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20日の「猿追い祭」の次の日、スガアマは片品から
白馬へ向かった。
向かう途中、3・12の地震で特に被害の大きかった
長野県の栄村を通った。震災から7か月、道路は整備が進み、
立派なトンネルも完成した。が、依然として未改修の家屋も
あり、復興までの道のりは決して楽ではなさそうだった。
途中、道の駅で休憩。支援になるかは分からないが、
1000円札一枚分の野菜を購入した。
他にも飯山の食堂でタンメンを食ったり背景資料集めの
撮影もあって、白馬に到着したのは夕方になった。
昨年もお世話になったペンション「ミーティア」さんには
22、23日に行われた記録会に出場予定の選手たちも
宿泊していて、日大スキー部さん達とはお話しする機会に
恵まれたものの、東京美装さん達とは同じ建物内に
居ながらお会いする事すら殆ど叶わなかった。

22日、この日はスペシャルジャンプが行われた。
記録会とはいえ、オリンピック経験者やメダリストといった
トップクラスの選手たちも参加する。スガアマもプレスとして
大会を見学。タダでリフトに乗り、面白い撮影ポイントは
ないか探しまくってるうちにジャッジタワー裏手にある
判定カメラの傍まで行ってしまい、役員さんに怒られ、
リフトで下へ降りた。うん、ヘタに上がるより観客席のほうが
よく見える。今回はファン目線で見学しようカナ?
23日はコンバインド、なんやかやで遅くなり、
会場に着いた頃には既に試技が始まっていた。
今回もプレスのベストを着て見学、とはいえ、リフト代が
タダというだけ(いや、これはこれでとても有難いです!)
で、する事はお客さんと殆ど変わらない。

タワーの3F、階段から息を切らして登ってきたお客さんと
一緒にノーマルヒル台を上から見る。カンテ(踏み切り地点)
から飛んでいく選手の姿を何度も見ていくうちに、飛距離の
出そうなジャンプとそうでないジャンプの違いがなんとなく
分かってきた。

午後はランニング対決。前半のジャンプの得点からタイム
を算出し、成績の良かった選手から順々にスタートしていく。
コンバインドというと普段は男子のみだが、この記録会では
女子も参加する。その上往年の名選手のハッスルぶりも
見れて、ファンとしてはなんとも贅沢な限りだ。

そしてなんと今回はあの荻原兄弟が揃って参加していた。
といっても、次晴さん(右)は司会者としてだったが、
テレビの向こう側にいた有名アスリートが自分の目の前
に居るなんて、なんだか不思議な感覚である。
他にも、テレビの向こう側の存在でしかなかった土屋ホーム
の葛西選手とも遭遇。オリンピック出場回数5回、世界中に
多くのファンを持つジャンプ界のスーパースターである。
テレビで見るより背高い。体細い。スガアマより18日年上。
同じ日に、同じ店でカレーを食った。

記録会の興奮も冷めやらぬうちに霧の妙高へ。
24日、管理人のSさんとお会いし、シャンツェの撮影を
させて頂く予定だったが、写真見てわかるように
・・・これぢゃ無理!とりあえず、シャンツェにまつわるお話
を伺う事に。
ところがシャンツェの話どころかジャンプの原理やルール
など、いろいろ教えて頂き、取材だけでなく、今後作品を描く
材料としても参考になった。そうこうしているうちに少し霧も
晴れてきたのでその間サッと撮影。お昼少し過ぎてしまった
が、無事、取材を終える事が出来た。
帰り際、宿のご主人から教わった妙高の名物を堪能し、
岐路についた。白馬、妙高にいる間は温泉に入りまくった
ので帰る頃には肌スベスベ。頬っぺたは今もモッチリだ。
と、まあ取材という割には楽しんでた感もあり、いいのか
悪いのか・・・?少し反省せねばと思うのは、依然として
自分、引っ込み思案な所だ。本当は、あの方にも会いた
かったし、この方にもご挨拶したかった。なんかすれば
その機会は得られた筈!なのにお邪魔になるのでは?
という気持ちが先に立って、声をかけるどころか、近づく
事さえできなかった・・・。
23日の晩、豚しゃぶを美味しく頂きながらもなんでだか
泣いてた。無力なうえに、人を邪険にしたような気がして
心の中で何度も謝ってた。
などとしょげてる場合じゃない。14巻の原稿おこしも
始めなければならないし、COMITIAの開催日も近づいて
いる。黒豆の枝豆の収穫もあるし、まだまだ忙しい。
それに11月はまたしても取材がある。5、6日、飯山で
シャンツェ改装記念のオープン大会がある。
今回の取材は取材だけでない。日ごろからの感謝の気持ち
を込めて、この度新刊となる13巻にサインとメッセージを
添え、お世話になる方々にお配りさせて頂いている。片品、
白馬、妙高はほぼ配り終えたが、野沢温泉や飯山がまだ
残っている。この配達をコンプリートする為に、これからも
弱気な自分と戦わねば!
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