好きという気持ちで強くなる








 北斗がどうしようかと思うほど長く笑い続けた少年は、目尻に浮かんだ涙を指先で拭きながら、まだ笑の発作がおさまらないのか、唇が笑いの形になりそうなのを堪えるように、北斗に話しかけてきた。
「お兄さん、天然だって言われない?」
 少年の指摘はずばり的を射ていたので、さすがの北斗も少しむっとして唇を尖らせる。
「ほくと」
「え?」
「僕の名前、北斗っていうんだ。お兄さんじゃない」
 北斗が言い返すと、少年は奇妙な間を置いて、また豪快に笑い出した。
 変なことを言ったつもりのない北斗は、ちょっと失礼ではないだろうかと思ったのだが、子供相手に何と言っていいものかわからない。
 拭くのも忘れられた涙が少年の目尻に光る。そこまで笑うこともないだろうと思うのだが、少年の笑いの発作は止まらないようである。
 北斗はどうすればいいのかわからなくなって、手持ち無沙汰のあまり、持っていた防犯ベルを弄くっていた。と、何をどうしたのかわからないのだが、突然ベルが辺りを憚ることなく、大きな警報を出してしまった。
「え、あ、……うあ」
 突然のことと、あまりの大きな音に北斗はおろおろしてしまう。
 ベルを投げ出してしまいたかったが、それだからといってベルは止まらないだろう。
 耳、耳をどうかするんだよなと焦っていると、横から伸びてきた手があっさりといとも簡単にベルを止めた。
「あ、……あぁ、……ありがとう」
 しんと静かになって、北斗は胸を撫で下ろす。
 またバカにされるだろうかと少年に視線を移すと、思わず真剣な瞳にぶつかってしまった。
「ご、ごめん。あのさ、チェーンを抜いたつもりはなかったんだ」
 バカにされるのではなく、腹を立てられていると感じた北斗は、自分が情けなくなり、小さな声で言い訳をした。
「これ、ほんとはチェーンは関係ないんだ。こっちの耳を押せば音が鳴って、反対の耳を引っ張れば音が止まる。はい、どうぞ」
 あんまり怒ってはいない調子で取り扱いを説明され、再びベルを手渡された。
「え、でも」
「北斗にあげる。持ってれば? 痴漢除けにもなるよ」
「いや、僕は男だから……」
 北斗が説明すると、少年はくすっと笑ったが、今までのような馬鹿笑いはしなかった。
「いいじゃん、あんまり邪魔になんないだろ」
「あ、ありがとう」
 少年の真剣な瞳に見つめられて、北斗は礼を言って受け取った。
「じゃあ、連絡先教えてよ」
「連絡先?」
 北斗はなんの連絡先だろうかと頭の中を疑問符でいっぱいにする。
「北斗の連絡先じゃん。わからないことがあったら教えてくれるんだろう? 明日の塾の算数はわかってるんだけど、今度何かあったときに教えてもらうよ。だから携帯の番号、教えてよ」
 少年の説明にようやく理解して、北斗は何か書くものをとかばんの中を探った。
 そのかばんの中を少年が覗き込んでくる。
「あるじゃん、携帯」
 北斗の携帯を引っ張り出して、少年は勝手にピポパと番号を押す。そして相手が出る前に、電話を切ってしまう。
「はい」
「はい、って……」
 何をどうしたのかわからず、北斗は自分の携帯電話を受け取る。
「リダイヤル見て」
 少年の言葉に履歴ボタンを押す。11桁の番号に首を傾げる。
「それが俺の携帯番号。本城幹で登録しておいて」
「え、え?」
「北斗の番号は俺の携帯で見れるから。苗字だけ教えて」
 てきぱきした段取りに、北斗は引き摺られるように松倉だと名乗った。
「北斗って、北斗七星の北斗?」
「う、うん、そうだけど」
「俺のは木の幹一文字でモトキ。本にお城で本城だから、ちゃんと登録しといてね」
「あ、ああ、……わかった」
 何がなんだか理解できないうちに、北斗は返事をして、幹はバイバイと手を振って帰っていく。
 その背中を呆然と見送ってから、北斗ははっとなる。忘れないうちに登録しておかないと、また何を言われるかわかったものではない。
 残された11桁の番号を本城幹で登録する。
「小学生でも携帯を持っているのか」
 高校生になってようやく自分の携帯を手に入れた北斗は溜め息をこぼす。
 はたしてこの番号からかかってくることがあるのだろうかと思いながら、携帯をかばんに戻した。
 もう会うこともないと思った北斗だったが、そう思うと寂しく感じる自分に気がついた。
 幹にとってはうざったい高校生でしかないだろう自分に、彼が会いたいとおもうはずがないと思う。それが何故だか寂しいのだ。
 理知的で強気な幹の瞳を思い出し、また会いたいなと思っている自分に気づく。
 思えば、ベルを返すというのはただの理由にすぎず、それを口実に幹に会いに来たように思う。
 普段の自分ならば、こんな行動を起こしたりしない。いつも引っ込み思案で、思い切ったことをするというのが苦手なのだ。
 もうかかってくることのない電話番号だが、これは大切に思い出にしようと決めた北斗だったが、それはわずか一日の杞憂に過ぎなかったのだった。