ネイサンとブラッドは、1991年8月、(財)横浜市海外交流協会(YOKE)の主催により行われた「横浜国際こども平和ミュージカル」に出演するため、カナダのバンクーバーから来日した。
 ミュージカルには、横浜在住の子供達のほか、横浜市の姉妹都市である、バンクーバー、ボンベイ、上海、オデッサからも各4人ずつの子供達が招待されたが、その一員としてである。
 本番に向けた練習に明け暮れた毎日であったが、我が家にもすぐにとけ込んで、元気いっぱいに過ごして帰っていった。
 滞在中の彼らとの生活を妻が書いた「ホストマザー日記」が、YOKEの機関誌に掲載された。

左 ネイサン。右 ブラッド
寝室にて、修学旅行中のような2人。
和室にもすぐ慣れた。
横浜パシフィコにて、練習風景

 ミュージカルは、世界平和や地球環境の保護をテーマとしたもので、日本人及び外国人の子供達150人により、港みらい21地区にある「パシフィコ横浜」のメインホールで行われたが、演出もよく、すばらしい出来であった。
 ネイサンとブラッドは、その中でも主役に近い役を務めていた。2週間の練習を通じて、日本の子供達ともたくさん友達になり、忘れられない夏になったことと思う。
 帰国後、地元のラジオ局から受けたインタビューのテープを送ってくれたが、その中で、また日本に行きたいと、真剣に語っていた。

 ネイサンとはその後もE−mailのやりとりなどをしている。
 1999年3月、私は仕事で忙しくて行けなかったが、妻がカナダにスキーに行った際にネイサンのお宅に招待され、大学4年生となったネイサンに8年ぶりに再会してきた。詳細:妻の「カナダ旅行記(ネイサン再会編)」