For You 18
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後期試験の終わった大学の長い春休み、パソコンの画面に、既に習慣になりつつあるMAILを打ち込んでいた。 虚しい作業ではないかと萎えかける気持ちを叱咤しつつ、拓也は自分の気持ちを綴る。 京に届くように。京が読んでくれるように。 ただそれだけを願いながら。 ディスプレイの眩しい光に、睡眠不足の目がチカチカと痛みを訴える。 本当はしなければいけない仕事もあった。 プログラムを組みながら、何度もMAILのチェックをする。その度に溜め息にならない息を漏らす。 この休み中に、一つのゲームが完成するはずだ。そのために、半年以上をかけて、いくつかのチームが動いている。その中に自分の身を置きながら、拓也は充実感も抱いていた。 このゲームが完成すれば、しばらくアルバイトは簡単なものだけにして、京との二人の時間を優先し、彼の心の中に積もり積もった苦しみや、背負いつづけてきた負い目などを自分も分け持ち、今回のことで更に広げてしまった傷を少しでも癒せるようにするつもりだった。 けれどプログラムは進まず、どうしても思考は1つの所へ行きつく。 どうして自分は、京にとって、心癒す場所になれなかったのだろう。 一方的な父親からの通告を受け入れるつもりは、拓也にはなかった。 もしも、それを京が本当に受け入れたのなら、自分に対する思いがもう、何もないのなら、それは受け入れるだろう。 だがそれは受け入れるだけで、自分の中から、京への想いが消えるわけではない。 だから、もう会わないというのなら、京からそれを聞かせて欲しいだけだ。 そう考えて、拓也はおかしくなる。 最近、考え方が、悪い方向へ流れていく。 もう、だめなのだと思ってしまいそうになる。 自分が虚しい戦いを風車に挑んでいる気にさえなってくる。道化師のような戦士だなと思ってしまう。 …………もう、だめなのだろうか。 …………京が自分にとって、ただ一人の人になってくれたのに、 …………自分は京にとって、ただ一人の人間になれなかった。 …………それはすべて自分の責任だから。 文字を入力しながら、そんな諦めが拓也の中に侵食を始めたときだった。 机の脇の充電器に置いていた携帯が鳴った。 拓也はディスプレイを見ていたため、咄嗟に相手を確かめずに通話ボタンを押した。 「はい」 不自然な沈黙が降りる。悪戯かと電話を切ろうとした時、潜めたような声が響いてきた。 『突然のお電話申し訳ありません。月乃でございます』 聞き覚えのある声に、拓也は息を飲む。 「あ……、京君に何か?」 咄嗟に思いついたのは、京に何かあったのではないかという恐怖だった。心臓が早くなる。手が震えそうになる。 『今更こんなことを・・・私が言うのは変だとお思いでしょうが・・・ 失礼と重々承知で言わせてください。京を・・・京を・・・諦めないでください。お願いいたします』 「あの……」 拓也はとうとう震え出す唇で、「京君は今」と聞いた。 『あの子は学校です。どうか、……お願いいたします』 「諦めたりしません」 拓也がそう言うと、母親はもう一度お願いしますと言って、かかってきたときと同様、電話は唐突に切られた。 本当は諦めようとしていた。じくじくとらしくないことで悩み、もうだめだと思いかけていた時に届いた、拓也にとってはこれ以上ないくらいのエールに、泣き出しそうになる。 まだ、大丈夫。自分が頑張らなければ、本当に京を手放すことになってしまう。 まだ、京との絆は途切れたわけではない。 まだ信じることができる。 自分の気持ちを。なにより、京の気持ちを。 拓也は今まで書いていたMAIlをデリートし、優しく京に語りかけた。 ********** |
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切れた耳元を抑え、京は一人、保健室へと廊下を歩いた。 既に午後の授業が始まっているのだろう。誰も居ない廊下は、大勢の人間が壁を隔てた向こうにいるとは思えぬほどシンと静まり返えり、京の足音だけを響かせる。 ピアスはもうない。 指先が、何も無くなった耳朶の手触りで、それを教えた。 その代わり、ひどく気分の悪い痛みが絶え間なく続き、生暖かく濡れたものが手首を伝って、袖の中へと落ちてゆく。その感覚を、どこか冷めた人事のように京は感じていた。 保健室の扉を開けると、この学校には数少ない女性の養護教諭の後ろ姿が見えた。 京がなにかを言う前に彼女は振り返り、慌てたように駆け寄ってくる。忙しなく何かを言っていたようだが、京にはもうどうでも良かった。 ただ、やたらと耳元から手を離すのが嫌な気分で仕方がなかった。既にその理由もあまり定かではなくなっていたが。 暫くの間、眠っていたのかもしれない。 目を開くと、京は白いシーツの中にいた。 体を起し、脱いでいた学生服を羽織った。 誰かに声をかけられたような気がしたが、適当に相づちを打ちドアを開けた。 廊下へ出て、そのまま外に出ると、一瞬強い風が吹いて黒い髪が巻き上がる。 反射的に伸ばした手が、ガーゼに包まれた耳に触れた。 一瞬、不思議そうに首を傾げ、次に彼は、まるで子供のような微笑みを浮かべた。 京は、そのまま姿を消した。 ********** |
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校門に見慣れた車を見つけた。おや?と、勝也は不審に思う。 京はいつも、放課後になると、勝也が迎えに行くより早く、教室を出て行ってしまうのだ。つい先ほどもその虚しい行動を今日も繰り返してきたばかりなのだ。 兄との仲が終わったら、親友と言う関係まで終わるのか。 理不尽な気持ちがないわけでもなかったが、京を見るとそんな言葉は言えなくなる。 何も終わってなどいない。京の中には今も拓也への思いがあるのだろうし、自分を見ることで兄を思い出すのが辛いのだろう。 けれど、何でも話してくれればいいのにと思う。自分にできることなら、どんな手助けだってしてやるのにと思う。例えば、放課後一緒に帰るふりをして、兄と会う時間のアリバイを作ることは容易いのにと思ってしまう。 ……まだ校内にいるのだろうか? ……だが、教室に今日の姿はなかった。 勝也は校舎にとって返し、再び京の教室を覗いた。 「なあ、月乃は? もう帰った?」 扉近くにいた生徒に聞くと、生徒指導に呼ばれたまま戻らず、5・6時間目は保健室にいると連絡があったと教えられた。 勝也は慌てて保健室へ走った。 「すみません、月乃いますか?」 保健室へ行くと、養護教諭が椅子ごと振り返り、乱暴に扉を開けた勝也を軽く睨んだ。 「生徒会長さん、ここは保健室よ」 養護教諭に静かに諭され、勝也は頭を下げて、もう一度『月乃は?』と聞いた。 「月乃君ね、帰ったわよ。6時間目が始まってすぐに」 「え?」 そんなはずは……と言いかけて、勝也は思い出したように保健医に尋ねた。 「あいつ、どこか具合悪くなったんですか?」 「ああ……、んー、耳を怪我したの。あの子、ピアスしていたんですって? それを松岡先生に取り上げられた時に、ちょっとね。すぐに血は止まったから、大丈夫よ」 ありがとうございましたと、ほとんど保健室を後にしていいながら、勝也はまた京の教室に戻った。そこで京の残した鞄を見つけ、手早くまとめて、生徒玄関に走り下りた。 そこに京の上靴があった。 勝也は校門に向かって走り、ベンツの運転席の窓を叩いた。 「すぐに京を探して下さい。校内にはもういません」 真っ青になる運転手は、慌てて携帯を取り出し、どこかに電話を入れた。京の父親に連絡をとっているのだろうと勝也は思った。だが、その結果を待っていたりするわけにはいかない。 ロビーにある公衆電話に走る。 京が拓也に会いに行ったとは思えない。あれだけ、勝也をさえも避けた京が、何かあったとして、拓也に会いに行くはずはないとわかっていた。 ふと気付けば、耳朶に手をやり、そこにあるものを確かめるように触っていた京を思い出す。 勝也を避けているときでも、教室を覗くと、一人ぽつんと椅子に座っていた京は、耳を触っていた。 それをとりあげるなんて! 勝也は自宅の電話番号を勢いよく押す。 呼び出し音をイライラしている勝也の視界に、ある人物が歩いてくる姿が映った……。 ********** |
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「拓也、電話よ。勝也から。急いでいるみたい」 プログラムの仕上げに取りかかっていると、母親が電話の子機を持ってきた。拓也はそれを受け取り、保留を解除する。 「何かあったのか?」 勝也が拓也にかけてくるのなら、それは京がらみのことでしかない。それがわかっているから、拓也は無理にも落ち着こうと、自分に言い聞かせる。 『京が、いなくなった』 「迎えが来てただろ」 咄嗟に思いついた中で一番最悪の報告を聞きながら、それでも拓也は勝也の早とちりではないかと思おうとしていた。 『迎えの車は校門にいた。京の鞄は教室にあって、ロッカーには上靴が残ってた』 「京の家には」 『今から俺が行ってくる。あのさ……』 言い澱む勝也に、拓也は表情を曇らせる。 「何かあったのか、京がいなくなるような原因が」 『生活指導にピアスを取り上げられたらしい。あいつ……、それだけを……、支えにしてみたいで』 拓也は勝也の言葉を聞きながら、思わず目を閉じた。 あんな石、あんな小さな石を支えにしなくても……、自分はここにいるのに。 「心当たりを探しに行く。何かわかったら、携帯に連絡してくれ」 『わかった』 電話を切り、拓也は上着を手に階段を駆け下りた。 「母さん、しばらく家の周り、気をつけてて。もしかしたら、京が来るかも知れない」 「どういうこと?」 車のキーと携帯、財布を確かめ、拓也は靴を履く。 「京がいなくなったらしくて。多分……、ここには来ないと思うんだけど、とにかく気をつけてて。もし見つかったら、携帯に連絡して。勝也は京の家に行くって言ってたから」 「わかったわ」 ドアに手をかけた息子を、香那子は名前で呼んだ。 「何?」 「あなたが落ち着かないと駄目よ。それと、運転には気をつけて」 「ありがと」 家を飛び出し、念の為に家の周りを見渡すが、やはり目的の影は見当たらなかった。車のエンジンをかけ、通りに走り出した。 何故。何故。……どこを探しに行けばいいというのだろうと思いつつ、拓也は会えなくなった京を探しに出た道筋を辿っていた。 京と一緒に待ち合わせた場所。一緒によく行った公園、京の馴染みのダイビングショップ。そのどこにも京の姿はなかった。 辺りが薄闇を流し込んだように暗くなり始め、拓也は焦った。どこへ行けば……。 京、どこにいる……。 気持ちばかりが焦り、拓也は唇をかみしめる。 見つけてやらなければ。僕が迎えに行ってやらなければ。そう思うのに、目を閉じれば京の後ろ姿が目に浮かぶ。 一人きりの夜。何度も見た夢。 京の後ろ姿が、どんどん遠ざかり、必死で追いかけるのに、全力で走るのに、京はどんどん遠くなり、その姿が闇に溶ける様に消える。 イヤだ! 拓也は首を激しく振って、その嫌な夢を意識の外に追いやる。 今は現実のことで、だからこそ京を捕まえるのだ。 その時、携帯が鳴った。拓也はディスプレイを確かめずに電話に出た。 「もしもし!」 『拓也……』 低く響いてくるしゃがれた声に、拓也は顔を歪ませる。 「今更何も話すことはない」 『待て、聞いてくれ。もう一度だけ会って……』 すべてを聞かずに、拓也は通話を切った。 再び鳴るコール音。悔しいのは、電源を切れないことだ。 「いい加減にしてくれ」 『俺は諦めない。お前だけは諦めないからな』 低く笑いを含んだ声に、拓也はかえって意識の冷める気がした。 そのまま、通話を切る。 沈黙した電話に、拓也は溜め息をつく。 醜い執着心。拓也はその中に、自分の姿を見てしまう。 自分だって、あの宮脇と同じように、京に対する執着心と、未練の塊で、ただ醜い姿を晒しているのではないだろうかと考えた。 京は迷惑なだけで、拓也や、そして拓也から姿を隠す為に勝也からも離れたのではないだろうかとさえ思った。 だが……。 ピアスを取り上げられ、そのままぷっつりといなくなったという。 『拓也……ピアスを……』 別れの夜、京はピアスのことを口にした。 別れるつもりで、返そうとしたのではないのだろうか。自分では外す事ができずに、拓也に取ってくれと言おうとしていた? なら、それを取り上げられたことで、今更消える理由にはならない。 ピアスを支えにしていたらしいと、勝也は言っていた。そう思わせるような行動を京がしていたのだろう。だとすれば、それを取り上げられ、支える物がなくなった京は……。 それを思うとぞっとした。 どうして、自分という存在そのものを支えにしてくれなかったのだろう。 あんなにも何度もMAILで……。 情けない想いをぶつけそうになって、拓也ははっとした。 『あの海へ二人で行こう……』 自分が何度も打ち込んだ言葉。 二人で行きたいと、自分は思ったから、そう書いた。 だが、今の京には、二人でいる未来を描くことは出来ない。理由はいくつか予想できるが、京は、一人でいる事を受け入れようとしていた。 一人でいる事の支えが、拓也の贈ったピアスで、それがなくなった京は……。 ぞっと足元から登ってくる寒気をかんじ、拓也はハンドルをきつく握りしめた。 早く。急いで。 冬の海は京を飲み込んでしまう。 身体が震えるのは、寒さなのか、京を永遠になくしてしまうという恐怖なのか。 拓也はアクセルを踏み込めるだけ踏み込んで、夜の色を濃くする街を南へ走った。 |
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