XXX 13 XXX 次の日、出勤してみると、保の机の上に薬袋が置いてあった。 袋には記名はなく、水嶋小児科のものだった。中身はあの頭痛薬だ。 頓服用として、20回分が処方されている。 薬の袋を手に、美也の席を見たが、彼はいなかった。 椅子に座って書類の整理をしていると、次々と社員が出勤してくる。 朝の挨拶を交わしながら美也を待つが、彼が部屋に戻ってきたのは就業時間ギリギリで、慌しく外回りに出かけていったので、結局は礼も言えないままだった。 礼を言う気持ちはもちろん大きい。が、同時にもっと聞きたいことがあった。 彼……、御子柴大介という青年とは、どういう関係なのかと。 薬を貰ってくるのは、美也ではなかったのか。美也が幼い頃からかかりつけの小児科なのではないのか。 けれど、昨夜の様子を見る限りでは、御子柴のほうが看護師とも親しそうだし、保険証も彼に返していた。 もしかして二人は同じ小児科に通っていた幼馴染ではないのかとも思ったが、それならば御子柴が小児科から出てきて、美也が薬を貰えたのかと聞いたことがおかしくなってくる。 わからない……。 いや、わからないのではなく、わかりたくないのだ。 わかろうとしたくないと言うのが正しい表現だろうか。 あの薬は元々御子柴が貰っていたもので、たまたま保にもよく効いた。 薬を素人がやり取りするのはよくない行為なので、美也は自分が貰ったことにしていた。 保が予想以上に早く飲んでしまい、貰ってきてくれと頼んだので、困った美也は御子柴に頼んだ。御子柴は美也のために、喜んで薬を貰いに行ってくれた。 礼なんて言うなと、少しぶっきらぼうに言った御子柴の声が甦る。 美也に対する態度や物言いはどことなく冷たそうだが、基本的には優しいのだろう。 ずきりとこめかみの奥が痛む。これはいつもの偏頭痛ではなく、美也のことを考えたときに起こる、正体不明の痛みだ。 初めて会った時にも、この痛みを感じたことを思い出す。 瞬間的な痛みはすぐに去るが、胸に感じた苦しみはなかなか消えてくれない。 自分よりも、美也の隣に立って絵になる男がいる。 美也も彼を頼っている。 そこにどのような感情があるのかはわからない。 恋愛だと思い込むのは、自分が美也をそういう意味で好きだからだ。 本人たちは純粋に幼馴染、もしくは友人という関係なのかもしれない。 それでも、自分が割り込む場所はどこにもないように感じられた。 もうすぐ母が退院する。そうすればヘルパーを雇わねばならず、今よりも更に経済状況は逼迫する。 時間もゆとりはなくなり、精神的にもきつくなるのは、これまでの経験からわかっていることだ。 障害認定を取り、どこかの施設で暮らすことも選択肢の一つにあるが、母親は保の認知が済まない限りは、何があっても今の場所を移るつもりはないようだった。 母親が入院している間は、それでも少しは自分の状況を忘れられる。だが、彼女が帰ってきた途端、苦しい生活は保の両肩にのしかかってくるのだ。 そんな暗い生活の中に、美也がいてくれれば支えになるだろうとは思いつつ、彼を犠牲にするようなことは少しでもしたくなかった。 巻き込んではいけない。 美也に相応しい人が側にいることを喜ばなくてはいけない。 そう思うのに、心は苦しくなるばかりだった。 結局、保が昼休みを取っている間に美也は外回りから帰ってきて、保が薬の礼を言えたのは、終業時間になってからだった。 「薬、ありがとう。助かったよ」 何も知らないふりで保が礼を言うと、美也はいつもと変わらぬ綺麗な笑顔を見せた。 「いいえ。いつでも言ってください」 自分が貰ってきたかのような口ぶり。御子柴のことを言うつもりはないとわかって、辛さが増す。 「患者の名前を書かないものなのか?」 「あぁ、もうわかってるだろうからって。いつものことなんですよ」 ここまで自然に嘘をつけるものかと、保は辛さを通り越して悲しくなった。 「いくらだった?」 「え? いいですよ。そんなにかかってないし。俺も自分のを分けて取ったんで、いくらかなんて、はっきり覚えてません」 「せめて半分は払うよ。払わせてほしい」 美也にではなく、御子柴に借りを作るのがなんだか嫌な気分だった。 「うーん、じゃあ、千円下さい。それで十分すぎるほどですから」 「ありがとう」 保は財布から千円札を出して、美也に渡した。 「でも、今度からは気を遣わないで下さいね。俺もついでで貰うんですから」 「その時はよろしく頼むよ」 ちゃんと笑って返事できているだろうかと、そんなことが気になった。 「最近は彼と会うことがあるのか?」 駅まで一緒に行こうかと歩きながら、何でもないように話しかけた。 「彼?」 誰のことかわからないようで、美也は不思議そうに聞きかえして来る。 「退院のときに来てもらった、大学生風の……。御子柴君というんだったか」 「会ってませんよ」 即座に返ってくる言葉。しかもまた嘘をつかれた。 「そう……なのか?」 「あんまり仲良くないですし」 苦笑する美也の真意が全く見えない。 隠したいのだろうか。でも、何故? 「彼は学生なのかな」 他に話題の転換もできなくて、当たり障りのないことを聞こうとした保だったが、美也は急に立ち止まってしまった。 「どうして彼のことをそんなに聞きたいんですか?」 怖いくらいの真剣な目が保を見つめる。 必死に何かを探ろうとしているような、強い視線にさらされる。 「どうして……って、彼は君より若く見えたし、学生っぽいなと思ったから。どういう付き合いなんだろうと」 それ以上に探りたい気持ちもあったが、自分には立ち入る権利はないのだと、シャットアウトされたような気もして、さりげなく距離をとった。 「大学のときの友達です。あいつは今フリーターで、服装も学生気分のままなんですよ」 それ以上は聞かせないという壁を感じた。 「もっと親しいのかと……思っていたよ」 保もこの話題を切り上げるつもりで言った。 「親しくはないですよ。学生のときよりは喋るようになりましたけど」 美也の説明を聞きながら、どこまでが本当なのだと、疑う自分が嫌だった。 外見よりも、心が綺麗でありたいと言った美也を、遠くに感じるのが辛かった。 上辺だけは変わりなく、日常は過ぎていく。 美也はそれまで通り、保を慕うように接してくれる。 その態度を信じていればいいと思いながら、裏切られる恐れを抱いている。 母親が退院し、家に居るというのも、保の心を重くさせていた。 朝から貴島に対する呪いを聞かされ、帰りが遅くなれば文句をいい、ヘルパーがいかに役立たずかの愚痴を聞かされる。 返事が途切れがちになると、保が冷たいと泣く。 泣きたいのはこっちのほうだと怒鳴りたい気持ちを堪えるだけで精一杯だった。 梅雨も本格的になってきた時、会社からボーナスが支給された。 ほぼ生活費と母親の入院費に消えていくようなものだったが、今年は課長に昇進した分、今までよりは少しだけ額がアップしていた。 もうすぐ美也の誕生日なのはわかっていたので、日頃の礼も兼ねて、アップした分でプレゼントを買うことにした。 何がほしいのかと聞ければそれが一番いいのだが、どうやって誕生日のを知ったのか、その説明に困ってしまうことはわかっていたので、誕生日まで気づかぬふりで過ごし、サプライズ的に渡すのが良いように思った。 何を贈ればいいのか、迷っているうちに、美也のある仕草が目についた。 時間を見ようとして腕を上げ、時計が大きすぎて手首の内側に回っていて、眉を寄せて時計の位置を直す。 気をつけて見ていれば、一日に一度はそんなことをしている。 時計を贈ろう。 美也に合う時計を贈れば、毎日つけてくれるだろう。 とてもいいアイディアだと、保は満足気に頷いた。 その時の保の脳裏には、喜んでくれる美也の笑顔しかなかった。 |