好きという気持ちで強くなる








 お昼の少し前にいつもの公園で待ち合わせて、幹は北斗に案内をしてもらいながら、北斗の家についていった。今度からは一人でも行けるようにという、目論見があるのだが、それは胸の中にしまいこんで、大人しくついていった。
 駅前の比較的大きな道路沿いにある公園から道が分岐し、幹の家が北側、北斗の家が南側に位置しているので、ちょうど大きなYの字が横になっているような形になる。北斗の家の方が駅からは遠く、下の線の長いYの字になる。
 北斗は駅までは自転車、雨の日はバスで通っている。途中の公園で待ち合わせて、二人は自転車に乗って北斗の家へと向かった。
「北斗の家ってどんなの? 大きい?」
 幹が母親に大体の住所を言ったところ、あの辺は古くから住んでいる人が多くて大きい家ばかりだといっていた。
「大きくないよ。古いだけ。幹君が見たらびっくりするんじゃないかな」
「でも、俺の家よりは大きいだろう?」
 一般的な建売住宅の幹は、外見は可愛くて、家の中も流行の作り方にはなっているが、実際は階段の足音がうるさかったり、ドアの音が思ったより響いて、母親に叱られてばかりいる幹としては、どっしりとした家に憧れている。
 自転車で10分も走った頃、幹は住宅街の雰囲気がガラリと変わったことに気がついた。
 それまでは小さなプランターや、塀のないオープンエントランスの家や、煉瓦敷きのガレージが道路に面している洒落た家が並んでいたが、今は重厚な門扉や瓦の乗った塀や、シャッターもきっちり閉まったガレージの家が続いている。家自体の玄関など見えるはずもない立派な家ばかりだ。
「ここのね、この金木犀が目印なんだよ」
 北斗は一旦自転車を止めて、曲がり角の説明をした。
 角の家はかなり高い塀が続いていたが、その塀よりもまだ高い立派な金木犀があった。見事なほどに黄色の花をつけて、あたり一面にいい香りを運んでいる。
「これが金木犀ー?」
 幹の家の庭にも一本あったはずだが、もっと背の低い木じゃなかったのかと思う。
「すごいよね。上に伸ばしてやれば伸びるもんなんだって。もう何十年もこの家を守ってるらしいよ。だからね、切られることもないし、目印になるんだ」
「でもさ、花が終わったら目印にならないじゃん」
 家に金木犀があるのを知っているのは、今の時期に見過ごすのことのできない匂いがするからで、それが終わればどの木かと聞かれても、興味のない幹には全くわからないだろう。
「この木はわかると思うよ。ほら、他にこんな大きな木は見えないだろう?」
 言われて首を上げて見回してみれば、確かに色んな植木は見えるが、この他に大きく枝を広げた木は見当たらない。
「へー。うん、多分わかる……かな。覚える」
 その角を曲がると、北斗の家はすぐだった。
「やっぱり大きいじゃんかー」
 北斗の家は生け垣に囲まれた純和風建築の平屋で、一部分だけ二階建てになっているが、そこはいかにも増築したという感じに見えた。
 格子の木戸を潜ると砂利道が玄関まで続いていた。
 北斗は生け垣が途切れたところのシャッター脇にあるインターホンを押した。
「ただいま」
 北斗がインターホン内臓のカメラに告げると、シャッターがするすると上がっていく。
 そこはガレージになっているらしく、今は車が停まっていないが、その端に並べて自転車を置かせてもらった。
「すごいよなー。立派な家だなぁ。北斗ってお坊ちゃんだったんだぁ」
 家を見渡せる場所で立ち止まって、幹は感心したように呟いた。
「違うよ。家が古いだけだって。部屋数で言えば、幹君ちと変わらないよ」
「お手伝いさんもいたりして」
「いないって」
 何やらすごいことと思ってくれている幹に、北斗は困ったように笑う。
「ほら、いこうよ」
 北斗の家は玄関も本物の木製の引き戸で、からからと乾いたいい音がした。
「いらっしゃい」
 二人を玄関で出迎えてくれた人を見て、幹は最初、北斗のおばあさんだと思った。けれど祖母にしては若すぎると思って首を傾げる。
「お母さん、幹君。幹君、母です」
 かしこばって紹介されて、幹は慌てて頭を下げた。
「こんにちは。北斗お兄さんにはいつも勉強を教えてもらっています。これ、母から預かってきました。えーっと、お口にあうといいのですけれど?」
 母親に教え込まれた口上を述べて、幹はこれも母親から渡されたお菓子の箱を差し出した。
「あら、ありがとうございます。しっかりしたお子さんねぇ。北斗は少しはお役に立てているのかしら」
 はんなりと笑う彼女は、幹の母親と比べればいかにもスローペースで、やはり北斗の母親なのだなぁと妙なところで感心してしまう。
「どうぞゆっくりしてらしてね」
 ようやく上げてもらって、北斗の後ろをついていく。
 廊下は黒光りする板張りで、フローリングとは違う本物の板敷きで、きゅっきゅっと音がしそうなほどだった。庭に面してガラス窓がはまっているので、廊下というよりは縁側なのかもしれない。
 部屋の方は白も眩しい障子で、下手にデイバッグをぶつけて破ってしまわないかとハラハラしてしまう。
 北斗の部屋は廊下の突き当たりの階段を上がったところで、外から見たあの二階の部分だと思われた。
「どうぞ」
 この建て増し部分だけは洋風を想像していた幹だったが、ドアの向こうに見えたのは予想に反して、畳の和室だった。
 畳の数が八枚くらいなので、八畳の部屋なのだろう。
 机は窓の側にあり、その横に本棚が並び、本棚の上にCDラックが見えた。反対側の壁にハンガーラックが置かれているが、子供の部屋に普通にあるはずのベッドがなくて、幹はキョロキョロと部屋を見回した。
「北斗、ベッドは?」
「布団だよ。こっちの部屋で寝るんだ」
 押入れだと思っていた襖を北斗が開くと、そこは4畳半の和室で、整理箪笥が置かれて、その向こうに押入れが見えた。そこに布団が入っているのだろう。
「すごいや、北斗の部屋、二つあるんだな」
「ここだけ増築したんだよ。下は本当に古くて、友達も呼べないくらいだよ」
 友達なんて呼ばなくていいんだと思いながら、幹は北斗の机に歩み寄った。
 綺麗に整理された机の上には、高校の教科書とレポート用紙が出されている。
「これ、宿題?」
「うん。明日までの課題。もうすぐできるよ」
 北斗は部屋の隅にあった座卓を部屋の中央へと引っ張っていたので、幹も慌ててそれを手伝った。
「椅子じゃなくてごめん。足が痛くないように座ってね」
 座布団も出してもらって、座ったところへトントンとノックの音がした。
「頑張ってお勉強してね」
 母親がオレンジジュースとケーキを運んでくれた。小さなカゴには幹が持ってきたクッキーも乗っている。
「ありがとうございます」
 幹は緊張しながらお礼を言う。
「あまり友達を連れてこない子なので心配だったんだけれど、こんなに可愛いお友達ができて嬉しいわ。ゆっくりしていってくださいね」
 喋るスピードもゆっくりの彼女に頷いていると、普通に話しているよりも倍ほどの回数を頷くことになりそうだった。
 トントンと階段を下りる音がして、幹ははーっ吐息を吐いた。
「お茶とお饅頭が出たらどうしようかと思ったー」
 イメージではまさにそうなのだ。
「まさか。ちゃんと僕が買ってきたから大丈夫だよ。お昼はねパスタだよ。幹君、チーズが好きだったでしょ。そのあとでお母さんがケーキを焼いてくれると思うよ。多分、今の時期だとスイートポテトパイかなぁ」
「北斗のお母さんって料理が上手そう」
 自分の母親の、張り切ったときに限って失敗する料理とは違っていそうな気がする。
「料理が趣味なんだって。ほら、僕の母って年が他の人より上だろ? ずっと子供が出来なくて、その間は料理の腕を磨いたみたいだよ」
 木の香りのする家で、おっとりした料理上手な母親に育てられて、今の北斗があるのだなぁと、北斗の優しさがわかったような気がした。
 幹の癇癪や我が侭も、叱るのではなく、寛容に受け入れることで、幹が自分で反省するのを待ってくれる。
 その瞳の温かさは、この家の雰囲気にとてもよく似ていると思った。
「この家、好きだなぁ。この部屋も」
 そして北斗も。
「ありがとう」
 北斗がにっこり笑うのに、幹も嬉しくなる。
 ずっと北斗に側にいて欲しい。泣きたいような暖かい気分の中で、幹は強く願った。