好きという気持ちで強くなる








 幹の様子がおかしいなと感じたのは、夏休みの終わりごろだった。
 今までは兄弟のようにじゃれあったりしていたのに、最近は側に寄ると、驚いたように身体を離されてしまう。
 最初は暑いからだと思っていた。
 人の体温に近い気温の中で、くっつかれたら嫌だろうと思った。
 けれど、次第に視線を逸らされるようになってしまった。
 話していてもどこか上の空で、かといって鬱陶しがられているような感じでもなかった。
 疲れているだけなのかな? と思ったりもした。
 幹のスケジュールを聞くと、高校生の自分よりも、はるかに勉強量が多いように思う。
 北斗も高校で鵬明を受験したので、普通の受験生よりは熱心に勉強したが、元々が真面目にコツコツ遣り遂げるタイプだったので、そんなに大変だったという記憶がない。
 たった半年前のことなのに、受験は遠いことのように思えた。その頃の北斗よりも、ずっとずっとたくさん、幹は勉強をしている。
 そんなに大変なのなら、勉強会をするほうが邪魔になるのではないかと心配になって、幹にやめようか?と提案してみた。
 すると幹はその時だけは真剣に北斗を見て、勉強会をやめるくらいなら受験そのものをやめると言い出して、北斗を慌てさせた。
 その頃は幹の不自然な態度も落ち着きを取り戻していたのに、2学期が始まって間もなく、また幹の態度がおかしくなった。
 今まで以上に北斗の顔を見ようとせず、そして話し方も投げやりな感じになった。
 北斗が学校から帰る時間と、幹が塾に行く時間が一緒になるため、いつも十数分を駅前で会うのだが、北斗の顔を見た途端、幹がそわそわするようになった。
「もう塾の時間?」
「違うよ。まだ」
 今までは弟のように懐いてくれていた幹が余所余所しくなったので、北斗は寂しさを感じていたが、どうすればいいのかがわからなかった。
「北斗、10月の最初の日曜日って、休み? 何か予定ある?」
「何も予定はないけど」
「だったらさ、うちの小学校、運動会なんだよ。見にこない?」
 久しぶりに幹が自分の方を見て話すので、北斗はほっとしながらも、すぐに行くとは言えなかった。
「ダメ?」
「だって、僕はそこの卒業生じゃないし、保護者ばっかりだろう? 部外者は入れないんじゃ……」
 とりあえず心配なことを口にした。
 幹の運動会は見たいような気がするが、学校という独特の雰囲気の中に、部外者が入るには大きな勇気が必要だった。
「全然平気だよ。卒業生もいっぱい来るし、混じってればわかんないって。なんなら、うちのお袋と一緒いればいいんだし」
「幹君は走るのが速そうだよね」
「一番になる自信があるんだよ。だから北斗に見て欲しいんだ」
 素直に実力と要望を口にする幹を可愛いと思った。
 だから、見に行きたいのは山々で……。
「本当に部外者でも入れる?」
「入れる入れる。絶対見に来てくれよ。そうしたら、一等賞間違いなし」
 ニコニコと屈託なく笑う幹を見るのは久しぶりのことで、北斗はほっとして、見に行くと約束する。
 いつもなら日曜日でも塾に行く幹と、休みの日に会えるのは楽しみだった。
「だったらさ、うちの学園祭にも来る? 中等部と一緒だから、見学にもなるし」
「いつ? 学園祭って、どんなことするの?」
「9月の最終日曜日。小さな屋台を出したり、コンサートや劇なんかもあるよ」
 ちょうど鞄の中に入っていた保護者向けのパンフレットを見せてやる。
「へー。行きたい。北斗は何かする?」
「うちのクラスで焼きそばの屋台を出すんだ。僕は午前中の前半の担当だから、お昼からは暇になる」
「じゃあ、北斗が店番終わる頃に行く。北斗の焼いた焼きそばを食べたいからさ」
「勉強の方は大丈夫?」
 運動会の前の週に当たる学園祭を誘うと、二週間続けて日曜日を塞ぐことになる。
「学園祭は来年もあるから、無理しなくていいんだよ」
「行くよ。行きたい。今の時期はどこも運動会とかで、日曜日に模試が入らないんだ。今のうちに息抜きする」
 幹の説明に、北斗はそれなら大丈夫だとにっこり笑った。
「じゃあ、明日、入場券を貰ってくるね」
「入場券なんているの?」
「うん、生徒一人につき、両親プラス2枚って決まってるんだ。それがないと、入れないらしい」
「へー、厳しいんだ」
「僕もびっくりした」
 笑い合っているうちに幹の塾の時間になってしまう。
「勉強、頑張ってね」
「北斗も、気をつけて帰れよ」
「またね」
 北斗が手を振ると、幹は帰ったらメールするよと言って、塾の入っているビルへと消える。
 少しの不安を胸に抱えたまま、それでもそれぞれの学校の行事ではあるが、会う約束ができたことでほっとする。
「幹君のいい息抜きになればいいな」
 北斗は自転車置場から自分の自転車を引き出して、家へと急いだ。


 鵬明の学園祭は9月の最終土曜と日曜の二日間にわたって行われる。
 土曜日は内部の生徒のみの行事で、日曜日は外部の訪問者も受け入れて、華やかに盛り上がる。
 幹は入り口で入場券を提示して、貰った案内図を頼りに、北斗のクラスの屋台を目指した。
 途中でかなり強引な客引きに取り込まれそうになったが、何とか北斗の交代の時間までにはたどりつくことができた。
「幹君! こっち、こっち」
 屋台の中から北斗が手を振って幹を呼んでいた。
 幹はやっと見つけたとばかりにほっとして、屋台に駆け寄った。
「へー、君がミキちゃんかー」
 屋台に駆け寄り、北斗にここに来るまでの大変だったことの愚痴でも言ってやろうかと口を開きかけたとき、屋台の前にいた一人の生徒が話しかけてきた。
 北斗も彼も、お揃いのエプロンをしているので、同じクラスの生徒なのだろう。
「ミキちゃんって、誰のことだよ」
 幹は笑顔を消して、じろりと隣の男を見た。
 バチッと火花が散るのを、幹は感じたような気がした。