好きという気持ちで強くなる








 目を閉じれば、北斗の裸体が浮かび上がる。
 真っ直ぐで、染み一つなく、くぼんだ背筋と羽根のような肩甲骨。ほくろもなかったなと、細い身体を思い出す。
 夜にお風呂に入って、自分の身体を見下ろしてみるが、やはり北斗とは全然違うと感じた。
 北斗はかなり痩せているのだが、病的な細さではなく、肩も小学生とは違い、張り出した感じがあった。
 保健の授業を思い出し、これが第二次成長を通り越した者と、それ以前の子供との違いなのかと思った。
 背だって伸びたけれど、まだ幹には声変わりの兆候も、他の変化も現われてはいない。
 北斗だって全然男っぽくなく、髭も濃いようには思えなかったけれど、それなりに大人なんだなと思うと、自分と彼では違うんだと突き放されたような気分で、落ち着かなくなった。
 今日のプールで、北斗は実は綺麗なんだと気がついた。
 今までは天然で頼りなく、年下の自分が守ってやらなくちゃとばかり思っていたのに、そんな必要などなかったのではと思った。
 細く白い身体は、背こそそれほど高くはないがすらりと伸び、余分な筋肉も脂肪もなく、滑らかで触り心地が良さそうだった。
 風にサラサラと揺れる髪はもちろん染めていなくて、元々黒くて艶やかだったが、水に濡れると光の粒を集めたようにキラキラと輝いて見えた。
 少し丸い目はいつもニコニコと笑っていて、幹の心をぽかぽかと暖めてくれる。けれどコースターに怯えて、薄く涙を浮かべた瞳が幹を見つめると、ざわりと鳥肌が立つような、でもそれは嫌だからじゃない、落ち着かない気持ちにさせる。
 細い首。浮き出た鎖骨に、水がたまる。
 大丈夫だからと、抱きしめたいのに、身長が足りなかった。
 手を引っ張るだけで、何も……してやれなかった。
 バスタオルで隠せと言ったのも、今なら何故なのか、わかってしまった。
 あんな北斗を誰にも見せたくないのだ。自分だけが、北斗の魅力を知っていればいい。
 誰にも見せたくない。
 何度も寝返りを打つが、少しも眠りの波はやってきそうになかった。
 目を閉じれば、北斗の身体が浮かび、幹を落ち着かなくさせる。
『今日は楽しかったね。また行こうね。疲れてない?明日からまた勉強も頑張ってね。おやすみ』
 北斗からは眠る前にメールが届いていた。
 北斗はこんな気持ちになったりしないのだろうかと気になったのだが、まさか自分は変な気分ですと打ち明けるわけにもいかず、『今度は絶対遊園地。合格したら、お祝いに連れてって』とだけ返事をした。
 北斗からのメールを順番に辿っていく。いつも同じような内容だけれど、毎日のメールを読み返しながら、幹はクスッと笑う。
「ほんっと、……天然」
 小学生相手に律儀にメールの返事をしてくれる。慣れないメールを打つ北斗の様子が思い浮かんで、幹は一人でクスクス笑った。
 そうしているうちに、いつの間にか、携帯を片手に眠り込んでいた。


 勉強漬けの夏休みは流れるように過ぎてしまう。
 鵬明が夏休みの間の8月中旬までは、空き時間を見つけては会うこともできた。
 幹の家に行ったり、図書館の自習室を利用したりと、楽しいながらも充実した時間を過ごす。
 幹が自習をしている間は、北斗は自分の夏休みの宿題をし、幹がわからないところは丁寧に教えてあげた。
 小学生の勉強とはいえ、鵬明の中学部を受験しようというのだから、レベルはかなり高く、北斗自身でも苦労する時があった。
 北斗と会うと、ついプールの時のことを思い出す。
 いつもきちんと制服を着ている北斗だけれど、私服はさすがに涼しげな物を着ていて、ボタンも外したり、襟元の広いものを着ている。
 そんな時は視線が首筋や鎖骨に吸い寄せられそうになる。
「歴史の年表なんて出るんだ」
 なのに北斗はまったく気にしていない様子で、幹の手元を覗き込むのに、身体を寄せてくる。
 シャンプーの香りや清潔な石鹸の匂いがすぐ近くでする。
 シャツを通した体温が、プールで抱きつかれた時の感触を思い出させる。
 落ち着かなくなり、慌てて身を引くと、北斗は申し訳なさそうに身体を離した。
「ごめんね、暑かったよね」
「そうじゃないけど……」
 クーラーの効いている部屋で暑いわけはないし、くっつかれるのも全然嫌じゃない。ただどうすればいいのかわからなくなって困ってしまうのだ。
 北斗はそんなことはないのだろうか。
 自分を見つめる北斗の瞳は、少しも困ったことなどないと教えている。
 夏が終われば、少しはこの気持ちが晴れるだろうかと期待する。もう少し衣服を重ねるようになれば、肌の露出も減るはずだ。
 夏のことを思いだすことも少なくなる。
 そんな幹は、自分の感情がどこから来るものなのか、間もなく知ることになった。

 小学校から中学受験するものは少なくないが、受験と関係ないグループはのんびりしたものである。
 中には秋から既に登校をやめて、受験に専念するものもいるが、幹はそこまでしたいとは思わなかった。
 一ヶ月前くらいには塾も学校を無視したカリキュラムを組むが、それまでは普通に学校へ通うつもりだった。
 夏休み明けは運動会の練習で忙しくなる。  慌しい中でも、早熟の男子生徒や、上に兄がいる者は、例え経験がなくても、みんなより早く知っていることを自慢したりする。
 その中の一人が、兄の部屋からこっそり持ってきたという、切り抜きを持ってきた。
 きわどいポーズで足を広げる若い女性は、胸を両手で隠しているだけで、上半身は裸、下も小さな布だけがかろうじて隠すべき場所を隠しているだけのものだった。
 女子生徒がいなくなった教室で、円陣を組んでその写真を怖々と盗み見る。
 みんなは冷静を装って、手をどけて欲しいとか、胸の大きさが好みであるかないかなどを、それぞれに口にする。
 あきらかに無理をしているとわかる口調だが、その中に一人、「おしっこしたくなった」という生徒がいて、それに対して意味のわかるものがからかった。「それはおしっこじゃねーって」と。
 だったらなんだという話になり、ひそひそと声を潜めた会話は、にわかに性教育へと発展していった。
 保健授業的な言葉と下品な言葉の混じったその会話を、幹は上の空で聞いていた。
 みんなはこの写真の女性を見て興奮するという。
 幹だって女性の身体に興味がないわけではないが、もっと知りたいものがあった。
 性的なポージングの女性より、綺麗だと思った。もっと見たいと思うのは、こんな陳腐な写真じゃない。
 だったら……この気持ちはなんだろう。
 北斗は……男なのに。
 騒ぐクラスメイトの中で、幹は一人、行き先を見失って戸惑い、立ち尽くす迷子のようだった。