好きという気持ちで強くなる











『お前、北斗をそんな寂しくて嫌な奴にしたい? それで満足か? 今、嬉しいと思ったか?』
 冬樹の言葉がグサリと突き刺さる。
 そんなつもりじゃない。反論したかったが、違うのかと確かめられれば、絶対とは言えないことに気がついた。
 北斗に誰とも仲良くして欲しくない。自分とだけ仲良くして欲しい。
 朝一緒に行くのも自分だけであってほしい。
 北斗の全部を独り占めしたいのだと、冬樹に詰られて、自分の心の奥に潜む願望がちらりと見えた。
 北斗が好きだから、北斗の特別でいたい。それを実感するのは、北斗が幹のために何かをしてくれているときだ。
 北斗が一人で帰り、朝も一人で登校している……。
 満足か、嬉しいかと聞かれれば、心が震えるほど嬉しく、満足だった。
 と同時に、はじめて味わうような底知れない恐怖も感じた。
 北斗は何を思って、そんなことをしているのだろうか。
 自分が怒ったから? それ以外に理由は考えられないが、何故そんなことをしたのかがわからなかった。
 あれ以来、北斗から連絡はない。メールも電話も。
 幹も後悔はしているけれども、北斗を叩いてしまったという後ろめたさから、行動できずにいた。
 謝らなければいけない。そう思うのに、一日おくごとに、会うのが怖くなっていくのだ。
『もう幹君の我が侭には付き合いきれない』
 そう言われたらどうしよう……。
 しかし、北斗は我が侭に付き合ってくれるような行動をとっている。
 少しは期待してもいいのだろうか。
 けれどそれならそれで、『一人で電車に乗っているんだよ』と連絡が来てもいいような気がする。
「どうすればいいんだよ」
 冬樹に朝早く行かなくてもいいと連絡してやれと言われたが、どう切り出せばいいというのだろう。
 学校の帰り道、一人で立ち止まっている幹を何人もが通り越していく。何人かは訝しそうに幹を振り返っていく。
 泣き出したい気持ちを堪え、ようやくのろのろと歩き始める。
 世界に一人きりのような孤独感を感じた。北斗がいないだけでこんなに辛い。
 何度も溜め息つきながら家に帰りつくと、母親が楽しそうに鼻歌を歌いながら料理を作っていた。
「お帰りなさーい。今夜はモト君の好きな春巻きよー」
 いつ俺がそんなものを好きだって言ったよ、と母親の陽気さに腹が立った。
 だいたい、そうして張り切って作ったものに限って不味いのだ。普通に切って焼くだけのものにしてくれたほうがずっとましだ。春巻きなら、出来上がりの冷凍物を買ってきて揚げてくれればその方がいい。
「いらない。どうせ不味いもん。ハンバーガー買って来る」
 ぶすっとしたまま言うと、母親がくるりと振り返った。その顔は明らかに怒っている。
「モト君が不機嫌だから、好きなものにしてあげたんじゃないの。その言い方はなんなの。いい加減にしなさいよ。そんな我が侭なことばかりしてると、北斗君にも見放されちゃうんだから」
 言われた途端、幹の顔は見る見るうちに強張っていった。
 少し脅かしてやろうと思っていた母親は、地雷を踏んだことに気がついた。
「なんだよ、うるせーよ。何も知らないくせに!」
 カバンを投げ捨てるようにして、部屋へと駆け上がった。
「幹!」
 呼び止める声がしたけれど、力任せにドアを閉めて、ベッドに寝転んだ。
「バカヤロウ」
 腕で目を覆い、ぐっと涙を堪えた。


「北斗、一緒に帰ろ」
 今日は一緒に帰ろうと冬樹に腕を掴まれて、北斗は迷いながらもうんと頷いた。
「大丈夫だって。今日は俺と二人だからさ。それとも俺と一緒に帰るのも嫌か?」
 そんな風に聞かれると、北斗は首を横に振って、そんなこと無いと否定した。
「あのさ、朝も無理することないから。団長とか、あまりに早かったら皆がもっと早く来なくちゃいけないと思って無理しかねないから、団長はゆっくり来ることにしたんだってさ」
 北斗ははっとして足を止めた。
「あ、あの、僕は……」
 何かを言いかけては、何を言っていいのかわからず、口ごもる。
「わかってるって。緊張するんだろ? 団長ってさ、優しいけど、なんか威圧感あるし」
 緊張という言葉で置き換えてもらえるなら、それで助かる。
「僕が駄目なだけだから」
 周りに迷惑をかけているのだと思うと、居たたまれない気持ちになる。
「迷惑なんてかけてないって。むしろさ、北斗は自分から、嫌なことは嫌だって言わなくちゃ。相手が誰でも」
 思わせぶりに付け加えられて、北斗はつっと俯いた。
 口数の少ない北斗と並んで歩くと、冬樹の方がよく喋るようになってしまう。
 北斗は聞き上手だと思う。
 相槌も頻繁ではなく、こちらが話しやすいタイミングで出てくるし、ニコニコと聞いてくれるので話していても楽しい。
 時折とんでもなく天然なことを言っては驚かせてくれたりもする。本人は真面目に聞いたつもりらしくて、我慢できずに笑ってしまうのだが、それでも北斗は怒らない。
 一緒にいるととても穏やかな気持ちになれる。
 あの年下の少年がどれだけその心地好さを理解しているのかはわからないが、一度傍にいることの安心感を覚えてしまえば、離れがたくなるだろう。
 中学までは友人がとても少なかったと北斗は言うが、まだまだ子供っぽさが抜けない年代、なのに刺激だけは一人前に欲しい世代では、北斗の性格はおとなしすぎて魅力がないように思われてしまったのだろう。
 それをローティーンの幹が既に見抜いているという点は、立派だと思うが、幼さゆえに独り占めしたくなってしまったのだろう。
「仲直り、しないの?」
 いつもと変わらないように見えて、やはり北斗は沈んでいて、励ましたくなってしまう。
 北斗と友人でいたいと思う限り、これからも同じように励ます場面が何度もありそうだと思って、冬樹は笑い出しそうになってしまう。努力して笑いを堪えていると、唇が震えてしまう。
「だって、今仲直りしても、幹君が言うようにはできないから」
 北斗の言わんとすることが、わかったようなわからないような。冬樹は首を傾げる。
「今だと、駄目なのか?」
 仲直りなど早い方がいいに決まっていると冬樹は思うのだが、北斗は違う考えらしい。
「謝っても駄目だったから、ちゃんと一緒に登校できるようになってから、仲直りに行きたい」
「うーん……」
 それはそれでわかるのだが、どうにも遠回りのような気がする。
「その場限りで仲直りしても、同じ状態のままだと、謝ったことにならない……と思って」
「っていうかさ、北斗が謝ることなわけ?」
 冬樹にしてみれば、幹のほうが謝るべきだと思っているので、そこまでする必要はないだろうと言いたかった。
「幹君に嫌な思いをさせたのは僕だから」
 それは懐が深いというか、広いというか、冬樹にはもどかしいばかりだ。
「そんなこと言ってたら、あいつ、もっと我が侭になるんじゃないの?」
 今でも充分我が侭だと冬樹は思っているのだが。
「ううん。幹君は全然我が侭じゃないよ。優しいし、強いし、頑張り屋だし」
「好き……なんだ? ミキちゃんのこと」
 どんな返事があるのだろうか。興味本位だ悪趣味だと自分でもわかっていたが、どうしても聞いてみたくなった。
「うん、好きだよ。いい子だもん」
 半ば以上予想したとおりの答えが聞けて、冬樹は乾いた笑いを顔に貼り付けた。
 心の中では幹に非常に同情もした。
 ……まだまだだよ、ミキちゃん。
 けれどちらりと掠めた同情はすぐに消えた。
 ……もっと大人にならなきゃ、いつまでもミキちゃんのままだな。
 内心でからかい半分のエールを送って、冬樹は友人としての位置をこれからも楽しむことにした。


 トントンと部屋をノックして、父親の呼ぶ声がした。
 夕食を拒否して部屋に閉じこもっている幹に、母が父にヘルプを出したのだろう。
「入るぞ、幹」
「…………うん」
 渋々返事をする。そろそろ本気でお腹も空いていたし、父ならばわだかまっている気持ちも少しは素直に話せそうな気もした。
 ドアが開いて、父親は夕食を乗せたお盆を手に入ってきた。春巻きはどうやら揚げたてのようだ。
「それで、本当に北斗君と喧嘩したのか?」
 幹の反応から、ここ数日の荒れようの原因をそれだと判断されたらしい。
「……うん」
「原因は?」
 幹は箸を持った手を止めて、じっと下を見つめたままで黙り込んだ。
「どっちが悪いんだ?」
「……最初は……北斗」
「本当に?」
 父親に確かめられて、冬樹に言われたことが頭を過ぎった。
「だ、……って、俺は、……そう思って……」
 幹の様子に、父親はふっと笑った。
「それで幹が癇癪を起こしたのか? だったら、北斗君なら謝ってくれそうだけどな」
 幹はお盆の上に箸を置いて、服の裾を握りしめた。
「謝ってくれたのに、許さなかったのか?」
 何もかもわかってしまう父親に、幹は唇をぐっと引き締める。
「それじゃあ、ママの言葉はきつかったよなぁ」
 呆れるように言われて、幹はぷいっと背中を向けた。
「幹。どうすればいいのかわかってるんだろう? なのに、どうして自分から謝らないんだ?」
 じっと背中を丸めて俯く息子に、父親は落ち着いた声で話しかける。
「そんなに後悔しているんなら、早く謝っちまえばいいのに。どんどん謝り難くなるぞ」
「だって……許してくれなかったら……」
 涙が出そうになって、ぐっと息を飲み込む。
「幹、許してもらうために謝るんじゃないだろう? 自分のしたことに対しての謝罪を、相手の許しを得ることが前提なんて、そんな謝り方、されたって嬉しくないと思うぞ」
 父親の言葉にハッとする。
「許してもらうまで謝ることは大切だ。だけど、謝ったから許してくれというのは間違ってる。その違いがわかるか?」
 大人の男としての言葉には重みがあった。
 父親の言葉を借りるなら、北斗はいつも心から謝っていてくれたと思う。幹が悪くても、幹の気持ちをわかろうとした上で謝っていてくれた。
 それなのに自分は、北斗に頼りきり、甘え、今回も北斗がもう一度謝ってくれないかと、どこかで期待していた。
 我が侭を押し通せば、北斗が折れてくれるかもと独り善がりなことも考えていたかもしれない。
 それで北斗からのリアクションがなくて拗ねている状態が今だ。
「……もう見放されてたらどうしよう……」
 よほど母親の言葉が堪えていたのか、ぽつりと不安をもらす。
「だったら尚更、男らしく謝らなくちゃな」
 あの少年ならば許してくれないはずがないと思いながらも、息子のために誠心誠意謝れと励ます。
 幹はようやく振り返って箸を手に取った。
「ちゃんと食べて、ママにも謝るんだぞ?」
「……はい」
「ちゃんと食べろよ、幹」
 どうして念を押すのだろうと思って春巻きに一口かじりついた途端、幹はそのまま動きを止めた。
 ……苦い……。どうして春巻きが苦くなるのだろう……。
「ちゃんと食べろよ。謝罪は態度でも示さないとな」
 父親の苦笑する顔を恨めしそうに見つめながら、幹は頑張って春巻きを飲み込んだ。