好きという気持ちで強くなる








 運動会が終わると、幹の環境は受験一色になっていった。
 学校から帰れば勉強、塾はほぼ毎日になり、塾から帰っても勉強。スタートが遅れていた幹は、息抜きをする暇もなくなっていた。
 そんな中で神経をすり減らすことがなく、頑張ろうという気持ちを持ち続けられたのは、やはり北斗の存在があるからだった。
 運動会のあの日、普段はバカにしたように全力で走ることなどなかった短距離走を、いつになく熱くなって全力疾走をした。
 本気になった幹に、一緒のグループで走るメンバーも、必死で追い抜こうとしたが、幹はそれを振り切ってテープを切った。
 一位になって両手を上げて振り返ると、北斗が拍手をしてくれていた。その拍手も北斗らしく一生懸命といったふうで、幹も嬉しくなって手を振った。
 北斗は拍手をやめて、手を振り返してきた。まるで自分のことのように喜んでくれる北斗が、眩しくて、そんな彼を誰にも見たくないと感じた。
 北斗と周りの空間を切り取って、自分だけが見えるガラスのケースに閉じ込めたいと思ったくらいだ。
 観覧席にいる周りの人間が北斗を見ないようにとすら願った。
 競技の後で北斗のところへ行くと、「すごい、すごい」と手放しで褒めてくれて、面映く嬉しく、誇らしかった。
 あの時のことを思い出すと、今も興奮する。
 春の出会い、夏のプール、秋の運動会。季節の中にいる北斗を思い出し、これからも北斗と過ごすためにと思うことで、辛いだけの勉強も頑張ろうと踏ん張れた。
 北斗とは今も、できる限り塾へ行く前の時間を利用して会っている。
 日没が早くなり、夕方には気温も低くなる。
「幹君、寒くない? 風邪を引かないように気をつけてね」
「俺は丈夫だもん。北斗の方がすぐに風邪を引いちゃいそうだよな」
「でも、僕は風邪を引いても、休めるし」
 のんびりした北斗の答えに、幹はつい笑ってしまう。
「風邪なんか引いたら辛いのにさ。それに……」
「それに?」
 言いかけて止めた幹に、北斗は首を傾げる。
 北斗が学校を休んで家で寝ていたら、こんなふうに会えなくなる、と言いかけて、それはあまりにも自分勝手な言い分だなと思ったので、言うのを止めた。
 北斗はいつだって相手のことを考えて、自分のことより相手のことを優先してくれるのに、幹はつい自分のしてほしいことばかりを押し通してしまいそうになる。
 この頃は、そんな自分に気がついて、言葉を止めてしまう事が多くなった。
「大丈夫? 疲れてる?」
 北斗が心配そうに尋ねてくれるのに、幹は大丈夫だと笑う。
「とにかくさ、北斗は風邪なんか引くなよな。俺が心配になるじゃん」
「うん、……頑張る」
 自信なさそうに答える北斗の様子に、幹はまた笑った。
「頑張ることじゃないよー。頑張るのは俺じゃん」
「だね」
 幹の突っ込みに北斗は恥ずかしそうに微笑む。
 その笑顔が見たくて、つい北斗をいじめてしまう。
 もちろんいじめると言っても、酷いことを言ったりしたりするのではなくて、漫才のボケとツッコミみたいな程度だが、北斗は天然でボケてくるので、ツッコミを入れてしまうのだ。
 好きな子をいじめるというのは、幹の友達の中にもいる。その時のやり取りをみていると、女の子は本気で嫌がっており、それじゃあ嫌われるだけなのにと思っていたが、いざ自分が北斗を目の前にするとやってしまう。
 やった途端、北斗が本当は嫌がっているかも、嫌われてしまうかもと気が気ではないのだが、また繰り返してしまう。
 北斗はあまり傷ついた風ではなくて、のんびりと笑っているが、心の中はわからないので、心配が増してくる。
「北斗、俺のこと、嫌な奴だと思う?」
 思っていたとしても「うん」とは答えないだろうとわかっているのに、それでも聞いてしまう。
「どうしてそんなことを聞くの? 全然思わないよ」
 北斗は本気で驚いたように否定し、どうしてそんな疑問がでたのかを心配する。そう聞かれるということは、自分の態度がどこか悪いのかと思っているようだ。
「俺、我が侭だからさ。母親にも言われちゃうんだよな。北斗君にわがままばかり言ってたら嫌われちゃうわよ、って」
 母親の口真似をしながら、誤魔化すように言うと、北斗はにっこり笑う。
「全然。幹君は僕より大人っぽくて、優しいじゃない。むしろ見習わなきゃと思ってるんだよ」
 北斗にそんな風に言われてとても嬉しくなる。
 もっと頑張ろうと思えるから不思議だ。
「今度の土曜日は? また図書館に行く?」
 恥ずかしさや照れを隠すために、急いで話題を切り替える。いつも土曜日は二人で図書館の自習室に通っているのだ。
「あー、土曜日は駄目なんだ。それを言わなきゃと思ってたのに、言うの忘れててごめんね。なんかね、親戚の法要に行かなくちゃいけないんだよ」
「なんだー、そっか」
 かなりがっかりして、幹は唇を固く閉じる。それ以上口を開くと、そんなのに行くなよと言ってしまいそうだった。
「幹君、日曜日は? 今度も模試があるの?」
「模試はないけど、塾が夕方からある」
「じゃあさ、お昼にうちに来ない? いつも遊びにいかせて貰って悪いからって、うちのお母さんが一度来てもらえって言うんだ」
「えっ! 北斗の家?」
 ずっと行きたいと思っていた。北斗の家ではなくて、見たいと思っていたのは北斗の部屋なのだが。
「行ってもいいの?」
 直前に沈んだ気持ちは、今までにないほど浮上していた。
「幹君の家みたいに新しくて綺麗じゃないよ。古い家なんだけど、それでもいいなら」
「行きたい! 行ってみたい! あー、楽しみだなぁ」
「何にもないんだけど……」
 そんなに期待されると困る。北斗はどうすればいいのかとうろたえる。
「いいの、いいの。北斗の部屋に行ってみたいだけなんだから」
「が、頑張って掃除をしておくね」
「普通でいいよ。普通で。普段の北斗の部屋を見てみたい」
「う、うん」
 わかったと言いながらも、北斗は絶対綺麗に掃除しておこうと心に誓っていた。
 幹はニコニコとご機嫌なまま、塾に行ってくるよと手を振っていた。