For You 10
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「まさか、本当にまーくんのお墓に・・・しかも・・・中原さんと居合わせてしまうなんて・・・偶然にしても酷すぎる」 京の母親が、信じられないと言うように呟く。 「僕がもっと早く気付いていれば」 「いいえ・・・拓也君のせいじゃないわ。・・・まさかこの子がこの状態で病院を抜け出すなんて誰も・・・」 拓也は母親のその言葉に、何も返せるものはなかった。 「あの、つかぬ事をお伺いしますが、中原さんのご家族とは今でに、ご交流をもたれてますか?」 「いいえ」 「そうですか・・・」 「なにか?」 「・・・京君を連れてかえってくる時、挨拶をしませんでしたので」 「・・・そう・・・」 「すみません」 「・・・いいの。気にしないで。ごめんなさいね・・・正直言ってあの方達とはもう・・・関わりたくないの」 京に面差しの似た顔が、大人げ無い事を恥じるよう俯いた。 拓也はここでももう一つ、あの事故の傷痕を見る。 京の手には白い包帯が巻かれていた。 自分の爪で傷を付けてしまった手の平。それはまるで、あの場がどれほどの苦しみを彼に与えたのか、今でも訴えてくるようで、拓也は少しでも癒してやりたい気持ちでそっとその包帯に触れる。 そこで初めて拓也は自分のシャツの袖に血が付いていることに気付いた。 昏倒する身体をギリギリで受け止めてからずっと、京が掴んでいた場所。 既に乾いてしまったそれは、まるで京の深い心にある叫びのようで辛くなる。 「・・・京」 拓也はそっと呼びかける。だが返事はない。 京はただひたすら何物からも己を遮断するかのように懇々と眠り続けていた。 ********** 拓也は今までよりも、尚、足繁く病室へ通った。 眠り続ける京が目覚めるその時、必ず傍に居たいと願ったからだ。 彼の父親と顔を合わせることはそれほど多くはなかったが、それでも皆無ではない。その都度、互いに緊張した空気を孕んだが、暗黙とも言える微妙なバランスの中、仕方が無いことと腹を括った。 誰に何を言われようと、自分の気持ちは一つなのだから。 京の母親が拓也に好意的なのが、この状況の中、せめてもの救いとも言えるかもしれない。 今日で、京が眠り続けて何日になるだろう。 「・・・京」 目を覚まさない愛しい人に、そっと拓也は呼びかける。 このまま現実の全てから切り離しておいてやりたい気持ちもあったが、それでは京は本当の意味で幸せになれない。傷つけられた心を抱いたまま、泣き眠る事が幸せだとは、拓也には到底思えなかった。 苦しく辛いならば、何もかも忘れてしまっていい。 もう一度、忘れる事が出来るのならそれで構わない。 拓也はそのまっさらになった京の隣で全てのものから守り、惜しみない愛情を注ぎ続ければ良いだけだ。 だが、それを京が選ばないことも解っている。 何故、彼は自らを過酷な場所へと追いつめるのか。 恐らく、憶測でしかないが、過去への無意識ともいえる償いなのだろう。 京自身被害者であり、決して責められる立場ではないのだと、どうしたら気付いてもらえるのか。そして己の幸福を願っても良いのだと、どうしたら彼に伝えることが出来るのか。 過去、無理矢理に押さえつけた記憶は、京が"幸せ"を拓也との未来に求めた時から歪みながら膨らみ始め、あの幼なじみの母親が感情のままぶつけた言葉が、無意識下で京を責め続けたに違いない。 どうにかしてそこから京を救い出したい。拓也は切にそう願う。 「・・・京」 もう何度目かになるか数えきれないほどの呼びかけを繰り返す。 不意に握り締めた手から僅かに力が返された。錯覚かと思えるほどの弱い力だったが、確かにその手応えはあった。 「京?」 ゆっくりと開かれてゆく瞼を見て、拓也は嬉しさに涙が滲みそうになる。 「・・・おはよう・・・」 うっすらと開いた瞳に、ニッコリと笑いかけてやる。 「・・・た・くや...さん」 久しぶりに聞く声は哀れなほど擦れていたが、拓也には何よりも嬉しい声だった。 今、病室に自分が居た事に感謝する。 自分がもしここに来なければ、たった一人で目覚めさせてしまったかもしれない。 そんな事にならないで本当によかったと、拓也は心の底からこの巡り合わせに感謝をした。 「・・・拓也さん」 「なに?」 「ごめ・・・なさ・・・」 「そうだね。みんなに謝らなきゃ」 「また・・・迷惑かけた」 「心配したよ」 再び小さく『ごめんなさい』と繰り返し謝まる京に、責めている訳ではないのだと、拓也は優しく髪を撫で微笑んでやる。 「・・・俺・・・まーくんに会いに行ったんだ」 「うん。京が病院から居なくなって、みんなびっくりして探し回った」 拓也は言葉を選びながらも、正直に事実を伝えた。 「あれは本当のことなのかな・・・?」 「・・・?」 「・・・夢と・・・同じだった」 「・・・・・・京?」 「同じ声が・・・したんだ」 京が堪えるように手の甲で額を抑える姿を見て、拓也はこの目覚めなかった数日間、ずっとその夢を見続けていたのだろうかとやりきれなくなる。 「・・・京・・・」 拓也は、その震える身体ごとそっと抱きしめる。 「俺・・・も・・・わか・・んない・・・よ・・・何が、何が」 「京?」 「なんで・・・なんでっ・・・?」 「京・・・大丈夫だから。落ち着いて?」 「・・・駄目だって・・・言うんだ」 「・・・誰が?」 「わかんない・・・あの声なのかな?・・・わかんない。こんなの変だって解ってるのに」 「いいんだよ。全部言って。そして僕にぶつけて。いっしょに考えよう?」 「俺・・・ばかみたいだ」 「京、京・・・自分を責めないで」 「・・・拓也さんの・・・傍に居たい・・・のに・・・駄目・・・なんだ」 京の悲痛を受け止めながら、拓也はある種の驚きを感じていた。。 今まで感情の起伏がほとんど無いといってよかった京が、今見せてるこの姿は、ある意味拓也が知りたいと願っていた、彼の内面の一部なのだ。 状況は何も変っていないのかもしれない。だが、確かに京の中の何かが変わろうとしている。 「駄目じゃないよ?ずっと一緒に居るって約束したろう?」 「ちが・・・う・・・俺・・・は・・・っ」 拓也は何かを堪えるように身を竦める細い身体を強く抱きしめ、京の心を蝕む古い傷が狂暴な刃を剥き出そうとしている予感に身構えた。 |
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********** 互いに伸ばした手が、指先が。 僅かに掠れ触れた瞬間、大きな力がそれを許さないと嘲笑うように、小さな二人を引き剥がした。 必死で叫んだ声は、あの子に届いたのだろうか。 土砂に押しつぶされ気を失った京が目を開き、初めて見たものは、喉から血が出るほど叫び呼んだ友人の顔だった。 あの時離れてしまった手が、皮肉にも今そこにある。 目を開けたまま、何を見ているのだろうまったく動かない友人の顔。 近づくことも許さない、身体の上に圧し掛かる巨大な重さは、痛みよりも何よりも困惑をもたらし、現実というものから京を引き離してゆく。 もがけどもがけど動けなかったのか、それとも身体が既に動かなかったのか、今となっては解らない。 ただ、再び必死で伸べた手は、腕の途中、意としない方へと折れ曲がり、壊れたオモチャのようにだらしなく地面に落ちた。 それはいくら泣いても変ることはなくて。 目の前の友が、すでに「ここに居ない」事を認めてしまえば、京自身もその闇に囚われそうで。 視界を滲ませる涙の理由は、あまり多くの事ではなかっただろう。 何かに囚われたように、必死で友人の名を呼びつづけた。 声が枯れ、文字どおり血を吐いても・・・ただひたすらに。 あの時手が届いていれば、今2人、この痛みと不安の中、共に時間を過ごしたのだろうか。 自分が気を失うことも無ければ、この友人を助けられたのだろうか。 きっと・・・そうに違いない。 誰も居ない暗闇の中、友の名を呼び続ける理由は、いつしか恐怖からの『回避』というエゴへと変わっていった。 彼の死を哀むよりも、現実に己へと圧し掛かる重圧への恐怖が勝る。 この涙は、悼みの涙ではないと、頭の何処かで解っていた。 友人を助けることが出来なかった自分は、罰を受けなくてはならない。 永遠を感じさせる寒く辛い孤独の中、朦朧とする意識を漂わせながら京はそんな事を漠然と理解した。 自分が伸ばした手は、何故もっとしっかりと、この友を掴むことが出来なかったのだろう。 そうすれば、生き死にを分つことなく、同じ運命を辿れたのではなかったのだろうか。 巡るのは逃げられない後悔。 今一人、ここにこうして居るのが辛くて怖くて、京は自分が生きていることを信じたくなかった。 息をしない目の前の友が何故か無性に羨ましくて。 痛みと絶望。そして微かな嫉妬。 確実に消えようとする自分の命。 こんな無情を、恐ろしいほど冷静に受け止めなくてはならない自分を、京は生まれて始めて哀れという感情で捕らえた。 「それから救助されるまでのことは、正直本当に覚えてない」 ぽつりと、申しわけなさそうに京は言った。 気付いたら病院だったのだと。 「病院で目が覚めてからもずっと・・・息も出来ないほど苦しくて痛くて・・・動いても動かなくても、何をどうしても全部が・・・痛くて」 薬を打たれなければ眠れない日々。朦朧とする意識。それら全ては『子供』に無理矢理に恐ろしい夢を見せ続けた。 自分の置かれた世界全てが、痛みか恐怖のどちらかしか存在しなかったのだと京は言う。 恐ろしいほど膨れ上がった、悪夢と幻覚を思い出すのか、京の身体がまるで寒さを堪えるように細かく震え出す。 拓也は細い身体を包み込むように、抱きしめる腕に力を込めてやると、ぎこちなく力の入った京の身体が、か細い息と共に僅かに緩んだ。 拓也はそのまま京の瞼に優しく口接けを落し、辛かったらもう良いとそっと囁いてやる。 だが京はそれを拒否し、落ち着かない気を紛らわすかのように、手に巻かれた包帯を指先でなぞりながら話を続けた。 「でも・・・俺が助かったことを泣いて喜んでいる、母さんや父さんをみると「助かった」ことを純粋に喜ぶ「よい子」を演じている自分に気付いた。 そんなの無理があるよね・・・時間が経てば経つほど、考える時間が出来るほど、何もかもが許せなくなっていって。 ほかにも色々あった・・・多分今思えばマスコミなのかな・・・隙を狙っては写真を撮られたと・・・思う。まったく知らない人が病室に入ってきて、親切な顔で心配そうに色々な事を聞かれた事もあった。答えられないでいると、どうにかして俺を泣かそうとしてね。子供だから・・・さ・・・耐え・・・切れなくて・・・泣く・・・と、なんでか・・・心配してる筈の人の顔が嬉しそうなんだ・・・そしてまた写真を撮られて」 どうしたらいいか解らなかった。と、自嘲を含めた乾いた笑いが京の口から漏れる。 そんな時、幼なじみの母親が絡むあの事件が起った。 「・・・・・・俺、あの人の言葉が辛かった。自分が思っていたことを全て言い当てられてしまった様な気がして・・・」 何を思ったか、不意に京は自分を包み込む優しい腕を解き離し、押し黙ったかと思うと拓也をじっと見つめた。 どこか思いつめたような。そして覚悟を決めたような硬い表情。 「小さい頃は、その気持ちがよく分からなかったけど、今なら解る」 京は、すぅ・・・と息を吸い込み、ゆっくりと吐きだしながら両手で顔を覆った。 しんと静まり返る病室。 その空気の中、拓也は京が無意識に押し込めてきた、本当の理由を語られることをじっと待つ。 長い沈黙だった。 「・・・お・・れは・・・生き・・残ったことを・・・怨んでしまったんだ」 消え入りそうな震える声。 告白。 語尾の震えが、何よりも京の心の負担を物語った。 届かなかった手。そして見続けなくてはならなかった友人の死。助かったことがとても良いとは思えぬほどの痛みと苦しみ。 死んでしまった方が楽だった。 そう行き着いた自分を自覚したとき、別の絶望が京を襲った。 「・・・逃げ・・・たかった」 両手で覆われた隙間から鳴咽を堪えた声が聞こえる。 「何も考えたくないのに、考えるのが止まらなくて・・・。生き残った自分が可哀相だなんて、思った自分がなによりも許せなくて。苦しくて苦しくて。だから生きてるのは『罰』なんだって思った。皆は死んじゃうくらい痛い思いしたのに、俺はそうじゃなかったって・・・だからっ!!」 「京!」 「苦しいのが、なんでだか全然解らなくて・・・俺が一体なにをしたんだって・・・・・・何もかも怨んでっ!!」 語尾は興奮の為か悲痛を響きを含んだ叫びと変る。 拓也はそれを全て受け入れようと腕を伸ばすが、必死で細い身体がそれを拒否した。 「・・・本当はね、俺・・・・・・・・・自分を殺したかった・・・でも死にかたも解らなくて・・・」 「・・・」 「だから・・・結局、色々な生きる為の『理由』を・・・作って誤魔化したんだと思う・・・」 「京・・・」 「そして、都合よく忘れた・・・。『生きなきゃならない』なんて思い込むことで、全てを忘れた。―――どうすれば死ねるなんて、もう知ってるのに。そうしなくちゃいけないのにっ!肝心の理由を・・・忘れていた・・・」 「京!」 「だから・・・だから・・・俺は・・・ここに居ちゃいけないんだ」 「まって、京。お願いだから落ち着いて」 「こんなんだよ・・・俺って・・・全部思い出して"出てきた"俺は・・・最低の人間だ。こんなのが解って・・・俺、拓也さんの傍には居られない」 「だからあの時・・・僕から離れようとしたの?」 「違う・・・・・・あの時は・・・違う理由だったけど、でも・・・・・もしかしたら頭のどこかで解ってたのかもしれない」 「京。一ついい?京が思ってしまった事。それは・・・きっとそういう辛い目に遭ったら誰もが思ってしまうことかもしれないよ?」 「ちがう・・・」 「誰もそんなに強くない」 「でも・・・俺は・・・」 「僕は京と離れる気はないよ」 「・・・っ!」 「あのね、京・・・僕のこと好き?」 「・・・」 「ね?好き?」 京は拓也に顔を覆った両手を静かに外され、病み疲れた細い顎をそっと彼へと向けられる。 恐る恐る京の瞳が拓也へ向けられた瞬間、これほどかと思える艶やかな笑顔が目の前で優しく綻んだ。 「・・・す・・き」 この瞳を前にして、嘘など吐けなかった。 「僕もね、京が好き。愛してる。誰よりも何よりも」 「・・・」 「京を許さないのは誰でもない『京』なんだね・・・」 「・・・」 「なら・・・僕は京の全部を許したい。誰が何を言っても、京が京を許さなくても僕が全部許したいんだ」 「・・・ゆる・・す?」 「そう。この世の中の誰もが敵に回っても、僕だけは京を想って京の為だけに生きる」 「なん・・・で?」 「言ったでしょう?『愛してる』って」 「・・・」 「京・・・話してくれてありがとう。忘れてた事、無理矢理思い出させてしまったね」 癖の無い京の髪をそっと撫でながら、拓也は自分の額を京のそれ近づけた。 「もう・・・忘れることなんか出来ないね。ごめん。だからこの記憶は一緒に持っていよう?・・・京の辛い事を知る事が出来て、実は僕は少し嬉しい。だって、もう京を一人にしないで済むだろう?」 一度離れた体をまた引き寄せ、今度こそ離れないよう抱きしめる。 「ねぇ、京。何を言っても今は駄目かもしれないけど。僕はねこの話を聞いて先ず最初に『京が助かってよかった』って本当に思った。だからね、自分が生きてることが不安になったら、僕の為に生きるっていうのは駄目だろうか?」 「拓也・さ・・んの為に?」 「そう。僕の為。僕の幸せは京が傍に居ることだって忘れないで欲しい」 「俺・・が?」 「愛してるんだ・・・京」 真摯に繰り返されるその囁きに京の眦から涙が零れる。拓也のシャツに京の細い指が縋り、ゆっくりと力が込められてゆく。 「拓也・・・さ・・・」 他人に壊されてしまった小さな京を、拓也はようやくみつけ、そしてその手に捕まえた。 |
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