自宅 〜 山頂まで

2004年7月17日(土)深夜...
PCを前に父親は悩みに悩んでいた。
画面上にはいくつもの天気予報サイトが映し出されていたが,
そのどれも翌日の天候の不安定を予想していたからだ。
前日の富士山頂は未明に20m近い風が吹いており,山頂で
これをくらったら,息子はたまらないだろう。
しかし,この期を逃して一緒に行ける日があるとも限らない...

しばらく待ち,次の最新予報を調べていくうちに,ようやく梅雨前線が
太平洋高気圧に押し上げられて天候は安定に向かうとの予報を掲載する
サイトが現れ始めた。
しかし,そのサイトの12時間後までの降雨予報図を見ると,どうしても
富士山のあたりの雲が切れない。
ただし,24時間後の予想天気図では,梅雨前線は蹴散らされ,東西に
分断されているという,景気のいい様子である。
困ったものであるが,実際に登山を開始するのが12時間後で,山頂到着が
約18時間後であることを考えると,その頃には梅雨前線の分断が始まっている
可能性も高いと考え,とにかく五合目まで行き,その時に登山結構の決断を
することにして,翌日に備え早々に寝ることにした。(7月18日01:30頃の話)

翌朝,いつもの癖で05:30頃に目を覚ましてしまう。
出発9:00過ぎだから,まだ寝てようかとも思ったが,昨晩の天気予報が気に
なって6:30頃には起きて,再度PCの前に...と,そこで驚いた。
いつもなら激しく起こさないと起きない息子がすでに起きて部屋にいるではないか。
聞くところによると,「早く目が覚めたので」とのことだったが,よく言えば遠足前の興奮,
悪くいえば登山前の緊張が原因だろう。
でも,夜中はしっかり寝ていたようなので,睡眠不足にはならないだろうし,
今回の行程では道中の乗り物での睡眠可能時間も多いので問題ないだろう。

それよりも気になるのはやはり富士山の天気。
夜が明けたので,ライブカメラで富士山の生の映像を確認することにした。
おや,結構姿が見えているではないか..
静岡県東部も暑くなりそうな陽気だし..
しかし,頂上付近に目をやると,やはりかかっていました,「笠雲」が。
『笠雲』は,古来より,後に天気が崩れる可能性が高いというお天気の指標に
される有名な雲である。
もう少し調べてみたところ,「笠雲」にも種類があって,「雨になる笠雲」「風になる笠雲」など
色々があるらしいが,不定形の雲だけあって,ぴったりと一致するものはわからない。
どうも雨の笠雲に似ている気がする。
やはり,晴れるとの確信は持てないが,せっかくの機会だし行けるところまで行ってみようと,
いつもの楽観が頭をもたげだした。
(今回は,装備に暴雨/防寒に最大限の準備をしていた事実の後押しがあった点は明記しておく。
 ただの適当ではないのである。念のため)

そうこうしているうちに,出発時間も近づき,お手製の持ち物チェックリストで最後に詰めるものを
確認する。(冷蔵庫でカチカチに冷やしたおにぎりや水などの生ものが主)
真夏に着る服装とは思えない格好に着替えた二人は,テーブルに仲良く並んでちょっと多めの
朝食を摂り,残る家族に見送られながら,9:00頃 自宅を出発。
この自宅から最寄り駅までの10分強の時間さえクリアすれば,あとは涼しい環境がほとんどなので,
変に汗をかかないように注意してとにかく駅へ向かう。

幸いにも地下鉄で着座することもでき,ほっと一安心だったが,街中で持つには非常識な大きさの
リュックの取り扱いには,やはり閉口した。
(今回は,多めの荷物を持つため,,ドイツ・ドイター社製42Lサイズのリュックを新調したのだった。
 ほとんどが防寒具で占められ,重さも10kgを超えている。色も黄色ベースで目立ってしょうがなかった)

久しぶりの二人旅で話題が尽きないのに助けられ,スイスイと東京駅に到着。
ただ,あんまり順調に進みすぎて,乗る予定の「こだま」の発車時刻の1時間前に着いてしまった。
こうなると,男二人だと暇をもてあましてしまうかと思いきや,息子の方からファーストフード店で
ジュースでも飲んで待とうと提案され,結構つきることのない話であっという間に時間が過ぎて
しまったのには少々意外な気がした。

実のところ,この時は,妙に細かい,それも親父が興味を持っている
のかどうかわからないような話題でさえも,せっせと振ってきて
いる気がして,適当に相手をしていた感がある。
実は,父親の方は,前日夜まで続いた仕事の対応,この後の天候
の心配,その他諸々など,結構胸の中が一杯一杯だったところも
あり,なんとなく無愛想というかふさぎ気味だったのかもしれず,
そんな感じを察知した息子の精一杯の場の盛り上げの努力だった
かもしれないと思うと,なんだかとても申し訳ない気がした。
このため,新幹線で仮眠をとってからは,富士山と息子のこと
だけを考えて行動し,己が心の重りを払拭しようと努力した。


10:43 東京発の「こだま443号名古屋行き」に乗り込み,それぞ好きなことで時間をつぶす。
(父は昼寝,息子は読書?)
1時間強で新富士駅に到着。
父は,蒸し暑さと夏特有の雲に隠れた富士山を眺めながら,昨年,一人でこの場所に立った時の
期待と不安の混じった想いを思い出していた。

 ← バスを待つの図。橙色のが新調したドイターリュック。
                        こう見ると,さほど大きくは見えないのだが...


昨年同様に,お得なセット券(帰りの経路が自由に選べる登山バス往復割引券)を購入し,
早めにやってきたバスに早々に乗り込んで席を確保する。
半分位埋まった状態で,13:30 新富士駅発。
昨年はすぐに渋滞につかまったのだが,今年はスイスイ進み,すぐにJR富士宮駅着。
ここでも少人数が乗り込み,結局,7割程度の着座率で富士五合目に向けて出発。
(予想通り,少なかった)

昨年も車窓から見た浅間神社を横目で見ながら,
「このコースで登ると,登山前の安全祈願ができないね」
などと息子と話していると,その神社のはずれで突然バスが停車。
運転手さんいわく,
「これから10分ほど止まりますので,お参りしたい人は走った方がいいです」
とのこと。
突然のことで,一瞬躊躇したが,この期を逃さじとバスから飛び降り,本堂を探しながら
多国籍の老若男女が走りまわる。
まるで,ウルトラクイズのような様で,神社内を右往左往する。
無事に本堂(工事中で賽銭箱しかなかった気がする)でお参りをすませ,きれいな湧水池を
眺めながら,バスに戻り乗客全員で顔を確認し合い,最後に戻ってきた外人さんを
待って再出発。(すっかりツアーバスと化していた)

 ← 浅間神社 湧水池の清らかな水。本当にきれいだった。

スバルラインが混んでいるからと,手前のキャンプ場でトイレ休憩を挟み,スバルラインへの分岐へ。

ここで,なんだか車がごった返しているのを目撃。
分岐にあるバス停からもさらに人が乗ってきた。
分岐部分をよく見ると,自家用車が警官にことごとく追い返されている様子。
「もしや,何か事故でもあって通行止めか?」と,正直冷や冷やしたが,バスは無事通過。
どうも,五合目からかなり下まで路上駐車があり,上りはバスだけに限定し(タクシーも?),
下りの車と上手く行き違いをさせるために,新たな進入車をシャットアウトした模様。
運転手さんからも,「今日,バスに乗っていらっしゃる方は正解です」とのアナウンスあり。

しかし,お盆以外にも,五合目までの通行規制があるとは知らなかった。
この通行規制が功を奏してか,かなり見込まれるとアナウンスのあった,到着時刻遅延も
たった8分で済み,14:53 富士宮口新五合目に無事到着。

3年ぶりにこの地へ立った息子は,3年前の哀れな敗退を懐かしげに語ってくれた。 < ..省略 ..>

予定通り,1時間の体慣らしをすべく食堂へ行き,カレー&ゆで卵をのんびりと食す。
(ゆで卵を付けたのは息子のアイデア。なかなか美味しかった)

 ← 美味い卵を最後に食っているの図

下山してきて休憩されている方々をちょっとうらやましい気分で眺めながらも,最終装備チェックを
念入りに行い,
16:10 五合目出発。(2385m 757hPa )

この夕刻のスタートを,連れと一緒に行えるのは初めてだったので,かなりうれしく,心強く思えたものである。

まずは,バイオトイレで用を足し(お金:100円/回もちゃんと募金し),いざ六合目に向けて出発。


途中,前を歩く中国(韓国?)の家族連れがいたが,半そで/タンクトップ+ぞうりのような
海岸的服装でのんびり登っている。
こちらもペースを抑えていたのでほとんど並んで歩いていた。
まさか,このままの格好でこの時間から山頂を目指すとは思わないが,観光としてもどこまで
登る気なのかがかなり気になった。
その御一行の長男的子供が,石を投げて登山道脇の岩を崩そうとしていた。
富士山では,小石ひとつ転がしても,結果的に大きな岩なだれになりかねないので,
下山者もそれとなく「石投げたら危ないぞ〜」と言いながら通りすぎていくが,多分言葉が
わかっていない様子。

このまま,結構上まで登られて,本当に岩なだれを起こされたらたまったもんじゃないので,
たまりかねて強制執行に打って出た。
(強行執行:その子の肩をパンパンとたたき,『だめだめ』とボディーランゲージ。一応通じたようだった)

多くの下山者とすれ違いながら,
16:30六合目 雲海荘/宝永山荘着 (2515m 746hPa)

 ← 雲海荘前ベンチで小休止の図

まだ,明るいせいかまだまだ下山者も多かった。
小休止で息を整え,これからの登りに備え,いざ出発。
16:42 六合目 雲海荘/宝永山荘発

宝永火山火口方面に行く登山道を右下に見ながら,きつくなってくる砂礫の道をゆっくり登り始める。
先ほどの石投げ親子達もまだ先に向かったようなのだが,姿が見えない。どこまでいくのだろう??

途中,ものすごい勢いで我々,いや周囲の人を追い抜いていく少女(せいぜい,小2〜3くらい?)が
いて,てっきり先に行ってしまった家族を追いかけているのか,あんまり遅い家族に見切りをつけて,
先に歩き出してしまったんだろうと考えていたが,今度はその子がものすごい勢いで下ってくるのに
出くわした。
「あれれ??」と思い,もしや家族を見失って探しまくっているのではないかという心配もしたが,
それにしては,どうも深刻な顔をしている訳でもなく,どちらかといえば,トレーニング中と言った感じ。
息子と,その少女の境遇を色々好き勝手に想像して盛り上がっていると,再度,その子が追い抜いて
登っていくではないか?

なんだか,わけがわからずに歩を進めていると,またまた,下ってくる少女とすれ違う。

今度は,やや冷静な,普通の下山者然とした雰囲気だったので,それを見送った後の息子の結論は,
「どこかの小屋に住む少女が,トレーニングをしている」
というものだった。(住み込んで小屋経営をしている一家は存在する)
ちょっとひっかかるものもあったが,他によい答えも見つからないので,とりあえずそれを採用して,
先に進むことにした。
(この後は,もう姿を見ることもなかったが,なんとも不思議な少女であった)


17:40 新七合目 御来光山荘着 (2790m 720hPa)

時折吹いてくる風が体を冷やし始めたので,雨具の上着を着用して,
ゆっくりと歩を進めた。

18:50 元祖七合目 山口山荘着 (3010m 700hPa)  



これらが,登山者に評判の悪い,『七合目続き』
でも,3つ目の休憩ポイントだと考えると,まあまあいい場所に位置しているとは思える。
「七合目」が続くからがっくりくると言われるが,それだったら河口湖口でも同じようなものだし,
目くじらたてて怒ることもないと思えるのだが。

このあたりで,そろそろ歩行に差し障りがでてきそうな暗さになってきたので,ヘッドライトを装着する。
今年は,息子のために新しいヘッドライトを購入したが,実際に着けさせてみると,やや重いとの
ことだったので,これまでの父親の夜間登山を支え続けた軽量版ヘッドライトを息子に貸し,
父親が新しいライトを使うことにした。 (実はちょっと使ってみたかったりしたのだが)

初めてのヘッドライトによる夜間登山で,速度も落ちてしまうかと思ったが,このギミックが面白かった
らしく,喜んで登ってくる。
さすがに,周囲が真っ暗になり,ヘッドライト以外に何も明かりがなくなってしまうと,先のルート読みに
苦労しだしたようだが,これも経験である。

なぁ,息子よ,
父が初めて登頂した際も一人ぼっちの夜間登山だったんだけど,
今回みたいなLEDライトではなく,ホームセンターで800円くらいで
買った変な形のライト(一応頭には付けられたが)で,電池切れを
心配しながら,冷や冷やもので登ったんだよ。
雨の中,道もよくわからないし,寂しいし,寒いしで,大変だったんだよ。
(好き好んでやってたんではあるけれど...)


このあたりでは,風も穏やかで,街明かりもきれいに見え,絶好の夜間登山環境ではあった。

19:58 八合目池田館着 (3250m 684hPa)
20:12 発


このあたりで,上を見上げると,なんとなく山頂っぽい影が見える気がしたので,
「(多分)あれが山頂の手前の小屋だ。」などと説明しながら,じわじわと登り続ける。

大体のペースは,父親が20〜30m先行し,息子を待つというパターンで息子の自主性を
尊重した歩きだった。
もちろん,夜間でもあるので,危険そうな箇所を先行して見極めるという,最大限安全に配慮した
行程であるのはいうまでもない。(先に行って待っているのも,体が冷えて結構つらかったのだ)

 ← 息子,一人暗闇を登ってくるの図

21:05 九合目萬年雪山荘着 (3430m 664hPa)
21:13 発


このあたりから二人とも結構きついと感じ出しており,
「少し上に見える影が,頂上付近に違いない」と慰め合いながら,
正直,ヒーヒー言いながら登っていき,何か不自然な階段を登り
きったところ,目前に現れたのが,なんと,

九合五勺胸突き山荘 

九合目の次は山頂だといい続けて登ってきた身には,この「五勺」の文字が堪えた。
(父親もこの存在をすっかり忘れていた)
 
↑ この時の息子の顔ったら.....実は父の方もかなりきつかったのだが...



疲れと驚き,落胆で,到着時刻を見るのさえ忘れていた。

ここで,もう1枚防寒具(薄いフリース:ユニクロ製)を息子の雨具の下に与え,
まさに励ましあいながら。なんとか上を目指した。

この後は,荷物も重く,本当につらかった。
何度も同じところを歩いているかのような錯覚に陥るし,あせって先行しすぎた父親に置いて
行かれた息子が,ひどく心細かったという場面もあったらしい。
(急峻な地形なので,少し離れると相手の姿が見えなくなるのだ)

だんだん風も強く冷たくなってきて,いよいよあせりながら,
「今度こそ,山頂手前の石段?」「違った,がっくり」を
3度ほど繰り返した挙句,ようやくの思いで山頂の看板を視認した
時には,すでに二人ともヘトヘトだった。

 ← 山頂の鳥居。名物の看板がストロボに反射して光っている

山頂の看板でお約束の写真撮影をしたが,その頃には,山頂付近は
濃霧と強風に襲われ始めていたのだった。

23:10 山頂着 

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