好きという気持ちで強くなる











 午前中に三科目、午後から一科目とグループ面接。それが鵬明の中学部の入学試験だった。
 地域でもトップといわれる学校なので、試験内容もかなり難しい。単に答えを書き込めばいいというだけでなく、本人の思考力を問う記述式の問題もたくさんあり、一科目終わるごとに疲れは増していくばかりだった。
 試験問題に関する質問は教壇に立つ試験管に出せば、パソコンを通じて本部に連絡が行き、すぐに答えてもらえる。けれど受験生の個別のトラブルについては、ボランティアの高校生が対処した。
 鉛筆や消しゴムの落し物を拾ったり、気分が悪くなった時に薬を貰うのや保健室への付き添いなど、細かなケアにも安心して試験を受けられるようになっている。
 幹の受験した第三教室では大きなトラブルもなく、四教科のペーパーテストも終わり、番号順に面接に呼ばれるのを待つだけとなった。
 幹は北斗が教室にいるというだけで、いつものように落ち着けて、実力を出し切れたような手応えを感じていた。
 北斗はこの教室内にいる受験生全体のサポーターなので、幹だけを特別視するわけにはいかず、誰にも親切に対応していたが、幹とたまに目が合うと、「頑張って。大丈夫」と言ってくれているようで、とても心強かった。
 試験の最中にも、北斗と一緒に勉強した時の類似問題、北斗が系統だてて教えてくれた知識なども出ていて、それを鮮明に思い出せたのは、背中に北斗の視線を感じていられたからだと感じた。
「それでは56番から60番。今から教室を移動します。番号順に一列についてきてください」
 いよいよ幹の番になり、北斗がこのグループを先導してくれることになった。
 緊張いっぱいのグループを、北斗が前に立って歩いていく。
 前のグループが出てきて、北斗が教室のドアを押さえている。そのドアを一人ずつ潜っていく。
 幹は教室に入るとき、ちらりと北斗を見た。優しい微笑みで頷く北斗は、そっと幹の背中を押し出してくれた。
 全員が入ったところで、静かにドアが閉まる。
 それでも幹には北斗の手の温もりが残っていたので、落ち着いて受け答えができた。


 試験が終わり、発表までは三日間。
 幹は他の受験の予定はないので、ずっと休んでいた学校に行った。他の受験生はまだ休んでいるので、まだ教室は閑散としている。
 それでも久しぶりに会った友人達と受験の話をしたり、休んでいた間の話を聞いたりして、時間はあっという間に過ぎた。
 学校が終わると、ランドセルを家に放り込みに帰って、幹は駅に走った。
 北斗の高校は試験期間に入り、帰りがいつもより早くなるのだ。
「北斗!」
 昨日は面接の後、もう北斗とは会えなかった。夜に電話で礼を言い、試験の報告はしたのだが、やはり顔を見て直接話したかったのだ。
「ごめん、待ったか?」
 北斗はいつもの場所にいて、小さなノートを見ていた。
「ううん。電車の時間を合わせていたから、さっき降りたところだよ」
 真面目な北斗は試験対策用のノートを作っていて、電車の時間を利用して、それを暗記しようと頑張っている。幹を待つ間にも、それを見ていたらしい。
「北斗、ありがとうな。北斗のおかげで頑張れた」
「そんなに何度もお礼を言われるほど、何もしてないよ」
 北斗にしてみれば一緒に勉強しただけで、本当に何もしていないと思っているのだから、幹はもっともっと感謝したい気持ちになっていた。
「だってさ、試験会場にいてくれたじゃないか。びっくりしたけど、すげー心強かったんだぞ」
「幹君の教室に配属されるかどうかわからなかったから、言えなくてごめんね」
「そうなんだ?」
「うん。だから受験番号を聞いて、割り当てが決まった時に、そこに入る人と代わってもらった」
 北斗がしてくれた努力に心が熱くなった。
 いつも幹のためにしてくれることを、その努力を見せずに、笑顔でいてくれる。その気持ちがとても嬉しかった。
「ありがとうな、北斗」
 つんと鼻が痛くなる。泣き出しそうになるのを慌てて誤魔化すために、早口で礼を言う。
「何度も言わなくていいってば。かえって緊張しちゃわないか、余計なことじゃないかって思ってたから、幹君が喜んでくれてほっとしているくらいだから」
 本当に涙が出そうで、幹は必死で笑顔に変えた。
「これで受かってたら、言うことなし!」
「大丈夫だよ」
 根拠のない北斗の大丈夫に、幹はクスクス笑う。
「北斗が大丈夫って言うなら、大丈夫だな」
「そうそう」
 そんな風に笑い合ったが、いざ発表の日になると、今までになく緊張した。試験本番より緊張したかもしれない。
 直前まで感じていた自信が嘘のように消えた。
 落ちていたら……。
 そう思うと、ずっしりと心が重くなる。
 落ちていたら、北斗になんて言おう。
 自分よりショックを受けそうな北斗に、落ちていたら合わせる顔が無いとまで思った。
 合格者の受験番号が張り出されるボードの前まで行くのにも、足が震えて、しっかり歩けているかどうかもわからない状態だった。
 一歩がとてつもなく重かった。
 数歩の距離がとても長かった。
 それでもボードの前までたどりついてしまう。
 もう発表など永遠になければいいのにとまで思ってしまう。
 嫌でも、逃げたくても、発表の時間は来てしまった。
 三人の職員が、大きな紙を広げていく。
 59番。
 北斗がゴーカクの番号だと言ってくれた、良い番号。受験票を確かめなくても覚えている。
 59……59……59……。
 お願いだからあって欲しい。
 祈るような気持ちで白い紙を見つめた。
 一列目は一桁の番号で始まり、二列目が40番代、三列目が70番代の数字で始まっていたので、幹は二列目を下へと目で辿っていく。
 飛び飛びの数字に目が痛くなる。
 こんなにも落ちている生徒がいるのかと、今更ながら冷や汗が出る思いだ。

 59

 その数字は、ちょうど列の中央に書かれていた。
 一瞬見落としてしまいそうになって、幹は慌てて見直した。
「あった……」
 間違いではないかと、何度も何度も、その数字を見直した。
 59。確かにその数字が書かれている。
「やった……、あったよ……」
 早く北斗と家に電話しないと……。と幹は悲喜交々入り乱れる受験生の塊から抜け出そうともがいた。
 その肩をがしっと掴まれた。
 驚いて逃げようとした幹は、自分の名前を呼ばれて顔を上げた。
「北斗!」
 北斗が目の前にいた。
 何だか泣き出しそうな笑顔で、幹を見つめていた。
「おめでとう! おめでとう。……おめでとう」
 何度もおめでとうを言い、途中から北斗は泣き出してしまった。
「北斗……」
 北斗の涙を見て、幹は驚いてしまい、呆然としていると、突然北斗が抱きついてきた。
 幹はぎゅっと抱きつかれて目を瞠った。
「良かった……。良かったー」
 ぎゅうぎゅうと抱きしめられて、幹は胸の中に渦巻き始めた想いに、自分自身で戸惑っていた。
「北斗……」
 そっと北斗の背中に手を回す。
「良かったね、幹君。おめでとう」
 北斗の声が耳のすぐ側で聞こえた。ドクンと心臓が跳ねる。
「うん……ありがとう」
 周りは歓声を上げたり、泣いて離れる子がいたり、抱き合う親子がいたりで、二人が目立つことはない。
 幹は頬に触れる北斗の髪に、ざわつく胸の痛みと甘みを同時に味わう。
「あ、すぐにお母さんに電話しなくちゃ」
 唐突に北斗は離れ、現実的なことを言う。
 外気の寒さをまざまざと感じてしまう。
「幹君? もう家に電話した?」
「まだだけど」
 二人でボードの前の集団から抜け出し、幹は携帯で家に電話をした。
 母親も泣いて喜んでくれ、塾にも報告を済ませるて北斗を見ると、もう北斗はいつもの笑顔に戻っていた。
「北斗、授業は?」
 とりあえず気になったことを聞いてみた。
「今日から試験で、僕は一時間目がなかったんだ。だから見にこれた」
 つくづく内緒が好きなんだと思うと、可笑しくなった。
「じゃあ、今度は北斗が試験を頑張る番だな」
 幹の切り返しに北斗は笑った。
「幹君に恥ずかしくないように頑張らなきゃ。でも、今の嬉しさで全部吹き飛んじゃったかも」
 北斗らしい喜び方に、幹も笑ってしまう。
「責任を感じてたんだよね。大丈夫大丈夫、なんて無責任に繰り返して、もしものことがあったら、幹君が辛いだろうって思って。大丈夫って思ってたけれど……良かった」
 それだけ北斗の気持ちに負担を与えていたのかと、幹は合格した今になって、軽い動機で受験すると宣言した自分の迂闊さを思い知った。
「あんなに頑張っていたんだから、絶対報われて欲しかったんだ」
 いつも幹のためにと考えてくれる北斗に、幹は胸に抱いた想いが膨らんでいくのを感じる。
 北斗が好き。
 誰よりも。
「お祝いしなくちゃね。何がいいか、考えておいてね」
 試験の時間が迫ってきたらしく、北斗は腕時計を見て、カバンを抱えなおした。
「北斗も試験、頑張れよ」
「ありがとう。また夜に電話するからね。何が欲しい考えておいてね」
 北斗は手を振って高等部の校舎へと駆けていく。
 ……北斗が欲しい。
 何も欲しくない。いつも北斗が一緒にいて欲しい。
 さっきみたいに、ぎゅってして欲しい。
 抱きしめられた暖かさ。北斗の身体の細さ。背中の柔らかさ。
 全部自分のものであればいいのに。
 それを言ってもいいのだろうか……。
 まだ興奮の残る発表会場の片隅で、もう見えななった北斗の背中をまだ見送るように、幹は自分の気持ちを持てあましていた。