好きという気持ちで強くなる











 酷く落ち込んだ様子の北斗を心配して、冬樹は何度か軽く探りを入れたが、北斗は自分でもわからないというだけで、ちゃんとした答えは出てこなかった。
「愚痴だけでもこぼしてみれば?」
 もう諦めて何でも来いと胸を叩くと、北斗は力なく笑った。
「謝っても許してくれないときって、どうしたらいいと思う?」
「……北斗が謝るのか?」
 なんとなくそれはあまりないシチュエーションのような気がして、念のために尋ねた。
「うん……。どうやって謝ればいいのか、わからないんだ」
「……何やったんだよ」
 北斗がそれほど許せないことをするとは思えず、冬樹はどうしてもそれを聞かずにはいられなかった。
「……わかんないんだよね」
「はぁ? だけど謝ったんだよな?」
「うん。でも、そんなに悪いことをしちゃったとは思えないから、だから、他のことで怒らせたのかも」
 冬樹はうーんと唸った。
 これが北斗相手でなければ、謝る必要なんてないよと、冬樹の方が切れそうだが、北斗がそれで悩むのを止めるとは思えなかった。
「ミキちゃんからは何も言ってこないのか?」
「うん……。あ、幹君が相手だって、わかる?」
「まぁな」
 彼以外に北斗が親密にしている友人はいないし、幹を除外すれば自分が一番仲が良いと自負できる。
「ちょっと冷却期間をおいてみれば?」
「…………そう…だね」
 多分、北斗が幹と喧嘩をしたと思われるあの日、冬樹も北斗から少し避けられていた。どうしてなのかと理不尽さを感じ、冬樹はぐいぐいと北斗にそれまで以上に話しかけたため、避けることもできなくなって、以前のように接することができている。
 けれど、それ以外の人とは、ようやく築けていた打ち解けた雰囲気がすっかり消えてしまおうとしていた。
 しかし帰りは冬樹や都築、源と一緒に駅まで帰るようになっていたのに、それをわざわざ一緒に帰らなくていいように逃げているように思える。
「北斗、いいよ。先に帰って」
 そわそわし始めた北斗に、冬樹は溜め息を隠して、後片付けをしておくよと話した。
「え、でも」
 それでもその言葉は助かるのか、辺りをそっと見回す。
「北斗は早く来て準備を手伝っているんだし、理由聞かれたら適当に言い訳しておくから」
「……ありがとう」
 北斗は借り物のガクランを脱ぐと、それを指定されたカバンに入れて、目立たないように帰っていった。
 本来なら最後まで残ってでもみんなの手伝いをしそうな友人が、冬樹の言葉に甘えること自体が非常に珍しいことだと思う。
 駅からは北斗と源が一緒の電車になるので、源のことが苦手なのかと思っていたが、あの日までは緊張しながらも「いい先輩」として、源のことは尊敬していたはずだ。
 そう、北斗が幹と喧嘩をしたあの日までは。
「あれ? 今夜も冬樹一人? 北斗は?」
 都築が帰り支度を済ませて、冬樹の傍までやってきた。隣には源がいて、少しばかり機嫌が悪そうに思えた。
「あ、家で急ぐ用事があるからって、帰っていきました。あいつ、早く来て準備しているから、ちょっとくらい先に帰ってもいいですよね?」
 二人ばかりか、回りにもそれとなく聞こえるように言う。
「いいよ。練習も頑張ってくれてるしね」
 都築の了解にほっとして、冬樹もガクランを脱いだ。
「北斗、俺のこと、苦手なのかなぁ」
 帰り道、ぽつりともらした源の言葉に、冬樹のアンテナがぴくぴくと反応する。
「どうしてですか? 団長のことはすごいって尊敬してますよ。北斗も俺も」
「あ、ちゃっかりしてるな、冬樹は。俺は? 俺のことも尊敬して欲しい」
 場を明るくするように、都築が横から茶化してくる。
「もちろん、都築先輩も尊敬してますって」
「いかにも付け足しって感じだな」
 冬樹が宥めるように言うと、都築は特に気を悪くしたようでもなく、笑っている。
「朝も避けられているんだよなぁ」
「朝?」
 朝の話など聞いてなくて、冬樹は首を傾げる。
「方向が同じだからさ、どうせ朝練も出るだろ? だから電車を合わせてたんだけど、三日ほど前から外されるんだよなぁ。あれ以上早いと辛いだろうに」
「お前、相手は後輩で気を遣うんだから、朝くらいはゆっくり出て来いよ。団長が早くから来ていたら、ピリピリするだろ」
 都築は友人の気安さから、源にいかにもな忠告をしていて、正直なところ冬樹はほっとしていた。それ以上北斗のことを聞かれても困ると思っていたのだ。
 北斗は本当に源を避けているのだろうか。朝練がなかったあの二日間のときから? いや、幹と喧嘩をしたあの日から……。
「まぁ、そうするよ。明日からは皆が練習を始めたくらいに着くようにするさ」
 北斗に避けられているのがショックなのか、源はあーあーと溜め息をついた。
「冬樹、北斗に言っといてくれるか? 俺は明日から少し遅めに出るらしいって」
「わかりましたー」
 そう請け負ってから、冬樹はもう一人伝える人物がいるよな、と決めていた。


 幹はずっと後悔していた。
 北斗の胸を叩いた。その時の驚いた顔と手の感触を思い出しては自己嫌悪に陥る。
 自分以外の人と北斗が親密にしていることにショックを受け、考えるより先に手が動いていた。
 人を叩くなど、したことがなかったのに、よりによって北斗にしてしまう自分が信じられなかった。
 すぐに謝ろうと思ったが、自分から連絡を取ることが出来ずにいた。
 話そうとして、会おうとして、北斗に拒否されるのが怖い。それに、自分の中で問題が消化できていないのに、北斗に会ってもまた責めてしまいそうで、なかなか謝れずにいる。
 このままだと、どんどん謝りにくくなるとわかっているのに、行動を起こせずにいる。
 北斗からの連絡がないことも、幹の気持ちを重くしていた。
 今までなら、幹が悪いことでも、北斗の方が謝ってくれて、幹が謝る前に許してくれた。
 それがないというのは、やはり北斗は許せないと思っているからではないだろうか。そう考えると、「もう君の我が侭の相手はしてられない」と言われそうで、そんなことを言われたら立ち直れなくなりそうで、やっぱり会いにいけない。
 落ち込んだり、自己嫌悪したり、イライラしたりと、幹の態度は本当に褒められたものではなく、周りもピリピリとしている。
 鷹森は何かあったのかと聞いてくれたが、何もないというと、静かに見守っていてくれる。本当にいい友人だと思う。
 それでも北斗と喧嘩をしたままだというが、とても辛かった。
 何かに当り散らしたいようなささくれだった気持ちのまま校門を出ると、「ミキちゃん」と呼び止められた。
 うんざりして振り返ると、まさかの人影だった。
 一瞬、北斗から何か伝言があって、それが悪い報せで、幹にとっては聞きたくないことなのではと、顔が強張る。
「なんだよ。応援団の練習があるんだろ? 早く行かないとまずいんじゃないの?」
 幹がほとんど睨むように言っても、冬樹は平然としている。
「遅れることは言ってある。ミキちゃんに話があってさ」
 馴れ馴れしく話しかけられても、幹には今、北斗と仲がいいというだけで、冬樹は嫌いな対象になる。
「俺には話なんてない」
 さっさと歩き出そうとして、幹はふと足を止めて、くるりと振り返った。
「なぁ、白団の団長って、どんな奴?」
 やっぱりそうきたかと冬樹は思った。
「どんな……って、中学生じゃ知らないかな。高校じゃ有名だよ。成績優秀、オールマイティーに何でもできて、背も高くて、男らしくて、リーダーシップの取れる人。カリスマって言うのかな、人をひきつける魅力のある人なんだよ。俺たちは皆憧れてるし、尊敬している」
 どんどん苦々しくなっていく幹の顔を見ながら、冬樹はあえて正しい評判を話した。隠したところで幹のためにはならない。
 幹はぷいっと身体の向きを変えて、足跡も荒く歩き始める。
「こらぁ。自分の聞きたいことだけ聞いて、こっちには何も話さないつもりか?」
「べつにー。俺には話したいこともないしさ」
「待てよ。北斗と喧嘩したんだろ? このままでいいのか?」
「あんたに関係ないでしょ」
 幹は足を動かすスピードを上げる。このままではすぐに駅についてしまいそうだ。
「先輩に向かって、あんたとか言うか、このやろー。可愛くないな」
「可愛くなくていいよ。可愛いと思われたくもないし」
「だいたいな、そんなだから北斗も……」
 急に幹が立ち止まって、冬樹はぶつかりそうになった。
「それ、気にいらねー」
 挑むような目つきで冬樹を睨んでくる。
「何が」
「北斗って呼ぶなよ。苗字で呼べばいいじゃんか」
「それのどこが悪いんだよ」
 幹の言い分に、冬樹は穏便に話をしようと思っていた気持ちも吹き飛んだ。
「気に入らないんだよ。北斗もあんたのことは、名前で呼ぶしさ。いつの間にそんなに仲良くなったんだよ」
「北斗はお前の物じゃねーぞ」
 冬樹は年下相手に可哀想かなと思いつつも、睨みつけてくる幹の目は、一人の男のものだと思ったので、遠慮はしなくていいと踏んだ。
「俺だってな、北斗の友達なんだよ。名前で呼んでもらうのに、お前の許可なんか取らないし、必要ない。北斗に誰とも喋るなとでもいうつもりか? それで北斗が幸せだとでも思うのか? そんなのはただの子供の癇癪だろう」
 幹の表情が苦悩するように歪むが、一度いいかけた言葉を止められそうになかった。
「独占欲は誰でも感じるさ。だけど北斗のことを考えるんなら、それを抑えるのが好きっていう気持ちだろ。お前のは好きじゃなくて、ただ自分のだって握りしめて離さない、子供の所有欲でしかないじゃないか。捕まえた蝶を強く握りしめたら、握り潰してしまうぞ。お前のしようとしていることは、それと同じだ」
 悔しそうに唇を噛み締める幹に、さすがに言い過ぎたかなと思いながら、冬樹は慰めるより叱咤するほうを選んだ。
 幹ならわかるだろうという確信もあった。
「俺は北斗の友人をやめないし、もっともっと北斗と仲良くしたい。お前に遠慮もしない。いつまでも意地を張ってるなら、勝手にしろと思う」
 幹の握り締めた拳が小さく震えていた。
「もう聞きたかったことなんてどうでもいいや。じゃあな」
 そのまま幹を置き去りにしようとして、それではあまりに後味が悪く、少し離れてから肩越しに振り返った。
「北斗さ、朝一人で登校するためにかなり早く家を出てるらしい。帰りも一人で帰るために無理してる。お前、北斗をそんな寂しくて嫌な奴にしたい? それで満足か? 今、嬉しいと思ったか?」
 俯いた頭が、僅かに、わからないほど左右に揺れる。
「源先輩がさ、もう朝早くしたりしないって、言ってたからさ。北斗に言ってやってよ」
 仲直りのきっかけにでもなればと、そんなことを頼んで、練習に遅れているからか、冬樹は走り去った。