For You 2
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 マシンが起動を始める。
 何日ぶりに電源を入れただろうと京はぼんやりと考えた。
 拓也が大学の教授宅に年始の挨拶に行くと言って出かけた間、一人で何もしないで過ごすよりは良いだろうと京は久方振りにCRTを前にしている。
 『D』の締め切りが近い。あまり大きな仕事ではなかったが、基本的に作業に余裕が無いのは好きではないし、自分のこの状況を理由に無視する訳にも行かない。同時に溜りに溜まっているだろうMAILを思うと、いささか気が滅入るがそれも仕方の無い事だと諦めた。
 プログラムの基本設計を済ませ、残るはデバックという所まで作業を一気に終わらせる。最後の締めにMAILをチェックすると、思った通りかなりの量のMAILが受信されてきた。長い時間をかけ受信プロセスを終了したメーラーが完了WAVを鳴らす。つらつらと一覧を見ていてふと手が止まった。
 自分からのMAIL。
 日付は昨年の12月22日。
 他にも重要なMAILは多かった筈なのに、ポインタは吸い付けられうようにそのMAILをクリックした。
 表示されたメッセージは見覚えのあるフレーズ。
 当然だ。
 自分が設定した2行文。
 字面を目で追うと、耳の奥にあの爬虫類男の甲高いヒステリックな声が響いてくる。
 ――――あの長い2日間。
 思い出したくもない記憶。
 ジリジリと胸の傷が痛み始め、体中の血液が足元に落ちてゆく感覚に襲われる。
 京はたまらずマシンの電源を落した。
 正常終了させなかったせいでインターフェイスの幾つかが警告音を鳴らしたが、それさえ無視して強引に分電盤のブレーカーも落した。その部屋にある待機電源を含む全てが落ち、一瞬部屋が静寂に包まれたが、すぐに非常用電源の警告音が鳴り始めると、京は逃げるように部屋を出た。
 廊下の壁に背もたれ、込み上げる吐き気を押さえようと手を口元に持って行くと手の平がべたついたように濡れている。
 見ればいつのまに掴んでいたシャツの胸元から血が滲み、じんわりとその染みが広がっていた。それほど強く握ってしまったつもりはなかったのだが、また傷が開いてしまったようだ。
 震える息を堪える。
 また傷が開いたなどと言えば、拓也を心配させてしまうだろう。これ以上心配をかけたくはないのに。あの優しい綺麗な顔が、自分のせいで悲しげに歪むのはもう見たくはないというのに。
 気力を振り絞り、気付かれる前に着替えようとマシンルームの隣にある自室の扉をあけた。
 隣の部屋の非常用電源の警告音が微かに聞えて来る。それと絡み合うように、耳の奥にはあの男の甲高い笑い声が木霊していた。
 早く着替えたいのに、指先が強ばりボタンが外せない。引き千切りたい衝動に駆られて布を引っ張るが、手に感覚がないせいなのか破けもしなかった。やっとの思いで脱げたシャツをベットに投げ捨てると、赤く染まったガーゼが現れる。
 今だ抜糸も出来ていないその場所は、怪我からもう10日も過ぎているというのに何故かなかなか塞がらずにいた。通院で手当てをしてくれる看護婦は、すぐに塞がると気休めのような慰めにも取れる事を言ってくれはしたが...
 傷口はまだ自分ではまともに見た事がなかった。
 傷を見下ろす体勢があの時の、刃が皮膚に食い込んでゆく恐怖を思い起こさせるのだ。
 自分が覚えている限り、止めて欲しいとあんなに本気で願った事などなかった。
 ナイフが自分の体にめりこんでゆく恐怖。今でも明確に蘇る耐え難い痛み。
 しかし、このまま血の滴るまで滲んだガーゼを付けておくわけにもいかず、京は震える指先でテープを剥がした。
 現れたのは、脇に近い左胸の脇から中央へ向け斜めに走る二本の線。
 そこから赤く筋を描くよう落ちてゆく鮮血。
 青黒く鬱血した傷口は信じられないほど腫れ上がり、縫合の糸が何本も飛び出ている。
「あ・・・・・・・・・・・・ぁ・・・・・・・・・・・・」
 自分の身体に間違いなく存在するあまりにも醜いその場所を目の当たりにして、胃の物がせり上がった。
 咄嗟に脱ぎ捨てたシャツを拾い口元を覆う。
 よろけながら必死で部屋を飛び出したが、階段を降りる途中視界が霞み途中から転げ落ちた。全身を強く打ち付け瞬間意識が遠のいたが、必死で立ち上がり洗面所へと向かう。
 昼間の明るすぎる室内は癒えきれぬ京の身体を晒し、目の前に見える全てが耐え難い苦痛で精神を苛み、そして
「・・・・・・・・・っ!」
 鏡に映った自分の姿に愕然とする。
 こんな身体であの綺麗な拓也に抱かれていたのかと。
 浅ましいほど幾度も欲しがったのかと。
 しかもあんなに優しく抱いてくれたのに...自分は一度も達する事も出来ず。
 京は発作的にバスルームへ飛び込み、シャワーの水を頭からかぶった。
 どうしても自分が許せなかった。
 あの日、拓也は自分を綺麗にしてくれたではなかったか。
 全てを作り替え生まれ変わらせてくれたではなかったか。
 何故自分はこんなにも弱い。
 一体何に脅える必要がある。
 幼い頃、自分を守る為に封印してしまった記憶がある事は朧げだが気付いている。
 それがあの悪夢の正体だとも。
 だが、解らないのだ。
 目が覚めると肝心の所が記憶からすっぱりと消え去っている。
 無理にでも思い出すべきなのか。
『この傷はずいぶん古いね。小さな頃のかい?』
 的場の声が蘇る。自分は何と答えたのだろう。
 立っている事も出来ず膝をつき、込み上げる鳴咽を押さえられずに幾度も吐き続けた。
 強い雨にも似たシャワーの音にまじり聞こえてくるのは、子供の泣き声と甲高い笑い声。そして自分を責める誰かの声。
 痛みと悪寒。
 何が現実で何が夢なのか。
 どれが記憶でどれが今なのか。
 降り注ぐ冷たい水でさえも、京には解らなくなっていた。

 ―――閉せ。
 ―――全て。
 ―――これ以上あの人を苦しめないように。

**********
 拓也はこれから自分が専攻するであろう、専門分野の教授宅へ年始の挨拶に出かけることになっていた。気難しい教授として学内でも有名な彼は、2回生の内から挨拶に来た者でないと、自分のゼミにも入れないという噂があった。実際の所はそんなこともないのだが、これからのことを考えれば、あえてその噂を無視することもないだろう。
 拓也は自宅で正也と待ち合わせ、スーツに着替えて、一緒に出かけた。幸い、正也も自分も成績は優秀な分類に入るらしく、教授にも今の所気に入られているので、教授の家の敷居は高くない。
「どう? あの子。けっこう深いって、崇志が気にしてた」
 久しぶりに運転を正也に任せ、拓也は助手席で流れていく風景をぼんやり眺めていた。
「うん……。傷自体は……、すぐに治るだろうけどなあ」
「なにか問題あり?」
「……うん」
 まだ、正也にも話す気にはなれなかった。
 京の抱える心の中のもの。
 その正体の欠片さえもわからない。
 何度京に尋ねそうになっただろう。
 話してくれと詰め寄りそうになっただろう。
 けれど、ギリギリのところでいつもその言葉を飲みこんだ。
 これ以上、京を追いつめてはならない。
 それだけはわかっていた。
 それに……。
『カウンセラーをすぐに手配するから。詳しい話は、電話じゃ出来ない』
 いつも軽い口調の的場の切羽詰ったような言葉に、拓也の方が驚いてしまった。
 何があるというんだろう。
 いつもと変わらぬ自分を演じることに、拓也自身かなり疲れていた。
 多分、正也はその拓也の気持ちを双子特有の勘で感じ取っているのだろう。
 ありがたいことに、正也は深く聞き出そうとはしなかった。
「ちょっと寝れば? まだかかるよ。寝てないだろ?」
 実際、夜の眠りは浅く、何度も起こされた。それが辛いとは思わない。辛いのは、京が何も話してくれないことだ。
 いや、話してくれないのだとは思わなかった。京にもそれがわかっていない様に思う。うそがつける子ではない。だからこそ、その苦しみを早く、1秒でも早く消し去ってやりたい。
「近くなったら起こして」
「うん」
 小さい頃から……、生まれる前から、一緒の温もりに包まれてきた相手。
 それは拓也にとって、やはりなくてはならない存在であることに、二十歳を数えるようになっても変わりはなかった。
 どんなに疲れていても、その傍にいれば安心して眠りを貪ることができる。
 それはきっと、正也にとっても同じだろう。
 何かがあると、夜中にでも、拓也のベッドに潜りこんできて、眠っていく。
 とろとろとした眠りに引きこまれながら、自分が京にとって、そんな存在になれればと……、拓也は意識の底で強く願っていた。

**********

 教授の家は、次々に訪れる生徒で賑やかだった。
「おう、おめでとう!」
 教授は既にかなりできあがっているらしく、赤い顔で、拓也と正也を迎えた。
「おめでとうございます」
 二人で揃って挨拶すると、応接室にいた他の生徒たちが息を呑む。微妙に色合いの違う、ブランドのスーツを着た双子は、並んでいるだけでも華があった。
「今年もよろしくお願いいたします」
 にこやかに笑って、教授の杯に酒を注ぎ足す。
「わが校の期待の星だ。頑張れよ。ええーっと、きみはどっちだ?」
「拓也の方です」
 苦笑しながら拓也が名前を告げると、高らかな笑い声を上げて、今度からは間違えないと言う。もう何度も聞いた台詞ではあるが。
 一通りの挨拶を済ませ、教授の家の玄関を出ようとした所だった。
 一人の男とすれ違った。拓也は咄嗟にポーカーフェイスを造る。だが、横では正也があからさまに嫌な顔をしている。
「ふうん、じゃあ、こっちが拓也だね」
 正也めと思う。隠れた手の肘で正也の脇腹を突ついてやる。
「残念、外れ」
 サインを正確に読みとって、正也がすぐにニッコリと笑って応えた。
「…………」
 男は悔しそうに顔を歪ませて、正也を向かって言った。
「拓也、別に挨拶に来なくても良かったんじゃないか? 教授のお気に入りなんだから」
「ところがね、どこで下手するかわからないしさぁ。どこかの出身高校ばかり自慢する人の様にねー」
 わずかばかり二人より高い位置から、男は強い視線で正也を睨んだ。
「まあ、がんばろう。出身校が良くても、大学中退じゃなぁ。行こうよ、正也」
 正也はこれ以上ないくらいの嫌味な笑顔を男に向け、拓也の肩を抱いて、玄関を出ようとする。
「拓也、その言葉、忘れないぞ」
「僕も忘れないよ。記憶力はいいから」
 二人でクスリと笑い、玄関を閉めた。
「あの後、どんな顔で教授に挨拶するんだろう」
 拓也が苦笑すると、正也は声を立てて笑った。
「どうせ挨拶なんかしても、もうダメじゃん。基礎落としてるんだもん。どこのゼミも入れないって」
 正也は車のキーを人差し指にかけ、くるくる回している。とても楽しそうな口調だ。
「あー、でも、新年早々嫌な奴に会ったなー。拓也、スタジオに送っていって」
 そう言うなり、車のキーを放り投げる。
「また、正也はぁ」
 飛んできたキーを受け取り、拓也は車のロックを解除する。
 そのまま病院へ寄るつもりだった拓也は、運転席に座った。

**********

 京のカルテを見ながら、的場は気難しい顔で、最初の言葉を探していた。
 拓也は綺麗な顔に表情を乗せず、的場の言葉を待っていた。
「腹に古い傷があるのを知っていたか?」
「……はい。けれど、よく見なければわからないものですし、男の子だから、それくらいはあるかなと思って」
「綺麗に縫合されてはいるが、かなり深い物だと思うんだ。最初に診察したときに気がついて、触って確かめた。普通の怪我じゃないと思う」
 けれど、過去の物なんでしょう? 拓也は的場の気にする意味がわからず、目でその先を問う。
「昨日、あまりの無口さにカウンセリングの糸口さえ掴めずにいてな。つい、その傷は、いつのものだい?って尋ねてしまったんだ。そこから、恐慌状態になった」
「先生」
 批難の目を向けると、わかってると的場は詫びた。
「だが、肝心なのは、本人がどうもその怪我の事を覚えていないことだろうということと、おそらくは、それをちゃんと精神的後遺症としてカウンセリングを受けずに、忘れようとしていることだろう。何かがあれば、思い出してしまう。そして、あの誘拐事件だ……」
 拓也は目を閉じ、唇をかんだ。
 何か、とてつもなく、大きな物が出てくる……。
 それは、拓也にも恐ろしいまでの予感となって押し寄せてきた。
「カウンセラーは手配した。後は……、家族の了承を得てくれ」
 力なく頷き、拓也は病院を後にした。


 助けると誓ったではないか。
 何があっても助け出してみせると、あの時に誓った。
 
 助け出したと、簡単に喜んでいた自分の単純さが恨めしい。

 まだ何も解決はしていなかったのだ。

 まだ助け出せていないのなら……、
 もう一度迎えに行くだけだ。
 京のいる過去までも。
 どんな場所にいても、助け出してみせるんだ。

 拓也は自分に言い聞かせるように、何度も、何度も、その言葉を胸に刻みつけていった。


**********

 
「ただいま。京」
 柔らかな声を背後からかけられ、京は反射的に振り返った。
『おかえりなさい』と言う為に開いた唇は震え、声は音を為さない。
「・・・・・・・・・・・・?」
 京の微妙な変化を感じたのか、拓也が少し戸惑いながら言葉を選ぶ。
「どうした?」
 優しい問いかけにも、京は後ずさり首を振るだけ。
「おいで」
 戸惑うような仕種の京を優しく抱き寄せる腕。
 おずおずと身体を委ねるが、抱き留めた体の緊張は解けない。
「・・・良い匂い・・・髪が少し濡れてるけど・・・・・・シャワー浴びた?」
「・・・・・・・・・」
「傷は平気?...一人で出来た?」
 問いかけに京がぎこちなく肯きながら、そっと拓也の腕を解き細い身体が離れようとする。
 少し腕に力を込めると、脅えたような、それでいて縋るような京の黒い瞳が拓也を見上げた。
 拓也が出かけていた数時間の間に一体何があったのか。
 明後日には京の家族が帰国する。
 すぐにでも事件の説明を警察と医者に説明してもらう事になっているが、この京の様子を見る限りタイミングが難しいかもしれない。しかし、逆に隠し通せるほど簡単なものでもない。
 拓也はそっと腕を緩めると、京の額にかかった髪を掻きあげ小さな口付けを落した。
「食事にしよう・・・なにか・・・あったかいの。京の好きなものをつくってあげる」

**********

 昨晩から冷え込んだ冬の空は、朝にはうっすらと積もらせるほどの雪を降らせた。
 いつもの鉛色の朝ではない、明るい朝日に拓也は大分早くに目を覚ます。
 無意識に隣に眠っているはずの京を抱き寄せようと手を伸ばすと、既に冷えた寝床が手に触れた。
「京・・・?」
 冷え込む部屋に身震いし、暖房のスイッチを入れる。
 ガウンを羽織り廊下へと出、京の部屋しかない2階から彼を呼びかけても返事はない。
 階下へ降りると今まで居た部屋よりも更に冷えきった空気がその身を包んだ。
 居間を通り、障子を開けると縁側に佇むほっそりとした後ろ姿が目に入る。
「京・・・?」
 拓也の声がまったく聞こえないかのように、京はぼんやりと雪の積もった自邸の庭を見つめていた。
「風邪引くぞ?」
 後ろから抱きしめると、芯まで冷え切った身体がその胸に納まる。
「こんなに冷えて・・・いつからここに居た?」
 そう言いながら拓也は己の手で氷のような指先を包み込み、唇へと寄せた。
 暖かな感触がじんわりと伝わってゆくのを感じたのだろう。
 京の視線がゆっくりと拓也に向けられてゆく。
 早朝だというのに、透けるような肌に赤い唇が艶めかしい。
 うっすらと開いた唇は物言いたげで、しかしそれが叶った事は今までになかった。
 誘われるように唇を重ねる。
 冷え切った唇を裏切る口腔の熱さ。
 いつしか拓也は夢中でその舌を貪っていた。
「・・・・・・っ・・・・・・ぁ・・・・・・・・・・・・・・・」
 苦しそうに自分を引き離そうとする京の腕の力に、拓也ははっと我に帰る。
 緩んだ腕から逃れた京が胸元を掻きあわせ、荒い息を吐きながら涙ぐんでいた。
「ごめん」
 謝る拓也の声に力なく首を振り、何かに咽たように京は小さな咳を一つした。

 京が喋らない。
 見ている限り喋らないのではなくて、喋れないのかもしれない。
 問い掛ければ戸惑う表情を浮かべ、そればかりではなく拓也に触れられるのさえ怖がっている。
 だが、だからといって拓也居ない方がいいという訳では決してなく、彼の姿が視界から消えると迷い子のように家中を探し廻り、見つけると、まるで泣き出してしまいそうな安堵の表情を見せるのだ。
 そして気付けば不安を少しでも消そうとする何かのように指先がピアスをなぞっている・・・。
 相変わらず食事は細すぎるほど細く、今朝方の冷やした身体は案の定体調不良に拍車をかけ、常の微熱から高熱へと悪化させていた。
 薬を飲ませた京を、安静にさせるため部屋に寝せてはいたが、拓也がごく傍に居ると緊張し、しかし姿が見えない事に異常な不安を見せる京の為に、拓也はベットから少し離れた場所のソファに居場所を決め、さりげなく様子を見守っている。
 拓也が雑誌をめくる手を止め京の様子を伺うと、熱に潤んだ瞳が自分を見つめているのが解かった。
 焦点が合っていないぼんやりとした視線。意識が朦朧としているのかもしれない。拓也が安心させるように微笑むと、うっすらと開いていた唇が微かな吐息で自分の名を呼んだ。
 「大丈夫。ここにいるから」
 抱きしめてやりたい。拓也はそう願うが、今それをすれば多分京は又必要以上に緊張するのだろう。それはここ数時間の様子で解ってしまった。
 的場のカウンセリング以降、不安定さが増している。
 拓也は深い溜め息を、京に気付かれないように長く静かに吐いた。
 重苦しい空気を少しでも和らげようとテレビを付けたが、どれもこれも年始の特番ばかりで、これといって面白いものも無い。リモコンを操作し、少しはマシだろうかと某国営放送にチャンネルをあわせた。

『年明け早々の事故です。新年の老人ホーム慰問に訪れた園児たちの乗ったバスが・・・・・・』

 脈絡もなく飛び込んできたのは、今朝の雪による事故のニュースだった。幼稚園児が乗るスクールバスが雪道でスリップし、路肩をはみ出し横転。怪我人が出たようで、臨場感を煽る為だろう、幼い子供の泣きじゃくる映像と声が、テレビから流れている。少々悪趣味だなと拓也は思いながら、別のチャンネルにしようとしたその時、か細い声が京のいる場所から聞こえてきた。驚き、拓也が声の方へ顔を向けると、凍ったように動かない京の青ざめた顔が目に入った。
「京!?」
「・・・や・・・・・・いた・い・・・・・・」
 瞳は焦点を結ばず、擦れた声で紡がれる言葉が、途切れ途切れに聞こえてくる。
 ガクガクと震える身体は、拓也が必死で抱きかかえても、止められないほど強い。
「京!おい!京!!?」
「ま・・・くん・・・が・・・・・・」
「まーくん?だれだ?京?しっかりしろ!」
「いやだ・・・いた・・・い・・・痛い・・・っ・・・・・・」
「京!」
「いた・ぃ・・よ・・・・・・・・・」
「京!大丈夫か!」
「・・・たすけ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 耐え切れない重さを吊るした糸が突然切れたように、プツンと京の意識が途切れた。

 


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