For You 4
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『勝也と同じ年の子達だわ。可哀想に……』 京の母親から事故の説明を聞いた途端、昨日は思い出せなかったことが一気に、頭の中に甦ってきた。母親の言葉とともに。 勝也と同じ年の子たちが巻き込まれた、近くの小学校の事故ということで、そのニュースは何度も見ていたし、新聞でも読んだ覚えがあった。 あの事故の中に京がいた……。 それについてまず拓也が思うことは、とても自分勝手な、私欲に満ちた思いだ。 …………京が生きていてくれて良かった………… まずそれを思った。 そしてすぐに、自分勝手な思いに、暗澹たる気持ちになる。 多分京は、自分が生き残ったことに責任を感じているのだ。 まーくんというお母さんの言葉ばかりでなく、目の前で仲の良かった子供たちの命が消えていった。 それは想像を絶する精神的な傷となっただろう。その上に浴びせられた、事故の後の傷。 それが京の心を深く抉り、今も血を流そうと、その出口を求めている……。 どうにかして、癒してやりたい。 それは不可能なことだろうか? 自分を頼ってはくれないだろうか? 拓也はそれを願っている。 だが……。 本当に自分に京を助けることができるだろうか? これだけの時間をかけても、癒せなかった傷が、思うほど簡単に塞がるものだろうか? そう思っても、どんな道を選ぼうとも、傍にいたいというエゴが顔を出す。 もし、治せないのなら、共に堕ちてもいいのだとさえ思う。 「京……」 今もベッドの中で白い顔をして眠っているだろう京に、できれば付き添いたいと思う。 けれど、それはどう考えても無理な話だ。両親がいて、母親が付き添うと言っている限り、拓也の出る幕はない…………。 しばらく頭を冷やしてから病室に戻ると、母親は一度家に荷物を取りに戻ったとかで不在だった。京はまだすやすやと眠っている。 久しぶりの眠りが、少しでも京の回復に役立ってくれればと願う。例えそれが薬の力を借りたものであっても。 「ありがとうございました。お疲れでしょう。今日はもう……」 父親に頭を下げられ、拓也も慌てて礼をする。 「傍についていながら、申し訳ありませんでした。京君が起きるまではいたいのですが……」 父親は少し考え、そして拓也に椅子を勧めた。 「すみません」 拓也は軽く頭を下げ、その椅子を引き寄せて座った。 「不躾なことをお聞きしますが……。あなたは息子と、どのようなお付き合いをなさっているのでしょう……」 突然京の父親に切り出され、拓也は一瞬、言葉に詰まった。 「今回のことは僕の不注意で……」 「いえ、そういうことを言っているのではありません。説明を聞いて、それはわかっているつもりです。むしろ、これを助けていただいた」 父親はちらりと、ベッドの中で眠る京に視線を移した。 「勝也君のお兄さんであるあなたと、京が知り合ったのは自然なことなのでしょうが……」 拓也は答えに窮し、自分もベッドの京を見た。 自分は親にあっさりと言ってしまった。 …………大切な人が出来た。 …………男でもいい? …………必ず幸せになるから。 親にしてみれば、笑って許してはくれたけれど、それでも普通の恋愛を望まなかったわけではないだろう。 カミングアウトすることに関して、京と話し合ったことはなかった。 拓也にしてみれば、京さえその気になってくれれば、いつでも挨拶に行き、どんな批難も浴び、許してもらえるまで頭を下げることも厭わないが、京の気持ちがわからない今、先走ることは出来なかった。 「確かに弟の友人として知り合いましたが、僕とは趣味も合いましたし、京君は一緒にいるととても気持ちが穏やかになるので、いつしか弟を通り越して、友人関係を築きたくなりました。今はとても大切な友人だと思っています」 言葉を選び、慎重に拓也は答えた。黙って拓也の言葉を聞いていた父親は軽く頷き、そして三度頭を下げた。 「これからも仲良くしてやって下さい。いえ、年上の方に言うには失礼ですね。お世話をおかけすることがあるかもしれませんが、よろしくお願いいたします」 拓也は恐縮しながらも、ほっと胸を撫で下ろした。 今のところは、友人として認めてもらえただけで喜ぶべきだろうと思う。 それから二人は交わす言葉もなく、京が目覚めるのを静かに待っていた……。 ********** |
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京は身体の怠さと息苦さに、瞼さえ開くことが出来なかった。 例え様の無い倦怠感と、ぼやけた思考は薬のせいかと、京は金縛りのように動かない身体を為す術も無く重く横たえていた。 父親が傍に居る。口数少ない父親の、物言いた気な空気だけが伝わってくる。 京は自分がどれだけの親不孝をしているか身に染みて感じていた。 でも今は何も考えたくない。 はやく自分を閉じ込めてしまわなければ何処かが壊れてしまいそうで、これ以上何かが有ったら自分は戻ってこれないような気がする。 だがそんな希望とは裏腹に、いつも様々な何かが京の思考を捕らえて離さない。 駄目だ、考えるなと脳の一部が必死に警告を発しても、それを凌駕する思考の渦が襲いかかる。 それに反応するかのように始まった、薬が引き起こす睡魔への波。 不安定な精神と思考が悲鳴を上げ、それを覆い被すように無理矢理に引きずり込もうとする闇の手。 為す術も無くその波に身を預けようとしたその時、柔らかな声が傍に聞えた。 (拓也さん・・・?) 呪縛から開放されたように、スッと身体が軽くなる。 だが、次の言葉でその身が竦んだ。 「傍についていながら、申し訳ありませんでした。京君が起きるまではいたいのですが……」 (違う・・・拓也さんのせいじゃない・・・俺が・・・俺が弱いから・・・) 「不躾なことをお聞きしますが……。あなたは息子と、どのようなお付き合いをなさっているのでしょう……」 (父さん?・・・やめて・・・厭だ・・・ねぇ・・・やめて、今は・・・聞きたくない・・・!) 「―――――今はとても大切な友人だと思っています」 (・・・拓也・・・さ・・・ん・・・) 今の自分にとって、拓也の口から発せられる『友人』という言葉が、これほどショックを与えるものだとは思ってもみなかった。 京を絶望にも似た感覚が襲う。頭では解っている。自分の為を想って、この言葉を父親に言ってくれたということを。 2人の付き合いを真剣に考える度に、この事が自分の中でネックになった。普通の考えを持つ親に、自分が好きな相手は男性であると告げる事への不安。 拓也に抱かれる度に幸福というものを知った。だが同時に心の何処かでその罪深さにも囚われ、己の欲深さに怯えた。なのに、何故ここで自分はこれほどの衝撃を受けるのだろう。むしろこう答えてくれた拓也に感謝すべき事ではないのか。 解っている。解っているのに。 だが京は拓也の微妙な変化も感じていた。それが正直とても不安だという事も。 優しいいつもの空気の微妙な隙間に、何処か苛ついたものが確実に存在している。 自分が原因だとしか考えられ無い。 拓也の献身をこの身に充分すぎるほど受けているにも関わらず、思うように回復できず、それどころか悪くなるばかりの身体。しかも散々迷惑をかけた挙げ句このザマだ。その全てが彼の負担になっていると考えてなんの不思議があるだろう。 なのに、自分が持つのは拓也と離れたくないというエゴ剥き出しの欲望。 彼の為を思えば、京という存在から開放するのが最善だと解っているのに。 どうすればいいか等、今更なのだ。 「と・うさ・・・ん・・・・・・」 「京?起きたのか?」 「京・・・」 上半身を起そうとする京に手を貸す拓也。 その手をやんわりと京は拒んだ。 「大丈夫です」 「京?」 「拓也さん、色々お世話になりました。ありがとうございます。もう、平気ですから・・・お引き取り下さい」 小声で掠れながらも、澱みなく流れる言葉。 その間、京は一度も拓也の目を見ることはなかった。 ********** |
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京の言葉を拓也は信じられない思いで聞いた。 …………もう平気? どこが……。そう聞きたい。 どこがもう平気なのだと。 けれど……。 拓也にはそれを言うことは出来なかった。 京の顔色は相変わらず青白く、そして今まで見たこともないような無表情に、拓也は黙り込むしかなかった。 …………愛している。 そう言って抱きしめてやりたい。 どんなことからでも、誰に非難されようとも、守ってやるのに。 けれど京の瞳は、とうとう拓也を見ることはなかった。 「お大事に。明日も来るから」 叫び出しそうな言葉を呑みこみ、拓也はようようそれだけを言った。 父親の目もあり、拓也は触れたくなる手を伸ばすことも出来ず、微笑みを浮かべ、京にそう告げて、父親に頭を下げた。 「ありがとうございました。お礼はまたあらためて」 「どうぞお気遣いなく。またお見舞いに来させてください」 病室を出るとき、拓也はベッドを振り返ったが、京は窓の外を眺めているのか、斜め後ろの横顔しか見せなかった。 パタンと、ドアが閉まる。 病室のドアが閉まっただけなのに、とてつもなく大きなものに、京との間を遮られたように感じてしまう。 出てきてはいけなかったのではないか。 あんなふうに、京を残してきてはいけなかったのではないだろうか。 何を捨ててでも、今守らなければならなかった筈だ。 父親にどれだけ殴られようとも、京が嫌だと叫ぼうとも、二人の仲を許してもらうべきではなかったのか? 拓也は振り返り、もう一度ドアを開けそうになった。 けれど、自分を拒絶するような京の後ろ姿が、拓也のその手を止めた。 今戻ってどうする。 何も、何一つ、京を助けるべき手段など持たない自分に、何が出来る。 ただカウンセリングを受けさせるだけじゃダメだ。 カウンセリングを受けて治せるのは、京の表面に表われているものだけ。ずっと京が抱えてきたものを、綺麗に消せるものではない。これからの京の人生に、何度も出てきては、彼を苦しめるだろう。 ならば、自分は知っておきたい。 これから先も、京と離れることは出来ない。 だから、何があったのかをきちんと知っておきたい。 これからの京を支えていくために。 まーくんの母親に会いに行こう……。 事故から数年がたち、彼女がどんな人生を歩んでいるのかは知らない。 けれど、少しは落ちついているのではないか。 正常な判断も出来る頃なのではないか。 自分がまだ10才に満たない子供に言った言葉を後悔しているかもしれない。 ならば……。 拓也は何があっても受けとめる覚悟で、それを決意した。 病院の玄関を出ると、空から白い物が舞い降りて来ていた。 ……雪。 薄っすらと積もり始めたそれは、きっと明日にも都会の脆弱な道路を麻痺させてしまうだろう。 けれど、どうか、この世のすべてを白く染め上げて欲しいと願う。 京の心に巣食う、哀しい闇も、白く染め上げて欲しい。 ほんの一瞬でもいいから、何もかもを忘れ、十六歳らしい笑顔を、朗らかな表情をさせてやりたい。 「必ず、守ってやるから」 何度目かわからないその言葉を拓也は口にして、一歩を踏み出した。 |