XXX 33 XXX 「美也、うつむくなよ。お前のこと、やっかむ奴らに笑顔を見せてやれよ。綺麗な笑顔で微笑まれたら、あいつら、絶対にお前のこと馬鹿にしたり出来ないって。お前の顔はコンプレックスなんかじゃない。最強の武器になる。俺にとってもな」 ……恭平。 「はじめて会った時から、綺麗なのは顔だけじゃないってわかったよ、すぐに。だってお前の瞳って、曇りがなくって、それで真っ直ぐに俺を見てくるんだもんな。自制心を総動員してたんだぞ、あれでも」 ……恭平、……恭平。 「いつも一生懸命俺のことを見てくれるんだな。だから俺は背筋を伸ばして進もうと思えるんだ。これからも見ていてくれるか?」 ……うん、見てる。……恭平……だから……。 「恭平!」 自分の出した声で目が覚めた。 部屋の電気を消すのが嫌で、明るいままの部屋なのに、とても寒々しくて広く感じられた。 ぽろっとこぼれる涙を、パジャマの袖口で慌てて拭いて、布団の中に潜り込んだ。 恭平の夢を見た。毎日のように見ている夢だが、今夜の夢は、幸せな頃の恭平の言葉を思い出せるものだった。 目が覚めるのがつらい。 一人の部屋に、一人きりだと再認識させられるから。 母親は辛いなら戻ってこいと言ってくれるが、ここにいないと恭平が帰る場所に困るような気がして、どうしても帰れずにいる。 二人で暮らしていた部屋。 保として訪れた彼は、そんなことはもちろん忘れてしまっていた。 それでも、少しずつでも記憶の隅に引っかかりを感じてくれればと、淡い期待を抱いていた。 まさかそれが裏目に出るとは……。いや、危険性は分かっていたつもりだった。 恭平のものは実家に預けた。どうしても手放せなかったものが、保の地雷となってしまった。 結局、しくじってばかりだ。深い後悔の念が美也を息苦しく包む。 恭平の弟、大介にはもう探さないと宣言したが、結局、本当に放置など出来るはずがなかった。 翌日、前にも捜索願を出した警察署に、再び同じ届けを出しに行った。 「御子柴恭平さん……今朝、捜索願が出されていますよ、ご家族から」 パソコンを操作しながら、警官は胡散臭そうな目を美也に向けてきた。 あれからすぐに御子柴家が行動を起こしたのだろう。 二年半前は何もしてくれなかったが、今度はさすがに危機感を抱いたのだろう。 「それじゃあ、荒谷保の捜索願を出したいんです」 もう一人の捜索願を出すという美也に、警察官は明らかに不審な印象を持ったようだ。 全てを説明したいが、貴島家側に恭平のことを知られたくない。 「会社の上司です。とても世話になった人なんです。彼の母親が入院していて、捜索願を出せないので、代わりに来ました」 会社名や母親の入院先などを聞かれ、一通りつまらずに説明できると、少しは信用してくれたのか、それとも実質のところ捜索などほとんどしないからか、届けを受け取ってくれた。 警察署を出て、大介に連絡を取った。 『警察に行ってくれたんだ。勝手に行って悪かった』 向こうから謝られて美也のほうが戸惑ってしまう。 「いや、警察も家族のほうが信用してもらえるだろう。俺のほうは荒谷保の捜索願を出しておいた」 『ありがと、美也』 大介は探す気持ちになってくれたのなら会いたいと言い出し、美也は打ち合わせによく使っていた喫茶店で待ち合わせた。 「これ、親父から預かってきたんだ」 コーヒーが届くなり、大介は銀行のロゴ入り封筒をテーブルに置いて差し出してきた。 「必要ない」 一目で現金とわかる封筒は、かなりの厚みがあった。 「だけど美也、会社を辞めたんだろう。探すにしても、交通費やら通信費やらがかかるだろう」 「必要ない。返しておいてくれ」 「前のこと、親父達も申し訳なかったと思っているんだ。出来るなら美也に謝りたいとも言ってる」 「そんなこと、しなくていい」 美也は笑おうとして失敗した。 美しい顔が悲しそうに歪む。 憂いをおびた表情は、はっと息を飲むほどに綺麗だ。 ここ数日で痩せた翳りが、美しさに儚い印象を加えて、見る人の目を離させない。 「けど……」 大介が困るのを見て、美也は首を左右に振った。 「怒っているんじゃないんだ。むしろ、俺の話を信じて、恭平の記憶が戻るまで接触を待っててもらったのに、こんなことになって申し訳ないのは、俺のほうなんだ」 恭平を見つけた時、彼は記憶を失っていた。そればかりか、全く別人の記憶を自分の記憶のように思い込んで、その人物になりきっていた。 そんな恭平の状態が信じられずに、美也は専門家に相談し。過誤記憶シンドロームという病名を知り、元の恭平に戻るにはどうすればいいのかを調べた。 無理に記憶を引き出すと人格障害をおこす恐れがあり、以前と同じ環境に近づけていくことで、本来の記憶を引き出していく方法が良いと知り、まずは荒谷保と接触することから始めた。 それには恭平の家族にも協力してもらう必要があった。 恭平と美也の仲を知り、二人を引き裂こうとした両親。嫌悪の表情で見た弟妹。 御子柴家の門をくぐるのはひどく緊張した。 それでも、二年間も行方不明だった恭平を探し出し、その対処法まで学んできた美也を、家族は受け入れてくれた。 美也だけでは大変だろうからと、大介がバックアップにつくようにもしてくれた。 それだけでも美也にとってはありがたい。失敗した美也を責めず、今度は捜索に積極的にかかわってくれるだけでも助かるのだ。 「恭平のほうは頼む。俺は、保のほうを探してみる」 「あいつ……今はどっちの記憶を持ってるんだろう」 大介の疑問は、そのまま美也の疑問でもあった。 保のままなら、姿を消す理由がわからない。何もかも嫌になって投げだしたのならまだいい。最悪なのは、貴島家が今度こそ本当に手をかけてしまったのかもということだ。 それを考えると、ぞわりと鳥肌が立つ。 急いでその恐怖を消す。 そんなはずがない。貴島家も保を探しているような痕跡があった。 逃げ出した病院を訪れ、彼らが最も接触したくないみどりにも会いに行ったのだ。 しかし一人で逃げ続けるのにも無理がある。まず逃亡資金がない。匿ってくれるほどの知人もいない。美也のところが一番安全で、行きやすい場所のはずなのだ。あんなことがあったにしても。 ならば恭平の記憶を取り戻したのか。だったら、それこそ帰ってこない理由が思い当たらない。 美也をもう嫌いになったにしても、恭平の家族にまで連絡を入れないわけがない。 「とにかく……見つけるしかないから」 淡々と言うことしか出来ない。いまは、探し回るしかない。 「前はどこで見つけたんだ?」 「あの女の病院だけど……」 母親であるみどりが入院していた病院。そこに恭平が来ていないか尋ねていき、保を見かけた。 「アレルギーがあるだろう? あの時期、恭平はアレルギーで病院にいつも行っていたから、アレルギー外来のある病院を虱潰しに歩いていたんだ」 「あー、そうか。記憶は摩り替わっても、体質は変わらないか」 納得する大介に、美也は頷いた。 「じゃあ、兄貴の友人関係と、病院関係は俺に任せてくれ。手伝ってもらえる奴も頼んで、なるべくたくさんで探してみる」 「頼む。俺は、保の線を追ってみるから」 どうしてもと大介は封筒を押し付けるので、後で返せばいいかと美也は一旦預かった形にして、喫茶店を出たところで大介と別れた。 前よりはきっと早く見つかる。 今度こそ、見つけたら離さない。 固く心に誓う。 XXX XXX XXX 暁けの星は光の矢を放ち 太陽を空に導く 俺が放った矢は 貴方に届いただろうか だったらどうか 俺にもう一度 青い空を見せて…… XXX XXX XXX |