好きという気持ちで強くなる











 真新しい制服に袖を通す。
 白いカッターシャツに紺色のネクタイ。黒地に紺色とトーンを落とした水色のチェックのズボン。紺色のブレザーには胸に校章をデザインしたエンブレムがついている。
 ネクタイとエンブレムの色、ズボンのチェックが少しだけ高等部と違う。
 ネクタイは成型済みで、ループを衿に通すだけでいい。
 これが高等部になると、自分で結ぶ普通のネクタイになるらしい。
 ということは、毎朝、北斗は自分でネクタイを結んでいることになる。
「なんか、すごい時間かかってそう」
 鏡に映った自分の姿を見ながら、別のことを考えて、くすっと笑う。
 今日は鵬明学園中等部の入学式だ。
 母親は数日前から張り切って、自分のドレスアップに余念がない。今は入学式に臨む息子を放っておいて、美容院にセットに行っている。
 そこまでしなくていいと思うのだが、入学式の手伝いに来る北斗とも会うのだし、他の保護者より綺麗できてくれるほうがいい。
 どこにもおかしいところはないかをもう一度チェックして、幹はリビングに下りていった。
「お、似合うな。ガクランがいいのになと思っていたが、ブレザーもいいな」
 父親が幹の制服姿を見て目を細める。
「ちょっとは大人びて見えるかな?」
 両手を広げて、くるりと回ってみると、父親は楽しそうに笑う。
「まだ制服に着られている感じだけどな。すぐにしっくりくるだろう。あまり無理をして背伸びをする必要はないさ」
 余裕のある大人の発言に、幹はむっと唇を尖らせる。
「早く大きくなりたいんだよ」
 北斗に追いつくくらいには。
 早く北斗に追いついて、自分の気持ちを打ち明けたい。
 言葉にできずに、一人枕に吸い込ませた密かな想い。
 あれから毎日、北斗への気持ちは心の中で確かになっていくばかりだ。
 でも、今はまだ、自分の方があまりにも小さくて、それを打ち明けたところで、北斗が本気にしてくれないとわかっていた。
 弟としてではなく、北斗の傍にいる男として、自分を見てもらえるようになりたい。そうすれば、好きだという気持ちを打ち明けたい。
「子どもでいる方が楽しいのに。パパなんか、中学生から高校生の頃が一番楽しかったな」
 それはもちろん楽しい。今に不満など全然ない。
 けれどそれだけじゃ駄目なのだ。自分が好きになった人は、先に大人になってしまうのだから。
「ただいまー。ギリギリねー。モト君、準備はいい?」
 玄関から母親の賑やかな声が聞こえて、幹は「出来てるー」と大きな声で答えた。


 校門を潜って、クラス発表を見るより先に、ある人の姿を探す。
 校門から続く歩道の脇には、見事な桜が植えられていて、今を盛りと薄桃色の花を咲かせている。
 その花びらがひらひらと、校内へと向かう新入生達を祝うように舞い降りている。
「お、ミキちゃん。おめでとう」
 ふいに横から声をかけられる。
 その名前の呼び方に、嫌な予感がして振り向くと、予想通りの人がこちらに向かって手を振っていた。
 ずらりと並んだ机の前に立ち、どうやら新入生に書類を渡しているらしい。 「知っている人?」
 母親が不思議そうに聞く。
「北斗の友達。俺の名前、間違って覚えちゃって」
 既に知っているはずの名前も、そのままミキちゃんと呼ぶ冬樹にむっとしながらも、母親が挨拶をするので、仕方なく頭を下げた。
「北斗なら体育館のほうだよ。ミキちゃんのリボンを持ってるから、早くいっておいでよ」
「リボン?」
 何のことだろうと思って聞き返すと、冬樹は手元に持っていたリボンを見せてくれた。
 小さな花のついたリボンは、一人ずつのクラス番号と名前が書かれている。
「俺はね、クラス案内係なの。ミキちゃんのクラス担当になっちゃってさ。ミキちゃんのだけ、北斗に回しておいたよ」
 それは少し感謝してもいいだろうか。できることなら、北斗と担当を変わってもらいたかったのだが。
「あ、今回はね、担当の変更が出来なかったんだよ。ごめんねー」
 幹の不満を見透かしたように言われてしまい、少しばかり分が悪くなる。
「体育館で進行の手伝いをしているよ」
「ありがとうございました」
 書類だけを渡してもらう。そこには「2組 本城幹」と名前が印刷されている。
 クラスがわかればあとは北斗を探すだけだ。
 キョロキョロと観光気分で辺りを見回して歩く母親をせかして、幹は体育館へと急いだ。
 進行の手伝いってなんだろうと思いつつ、体育館の中に入って、北斗の姿を探す。
「あ、いた」
 北斗は体育館の舞台下にいた。マイクの横に立って、真剣な表情で手に持った紙を見ていた。
「北斗!」
 幹は駆け寄って、声をかけた。
「あっ、幹君。おめでとう」
 北斗は突然かけられた声に驚きながらも、幹の顔を見て、笑顔になった。
「すごい。よく似合ってるね。かっこいい」
 手放しに褒められて、妙に照れてしまう。北斗にかっこいいと言われると、もうそれだけで、ここに受かってよかったと思えた。
「あ、そうそう。これ」
 北斗は自分のポケットからリボンを取り出す。それを幹の胸、エンブレムの下につけてくれる。
「ご入学おめでとうございます」
「ありがとうございます」
 律儀な祝辞が面白くて、幹もかしこまって礼を返した。
「北斗は何をするの?」
「進行のアナウンス。ものすごく緊張してるんだよ」
 本当に緊張しているらしく、少し顔色が悪いように見える。
「大丈夫。新入生だって緊張しているんだしさ」
 バンバンと背中を叩いて励ます。
「幹君は落ち着いているよね。さすがだなぁ」
「本当は緊張してるんだって。でも、北斗がいると思うと、ちょっと落ち着くんだよ」
 本心から言うと、北斗も笑い返してくれた。
「そうだね。幹君がいるから大丈夫だと思うことにする」
 北斗が微笑んで頷いた時、新入生は席につくようにとアナウンスがあった。
「じゃ、頑張れよ。席で聞いてるから」
「うん。またあとでね」
 幹は自分の出席番号が書かれた席に座る。どんどん生徒が集まってきて、満席になる。
「ただいまより、平成XX年度、鵬明学園中学校、入学式を執り行います」
 北斗の声がマイク越しに体育館内に響き渡った。
 緊張していると言っていたが、その声は凛としていて、清々しく、北斗の人柄そのままに、緊張感の中にも優しい空気で新入生達を包んでくれた。
 あの人が俺の好きな人。
 今ここで全校生徒に宣言したくなるほど、幹は誇らしくなる。
 同時に、誰からも隠したいと思った。
 北斗を見たら、みんなが彼を好きになるような気がする。
 誰にも見て欲しくない。自分のものだけにしたい。
 突然沸いて出た感情に戸惑う。
 頭上から響いてくる北斗の声を聞きながら、これから一生付き合っていく気持ちだとは気づかずに、幹は独占欲という感情を抑えようと苦心していた。