For You 12
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退院に向けて投薬の数が減らされ、その不安定さに少しばかり体調を崩していた時だった。 妙な頭痛と身体の怠るさに自身を持て余していた京は、少しも前に読み進めない教科書をなぞるのをやめて外を見た。 既に見慣れたものとなったその風景とも後数日でお別れだ。それを思えば、気分も少しは楽になる。 それに退院すれば、拓也にこれ以上の心配をかけること無く過ごせるだろう。 ピアスを指先で触れると、拓也に甘く囁かれた記憶が蘇えった。 『早く退院して? 我慢できないかも』 艶を含んだ拓也の声。その言葉に含まれる意味に京は思わず頬を染める。だが、それと同時に自分ではどうしようも出来ない揺り返しのような目眩に襲われ、京はたまらずベットに肘を付き、そのまま横になった。 顔色は良くないだろう。拓也が見舞いに来るあと数時間後までには体調を落ち着かせたい。そう思いながら京は貧血で冷えた手を額に乗せ、静かに息を吐く。 指を組むと、自分の肉がどのくらい削げ落ちたか嫌でも教えられる。 ここの所緩い寝間着しか着ていないので、いまいち体のほうの把握は出来なかったが、拓也は京を抱きしめるたびに辛そうな声で折れそうだと言った。 「たべなきゃなぁ・・・」 自分の手を照明に透かしながら、京はぽつりと言った。 揺り返しが落ち着き体が温まってくると、穏やかな眠気が押し寄せてくる。 少し前まで恐怖だったその生理的欲求を、ようやく京は最近落ち着いて受け止められるようになってきた。 全てを許すといってくれた拓也の優しい手が傍にある事を、頭だけでなく気持ちでもちゃんと思えるようになって来ているからかもしれない。 身体に要求されるまま、ゆるゆるとその穏やかな波に身を委ねようとしたその時だった。 突然病室のドアが乱暴に開いた。 誰だろうと、突然の事に驚いた心臓を宥めながら、半端に意識の飛んだ頭でその方向を見る。 見覚えの無い顔。 その男は挨拶も無くつかつかとベットへ近づくと、不躾極まりない視線で京の顔を覗き込んだ。 「・・・?」 京は視線を外せないまま、その男の顔を見詰める。 嫌な感じがした。 充血した目と削げ落ちた頬。まるで余裕の無いその男の空気は、その四方を巻き込みながら剣呑な物へと変える勢いがある。だが今の京には逃げ出す事も出来ず、硬直したままその男を見ているしかなかった。 突如、その男が京の上掛けを剥いだ。反射的に身を竦めた京の顔を無造作に掴み、その目前で怒鳴る。 「お前。拓也の何だ?!」 答えようにも、顔を掴む手にギリギリと力を込められ、京は男の手を解こうともがくことしかできない。 両手でやっとその手を離し、振り切るよう身を躱したが、萎えた身体は機敏さには程遠く、あえなく髪を掴まれ仰向けに引き倒され、首を締め付けられる。 「そんな哀れぶった顔で拓也をたぶらかしたのか!?」 「な...っ・・・?」 「こんな・・・こんな病気持ちの何処が良いんだ!顔か?金か?・・・それともその身体か?!」 男の手が京の胸元を掴み力任せに揺さ振る。柔らかな生地はそれに耐え切れずボタンごと引き千切れていった。 「や・・め・・っ」 「どうやって拓也を誑し込んだ!」 あまりの詰りに京は言葉をなくす。 「男のくせに!」 苛立った声と共にガンと重苦しい衝撃が京の頬で響いた。 「・・・!」 衝撃で視界が歪み、京は痛みと驚きに喘ぐ。 「・・・や・・・拓也さ・・ん・・!」 「・・・・・へぇ・・・『拓也さん』ね・・・」 何を思ったのか、さも面白いものを見るようにその男は京の顔を覗き込んだ。 そうかと思うと今まで京を掴んでいた手を乱暴に突き放し、解放によって咽せ返える京を冷ややかに見下ろしながらその男は言った。 「俺はあいつの事を「拓也」って呼べる仲だ。解るか?この意味」 不敵にも男はニヤリと笑う。 「・・・ぇ・・・?」 「『拓也』だ」 京を見下げる目が細められ、恋人の名を知らぬ者が呼び捨てる。 「・・・拓也さんが・・・そう・・・呼べ・・・って・・・?」 「当たり前だろう。俺こそあいつにふさわしい。拓也の隣に並ぶのは、この俺だ!」 「・・・っ」 「邪魔なんだよお前。さっさと拓也の前から消えろ」 言葉とともに男は京の身体を突き飛ばし、細い身体はそのまま支えるものを失いベットから落ちる。 強かに肩を打ちつけ、苦痛のうめきを堪える京を冷ややかに一瞥し、その男は言った。 「拓也は俺の物だ!」 ********** 「あれ?眼鏡?」 病室へ入るなり拓也は少し驚いたように珍しい京の姿を見た。 普段掛けていない見慣れない眼鏡が、いつもより俯きぎみの顔を隠している。 「本・・・読んでたから」 「視力。悪かったっけ?」 「・・・ん・・・少しね」 京は本から顔を少し上げ、薄い微笑みを浮かべるとすぐに視線を落した。 いつもと変わらぬ返事はするが、なかなか顔を上げない京を不思議に思った拓也が、京の顔を覗き込んだ瞬間驚きの声を放った。 「?!・・・どうしたの京!」 頬骨の少し上に真新しい痣がある。 あの事件の後、順調に消えていったはずの忌まわしい傷痕が蘇ったようで、拓也は内心ドキリとする。 「・・・・・・・こ・・ろんだ」 京のか細く頼りない返事に更に不安が募る。 「どこで?大丈夫?具合が悪くなったの?」 「うぅ・・ん・・・ぶつけた・・・だけだから」 手と髪で、その顔に出来た痣を隠すよう京がひたすら俯く。 「・・・痛・・・そう」 拓也は傷を隠すようにかけられた眼鏡をそっと外し、髪を掻き分けながらその痣に手を伸ばす。触れる瞬間、脅えるように震えた京の肩をゆっくりと宥め、抱き寄せた身体をやさしく包み込んだ。 「気を付けて・・・」 「・・・ん・・・」 「身体は平気?他に怪我は?」 「ない」 「本当?顔色が・・・あまり良くない・・・」 「・・・多分、薬のせい・・・退院とか、色々で・・・情緒不安定になるって言われた」 「・・・そうなの?」 「うん」 おずおずと拓也を見上げる京の視線が物言いたげで、拓也はそれに問い掛ける。だが京は何でもないと繰り返し、ただ身体を強ばらせるだけだった。 「・・・拓也さん」 「ん?」 震える唇が、何かの呪文のように拓也の名前を繰り返す。 「拓也・さん・・・・・・・・拓也・・・さ・・・」 拓也は自分の名前を呼びながら肩を震わす京を、ただ想いの限り優しく抱きしめた。 |
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ベッドに乗り上げるようにして京を膝の上に抱いていると、やがて、京の身体から強張りが解けていく。 何があったのだろう……。 拓也は疑問を覚える。 昨日まではごく順調だった。精神的にも落ち着きを取り戻し、食欲も徐々にでてきていると聞いた。何より、拓也自身が京の回復を毎日見続けてきたのだ。今日のように、取り乱すことに、……どうしても思い至らない。 自分にしがみついてくる身体の震えに、拓也は何か自分の周りのことに原因があるのではないだろうかと考えた。だが、何も思いつかない。 強いてあげれば、京の父親のことだが、それならばもう少し反応が変わってくるように思える……。 「京、不安なことがあれば、何でも話して? 一人で抱え込むなよ?」 結局、そんな曖昧なことしか言えない。 「拓也さん……」 「ん? 何?」 「何もない……、大丈夫…………」 やはりそう答える京の背中を、撫でることしかできない。 「退院すれば、気分も変わるよ。外出できるようになったら、海までドライブに行こう。ね?」 「……うん」 まるであやされているようだ……。 京は心の中に一つ、小さな石を沈めたように感じる。 『俺こそあいつにふさわしい。拓也の隣に並ぶのは、この俺だ!』 名前も知らないが、傍若無人に振舞ったあの男のような、自信が京には持てない。そればかりか、不安ばかりが押し寄せる。 年下で、今のように拓也にあやされる自分……。 負担に感じているのではないだろうか……。 それを問えば、笑って否定してくれるだろう、この人は。だが……。 「海、行きたくない」 「……そう? どこがいい?」 「二人きりになれるとこ」 クスリと拓也が笑う。 「僕も……」 拓也はどう思ったのだろう。 二人きりになれて、何も考えなくて良いところ。 そんなところ、あるはずないのに……。 だから今だけ、今だけは……、自分のものでいて……。 京は目を閉じて、静かに訪れた温かい眠りに身を委ねた。 ********** 一人部屋にいると、どうしても京のことばかりを考える。 それは別段嫌なことではなかった。むしろ、拓也の愉しみでもあって……。 だが、今日の京の態度はどう考えてもおかしかった。何か不安を抱えているとしか思えなくて……。 拓也が何が原因だろうと思い悩んでいると、部屋の電話が鳴り始めた。 『拓也、電話よ』 内線で母親の声がする。プツッと、保留音に変わり、拓也は外線ボタンを押した。 「もしもし?」 相手が誰だかわからずに、拓也は慎重な声を出した。 『拓也、俺だ』 宮脇だった。電話を通すと、さらに荒んだ声に聞こえるのは、思い過ごしだろうか。 「いい加減にしてくれないか。もう僕にかまうな」 抑揚もなくそれだけを言って、電話を切ろうとした。それが……。 『切るな! いいのか? あの坊やに何があっても?』 宮脇の言葉に拓也は動きを止める。 「どういうことだ」 『別に。いいか? 俺の話を聞け。それだけだ。聞いてもらえれば、お前だって、俺の良さに気づくんだ。話しを聞いてくれ。明日、時間を作れ』 まるで脅迫だなと拓也は思う。だがそれ以上に腹が立ってならなかった。 今日の不自然な京の態度の原因はこいつだったのだとわかった。 多分……、京に会ったのだろう。病院で……。 「宮脇、何かしたんじゃないだろうな」 頬にあった新しい痣。もしも、その痣が、宮脇が原因だったのなら、絶対許さない。 『何もしてないさ。拓也が話を聞いてくれるなら、何もしないさ、これからもな』 下卑た笑い声。虫唾が走るような悪寒に、憎しみが湧き起こる。 「一度だけだ。いいな?」 『明日、午後1時、駅前の喫茶店、アトリエだ。いいな?』 わかったとだけ言って、拓也は電話を切った。 ダンと机を叩く。カチャと、京から贈られたオブジェが揺れる。 「京……」 クリスタルを手に包む。冷たいはずのそれは、手の中で仄かに光り、温かく感じられる。 「京……」 どうすれば不安を感じさせないで、ただのんびりと幸せだけを与えてやれるのだろう。 目を閉じ、オブジェに額を押し付ける。 浮かんだのは、京の…………涙だった。 ********** |
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