意識的引用その1(比喩・説明として)

 マザーグースがその場面の状況を端的に説明するために用いられることも多い。映画タイトルなどは、顕著な例であろう。共通知識であるマザーグースを用いることによって、映画の内容やその場の状況を生き生きと伝えることができる。

 児童文学においても、その場の状況や様子をマザーグースを使って説明することが多々あるようだ。 

(6)ハンプティ・ダンプティそっくりのドリトル先生 

 ヒュー・ロフティングの『ドリトル先生』シリーズは、井伏鱒二の名訳で我が国に紹介され、今も多くの子供たちに愛されている。この本を読んで、イギリスや英語に興味を持った子供も多かっただろう。

 このシリーズでは、マザーグースが3篇引用されているが、その第4話、『ドリトル先生のサーカス』に、'Humpty Dumpty' が引用されている。

 ドリトル先生は、アフリカ旅行の借金を返すため、頭が二つあるオシツオサレツ(pushmi-pullyu)という動物を連れてサーカス団に入ることにした。客寄せをしていたサーカス団の団長は、ドリトル先生を見て、こう言う。

 "And this, Ladies and Genlemen, is the original Humpty-Dumpty- the one what gave the king's men so much trouble. Pay your money and come in! Walk up and see 'im fall off the wall!"

 「さて、紳士淑女諸君、この人物は、ほんもののズングリムックリ・デッカクであります。--王さまのおそばの人たちを、さんざんこまらせた人物であることは、ご承知でもありましょう。木戸銭を払って、おはいりなさい! さあ、いらっしゃい、こやつが壁から落ちるのをごらんください!」(井伏鱒二訳)

 

 団長とドリトル先生は、この場面が初対面なのだが、丸々とした風貌の先生は、ハンプティ・ダンプティそっくり。団長は、唄のパロディを客寄せの口上に即興で加えたのであった。

 昭和37年当時は、まだハンプティ・ダンプティも、日本では知名度が低かったのだろう。井伏鱒二も、現在なら、「ズングリムックリ・デッカク」ではなく、「ほんもののハンプティ・ダンプティであります」と訳したのではないだろうか。

 

  さて、サーカス団に加わった先生は、泣いてばかりいるオットセイのソフィーと知り合う。ソフィーは、海に残してきた夫のもとへ帰りたい、と先生に訴える。ソフィーを海に放すために、サーカスの塀を乗り越えて逃げ出す場面を見てみよう。

 

 Then John Dolittle, perched astride the top of the wall ( looking exactly like Humpty Dumpty), whispered down into the dark passage below him:

 ドリトル先生は塀の上に馬乗りになったまま(そのかっこうは、まるでズングリムックリ・デッカクでした。)下の暗い路地にむかって、小さな声でいいました。(井伏鱒二訳)ドリトル先生とソフィー

 

 小太りのドリトル先生が、高い塀の上にまたがっている、という光景は、Humty Dumpty の唄そのもの。幸い、ドリトル先生は落ちることなく、無事に塀から降り、ソフィーを海に帰すことができた。 

  ハンプティのイメージは、「丸々とした人や頭」「非常に危なっかしい状態」「もとに戻せない状態」であるが、最初の例では「丸々とした」ドリトル先生の風貌をマザーグースの唄を使って説明しており、あとの例では「塀にまたがった危なっかしい状態」をハンプティ・ダンプティに例えている。どちらも、比喩のために作者がマザーグースを意識的に引用した例である。