べずに来いよ。何時頃来れる?』 「今からなら、……1時ちょっとすぎるけど、いいのかな」 お昼までご馳走になっては申し訳ない。しきりに恐縮する北斗だったが、幹はあっけらかんとしていた。 『だって、算数教えてもらうんだし。別にお母さんの飯、そんなにうまくねーし、気にしなくていいよ。じゃあ、一時過ぎくらいに公園で待ってるから。早く来いよー』 やっぱりさっさと話を進めて、幹からの電話は切れてしまった。 「うそみたい……」 北斗は通話の切れた携帯をまだ見つめていて、じわりじわりと広がっていく胸の喜びの正体が、まだなんなのかわからないままに、そっと静かに微笑んだ。 |