好きという気持ちで強くなる











 体育祭の応援団の練習は、朝の始業前と放課後にあり、それなりに厳しいものとなる。
 三学年をそれぞれに五団に分けて、一学年に二クラスずつの縦割りで編成され、色分けされて競技で点数を競い、優勝したカラーには賞状と学生食堂のデザート券が配られる。
 賞品としては魅力に欠けるが、競う限りは勝ちたいというのが男子の本能でもある。
 応援団の仕事は、もちろん競技者の応援なのだが、その他に応援合戦という種目もあり、応援の型や団結力を審査され、優勝チームには20点が加算されるとあって、練習にも熱が入る。
 各カラーの応援団には、代々受け継がれる型があり、北斗のクラスカラーである白団には白虎という型があった。
 応援団の団旗にも白い虎が雄々しく描かれている。
 その型は空手の組み手にも似ていて、実際に二人一組で取り組むように、太鼓に合わせて腕や脚を振り上げる。
 元々運動が苦手な北斗は、空手などの経験もなく、練習でもついていくのが精一杯で、何度か上級生に注意を受けていた。
 五月に入れば気温が高くなる日も出てきて、制服ではないガクランを着せられて、練習を繰り返していると汗びっしょりで、かなり疲れてくる。
「北斗、大丈夫か?」
 冬樹も北斗と変わらぬ身長と細さなのだが、運動は得意のようで、北斗が覚えられずに苦労している型もすぐに覚えて、重なる練習にもけろりとしている。
「ごめんね、僕が駄目だから、何度もやり直しさせられて」
 組み手は体格の近いもの同士を合わせたほうが綺麗に見えるので、北斗は冬樹と組んでいる。北斗が遅れれば冬樹に迷惑がかかり、北斗に付き合わされる恰好で、冬樹もやり直しの連続である。
「気にしないでいいよ。元々北斗を引っ張り込んだのは俺なんだから」
 冬樹は嫌な顔一つしないで、黙々と北斗に付き合ってくれる。
「それに、北斗、だんだん上手になってるよ。手抜きしないし、丁寧にやるから、他の誰より綺麗な流れで組み手をしているんだよ。気づかない?」
 そんな風に言われても、全くわからない。とにかく冬樹についていくことで精一杯なのだ。
 なんとかその日の練習も終わり、とっぷり日が暮れた校庭から引き上げようと、貸与されたガクランを脱いでいると、一緒に帰ろうかと声をかけられた。
「都築先輩」
 冬樹の声に顔を上げると、応援団長の都築勇平と、白団の総団長の源篤史が並んで立っていた。
 二人とも三年生で、鵬明ではちょっとした有名人らしい。二人のクラスが白団になった時点で、今年の優勝は白だと、生徒の間では確信的に噂されている。
「いいんですか、俺たちで」
 北斗は上級生というだけで少し緊張してしまい、できることなら別々に帰りたかったが、冬樹が光栄なように返事をしてしまったので、辞退はできないようになってしまった。
 四人で横に並んで歩くというわけにもいかず、自然と二人ずつということになるのだが、冬樹が都築と喋っているので、北斗は源と並んで歩くことになっていた。
 北斗は何を話していいのかわからず、上級生相手に緊張していると、源がくすっと笑う気配がした。
 源は背が高く、その様子を見るには、見上げなければならない。
「なんか、俺って、警戒されてる?」
 一つしか違わないのだが、小さなほうの北斗からすれば、源は貫禄があるようにさえ思える。
「いえ、あの。緊張しているんです」
 正直に言うと、源はますます笑う。
「俺は都築みたいに怒ったりしないよ?」
 今日も型を間違えて怒鳴られた北斗は、源の冗談に笑えなかった。
「でも、君、ええっと、松倉君だっけか。前よりとても上手になったよね。都築がいつ辞めさせるかって思ってたけど、この分じゃ、先頭に立たせるんじゃないかな?」
「む、無理です」
 やはり来賓席のある先頭には、型の綺麗な者たちを並ばせる。その順番が決まるのは、本番の直前だという噂だ。
「頑張り屋さんなんだってね。珍しく都築が褒めていたから、今日はずっと君ばかりを見ていたよ」
 怒鳴られたところも見られていたのかと思うと、かっと顔が赤くなる。
「北斗は型も綺麗でしょ、源先輩。本当に努力の人なんです、彼」
 冬樹がくるりと振り返って自慢する。
「へー、北斗っていう名前なのか。かっこいいね」
 あまり人に褒められるということのない北斗は、もう顔を上げていられなくて、真っ赤になったまま俯いて、必死で自分の足を動かす。
 駅まで来れば、別方向だと思っていたら、北斗と源は同じ電車に乗ることがわかった。冬樹と都築は反対方向で、ここでも二組に別れてしまう。
「同じ方向だとは知らなかったな。全然会ったことないよね」
 北斗は早めの電車に乗るので、あまり他の生徒と会わないほうだ。
 共通の話題といえば体育祭のことだが、源は北斗が高校からの受験組だと知ると、北斗の中学や地元のことを聞きたがり、問われるままに答えていると、すぐに降りる駅についてしまった。
「それじゃあ、また明日な」
 にっこり手を振られて、北斗はさようならと頭を下げた。源はまだ三つほど先の駅で降りる。
 落ち着きのある源に比べて、北斗の方は緊張で一杯だった。できればもう一緒にはなりたくないと思う。
 けれど翌朝、朝練のために早朝の電車に乗ると、源が駅のホームで待っていた。
「良かったら一緒にいこうと思って」
 それを断る勇気は北斗にはなかった。


 中等部と高等部の間にはフェンスがある。
 乗り越えられない高さではないし、乗り越えなくても、フェンスには扉があって、鍵もかかってはいない。
 けれどその扉はとても重い。物質的な重さではなくて、精神的に重くて開けられない。
「フェンスなんてつけなくていいのに」
 ジャージに着替えた幹はブツブツと文句を言う。
「高等部に行くのか?」
 同じジャージ姿の鷹森が幹に気がついて話しかけてきた。
 今は昼休みの終わりかけ、もうすぐ五時限目で、体育の授業がある二人はジャージに着替えて、グランドに向かっているところだった。
「行かない」
 行っても北斗がどこにいるのかなんてわからないし。心の中で付け足す。
「高校って、なんか、遠いよな。俺たちも何事もなければ、あっちに行くんだけどさ」
 鷹森が幹の気持を代弁するように言う。
「まぁな」
「高校生って、大人に見えるよなー」
 特に中学生になったばかりの幹たちからすれば、高校生は既に大人のように思える。フェンスの向こうには数人の高等部の生徒の姿が見えていて、中には岩のように大きな生徒もいて、見ているだけで圧倒される。
 だけど北斗は背も小さく、体重も少ないほうだ。もうすぐ自分も追いつく。あんなむさ苦しい男にはならない。
 幹は内心で、北斗があんなにならなくて良かったと胸を撫で下ろしている。
「早くあっちに行きたいけど、行ったらすぐにまた大学受験とかで大変そうだ」
 鷹森の感慨深い言葉に、ふと、自分と北斗と一緒に並んで歩く姿を想像してみる。その時には自分の方が大きくなって…………。
「あーっ」
 そこまで想像して、幹はハッとする。
「どうした? 本城?」
「駄目じゃんか、俺」
「何が?」
 自分が高等部に行く頃には、北斗は卒業してしまっている。つまり、一緒に登校するの期間は、二年間しかない。
「たった二年しかないのに、こんなに離れ離れなんて、もったいなすぎる」
 幹は頭を抱えてしゃがみこむ。
「なー、本城。もしかして、あの人のこと、本気で好きなわけか?」
 そこまで落ち込まなくてもと思いながら、鷹森はからかいながらも、少しばかり心配そうに尋ねた。
 鷹森はこいつとは生涯を通しての親友になれそうという直感を抱いた幹が、本気で男を好きなのなら、今知っておきたいと思った。
 男を好きになるという気持ちは、鷹森にはないが、親友がそうなのだとしても、偏見を持ちたくないと思った。
 親友と、男を好きになるという感覚は、どこか似ているように思うのだ。
 けれど、今知ったばかりの事実にショックを受けている幹は、その質問が聞こえていなかった。
「あー、俺って、馬鹿だよなー」
 二年間の一ヶ月なんて、とても貴重じゃないか。
 そのうちの既に二週間を無駄にしているわけだ。
「なあ、ほら、あの人じゃないか?」
 しゃがみこむ幹の背中を鷹森が叩いた。
「え?」
 鷹森が指差す方向を見る。
 通路を北斗が横切っていくのが見えた。隣には冬樹がいて、こちらには気がつかずに、楽しそうに笑いながら歩いていく。
「北斗ーっ!」
 思わずその名前を叫んでいた。
 鷹森も驚いていたが、他の周りの反応も気にならなかった。
 何しろ、二週間も北斗の顔を見ていなかったのだ。顔を見たら叫んでいたというのが正しい。
 名前を呼ばれて北斗が立ち止まり、声の主を探してキョロキョロする。
「北斗、こっちこっち!」
 思いっきり手を振ると、先に冬樹が気がついて、幹のいるほうを指差して、北斗も幹に気がついた。
 北斗がふわりと笑って足を踏み出したとき、無情にも昼休みの終わりを報せるチャイムが鳴り響いたのだった。