For You 3
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「京!」 ことんと、途切れるように意識をなくした京を抱きしめ、拓也はうろたえた。 浅い息を力なく繰り返している京を確かめると、拓也は携帯で的場に直接電話をかけた。 「はいー」 ふざけたような的場の声に、拓也はイライラしながら叫んだ。 「京が倒れました。すぐに来て下さい!」 何かを言いかける的場にさらにすぐに来てくれるように繰り返して、拓也は深い溜め息をついた。 「……京、…………どうして」 ベッド脇に座り、弱々しく首を左右に振る。 テレビはすぐにも消した。 『ま...くん...が...』 『いやだ...いた...い...痛い...っ...』 子供のように怯え、泣き、京は震えていた。 園児達の乗ったバスが交通事故を起こし、泣き叫ぶ園児達がテレビに映し出されていた。 その光景を思い出すと、拓也の脳裏にびりっと何かが訴える。どこかで見た光景ではないか? だが、それをどうしても思い出せなかった。 同じような何かを見たのではなかったか? その時の母の言葉まで聞こえてくるように思えるのに、どうしてもそれを思い出せない。 まさか京に尋ねるわけにもいかない。それだけはわかる。京にそのことを思い出させてはいけないのだ。京が無意識の下に忘れようとしたものを掘り起こしてはならない。 「……京」 まだ、勝也と同じ年じゃないか。何をしてもおもしろおかしくて、少々バカなことをしても許される年ではないか。なのに……。 そんなに畏怖するものを胸に抱えているのか……? 僕に預けてはくれないのか……? ……いや、わかっている。それは、京にも潜在したものとして認知されないのだ。 それを思い出さないようにプロテクトをかけたことで、京は今まで壊れなかったのだ。 だから、なんとしてでも、ここで守らなければならない。 この子を……。 「ん……、いや……、許して……」 拓也は京のうわ言で、意識を引き戻される。 「京、大丈夫だよ、京……」 「いたい……、いや、おばさん、…………いやだ」 「京、京!」 必死で呼びかけるが、京は起きようとせず、涙を零し、うわ言で、許しを請うている。 無理にも引き起こそうとした時、玄関のインターホンが鳴った。 拓也は玄関に走り、的場を出迎えた。 「どういうことだよ」 「いいから、早く」 引き摺るように、的場を京の部屋に通す。 京は意味を成さない言葉を呟き、唸り、苦しんでいた。 「おい、拓也、腕押さえてくれ」 的場が出した京の細い腕を押さえると、的場は消毒を施し、注射を打った。 「なんです? それは」 「安定剤だよ。すぐに効き始める」 的場はテキパキと京を診察すると、ついでにと胸のガーゼも変えた。 「傷口が開いたな……。それと、熱がある。どちらにしろ、一度入院した方がいい」 「……ええ」 「ここの親はいつ帰って来るんだ?」 「明日です」 「まあ、明日でもいいな。じゃあ、俺も明日もう一度来るから。病状の説明と、カウンセリングのことも説明したしな」 「お願いします」 拓也は深く頭を下げ、的場を送り出した。 部屋に戻ると、京は薬が効いたのか、今度は静かな眠りに就いていた。 久しぶりに訪れたのだろう、深い睡眠が、京の体力を少しでも回復させてくれれば……。 拓也はそう祈るしかできない自分を情けなく、悔しく、自己嫌悪に陥りそうになっていた。 だが、今京を助けられるのは、自分しかないのではないかという自負もあった。 京の精神はギリギリのところでいつも自分を求めていてくれたと思う。 拓也を見つめる真っ直ぐな目に、曇りなどなかった。それがこれからの自分を支えるだろうと思う。 京にとっても、同じように自分が支えになればいいのにと願う。 「どんなことをしても守ってやる。だから……、だから……、京……」 続く言葉は、声にならなかった。 ********** 京の両親を洋也と勝也が迎えに行ってくれた。 息子ではなく、息子の友人と兄が迎えに来たことを両親は不思議に思ったようだが、洋也が少しお話があると告げたことで、両親は黙ったまま、家まで同行してくれた。 「お帰りなさい」 両親は出迎えた息子の姿を見て、呆然とする。 顔色は悪く、立っているのがやっとという京は、白衣を着た男性に支えられていた。 静かに頭を下げる拓也は思いつめた顔で、両親に警視庁の刑事だという人間を紹介した。白衣の男性は、病院の医師だとも聞かされ、両親は不安そうに顔を曇らせる。 勝也に支えられ、京は部屋へと戻っていった。 そして、両親は京が巻き込まれた誘拐事件とそれによって負った傷についての長い説明を受けた。 |
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拓也と刑事、医者の話が一通り終わると部屋は重苦しい沈黙に包まれた。 京の母親が鳴咽を堪えるように両手で口元を覆い、隣に座る夫の肩に顔を埋める。その震える肩を抱きしめる京の父親。 誰もがこれ以上何をどう言ったらいいのか解らなかった。 言えるのは今ある現実のみ。 それさえ今語られるべき人物から全て語られ尽くしてしまった。 「・・・京から旅先に電話をもらった時は、こんな事になっているとは・・・少し怪我をしたって・・・それだけで」 「傷そのものは・・・通常の体力が戻れば問題なく治癒すると思われます」 母親は的場のその言葉に肯きながら、それでも不安を隠しきれないのか目をつぶった。 「相手が外国人であることと、事件の内容が非常にデリケートなので、我々としてもとるべき手段が難しいというのが現実です」 刑事の言葉に、父親が初めて口を開いた。 「色々聞きたいことは山程ありますが・・・この件に関する刑事責任などは国際法に任せます。我々個人がどうにか出来る問題ではありません」 「冷静な御判断感謝いたします」 「・・・これ以上あの子に傷を負わせる訳にはいかない。そして、私はあの子を守らなければならない」 旅行先から自宅に戻り、息子の姿を見てからずっと沈黙を守りつづけた父親が、初めて口にした言葉は周りの人間を納得させるに充分のものであった。 ふと拓也は思う。京の言葉が少ないのは性分もあるだろうが、父親譲りの部分も大きいのかもしれないと。重要必要最低限のみを言葉に乗せ、あとはまた沈黙を保つその姿は、見た目よりなにより京の持つ空気と重なる。 「御子息の身体の傷は時間が経てば治るものですが、心のほうが問題です。私としてはカウンセリングをお受けになることをお勧めしますが」 的場が京の現状が決して楽観視できないことを暗に伝える。 「少し前から・・・食が細くなっていることには気付いていました。でも、あの子・・・楽しいことが出来たようで、良く笑ってくれるようになって・・・」 嬉しかったのだと母親は言う。 拓也はその言葉に心臓を鷲づかみにされるような痛みに襲われる。 (京・・・) 「失礼ですが・・・お聞きしたいことがあります」 「なんでしょうか」 「魘されている時、御子息が何度も繰り返す言葉があります。ほとんどが『痛い』などの形容ですが、他に具体的な所では『まーくん』と『おばさん』というのがあります。これは今回の事件とは関係の無いものと思われるのですが」 母親の顔色が変わった。 「お心当たりありますか?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「カウンセリング・・・いかがなされますか?どちらにしても、身体のほうにもかなり無理が来てますので早期入院をお勧めしますが」 「よろしくお願いします」 父親の一言で、その場の全てが決まった。 ********** 「おーい。京・・・?」 薬で眠る京の枕元で勝也がそっと囁く。 げっそりと痩せた頬が痛々しい。 もともと華奢な造りの京がますます小さくなってみえる。 「タクちゃんが傍に居たのになー・・・なにがそんなにしんどかったんだー?」 返事の無い京に構わず話し掛けつづける。 「ばかだなーお前。我慢し過ぎだって・・・タクちゃんにもっともっと甘えろよ」 やるせない気持ちで勝也が言ったその時、コンコンと小さなノックの音が聞えた。 勝也がドアを開くと、拓也と的場と京の母親の姿があった。 「入院させるって・・・」 「そんな・・・」 続く言葉を咄嗟に飲み込む勝也。 「ご迷惑をおかけしてしまって・・・」 京の母親が涙を堪えながら謝罪の言葉を述べる。 「いえ・・・・・・僕こそ・・・お力になれず」 拓也の声が辛そうに歪む。 「点滴を外します」 手際良く処置をする的場の動きを目で追っていると、京の母親が話があると小さな声で拓也に言った。 ********** 京の入院先の面会コーナーに拓也と京の母親は向かい合って座った。 消灯を過ぎたこの時間。当然のように人影はなく、薄ぼんやりした仄かな非常照明だけが緑色の光を放っている。 無言が続く。 拓也は待った。語られる過去を。 ここに来る前手渡された自販機のコーヒーが冷める頃、ようやく母親の口が開いた。 「あの子。小さい頃、事故に遭って・・・」 そう言って語られ始めた京の過去は、拓也の想像を超えていた。 京は小学3年の遠足時、バスの事故に遭遇したのだという。 状況は、突発的集中豪雨。山中にて京達の乗ったバスが土砂崩れに巻き込まれ、そのまま車体諸共崖下へ転落したというもの。天候が回復せず、現場までの道路が幾つも寸断され、ようやくレスキュー隊が到着した後も二次災害の恐れから救出までの時間がかかりすぎ、救助が合わないまま衰弱死した子供も多かった。 被害は元より、過去に例が無いほどの無残な事故でもあり、その後の波紋も大きくマスコミ等で取り上げられた。 そう昔の事故ではない。拓也の記憶にも残っている。 「あの事故に京君が・・・?」 「・・・ええ・・・」 結果救助されたのは、乗務員を含め38人中半数以下の11人。 そんな中、京は大怪我を負ったが、辛うじて一命をとりとめた。 しかし担任を始め、クラスメイトほとんどを失ったその事故で、その当時京と一番仲の良かった幼なじみも亡くしてしまったという。 「助かったのは本当に奇跡って言っても構わない。今が五体満足なのが不思議なほど・・・・・・・・・・・・酷い状態だったし」 その時の状況を思い出したのか、京の母親が辛そうに眉を寄せ目を伏せる。 子供の回復力のすごさをどこか感心しながらも、今でも幾つか薄らと酷かった部分の傷が残っているはずだと聞き、腹部に残るあの傷痕と、人前で平気で着替えるという話とは裏腹に、明るい場所で体を『見られる』事を、恥ずかしさよりも怯えるように嫌がる京の姿を思い出す。 だが、更に追い討ちをかけるような「最悪」な事態が、そこから始まったという。 子供を失った一部の保護者達が、事故に対すやりどころの無い怒りと哀しみを、生き残った者達にぶつけるという、信じられない事が起こったのだ。 「警察の方や・・・弁護士さんから『そういう事』があるって話は聞かされていたから気を付けてはいたんだけど。具体的にどうすればいいかなんて・・・。京の入院中にね、亡くなった子の・・・幼なじみのお母さんが来たのよ。丁度京の傍には娘しか居なくて。私は確か家に用事があって戻っていたんだと思う。気が付いたら病室に入ってきてたって。まーくん。あ、あの子の幼なじみね・・・のお母さん。その・・・少し・・・おかしくなっちゃってたみたいで・・・」 ---------ねぇ、なんでまーくんが死んじゃったのに、京君が生きてるんだろうね? 「私が聞いたのは娘からある程度柔らかく変えられて伝えられた言葉だったけど、それでも辛かった。娘も必死に病室から出そうって頑張ったらしいんだけど・・・知ってる?ああいう時の人ってものすごく力が強いんですって。京のベットにしがみ付いて離れなくて、狂ったように京を責めたらしいの。傍に居た娘は動けない京を庇って耳を塞ぐことだけで精一杯で・・・大声を聞きつけた看護婦さんが飛び込んできてくれて、なんとかまーくんのお母さんを病室から出してくれたようなんだけど・・・」 弱りきった体と無防備な精神のまま京は言葉の暴力をまともに受け、極度の自閉に陥ってしまったという。 「確かに京は助かった。でも・・・救助のタイミングが合わなかったら・・・死んでても全然おかしくなかった。レスキューさえ入れない土砂の中で、重傷で動けない京がどうやってまーくんを助けられるっていうの?なのに、あの子。自分を責めて食事も一切受け付けないし、眠らない、喋らない・・・」 「・・・」 「あれを『お見舞い』って言いきったまーくんのお母さんに、私たちはなんて返したら良かったんでしょうね・・・」 その時の事を思い出すのか、京の母親は涙を堪えるように俯いた。 それから約3ヶ月後、ようやく怪我の回復が見えた京だったが、依然言葉を取り戻せない状況を案じ、『環境を変えることも一つの手』だと言う当時のカウンセラーの勧めもあって、父親が京を自分の友人宅へ療養も兼ねたホームステイをさせることに決めた。 海辺に近い静かな新しい環境と、父親の親友というアメリカの優しい家族に根気強く見守られる事により無事言葉を取り戻すことが出来た京は、結局途中正式に編入という形をとり、最終的にアメリカで約3年半を過ごすこととなった。 渡米期間中、京は時間を見つけては海に潜っていたという。それは彼の深く傷ついた精神を癒す事にも繋がっていたに違いない。 その後、通常生活を営めるほど回復した京は、本人の希望により中学進学時期に合わせ日本へ帰国。 京の実家は、彼の帰国の前に建替えを理由として今までの住所を変えている。 月乃家が自分の家とそれほど離れていないのに、小学校から勝也と一緒ではない理由はこういう事だったのかと、妙な所で拓也は納得する。 冷たい雨と土砂に埋もれ、クラスメイトの声が次々と消えて行く中、京はどんな気持ちでいたのだろう。 失語状態から回復しても、京は必要以上の言葉をほとんど発しなくなったという。 「事故から救出されるまでの長い長い時間。あの子の目の前に何があったと思う?」 「・・・」 答えない拓也に縋るように、そして自分の中に閉じ込めておくには辛すぎるのだと詫びるように母親は言った。 「まーくんの顔。・・・座席と土砂に押しつぶされて動けない京の目の前に、あったらしいわ。・・・まーくん・・・即・・・死だったて・・・いうから・・・」 それ以降、事情を知る人は言葉を選べず口をつぐんだ。 |