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第十五章 2004年
           ● 15-1 

2004年前期

 昨年11月の武尊ヒルクライム大会以来の大々久しぶりの更新。こんなにレースに出ていないのはロードバイクに乗り始めてから初めてのことである。何せ乗り始め2ヶ月半で国内屈指のハードコースと言われる日本CSCでレースデビューしてしまったのだから。そのレース、4月あたまの<チャレンジ・ロード>を毎年の初戦にしていたが今年は自分のバンドのアルバム発売記念ツアーと重なり、更にその2週間後の、これも可能な限り毎年参戦の<ツール・ド・草津>が沖縄での仕事とぶつかり、15%の激坂が俺を呼んでいる6月の<ツール・ド・美ヶ原>も5〜6月が余りに乗り込めないので勇気ある撤退。今の所目標は8月末の乗鞍ヒルクライムのみである。レースから遠ざかっていると言っても熱がさめている訳ではないから乗れるときにはちゃんとゼーゼーハーハーやっておる。しかし1回の距離が様々な理由をこじつけて短くなってしまっているのは紛れもない事実。これでは乗鞍が・・・。でもこれから益々暑くなるからトレーニングも身体に悪そう。練習後のビールばかり増えそうな予感もある。という具合なので本年前期は練習、ツーリングなどをかいつまんで書くしかないかな。

 1月は走行260kmに終わる。多摩湖3回、カオスのクラブランが2回、ローラー3回。
言い訳:月前半の自分のバンドの新作の編集作業で精神的に疲れた。
 2月は更に減って僅か170km。多摩湖1回、小沢峠〜山王峠1回、所沢・杉並往復1回、ローラー2回。
言い訳:仕事がちょっと忙しかった。寒かった。
 3月も大して変わらぬ210km。多摩湖3回、秋川・日の出方面1回、ローラー2回。
言い訳:上旬は暇だったのだが11〜31日まで休みが1日しか無かった。
 しかし夜ライブがあった28日は朝小沢峠を目指して走っていたところ途中で強豪パインヒルズの4人組に遭遇、秋川〜日の出〜青梅の俺の知らないルートを行くというのでくっついていく。3〜4kmのきつい上りが2回あったがかろうじて3番手で行けた。これだけ乗っていない割りにはまあまあか。しかし帰りは脱落気味、前の二人は全く見えなくなってしまった。55km。
 4月はまるでダメ。半ばまでは全く乗れず12日に仕事のついでに車にカレラを積んで行って相模湖近辺で上り下り20km、20日に前述秋川方面コース、29日小沢峠。この3回のみで135km。
言い訳:自分のバンドのツアー、麗蘭のレコーディングと京都でのライブ、沖縄、KIKI Band ツアーなどがあった。

 5月はようやくまともに 515km 走行。多摩湖6回、小沢峠1回、山王峠近辺1回、ローラー5回、そして20日いぬふぐり<ツール・ド・南大門>があった。
ツール・ド・南大門:いつから始まったか定かではないが、いぬふぐり合宿の本拠地の蓼科高原の会長の別荘にトレーニングやレースのため滞在すると必ず宴会を繰り広げる諏訪湖畔の焼肉屋「南大門」をゴール地点とするイベント。最近の傾向では会長、タダシが車、タマさんのみ韮崎から国道20号の東側を平行に北上する七里岩ラインで須玉、長坂を抜け、小淵沢からも広域農道などの裏道で原村を通り299号で蓼科に上るというルートだという。時にはタマさんだけ夜明け前に自走で出発することもあるらしい。19日会長のバンド緑化計画のライブで「明日行く」と聞いたので即決「俺も行くぞ」。しかし台風が近付いていて天気がひどそうだ。しかし会長は「あっちの方は大丈夫だ」と自信たっぷり。
 翌朝起きると小雨でめげそうになるがピナレロを車に積んで8時過ぎ玉川サイクルへ。タマさんは雨の中明け方自転車で出たという。ピナレロをタダシのインプレッサに移し、俺は会長の新車フォード・フォーカスのマニュアル6速・純正走り屋仕様の助手席レカロ製シートに身を沈め出発。しかしここまで通勤渋滞を乗り越え来たのにまたウチの方向に戻って行くではないか。東村山浄水場の裏を通り過ぎたときの空しさ。家を出てから既に2時間だがここまで直接自転車で来れば15分だ。次はもっと良く考え、着替え等を事前に預けておこう。途中タマさんから電話が入る。雨にめげたのか、何と三鷹から韮崎の一つ手前の竜王まで輪行したと言う、9時半。こちらはまだ昭島あたりだ。会長が「早すぎるよ、早川だって走るんだからなんとか時間をつぶせ」と命令。
 八王子から中央高速に乗り韮崎でピナレロにまたがったのは11時近くだ。しかしタマさんは会長命令に背き俺を待たずにとっくに走り出していてどこかのコンビニでカツ重なんか食っているらしい。おのれ〜、1時間以上のリードだ。それにサイクリストにあるまじき脂たっぷりの食事。見くびったな、よおし、と気合いを入れ出発。雨は殆ど気にならず半袖短パンレーサーウェア、サポートカー付きなので余計な荷物は無しで七里岩ラインいきなりの急勾配もものともせず快調に走り出す。サポートカー付きとなるとここのところ毎日放送を見ているジロ・デ・イタリアの選手たちのように腕も脚もひとまわり長くなったような気分で、森幸春師匠御墨付きの美しい私のフォームがますます輝く。30分も経たない頃、後になり先になりしていた会長が「200mで左に曲って線路を越えるから」と声をかけ走り去った。ところが先にそんな道はない。500mばかり走って「ひょっとして右に入ってから立体交差で左方向に行く道があったのかも」と引き返すがそんな様子もない。また戻って止まっていた営業車の人に道を訊くが地図を二人で見ても線路を越えるような道は長坂まで行かないと無い。仕方なくまた走り出すがすぐに左に曲る新しい道があった。こりゃ出来立てなんで地図に出ていなかったんだな、と合点して左折、ところが暫く走ると広かった道幅が狭まり上り坂になったあげく突き当たって左右に分かれているではないか。ええい、と右を選び鬱蒼とした林の中を走る。気が付くと線路を橋で越えた。やっぱりこれで良かったのかと安心したのもつかの間、急勾配をくねくね下って行くとまた突き当たりだ。またしても右を選ぶがどう考えてもおかしい。雨はひどくなってくる。半袖短パン、カッパもカネも携帯も車の中だ。工具類もないのでこんなところでパンクしたら遭難〜凍死・・・。こんなに下ったのに、と情けない気分で引き返すことにする。とほほ。また七里岩ラインに戻って、この先俺はどうなるんだろうかと思いつつ懸命に雨の中をひた走る。やがて捜索に行きつ戻りつしてくれていたタダシのインプレッサに発見され安堵。やがて長坂、道路は道なりに左カーブして線路を越えるではないか!あんな説明されなけりゃわざわざ左折なんかしなかったのに。しかも「200mで左」の前に「コンビニの先」と言っていたのが聞き取れなかったのだ。左ハンドルにしてくれ!その後会長車とも合流して先を急ぐ。原村近辺の広域農道では会長車が前で風避けになってくれて助かったがもう少し車間を詰めたいのに新車に追突されるのが怖いのか詰めさせてくれない。やがて長めの上りの先に自転車が見えた。だが黒っぽいカッパの上下に銀色のゴム長、あれはここいらの農家の人だろうと迫っていくと果たしてタマさんであった。ゴム長に見えたのはナイロンのバイクカバーを縫製して自作した自慢の完全防水シューズカバー。俺の格好を見て「寒くないの?」と驚かれるが波乱万丈だったのでそれどころではない。そのままのペースで颯爽と先行する。暫くして対向車がわき見運転で畑に突っ込んだ現場に遭遇、というかまさに目の前で起きた事故だったのだが俺は数十メートル先の会長の車の後ろ姿しか見ずに走っていたので会長が止まるまで気が付かなかった。こちら側に突っ込まれていたら俺は死んでたかもな。前輪のバーストした4駆を、動転している運転者のおばさんに替わって会長が畑から出しているうちにタマ・タダシも追い付いてきた。その処理後はタマさんと一緒に麦草峠に向かう。この中腹に別荘があるわけだがここからがきついのだ。なんでプロでもないのに台風の中もう70kmもこんなつらい思いをして走っているのだ?ここからはもう脚が動かない。腿が痙攣しはじめやがてふくらはぎまでダメになってきた。会長はとっとと行ってしまったが、見守ってくれているタダシの車に乗せてもらいたいところ。しかしワカモノの範たる我々いぬふぐりの2大エースの一人がここで匙を投げてしまってはいけない。と、もうへろへろのがたがたでなんとか別荘に到着。途中ウィンドブレーカは車から受け取っていたものの冷えきった身体は熱い湯に浸かっても戻らない。やっぱり南大門で飲まなきゃ凍死だ!!という訳でタダシのガチガチ・サスペンションにチューンされた轟音インプレッサ・セダンに乗り込み40分の道のり、「むち打ちになる」「腰に響く」だの文句を言っていたのにタマさんも俺もいつしか寝こけて到着。ホルモンにセンマイにカクテキに焼酎にその他いろいろ。夜も別荘で、もう覚えていないけどなんか鍋を食って飲んだな。朝食で「残してもしようがないから」とビール。6:45だってのに。ああ、これはトレーニングになったのでしょうか?

 6月は何とか10回乗ったけれど364km。24日には私の特訓コース、飯能の某所行き止まり5km激上りへタマさんを案内。自転車バラシ中というのでウチまで車で来てもらいCarreraを貸与、俺はピナレロで10時半頃出発。暑い。結局6月は真夏日が8日もあったというがこの日もそうだった。家から20km約45分でその上り口に入り気分も新たに踏み出したらなんと腹筋がつってしまう。ここまでは3つほど短い上りがあっただけだが張り切りすぎたか。いやこの暑さで水分が足りないのか。ああ、一昨日久し振りに家で筋トレをしたせいだ、しまった。しかし、以下タマさんのページから盗用。<凡そ5kmの登りで大きく引き離されてしまったのは早川様から自転車を借りた手前勝つ訳には・・・・などと言う事では決してありません。完敗でした。>
上でひと休みしてから中間地点まで下って勾配のきつい後半をもう一度上ってから帰る。55km。もう暑くてへとへとだったがやはりタマさんは持久力がある。帰路俺ほどはペースダウンしてなかったし俺がシャワーを浴びている間にカレラを磨いておいてくれた。うどん屋で食事してタマさんが帰ってから、走っている間は大丈夫だったのに夕方になって突然脚があちこちツリまくり断続的に1時間半ものたうっていた。

頂上で小休止。疲労のあまり無気味な笑顔で
ゼリー飲料を摂取するタマさん。

これがキツイんだわ、写真だと分からんけど。
下りの途中で撮影のため上り直し。


         ● 15-2 

7月

 猛暑、猛暑。7月は上旬に1週間のツアーがあったものの何とか13回、530km乗った。相変わらずの多摩湖と小沢峠、山王峠だ。そんな中、30日に苗場を走った。スキー場で開かれる大イベント<フジロック・フェスティバル>に出演のため出番前夜の29日深夜に現地入り。結局ホテルの部屋で4時まで飲んでしまったが機材バスにPinarello を積んで来た手前、10時過ぎから走る。行き当たりばったりで取りあえず苗場から17号を北上するが、頻繁に現れるトンネルの狭さと左端の荒れた路面、車に嫌気がさし、15km走って三俣というところから山の方に左折、苗場山登山道方面に向かう。これが大当たり、車は殆ど通らないし勾配はきつく走り応え充分の山道を9kmほど上った。ここいらにはこういうヒルクライム・レースにいいところが沢山あるんだろう。渓流で休憩なんぞしてツーリング気分を味わいたいところだったが凄い暑さで風が欲しくとっとと下る。三俣から苗場スキー場まではずっと上りの向い風。来る時50km/h以上でぶっ飛ばしていたのと大違い。48km走行。


   渓流に掛かる小橋にピナレロを横たえる


   8月

 記録的猛暑とは言え、おそらく二つ三つしかレースに出られないであろう今年、その最大のものである乗鞍の大会を控えている以上走り込まねばならぬ。どう考えたってカラダに悪そう。そういえば今年は長めの上りに行っていないなあ、と思いながら小沢峠を目指していたある土曜日、前方に見覚えのあるジャージが。追い付くとJCRCで同クラス、密かにライバル視している小平のチームのA選手である(向こうは知らないだろう)。今調べたら2002年9月の川場村のレースでも彼のことに言及してあった。俺より10歳くらい下だ。つい上りでちぎってしまったが折角だから一緒に走ろうとペースを落としていたら後方で右折してしまった。これは山王峠だなとこちらも先で右折、峠に向かう道で追い付く。聞けば山王から名栗、正丸峠まで行くというのでどこまで同行するか決断がつかぬまま並走。乗鞍の話題になる。テキは1時間21分がベストタイムだそうだ。俺は23分である。むむむ。山王峠ではまた大人げなく先行するが下って名栗川沿いになったらなかなか速いペースになってきた。まずい。夕方から仕事だし小沢峠へ左折して帰っちゃおうかとも思ったけれどやっぱり正丸手前の山伏峠までこのまま行くことにした。川沿いをだらだら上ってから山伏が近付くと勾配がぐんときつくなる。A君にどんどん離されてしまった。あ〜あ、やっぱりアカンなあ。峠で待っていてくれた彼に挨拶して引き返す。

 さてこうしてなんとか600km走り、28日、タマさんとカオスの面々とで乗鞍に乗り込む。会場で手続きやブースで買い物をしたあと10kmほど走って風呂、ビール、ワイン、夕食、焼酎。8時頃寝てしまったら10時半に目が覚めてしまった。暗い部屋でやはり同様のカオス中原君と自転車ライトを頼りに焼酎お茶割りを作って飲む。結局睡眠は途切れ途切れ。5時前起床、5時20分朝食、6時半旅館出発。優勝狙いの浅倉君は駐車場でローラーに余念がない。やはり旅館からスタート地点までの2kmの上りでウォームアップしたことにしてしまおうという我々とは気迫が違う。あんなことしたら疲れちゃうもんね。7時から開会式、すごい人数だ。エントリーは3930名。おこがましくもチャンピオン・クラスで走るので最初のスタート7:30に備え並んでいると、な、なんとタマさんの前輪がパンクしている!!99年のこの大会で俺も同様の目にあったことを思い出す。あの時はどういうわけかポンプとチューブを持っていて会長に助けられなんとかスタートに間に合ったのだ。しかし今回は道具は車の中だしタマさんはチューブラーで予備を持っていないというしスペアホイールもない。保谷君の意見でホイールの試乗・販売をやっているブースにもタマさんはラッシュ並みの人込みをかき分けて行ってみたが貸与は不可。特別製作の攻略マシンだったのに残念。
 慌ただしいうちにいよいよ、22km、標高1400mから2800mまでの長い道がスタートである。いやあ速い!!いきなり平地なみダッシュだ。どんどん後退。1kmも行かぬ内に僅かな最後尾グループになったもよう。もう苦しいばかりで記憶も定かではないが4kmすぎだったか(もっと手前だったかも!?)2番目にスタートの女子の高橋、真下など有名選手を含む4、5人の先頭集団にぶち抜かれる。そこから先は抜かれるばかり。もっとも抜いて行くのが煩わしいからこのチャンピオンクラスでエントリーしたのだから仕方ないか。だが以前は抜かれたら行けるところまでは付いて行こうとしたのに今日は「ここで無理したら後が無い」と弱気になってしまう。情けねえ。しかし回らない。心拍はちっとも上がらず155〜8くらい。心臓には余裕でも脚が...。やっと同クラスを一人抜いて孤独な道は続く。やがて中間点だ。タイムは40分、これならゴールまでジャスト1時間20分だ。後半はペースがあがるはずだしな、と甘い夢がちらつく。しかし当然それは甘かった。おかしい、後半ってこんなにきつかったっけ???計画では温存しておいた脚を稼動し始めて、しょっぱな無謀にかっ飛んで行って力尽きた選手達を餌食にする筈なのだが。ああ、やっぱり27T付けて来ればよかった、来年はコンパクト・ドライブか、軽量ホイールか。以前はフロントディレイラーやアウターギアを外して軽量化に努力したのに最近はせいぜいボトルケージを1個にする程度。ああ益々心拍は落ちて152だ。元々低心拍自慢の俺だかこれじゃああんまりだ。久々に一人二人抜くがさっぱり励みにならん。そうこうするうちに、アンタ、同宿のヒルクライムの化け物といわれる二階堂翁(62)にも15kmあたりで抜かれる。ちっとも乱れないフォームで淡々と去っていった。もうイヤっ。森林限界を超え遮るものがないため風がこたえる。この辺ではいつも押して歩いている人もいるのだがさすがに早くスタートしただけにそんな者はいない。抜いて行くストレスとロスを考えて選んだクラスだったが、年齢別クラスで出て先に出走のワカモノ達(の脱落者)を抜いていくほうが性格的に走りに弾みが付いて良かったのかもな。イヤなやつ。結局のところ1時間28分14秒、チャンピオンクラス完走190名(エントリー214名)中184位、総合954位で終了。目標の1時間20分に遠く及ばず。自己記録更新もならず。4000人の900番台ならまあいいか、なんて思えない俺は細かくデータを分析した。<ここから先は悪あがきなので自転車をやっている人は読まんでいい>・・・え〜、26〜30歳クラスでは完走234名中81位相当、31〜35歳では493名中177位、36〜40歳で489名中164位、で肝心の41〜50歳クラスだったとしたら657名中171位でした。だから何だっつうの。で、総合優勝は常勝村山利男かチャレンジャー浅倉豊か。村山氏はパンクリタイア、浅倉君が57分14秒で優勝。お見事。だって、シロウト読者の皆さん、完走者のラストの人は3時間半以上なんだぜ。こういう姿も感動的なんで、下山しながら声援を送っているのだ。
ところで俺は平均心拍155、最大162という驚異的低さ。タイムと心拍数をうまくミックスして計算するクラスがあれば上位間違い無しなんだけど。
   98年 1:23:42
   99年 1:30:09
   01年 1:24:14
 そうそう、山伏峠では歯が立たなかったA選手には1分勝ちましたよん。読んでないだろうな。


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