好きという気持ちで強くなる








「ごめん」
 そう呟いた声が届いたかどうかはわからない。
 けれど北斗は嬉しそうに笑って、「待っててくれたの? 暑くなかった?」と幹のことを気遣ってくれた。
 そのことが、胸が痛いほど嬉しかった。
 暑くなかったと言ったけれど、額から首筋へと流れる幾筋もの汗が幹の嘘を教えてしまっている。着ているTシャツの背中もぐっしょりと濡れていて気持ち悪い。
 けれどそんなことよりも、北斗と一緒に居られる事のほうが大切だった。
「迎えにきてくれたんだ? 勉強会、する?」
 遠慮がちな北斗の声に頷くと、北斗が行こうかと歩き始めた。
 そんな北斗はやっぱり年上なんだなと思ってしまう。
 同じ年の友人たちではこうはいかない。
 ただし、北斗がなぜ幹がここできたのかを本当に理解しているとは思いにくい。
 もしかしたら本気で勉強会をするために迎えに来たと思っているかもしれない。
「なぁ、どうして俺が迎えに行ったと思う?」
 電車に乗って、ようやく汗が引き始めたところで尋ねてみると、北斗はどうしてそんなことを尋ねるのだろうと不思議そうな顔をした。
「えー? 勉強会が出来るようになったから、迎えにきてくれたんじゃないの?」
 やっぱりなの答えを聞かされて、幹はぷっと吹き出した。
 北斗と居ると楽しい。北斗が居ると嬉しい。
 だからもっと北斗と一緒に居たい。
 電車の中だから大きな声で笑うわけにもいかず、でも笑いを堪えるのは苦しくて、目尻に涙を浮かべながら、声を殺して笑った。
 昨日の昼からずっとずっと笑えなかったのに。
 幹が幹らしい笑い方をするので、北斗は困りながらも嬉しかった。
 弟がいたらこんな感じだろうかと想像してみる。
 一人っ子の北斗は、兄弟のいる同級生が羨ましくて仕方なかった。
 学校へ行くのも一緒で、時には手を繋いでいたりした。
 弟のことを面倒だと言いながら、頼られるとその顔は嬉しそうだったり、邪険にされながらも兄の後を必死で追いかけているその姿が可愛かった。
 小さい頃は母親に弟が欲しいとねだったこともある。
 母親は曖昧に笑うだけで、返事はしてくれなかった。さすがにこの年になって弟が生まれればとは思わないが、幹と出会ってからは毎日が楽しくて、いつも一緒にいられればいいのにと思う。
 幹を怒らせてしまったと思ったときは哀しかったし、仲直りに来てくれればすぐに気分が浮上する。
 兄弟喧嘩とはちょっと違うのだろうけれど、こんな感じかもしれない。
「今日はさ、何も作るなって言ったから、お昼代貰ってきた。ハンバーガー買って帰ろう」
 幹はポケットからむき出しの千円札を取り出した。財布などは持たないのだろうか?
「えっと、電車賃を少し使ったけど、二人で足りるよな?」
 他に小銭がポケットでチャリチャリと音をたてている。
「自分の分は自分で出すよ」
 電車を降りてハンバーガーショップへ入り、北斗は慌てて自分の財布を取り出した。
「いいって、うちの食事がまずいのが悪いんだし。それに、出させたら、俺が親に怒られる」
 幹に軽く睨まれて、北斗はどうしていいのかわからずに、黙ってしまう。幹はほらほらと手招きして、北斗にメニューを選ばせた。
 持ち帰りように袋に入れてもらい、幹がそれを持って歩き出す。
「ここで食べようか?」
 暑い中を歩くのが嫌になったのか、幹はいつもの公園を指差した。
 真夏の炎天下、正午を少し過ぎた時間は、人の影も少なかった。
「うん。日影で食べよう」
 大きな楠の下の影になった所に座る。袋からハンバーガーと飲み物、ポテトを取り出して頬張った。
「俺さ、あいつと喧嘩なんかしてないし、そもそも、付き合ってなんてないから」
「…………そうなんだ」
「北斗さ、あいつに何言われたの?」
 ごくりとコーラを飲み込む。
 何て言っていいのかわからない。簡潔に言うのならば、それは冬樹がメールに書いてしまっていたし、それ以上のことは、彼女のことがよくわからないので言い難い。
 きっとあの女の子は幹のことが好きなのだろう。幹と付き合っているというのは嘘だったのだろうが、そうなりたいという願望は強いのだろう。
「北斗は人の悪口は言わないか」
「そんなんじゃないけど……、メールに書いたし」
「あのメール、北斗が書いたんじゃないよね?」
「どうしてわかるの?」
 北斗は驚いて聞いてしまった。それで、幹の指摘を肯定してしまったことになると気がついて、慌てて俯いた。
「うーん、北斗はあんなこと、確かめないよなーと思って」
「僕は幹君が、彼女と仲直りして、僕のこともううざったくなったのかなって、それで落ち込んでて。そうしたらクラスメイトが、その話、おかしいって言い出してくれて」
「そのクラスメイトって、どんな奴?」
「えーっと、うーん、小さい可愛い感じの。はきはきしてるんだけど、優しいから、話しやすい」
「はきはきしている以外は、北斗みたいなんだ?」
 一度会ってみたいと思いながら、その機会はないものかと思い悩む。
「僕なんかよりずっとしっかりしてる。僕は話しやすくなんかないし、清水君みたいに可愛くもないし、優しくもなくて、頼りないし……」
 北斗が急に落ち込んだようになったので、幹は少なからず驚いてしまった。
 どうして北斗が自分のことをそんな風に思うのかがわからなかった。
「北斗、優しいじゃん。鵬明に入れるってことは、しっかりしてるってことだよ」
「でも、幹君だって、僕のこと呆れるように見てるでしょ。いつ愛想つかされるかなって、それが心配なんだ」
 それが北斗のコンプレックスなのだとは、まだ小学生の幹にははっきり気づけなかった。
「俺、北斗のこと、好きだよ。愛想つかしたりしないよ。北斗こそ、俺のことわがままで嫌にならない?」
「幹君はしっかりしてるし、わがままじゃないよ。嫌になったりしない」
「だったらいいじゃんか。北斗はいい奴だし、優しいもん。落ち込むなんて変だよ」
 幹が断言するように言うと、北斗はようやく笑顔を見せた。
 好き。
 その言葉をはじめて北斗に向かって言い、その意味がどれほど強くなっていくものなのか、まだ幹にはわからなかった。
 これが、始まりだとも気づかずに、ようやく芽生えた気持ちを、二人は同時に持ったのだった。