第十七章 2006年 ///////2005年へ ///2004年へ
           ● 17-1 

2005年の結末

 12月は多摩湖3回、青梅〜日の出町の峠に1回、あとはローラー3回のみ。さすがに忙しく、走行263kmに終わる。


帰り際に携帯で撮影。奥の蔵は四方の壁に美しいバイク
やフレームが並べられ真ん中に木の大きいテーブルと椅子、
落ち着いた照明に60年代のマイルス・デイビスが静かに
流れていてカフェの趣き。

 12月半ばからの<麗蘭>ツアーの終盤、27日に京都で1日休みがあったのでかねてから興味のあった、大阪池田市の<アトリエ・ドゥ・キャファ>を訪問。オーナー辻本誠氏はその独自で先駆的な理論で知られた人物である。提唱しているショート・クランクが今回のテーマ。ホテルに地図をFaxしてもらい、阪急電鉄石橋駅から10分ほどの住宅地にある、ご覧のように蔵を改造したと思われる工房・ショップに到着したのが2時。和歌山からのトライアスリートのオーダーバイクの為の採寸・打ち合わせが延びていたがいろいろ説明を横で聞いていると勉強になる。さて、俺の番だ。ズボンを脱いでベンチに横になり大腿骨長をポイントを確認しながら測定してこれを基に適性長を割り出す。簡単に書くと、欧米人に比べ大腿骨の短い我々が彼等と同じクランクでは脚が上に来た時に角度が狭過ぎて運動効率が悪いということである。我輩の大腿骨は平均かやや長めということだったが適正クランク長は153〜158mmという診断。これは面白い。俺はSilkピストに167.5mm、Amanda20インチに165mmを使ってはいるがロードは日本人として一般的な170mm。ようやく最近シマノでも上級クラスで短いクランクを出し始めたがそれも165mmまでだ。ここまで短いと単純に考えればテコの原理で重いギアはきつくて踏めなくなりそうだ。しかしいままでのデータによれば大抵の人は走りが良くなるという。劇的にアップする場合もあればある程度時間を要する場合もあり、中には試行錯誤しつつ向上し更に短いものにトライする人もいるということだが稀に向かない人もいるそうだ。財政に余裕があれば165mmあたりから段階的に短いものに替えて行くのがいいのだろうが、ここは「158mmが良ければ<もっといいんじゃないか>と絶対153mmを試したくなる」という辻本氏の意見と在庫の関係で一挙に153mmを購入することにした。そのあとはフレームやホイールについてなど、造詣の深い話をしていただき結局3時間近くお邪魔してしまった。さあこれで06年は一花咲かせられるか!?


   1月
 朝帰りの元旦は自転車とは無縁に終わり、2日に懸案のショートクランクをPinarelloに取り付け作業をする。ギア面の位置が僅かに内側にずれフロントディレイラーの調整もやり直し。そして3日、初乗りはカオスの恒例・初詣ランだ。冬期集合時間の10時に清瀬に行くといつものメンバーは2、3名で顔見せだけですぐ帰ってしまい残ったのは平坦路の猛者のみ。島さんをカシラに亀岡氏、吉川(弟)君の3名だ。とほほ、新クランクのテスト走行どころではない。「今日は回転トレーニングだからな。バトルはなしだよ!」と島さん、「嘘ばっか」とは我が心の声。浦和所沢バイパスから富士見有料道路に入ってからは俺にしてみればバトル寸前、途中の料金所手前などでは見事においてきぼり。そのあといつものように川越・喜多院に初詣に回るがあまりの人出に中止し、16号から荒川自転車道に入り北上、しかしよろけるような強い向い風でまたしても遅れる。桶川(正確には比企郡川島町)のホンダの飛行場の先まで行って引き返し指扇のイタリアン・レストランで昼食、食後はさすがにゆったりペースで荒川を南下、再び浦和所沢バイパスに出て所沢方面へ向かう。これがまた向い風で、川越街道を左折する皆と別れてからは一層強風となり上りでは歩道をよろよろという有り様でヒザは痛み出すし8月に骨折した左腕関節も路面の振動が応え始めヘロヘロで帰り着く。86km。降りると左膝痛でまともに歩けず左腕を曲げても全く肩に届かない。もう平坦基調はイヤじゃあ!!峠なら下りがあるが平坦はずっとこいでなきゃならんしポジションもあまり変化しないからリハビリ中の腕への負担も大きい。・・・という散々な初乗り。だが12月殆ど乗れなかったのになんとか島一派のドンケツを走れたのはショートクランクのお陰だろうか。

 しかしこれを書いているのはすでに3月末。どうしてもたまりにたまってズルズル遅れて行くので気軽に書けるブログと並行しようと思い立った。
どうなることやら。

<晴走雨奏> http://hayatake.at.webry.info/ です。よろしく。