好きという気持ちで強くなる











 二つ並んだ布団は、水色のチェックのカバーをかけられているほうが北斗の布団と思われた。
 もう一つの方はおろしたてのような白いカバーがかけられているので、客用、つまり自分に用意された布団なのだろう。
 幹は先に寝るのもおかしいし、どうしていいのかわからずに、意味もなく持ってきた荷物の整理をする。
 荷物と言っても一泊分なので、そうたいしてない。すぐに整理も終わってしまう。
 次に幹は明日の勉強会のために持ってきた宿題を取り出す。
 少しずつやり始めてはいるが、まだまだかかりそうでうんざりしている。けれど入学してすぐに試験があるので、けっして疎かにはできない。
 あまり成績にはこだわらないほうだが、最初の試験の出来栄えで、教師からの印象が決まってしまう感がある。
 優秀であることよりも、今後の学園生活を円満で楽しく過ごすためには、教師の覚えが目出度いほうがいいだろう。
 大人に可愛がられることで、嫌なことを回避できることを知っている幹は、時に平気で猫を被る。
 そう考えて、北斗の前でも自分は結構大きな猫を被っている気がした。
 勉強が苦手なふりをしたり、甘えてみたり。
「やっぱり北斗の気を惹こうとしていたんだよなぁ」
 でもそれが失敗ではなかっただろうかと、最近の幹は感じている。
 それは最近の北斗が、幹に兄のように接してくるからだ。
「失敗したなぁ」
 ぼふっと布団に仰向けに寝転がる。
「何が失敗なの?」
 声が大きすぎたのか、外に聞こえてしまったらしい。襖を開けて北斗が入ってきた。
「あー、宿題の配分」
 カバンの周りに撒き散らした宿題を言い訳に利用する。
「まだまだ春休みは残ってるじゃない」
 北斗は青いパジャマを着ていた。まだ少しだけ髪が湿っている。
「だってさ、早く終わらせて、春休みにもう一回くらい、北斗と一緒に出かけたいもんなー」
「じゃあ、明日は頑張ろうか」
「うん、頑張る」
 幹は並べた宿題を一つにまとめて、鞄に入れる。
「あ、これさ、うちの両親から、北斗に勉強を見てもらったお礼だってさ」
 幹は朝、母親から渡された包みを北斗に渡した。
「ええっ。そんな、お礼を貰うようなことは何もしてないよ」
「そう言うと思ったけどさ。もう買っちゃったんだし、貰ってよ。俺も一緒に買いに行ったんだ」
「なんか……申し訳ないな」
「そんなたいして入ってないってば」
 幹に開けてよと促されて、北斗は包みを開ける。
 出てきた箱は、若い男の子に人気のブランドのロゴが入っている。
 そっと蓋を開けると、Tシャツと財布が入っていた。
 Tシャツは紺地にブランドのロゴとマークが入っているだけのシンプルな定番もので、財布は茶色の革で、こちらもロゴが押し印になっているシンプルなものだ。
 北斗が派手ではなくて、使い心地のいい物を好むと知っていた幹は、母親が「地味じゃないかしら?」と心配するのを押し切って、これを選んだ。
「すごくいい。ありがとう」
 幹の見立ては間違ってなかったようで、北斗は心から嬉しそうにお礼を言ってくれた。
「俺も財布じゃなくて、同じラインの定期入れを買ってもらったんだー」
 幹は鞄の中から定期入れを取り出して見せる。まだ使う必要もないのに、北斗に見せたくて、持ってきたものだ。
 まだ何も入っていない定期入れは、取り出すと新しい革の匂いがする。
「ちょっとしたお揃いだね」
 ニコニコ顔で言われて、ドキッとしてしまう。お揃いという考えはなく、財布を見ている時に母親から、定期入れがいるわねと言われ、だったらこれでいいやと気軽に選んだものだ。
 北斗に言われて、意識してしまうと、妙に照れくさくなってしまう。
「どっちが長持ちするかなー」
 意識していることを隠したくて、変なことを言ってしまう。
「競争だね」
 北斗は財布を広げて、機能性を見ながらそんなことを言う。
 革製の質のいい財布がそんなに早く傷むとも思えず、それだけ長い時間を競争し続けられるという言葉が、ジンと胸に響いた。
 ずっと北斗と一緒にいたいと思うのは、こんな何気ない一言が、幹をとても喜ばせてくれるからだ。
 並んで布団にもぐりこみ、春からの新生活についてや、テレビやマンガの話題で笑い合う。今までは会っていても、半分以上は勉強や受験の話が多く、こうして身近な話題を取り上げると、そうだったの?と軽い驚きを感じることがあって、とても新鮮な気持ちになれた。
 北斗が意外に虫好きだったこと。小さな頃はいつも網を持って庭を駆け回っていたことなど、とても信じられなかった。
 幹が去年までピアノを習っていというと、北斗は驚いていた。今度聞かせて欲しいといわれたが、弾いて聞かせるほどたくさんの曲を弾けるわけではなく、それが少し悔しかった。
 もっともっと色んな話をしたいと思っていたが、好きなアイドルの話をしていると、北斗の相槌が遠くなっていく。
「北斗? 寝ちゃったの?」
 ついには相槌も聞こえなくなって、幹は身を乗り出して、北斗の布団を覗き込んだ。
 北斗は気持ち良さそうに、すやすやと眠っていた。
「北斗?」
 もう一度声をかけても返事はなく、ぐっすりと寝入っているのがわかった。
 じっとその寝顔を見つめてしまう。
「睫毛、長いなー」
 北斗は自分の容姿が男らしくないのにコンプレックスを抱いているようだったが、幹は北斗の顔も好きだなと思っていた。
 白い肌は嫌なんだといっていたが、彼の優しくて綺麗な気持ちをそのまま表現しているようだと思う。
 思いやりに溢れた彼そのものを表す目は、いつも穏やかに幹を見つめてくれていた。その瞳にどれだけ力づけられただろうか。
 それを縁取る睫毛がこんなに長いとは、今まで気づかなかった。
 小さいけれど、ふっくらとした唇は、薄く開いていて、規則正しい寝息が聞こえてくるようだった。
 寝顔を見ていると切なくなってくる。
 一人取り残されたような気持ちになった。
 優しく、兄のような北斗。
 けれど自分の気持ちはもう、弟じゃ嫌なのだ。
 自分だけが別の場所から北斗を見ているような感覚は、幹をとても不安にさせる。
「北斗が好きだよ……」
 聞こえるはずもないのに、声を潜めてしまう。
 一人きりの告白。
 孤独ではないのに、寂しさに胸が痛む。
「好き……」
 何故だかわからない涙が一つこぼれて、幹は慌てて枕に顔を埋める。
 いつかこの気持ちを伝えたい……。
 いつか……、そんな日が来ればいいのに。
 枕に顔を埋めたまま、幹は北斗の笑顔を思い浮かべる。
 北斗を思うとき、いつも思い浮かべるのは、優しい笑顔だ。
 その笑顔が幹を頑張らせてくれる。
 ここまで導いてくれた。
「北斗が好き」
 枕は涙ごと言葉を吸い取ってくれた。
 じっと動けずにいると、そのまま幹もいつの間にか眠っていた。