今月のトピックス
February ’00
2/20(日) オーケストラ・ダスビダーニャ 第7回定期演奏会
さて、今年もまた、ダスビの季節がやってきました。東京は雪かもしれない、という天気予報も出された当日の朝の寒さ、遠くロシアに思いを馳せるにはうってつけの「ショスタコ日和」でありました。今回も、充実した演奏を聴かせてくれました、常任指揮者の長田先生、そして、ダスビの皆様に、まずもって御礼申し上げます。
いつもいつも、素晴らしいショスタコ演奏、ありがとうございます。
また、今回は、特に第4番の交響曲での、聴衆の皆さんの緊張感漂う鑑賞ぶり(?)と言いましょうか、ショスタコ聴きたい、楽しみたい、という熱烈な意欲もひしひしと伝わってきました。フィナーレの最後、死に絶えるような、「モレンド」、これは演奏者と鑑賞者が完全に一体となってこそ演奏が可能だったのです。永遠に続く完全な静寂、その余韻もあってこそ、第4番の交響曲は幕を閉じることが出来るのです。我々鑑賞者も、ショスタコを演奏した一員なのです。理想の作曲家と、理想の演奏者、そして理想の鑑賞者、これらが渾然一体となったこのコンサート、大変感動的でした。
いつもながら、期待を裏切らないコンサートで、とても嬉しく思います。旅の疲れも気にさせてくれません。
と言うわけで、恒例になりつつある、上京の旅日記とあわせ、まずは私的前書きから。
<0> 私的前書き
1月の新交響楽団のコンサートのための上京と同様、往復とも高速バスによる低予算型の旅行である。前日の午前10時前に家を出、何度か渋滞に巻き込まれつつ、午後3時前に東京駅着。
いつも、東京で宿泊する時は浜松町で決まったホテルを予約しているのだが今回は空きがなく、コンサートが錦糸町、すみだトリフォニーということもあり、墨田区は両国駅近くにホテルを決めた。国技館近く、いきなり相撲取りの写真やら絵が飾られた駅に降り立ち、ふと思う。ショスタコの交響曲の中でも最大の規模を誇る横綱級の大作を聴くにあたって、墨田区横綱という地名の地に前泊する私は、あいかわらず、強引な、こじつけがましい男である。
(ここで、一つ訂正があります。思いっきり思いこんでしまったなァ。墨田区「横綱(よこづな)」ではなく、「横網(よこあみ)」が正しいようです(笑)。ご丁寧にダスビの某打楽器奏者の方よりご指摘いただきました。ありがとうございます。ただ、国技館を前に当然のように「横網」を「横綱」と勘違いした私の思い込みこそが、強引な、こじつけがましさを彷彿とさせるようにも思いましたので、前文の「横綱」を「横網」にするのはやめておきましょう。あぁ、はずかし。
同様に、以下の「横綱町公園」も「横網町公園」の誤りです。両国界隈の方、大変失礼しました。
ここから、感動的な一文(ウソつけ!)が始まるというのに、何だか拍子抜けですねぇ・・・・
2000.2.23 Ms カッコ内訂正文追加)
さて、ホテルにチェック・インし、荷物を下ろした後、まずは両国界隈を散歩。
両国駅の北500mほどにある横綱町公園の一角に東京都復興記念館がある。この一帯は、関東大震災、そして東京大空襲の最も凄惨な被害地であったという。特に震災時においては、この公園は工事の最中であったが、街を焼き尽くす火災に追われて多数の人々が避難してきたところへ竜巻の如く大旋風が巻き起こり、多数の犠牲者が出たという。また、その火災も場所によっては3日間に渡り燃え広がったとのこと、震災後の火災については知っていたが、いつ鎮火したかなんて想像もしていなかったがさまざまな事実を知り、災害の恐ろしさにつき認識も新たにした。
そして、隣国中国、そしてアメリカからの救援もあって復興を遂げるのだが、約20年後再び今度は、自然災害ならぬ戦争という人災によってまた、アメリカの手によって、この地は焼き尽くされたのだった。人間一人の力ではどうにもならない運命に翻弄され続けた今世紀前半の人々のことを思えば我々は何と恵まれた環境に生きているのか、と思うことしきり。
ちょうど、その震災の頃ショスタコーヴィチは本格的な創作活動を開始し、その戦争の頃、充実した創作を立て続けに行った。まさしく彼も、一人の力ではどうにもならない運命に翻弄され続けた人間の一人であり、その運命が最も生々しく刻印されている作品こそ、交響曲第4番ではなかったか?今回の旅で、私を両国に連れてきたのは、全くの偶然の産物ではあるのだが、この地の過去を知ることでショスタコの4番鑑賞への伏線がしっかりと敷かれたような気もしたのだった。
続いて、前回の上京で池袋へ行った際、時間つぶしに池袋のHMVへ行ったのだが、時間がなくゆっくりとCDを見ることが出来なかったので、今回時間を割いて行って見た。品数も豊富であったが、ワゴンセールでマキシム・ショスタコーヴィチ(言わずと知れた作曲家ドミートリーの長男)指揮のショスタコの交響曲がいくつか500円で売られており、ついつい、彼が初演者でもある15番のみ購入。(そう言えば、マキシムって結構冷遇されてるよなァ。これだけ世間がタコ・ブームなわりに。)その他、ミンスク室内管弦楽団(ロシアだったっけ、この地名は)による、バルシャイ編曲ではない、弦楽四重奏曲第8番の弦楽オケ編曲版なども700円であり、えらく安っぽい白黒のジャケットがアングラ風であったがついつい買ってしまう。
夕飯は、なんのこじつけもなく、イタリア料理で舌鼓をうち、歴史や政治の影も潜め、幸福な時間を過ごした。
ホテルに戻ってのんびりくつろぎ、TV「ブロードキャスター」など見ながら、「モーニング娘。」の特集に私はひらめくものあり、近々「たぶん、だぶん」のコーナーにて「モーニング娘。が歌う日本型社会主義リアリズムに関する考察」なるテーマで一言、書く予定である。(「たぶん、だぶん」00年2月24日付け記事をご覧下さい。こちらへどうぞ。)
コンサート当日、雪が心配されたが雨模様。それにしても寒い。10時チェック・アウト後、今度は両国駅から南へ向かい、本所松坂町公園、吉良邸跡を見学。昨年のNHK大河ドラマによって赤穂浪士に興味を持ち、昨年7月の新響のコンサートのための上京時に泉岳寺(浅野方の菩提寺)にも赴いたので、それに対する均衡を図るべく、せっかく両国に来たので寄って見た。住宅街の一角に、とても狭いながらも、ここが邸宅の一部であることを示す資料などが展示され、吉良町寄贈の碑などもあった。赤穂浪士の討ち入りと、ショスタコの交響曲第5番をこじつけた呆れた一文を私は書いてもいるが、本日演奏される、第4番もまた、社会主義リアリズムの前に非業の死を遂げた人々もしくは、打ち捨てられる運命の芸術作品の怨恨をはらすべき、ソビエト権力に対する討ち入りのような作品ではなかったか?当日もまた、こじつけ度数が多いに高まる中、コンサートの時間をひたすら待ち続ける私であった。
午前11時に錦糸町に到着、そごうにて時間つぶし、昼食を済ませ、開演午後1時に会場入り。内容盛り沢山のパンフ、そして別冊の曲目解説も読破したうえで演奏を待つ。
<1>喜歌劇「モスクワ・チェリョームシキ」組曲
シャイーの指揮によるショスタコの「ダンス・アルバム」なるCDに収められた、アンドリュー・コーナル選曲、改訂による組曲の日本初演である。私はこのCDを持っていない。初めて聴くことになる。しかし、このオペレッタ全曲は聴いている。もう10年くらい前だろうか、BBCミュージックマガジンの付録CDとして、McBurneyなる人物による編曲で知っているのだ。このバージョンは、オーケストラというより小編成のジャズバンド風な編成であり、なかなかに軽いライトな感覚の音楽をさらに軽く仕上げた一昔前のアメリカ製ミュージカルを思わせるムードである。組曲の最初を飾る「モスクワをドライブ」という曲が序曲として置かれており、自動車のアクセルを吹かした「ブウォ、ブウォ、ブウォーーン」という効果音と共に音楽が始まり、また終わるという趣向の大変楽しいものであった。
ただ、その曲以外は一度軽く流して聴いたのみで記憶はない。モスクワ郊外のチェリョームシキ(桜通り)での、庶民のマイホーム獲得にからむコメディであるこのオペレッタからの組曲、とても聴きやすい曲ばかり、との記憶のみ私にはあった。
さて、今回はあえて私の未知なる曲を楽しもうと予習もせずにコンサートに臨んだ。
まず第1曲「モスクワをドライブ」。私の持つCDの演奏とつい比較してしまうのだが、ジャズバンドの軽い感覚に比べればフルオケ故にやや重いかな、とまず第1印象。これは私のすこぶる主観的な判断ではある。しかし、歌の繰り返しが様々なオーケストレーションで変化して行く様は当然、コーナル版の方が面白い。ショスタコ初期のバレエ音楽をも思わせる、この軽快なギャロップは聴く者を何の先入観もなく楽しい気持ちにさせてくれる。オケもノリノリで、相変わらずのショスタキスト達による思いっきりの良い演奏は、ドタバタ的な音楽をめいっぱい楽しもうじゃないかと言わんばかりのテンションの高さだ。中間部に出る金管群の旋律(バレエ組曲と同素材のもの)の勢いの良さ、木管群のキーキー言うような目まぐるしい動き、そしてツボを得た打楽器群の攻撃的な打撃、さらには弦楽器もブンチャブンチャという伴奏型であろうと捨てない演奏ぶりなど「これぞダスビだ!!」と主張しまくりの好演でコンサートは幕を開けた。
第2曲「ワルツ」。サックスとトランペットのデュエットによる悲しげなメロディーは恥かしいぐらいに通俗的。ロシア民謡風といおうか、それよりは男女の二重唱を想像した時、日本の夫婦演歌を思い出してしまう。意外と、低迷する演歌界に新風を吹き込む名曲として受け入れられるかも。ショスタコ作曲の演歌、うけるかどうか。
それはともかく、この曲もそうなのだが、組曲通じてヴァイオリンのソロが登場する場面が多いようだが抒情的な感覚のソロばかりで、端正に優しく歌われていたと思う。それが、曲が盛りあがりを見せ、テュッティに持っていくと、チャイコのバレエとか、さらには大袈裟ぶりからいってハチャトリヤンのバレエの方が例えとしては近いのだろうが、大々的に歌われる臆面のなさへと変貌し、そのギャップが私には心地よかったりするのだ。とにかく、クライマックスの辺りなど、旋律の通俗性とオーケストレーションの壮大さがあいまって、つい微笑してしまうのだ。それは第4曲「バレエ」にも共通している。特に後半の、ためてためて、速くなって、また、ためてためて・・・と続く辺りはとてもユーモラスであり、表現もまた大袈裟であった。
あと、曲自体の面白さとしては第3曲「ダンス」も捨て難い魅力がある。金管群により軽く流れ始める冒頭の旋律は、私には「ドラえもん」の中の歌の一つ「あったま、てっかてーかっ」と歌われる部分にそっくりで、何度も繰り返されるたび微笑んでしまうな。次に現れる絶妙な転調もショスタコ独特なものだし、フレーズの最後のモチーフもついつい口ずさみたくなるような心地よさだ。
今回のプログラミングでは、後半が重苦しく、また難解、悲劇的であるため、前半のこのオペレッタの気楽な楽しい雰囲気が演奏会全体の釣り合いを保つのに大変良い役割を果たしていたと思う。そして、その役割もまた、演奏者の曲に対する愛情と理解あってこそ、効果的に演じられたものと感じた。そして、よどみなく、快調に飛ばしてくれて好感を持った。
つづく(2000.2.21 Ms)
<2>交響曲第4番
今回のコンサートのチラシ及びパンフレットに書かれた絵は、ショスタコの似顔絵の書かれたふたを持つ、アイスクリームであった。チラシの裏面に書かれていたのだが、10年ほど前、某有名メーカーのアイスクリームのCMで、この第4番の冒頭が使われたことが思い出話として紹介されている。確かに私も当時、ビックリすると同時に何故?と思ってしまった。第7番「レニングラード」が一世を風靡した直後のことであり、2匹目のどじょうであることは明白だったが、よりによって・・・・。と思ったのも束の間、すぐ画面から消え去っていた。
今となっては、こんな話もどれだけの人がわかってくれようか。しかし、今回のチラシはそんな昔の衝撃を覚えている一人として、とても懐かしく、かつこのセンスには脱帽、といったところであった。
さらに、パンフレットの中身も毎度充実したもので、楽しい内輪話から、知的好奇心をくすぐるものまで盛り沢山。ただ、今回気になったネタは、この4番の本当の姿、第1稿が今のものと全く違う形をしていたのではないか、という指摘である。今後、その稿が出版される、との話もあるようで、私も興味津々である。晩年のショスタコが、社会主義リアリズムという国家の芸術方針から真っ向から対立するような作品を、25年前の作品だ、と偽って作曲し発表したのであれば、これまた壮絶なしたたかさぶりではないか!確かに25年の間の改訂がどの程度かは興味ある問題だ。今後の情報公開が楽しみである。
また、団長さんの思い入れに満ちた4番の解説も、目を見張る衝撃的なものであったし、別冊の、譜例もふんだんに載っている解説も第5番との共通素材や引用の話などうまくまとめられていて、今回の演奏に接してこの作品に対し認識を新たにしたであろう人々にとっても、格好のタコ4入門の資料となっていることだろう。
さて、演奏についてだが、正直なところ、今回はあまり期待をし過ぎないで行こう、とは思っていたのだ。実は、私はこの4番、2,3年ほど前、東京フィルの名古屋公演で生を聴いているのだが、あぁ難しい曲なんだなァ、演奏効果の問題でも意味不明なフィナーレ、そして不思議なエンディングが聴衆に受けなかったなァ、という点ばかり気になってしまったという記憶がある。確かに、第1楽章の中ほどの、気の狂ったような弦のフガートの後、打楽器群がタッタカタッタカとリズムを刻むところ、完全に崩壊してただの騒音の如き姿を聞くにつけ、あの悪夢の再現だけは・・・・・と聴くのも少々臆病になっていた。さすがのダスビとて、4番に潜む数々の演奏の困難さを克服するのはたやすいことではなかろう、と思い、また、フィナーレの支離滅裂な形式感は、どんな演奏であろうと説得力あるものとはなり得ないだろう、と勝手に自分で諦めていたのだ。それが、ダスビは見事、私の不安が杞憂に過ぎないことを証明してくれたのだ。ホントにこの演奏に出会えて、とても嬉しかった。
第1楽章。スコアを見て思うのだが、この交響曲はあまりに異常な作品である、と思わせる部分が多々あるのだが、最初からしてやはり異常である。ずっと全ての音符にアクセントが付いているのだ。作曲者のこだわりが壮絶なものであることを物語ってはいないだろうか。私も楽譜を書く人間の端くれとして、ここまでの気持ちにさせるということは、ただならぬものがその創作の背後にあるのだろうと感じるのだ。その点から言うなら、冒頭のテンポはやや速めではなかったか、というのが第1印象。アクセントの重みが充分私に感じられなかった。少々私の思いとのずれがあったようだ。しかし、感覚的に言うなら、あの颯爽たる感じは気持ちのいいものではあったけれども。
舞台狭しと並ぶ大オーケストラ。その様々な楽器たちが織り成す音の層、そしてその音の奥行きと、強弱の壮絶なるコントラスト、多様な音色、色彩感、まるで魔術のようにオーケストラはいろいろな音色と音楽を生み出す。舞台ほとんど全てを覆い尽くす楽団員、という視覚的効果もあって、冷静な鑑賞態度よりは、興奮の度合いが高まり、テンポ感の問題もリアルタイムではそんなに気にはならなかったのも事実だ。感覚的な気持ち良さがすぐ私を支配した。金管群の咆哮、音楽の輪郭を強力に彩る硬派な木琴の音色。銅鑼の決定的な一撃と共に一つのクライマックスは過ぎ、ホルンの威圧的なリズムが鳴り響く。8パートあるホルン、アシスト含めて11人!!ホルンの威力はここで初めて認識されたが、この部分のホルンの存在感は、私の持つどんなCDよりも素晴らしく私のイメージにぴったりであった。
そして、曲想は内省的なものへと移るのだが、弦が主体になったあたりから、少々音楽が安定性を欠き始めたように思った。冒頭のテンポ感が失せ始め、また、音程もやや不明瞭に。やはり、5番より前の作品だけあり、歌いにくい、音程の取りにくい音符の進行をしているということだろうか。さて、再び音楽が高潮し始めるや演奏も安定さを取り戻し一安心。特にこの辺りでは木管群のがんばりがよくわかる。テュッテイでの強奏が続く場面、金管の複雑な対位法的な動きのバックにある、ヒステリックな高音のトリル。熱っぽいオーボエの姿に、トリルの音も金管に負けじとしっかり私に伝わってくる。
しかし、残念な事故が!暴力的なテュッテイの最中、トランペットの一部が一拍ずれて(というように私は思ったのだが)私は一瞬パニックに。一体、収拾がつけられるか?一瞬ひるんだかに思われたトランペットではあったが、他のパートが堅固に正しい音楽の流れを維持し、事無きを得た。事故に動じないその自信の表れ、私はこの事故をきっかけに逆に、鑑賞者としてオケへの信頼を抱いた。その直後に出る小太鼓も「私が正しい」と言わんばかりにオケへの安心感を与えるべく登場したように思えた(余談だが、この作品、ショスタコにしては小太鼓の存在が少々薄い。他の作品はもっともっと面白いリズム、そして効果的な出番に恵まれているのに。ただ、この場面はそんな事故のせいもあって小太鼓の存在価値が随分と増していたが。)。
ティンパニのリズムに乗る木管の自虐的パッセージ、そしてティンパニのソロを経て、全合奏によるどぎつい不協和音の叫び!!ここにいたって、事故の思い出はふっきってしまえたように思えた。こういった、どぎつい表現などは、アマチュアの、それもショスタキストたちによる思いきった演奏に共感すること大である。プロではなかなかそこまでやらない、ような気もしますが、さてどうでしょうか?
さらに、不協和音で思い出したが、この作品には至る所、半音でぶつかるといった不協和音がかなり多いと感じる。そのような不協和音の鳴らし方も大変美しい、と感じた。「美しい」とは言え、夢見心地なキレイな「美しさ」ではなしに、不協和であれ不快さを感じない、スカッとするような気持ち良い鳴り方をしている。きっと、不協和同士の音のバランスが良いのと、音程の確実さなんだと思う。不協和音と言うのは、一瞬、まちがったか!と思いひるんでしまうと、音程も不安定になりだし(協和音程を探してフラフラしてしまう)、また弱くなり、ぶつかり合う音のバランスが崩れた途端、弱い音の方が間違った音符として聴衆に認識され、逆に「美しくなく」響く。不協和を自信持って、かつ、ぶつけるぞぉ、という気合充分に、ぶつかるもの同士、鳴らしきることで私は不協和音が「美しく」聞こえてくるように感じるのだ。オケ全体に言えるのだが、そういった不協和音を不協和の認識をもって確実に鳴らすことで、この不協和音に彩られた、どぎつい4番の音世界が、際立って明瞭に私達にせまってきたのではないか?
さて、今回一番の聞きどころ、かつ、不安な場所であった、展開部ど真ん中に位置する弦から始まるプレストのフガート。一瞬、「えっ、この速さで?」と自分の耳を疑うも、現実にヴァイオリンから疾駆する音符が突撃している。とてもスリリングであった。その動きが、ヴィオラ、低弦へと波及、当然荒さも少々目立つが、そんなものお構い無しだ。もう興奮しまくり。凄い凄いのなんのって。これは聴いて頂かなきゃ、言葉では説明できない。神技というのは、こういうことを言うのだろう。木管、そして、金管もその興奮の渦の中に次々飛び込み、打楽器群のショスタコ・リズムが始まるや、まさしく私は忘我状態。打楽器群の鉄壁のスクラムは乱れる事無く突き進み、その音楽は打楽器のリズムに乗って、まるで地獄へとまっ逆さまに突進して行くかのようだ。そしてオケ全てが吠える、暴れる。しかし、演奏者の冷静さは保たれていた。正確な音楽表現。fffpそしてcresc.という「うねり」といおうか、「うなり」といおうか、そんな音群がまるで怪獣の如く様相で狂わんばかりに放出される時、作曲者の尋常ならぬ経験と、何らかの叫びのようなものが真に私に迫り来る。もう、ここは圧巻でした(あぁ興奮した。これを書いてるだけで震えてしまうよなぁ)。
再現部前の、金管打の1歩1歩迫り来る恐怖の如き不協和音も劇的な効果を上げつつ、再現部は、徐々に力を緩め、コーラングレや、ヴォイオリン・ソロの抒情的な歌も聴かせつつ、ファゴットのつぶやきのような第1主題回帰でこの劇的な第1楽章は幕を閉じる。
最後のページに何度か効果的なヴァイオリンの鞭打つ如き効果的なピチカートあり、その硬派な音質も満足度が高かった。2ndヴァイオリンのちょっと後ろの辺りの方が、打楽器奏者の私だからこそ多いに共感を持ったのだろうけど、素晴らしく雰囲気たっぷりなアクションを見せていたのが印象的。ちなみに、フィナーレのコーダにも同様な硬派なピチカートがあり、その時も彼に期待して目をやったら、同様な動きを見せ、大変私は嬉しかった。こんな、たかがピチカートの1音でありながらも、こんなに気持ちを込めていただいて。ショスタコもきっと喜んでいるに違いない。とにかく、真摯な演奏である、と思った。
感想はまだまだある。第2楽章以降はまた、休息をはさんで続けよう。
つづく(2000.2.22 Ms)
第2楽章。約30分近い第1楽章が終わり、一息つく。かなり私も緊張して聴いていたようだ。前のめりになってたせいもあり、休息の間、椅子に深々と座るも、3階の後方の席ということもあり、舞台の手前の方が見えなくなってしまう。そうこうするうち、第2楽章は始まり、動きの見えない舞台から音が流れ出す。指揮者もヴィオラも見えない。こりゃあかん、と思い、再度、前のめりの態勢をとる。結局、そのまま曲が終わるまで前傾姿勢を保っての鑑賞を余儀なくされたが、不思議と疲れは感じなかった。全く飽きを感じさせない、また緊張感を途切れさせることのない音楽、かつ演奏であった。
冒頭ヴィオラも滑らかに滑り出し、マーラーの交響曲第2番「復活」の第3楽章のパロディと思われる旋律線も、自虐的というよりは、ふわっと漂うような夢幻的な感覚さえあった。同じハ短調開始の交響曲としては、ベートーヴェンの5番、ブラームスの1番、そしてマーラーの2番など思い出されるが、劇的な闘争にあけくれる第1楽章の後、闘争からの逃避を匂わす穏やかな第2楽章が始まるや心も落ち着く。ショスタコの4番も、第2楽章は第1楽章の緊張から解放される役割が同様にあるのは確かだが、どうもベートーヴェンたちのものとは違ったものも感じる。うまく言い表せないが、しらーっとした感じ・・・浮遊感・・・・私は当然経験ないが、薬を使って現実逃避するのを音楽で表現するとこんな感じなのだろうか?とふと思った。ベルリオーズの「幻想」も阿片中毒者の「幻覚」を音楽化したものだが、どうも「幻覚」にしては「幻」のようなおぼろげな感じに欠けるように思うのだが、ショスタコの第2楽章こそ、20世紀版の「幻想交響曲」なのかもしれない。尋常ならざる手段で、運命から逃避してしまった(せざるをえなかった)とでも言えそうな音楽だ。
さて、そんな「ゆめ・まぼろし」的な世界はEsクラに引き継がれ、ショスタコらしさをどんどん増して行く。ただ、ショスタコの5番、6番、7番と、スケルツォ部分の顔に当たるところでヒステリックなEsクラのソロが大活躍するが、それらに先行する(先行してないかもしれないが)4番のソロは、それらに比べると淡々とした、やはり白々とした浮遊感に勝っている。Esクラの演奏も、なかなかいい雰囲気が作られていると思った。
その後、やや白熱した展開を見せるものの、すぐ、2ndティンパニの強打で中断され(ティンパニのソロもマーラーの2番の第3楽章冒頭の強打との関連を匂わせる。)、ヴィオラの伴奏にのって1stヴァイオリンが第2主題を歌い出す。ショスタコの5番の第1楽章の主要主題と同様の旋律進行を持つものだが、これまた浮遊感を感じさせる不健康な感じ。これもなかなか変な音程をもっていて歌いづらいようにも思うが、第1楽章の前半に見られた不安定さが見られず安心。そう言えば、演奏における不安定感は第2楽章以降私には全く感じられなかった。尻上がりに調子を上げてきたように感じた。
さて、再び、音楽は高揚するも、またティンパニが水をさす。二人の奏者が協力して、うまい具合に、和音の高い旋律線が浮かび上がって聞こえてきた。F−E−D、という下降する3度の順次進行だ。今まで、その旋律線をあまり意識したこともなかったが、これ、第1楽章冒頭との関連素材であろう。
再現部は、長大なフーガである。冒頭に感じた「ゆめ・まぼろし」は、フーガの形をとることでさらにその感覚を増して行く。ここでは、焦点がぼけて、見えるべき対象物がずれて、ぐるぐると回りはじめるような「幻覚」を私は持つ。弦もよかったが、それを引き継ぐ木管群もこの精巧なフーガを上手くクリアしていた。スコアを見ると、4本の線が同時進行するが、その1本づつの線がだいたい2人の奏者で交互に演奏する。うまい具合に継続する一つの線を受け渡しながらフーガを進行させていたのが良かった。
そしてコーダ、交響曲第15番にも聴かれる、時の刻みの如き、打楽器群のアンサンブルも決まって、やや唐突にこの楽章は終止する。両端楽章の複雑怪奇でテンションの高い雰囲気に比べて、軽い間奏曲といった趣をさらりと安定した音の運びで流してゆく辺り、オケの実力と余裕を充分感じさせた。さてさて、休息をはさんで、ここからが正念場、巨大な迷宮の如きフィナーレだ。
まとまった時間が取れず、小出しにしてて申し訳ありません。つづく(2000.2.26 Ms)
第3楽章。ほとんど意味不明な展開を見せているかのようなフィナーレ。これを聴衆に納得させるのは至難の技かもしれない。しかし、私は、この楽章の(私なりの)大雑把な地図(?)を入手している。その地図を見ながらであれば、充分説得力ある音楽になり得るとは考えている。
すなわち、このフィナーレ自身が四つの部分からなる交響曲風な形をしており、その背後に同じくハ短調の古典的名作、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」が存在しており、「運命」の進んで行く方向から真っ向から対立するようなコンセプトの元にこの楽章は構築されているのではないか?というのが私の曲解的解釈であり、その地図を持っていれば、迷宮も恐くない、という訳だ。
いきなり、演奏の感想からかけ離れた視点から攻めてますが、もうしばらくご辛抱を。
まず、内面的な話でなく、外面的な話だが、交響曲の一つの楽章の中に交響曲1曲分の要素を取り込んでしまった前例として、ニールセンの交響曲第5番のフィナーレを挙げておく。私の大好きな作品でもあるが、ここでは深追いしない。ただ、外見的な形式という視点では、この楽章は、楽天的な推進力に満ちた第1部、そしてグロテスクなスケルツォ風な第2部、第1部の素材を展開したアダージョ的な第3部、そして第1部の再現である第4部からなることを指摘しておく。この例をショスタコが知っていたのか、それとも知らずして類似の形式となったかは定かではない。しかし、内容的にはかけ離れた両作品だが、形式面では似ているように思えるのだが・・・・(ショスタコとニールセンとの関係、もっと論じられて良いと思う。彼ら2人の最後の交響曲を比較検討すればいろいろ出てきそうですね、関係が。冒頭からしてあからさまな類似ですし。ただ、ショスタコがニールセンどれだけ知ってたかを裏付ける資料は私はまだ見たことないです。誰かご存知でしたらご教示のほどよろしくお願いします。)。
さて、ショスタコの4番のフィナーレも4部からなる、とされている。葬送行進曲風な第1部、落ち着かないスケルツォ風な第2部、第3部は、全音楽譜出版のスコア解説に寄れば「市場風組曲」、ワルツやギャロップなどバレエ的情景が無秩序に連鎖、そして第4部は楽天的フィナーレ風な開始を思わせつつ第1部の大規模な回帰によって静寂の支配するコーダと転化する。
ニールセンの4部構成は、例えば、ベートーヴェンの「第九」スタイル、つまり急−急−緩−急という比較的オーソドックスな形だが、ショスタコの例は大まかに言って、緩−急−急−緩。イレギュラーな交響曲のスタイルだ。マーラーの第九を引き合いに出しておこうか、いや、あえてチャイコフスキーの「悲愴」を出しておこうか(第1部の性格付けに付いてはやや強引だけど。でも、アダージョ・フィナーレならぬ、アダージョ第1楽章の遠い祖先として、私は「悲愴」を位置付ける。アレグロ第1楽章が常識な時代、これほど第2主題をアダージョ楽章風に仕立てた作品もないのでは。この例があって、マーラー、ショスタコのアダージョ第1楽章が生まれる下地となったのでは?進化の過程、進化の途上にある作品として見てはどうだろうか)。
などと書き進むうち、おいおいベートーヴェンの「運命」との関係は?と催促されてしまうでしょうね。
ということで「運命」の私なりの曲解。これは、第12回の我が刈谷オケのプログラムなためこの夏(2000年7月)詳しく書くかもしれませんが、その予告編として少々紹介。
ハ短調の悲劇的運命感(どうせ、おれはダメな人間だ。どうせ、耳の聞こえない作曲家は生きててもしょうがない。どうせ、ナポレオンのような英雄も欲にくらんで堕落する。)が、第1楽章で問題提起され、そして、それに対して、第2楽章で逃げの様相を呈するや否や、「逃げるな!問題と向き合え!」と警告するが如くファンファーレが鳴り響く。「我々には明るい未来がある。それを信じて頑張ろう!」てな具合に、ハ短調の悲劇的運命感に対し、ハ長調の金管群の響きが、抵抗の意思表示をする。さらに、第3楽章。スケルツォ主部で再び、ハ短調の悲劇的運命感は全面に現れるものの、トリオにおいて今度は低音から沸き立つフーガという形でハ長調が確立し、悲劇的運命感に揺さぶりをかける。そして、その揺さぶりによってスケルツォ主部の再現は弱体化し、最早、力を失い、第3楽章の最後の部分で運命動機はティンパニによって解体され、その後にハ長調の勝利の宣言が悲劇的運命感を払拭するのだ。「おれも、やればできる。耳が聞こえなくても作曲はできる。今は無理でも、将来、必ず民主的な世の中が実現する。」
つまり、第2、第3楽章で、第4楽章の勝利宣言を予告する伏線が張られ、その展開の末に楽天的フィナーレは出現する。これが「運命」のプロットと考えられる。
そこで、ショスタコの4番のフィナーレにようやく戻るのだが。
第1部の葬送行進曲。どうしようもないほど自信のない、自虐的な音楽だが、そのクライマックスの金管の咆哮、これは「運命」第2楽章の金管ファンファーレを思わせはしないか。3度の上昇する順次進行、さらに付点音譜。私は、この部分に楽天的フィナーレの予告を感じるのだが、それにしても低音はハ長調なのにDesの音が混じってよじれた感じを出し、さらに弦、木管の伴奏系はヘヘヘラ、ヘヘヘラと笑ってるようで、そんな「運命」的な未来の勝利を信ずる単細胞ぶりの戯画化に思えてしょうがない。
さらに第2部のスケルツォ。神経質な落ち着かない、せわしない、まるで何者かに追われるような緊張感漂うもの。特に弦楽だけになってただひたすら機械的音系を繰り返すだけの部分など、もう「恐怖心のあまり自分が何しているのかわからない」ということの音楽化にも思える。ぐるぐると頭の中で秩序なく様々な思いが回っているような気もする。それに解決を与えるのが、シンバルの一発、そしてニ長調の祝祭的ムード。鉄琴も加わっての華やかな明るさが導かれる。しかし、何かから回りしてないか?とってつけたような明るさじゃないか?その不安は的中。トロンボーンが祝祭的なる主題の冒頭部分のみをハ長調風に、ドーレードーレーと意味不明に繰り返す。まるでレコードの針が飛んでるようなおかしさだ。そうこうするうち、祝祭的ムードは崩壊、あえなく自爆だ。
第1部、第2部ともに、ベートーヴェン的な問題提起「悲劇的運命感」を払拭すべく伏線を張ろうと努力しながら、結局、失敗するばかり。その2回の失敗あって、なげやりな第3部が必然性を帯びると言うわけか・・・・。
人生に対する真剣勝負は放棄され、ひたすら遊ぶのみ。手を変え、品を変え。悲劇的運命感の克服なる思想はどこかへ吹っ飛んでしまう。この第3部、ショスタコの交響曲第3番で既に実験済みの、新たな主題をひたすら提示するという(主題の展開の放棄)方法論が、「ひたすら遊ぶのみ」と称するに相応しいようでもある。ただ、第3番に比べれば、一応はここでは第2部で提示された主題も活用され、曲の統一感への意識を感じさせないでもないけれど、それにしても投槍に過ぎる。
遊びつかれて第4部。ベートーヴェンの「運命」の第4楽章へのブリッジと同様、ティンパニが先導して歓喜の宣言を導く。しかし、全く必然性のない、唐突な勝利の雄叫び。それも不協和音を響かせて。みんなの足並みの乱れた、歪んだ歓喜だ。しかし、それでも音楽は無理矢理強引に進む。ほころびが見える。第1部の葬送の調べだ。しかし、それも、臭い物にはフタをしろ。再度、歪んだ歓喜。そんな繰り返しの後、臭いものにフタをしきれなくなって、パンドラの箱の如く、忌まわしき叫びが飛散する。葬送の大合奏。大爆発。「運命」的な希望やら勝利は全面否定、そして偽りの歓喜は大きな音をたてて瓦解・・・・・・死の世界に突入し、救われない最後となる。
「運命」のパロディとして私はこのフィナーレを聴く。そして、「運命」のパロディという流れの認識が、このフィナーレに見通しの良い灯り、もしくは迷わないための地図を提供してくれる、とさえ考える。
さらに、このアンチ・ベートーヴェンのプロットの演出に当たって、効果的にマーラーからの引用が活用されているのだとも考える。
第1部の葬送行進曲、ティンパニの弱奏の足取りは、マーラーの1番第3楽章。ファゴットの歌い出しはマーラーの5番の第1楽章。そして付点音符の4度上行するパターンは、マーラーの第7番第1楽章冒頭の反行形(第4部のコーダのホルンソロによる再現が、マーラー冒頭のテノールホルンの独奏とかなり類似してます)。結局、一生死に取りつかれて交響曲を書き続けたマーラーの葬送行進曲の響きを、ベートーヴェンの「運命」的なる要素が払拭しきれない、というのがこの楽章の主眼なのではなかろうか?
などなど、私はこのフィナーレに思いを巡らせつつ、今回の演奏を待ち望んでいた次第。さてさて、ダスビの演奏は如何?
続きは次回を待て!!
おいおい、まだ引き伸ばすかよォ(2000.3.6.Ms)
・・・・・なんて具合に大袈裟に前回終わってしまったので、プレッシャーをもろ感じつつ、今年のダスビの感想の最終部分を書きましょう。
さて、この迷路の如きフィナーレの重要な「ターニングポイント」と言おうか「曲がり角」が、前述の「地図」によって私なりに曲解できる。
最大のポイントは、第2部の最後、祝祭ムードの崩壊が第3部を導くところ。そして、第4部のコーダの直前、擬装された歓喜が瓦解するところ。この2箇所ではなかろうか。これらの箇所で、ダスビの体当たり的なド迫力な演奏が、曲の真の姿を私に目の当たりにさせてくれた。とても嬉しかった。と同時に、この破壊的ですらある音の洪水もしくは、音の圧力にショスタコの叫びが凝縮されているかのようで、壮絶な説得力を聴衆に与え得たであろう、とも思った。
第2部のスケルツォは、楽想としては貧困ですらある。特に、弦だけの機械音型の部分はあまりに長い。が故にとにかく猛スピードで突っ走る演奏もあるが、あえて極端なことはせず、確実なテンポをキープしたことが正解であったと思う。機械的部分、私はその長さを理解していながらも、現実に演奏会場で聴かされると、やはり生理的には、ジリジリと我慢できなくなり、「早く次の部分へ行ってくれ!」と感じてしまう。それを感じさせるテンポ感ではあった。それこそ、ショスタコの狙いだろうが。
そのジリジリ感を得た上で、冗長な機械的部分を抜け、トンネルを出た途端、何か明るい到達点が遥か彼方に見え始めるのだ。いやがおうでも期待が高まるではないか!弦のみのサウンドから、木管、ホルンと加勢を得ながら音の厚みと、高揚感の高まりが最大に上昇したところで祝祭は始まるのだ。この音楽の流れに見事に私は何の違和感も不安感もなく乗りこむことが出来た。
そして、見事にダスビに踊らされた。本気で、この祝祭を、楽天的な勝利、そして快楽として受け入れ、ワァーイワァーイと無心に喜んでしまったのだ。そこへ、例のトロンボーンのレコードの針が跳び続けるようなギャグをぶっ放され、(これまた豪快にやっていただけた。)ありゃりゃ、と歓喜に水をさされて、一瞬私の心がひるんだところへ、ティンパニ初め低音部で、タタタン・タタタンとのリズム(D−B−Gという音程)が叩きこまれるや、今までの歓喜をみんなそろって袋叩きにしてしまうようなイメージが浮かび、そこで私は初めて「ダスビに騙された!」と気付いた訳だ。「この歓喜は嘘っぱちだ!!」 ビジュアル的にも、このリズムが2人のティンパニ奏者によって、リズムを分かち合い、違うタイミングで両者の腕が動くのが「袋叩き」を想起させたのかもしれない。この部分、fが場合によっては4つも5つも付くこの作品の中で、楽譜上、f1つというのは私の感覚では少々淋しいのだが、あまり杓子定規に「ご立派な音楽性」を引き合いに出されると逆に音楽がつまらなくなるような典型的な例なのかもしれない。ここのf1つはこれくらいのインパクトがあってしかるべきであろう。
長々と書いてしまったが、この第2部の音楽の流れこそが、私の今回のコンサートでの最も感銘を受けた場面である。そして、前述の「ダスビに踊らされた。ダスビに騙された。」とはすなわち、「長田先生に踊らされた、騙された。」でもあり、さらに、「ショスタコに踊らされた、騙された。」でもある。つまり、完全に作曲者と演奏者が私の中では見事にダブってしまっていた。ショスタコの代弁者としての演奏者、という観点で鑑賞していたというわけだ。
クラシックにおいては、当然、作曲者と演奏者が曲の解釈を巡り一種緊張関係にあるのだが(死んでしまった作曲家の意図が何なのか、と考えた時、聴衆は場合によっては、演奏者に対し、作曲家の意図と違う、と反論するでしょう。)、今回の私の経験は、作曲者と演奏者が同一化してしまう、というものであり、これが私の感動を呼び起こす要因の大きな物であったと思われる。
当然、私をその気にさせたのは、ボロの出ない演奏、という点は大きかった。東フィルのタコ4の生演奏での重大なミスは、作曲者と演奏者とを相当な距離感を置かせるハメとなったのだ。そして、特に、このタコ4は、非常識な、大胆な、さらに陳腐(!、いわゆる正統的なクラシックファン達から見て)な音楽が多々含まれている。それを、演奏者が妙にクールに、常識的な「ご立派な音楽性」を盾に無難な態度に出たなら、私は決して「ショスタコに踊らされた。騙された。」なる感想は持ち得なかったであろう。つまりは、大曲かつ、難曲、さらに珍曲(いわゆる正統的なクラシックファン達から見て)ですらあるこの作品を、限りなく作曲者の意図に忠実に再現するという姿勢あってこそ、今回のダスビのタコ4は私におおいなる満足を与えてくれたのだと思う。
第2部を引き合いに、何だかほとんど総括しかかってしまいましたが、とにかく、ショスタコ・ファンとして、とても嬉しかったんです。
さて、まだまだ続きます。もう一つのポイント、第4部の最大のクライマックス部分ですが、ここの「擬装された歓喜が音を立てて瓦解する」様がもう、しびれました。しびれまくりました。これは、打楽器奏者故の感覚なのでしょうが・・・。
ショスタコの音楽の特徴として、打楽器の有効活用はかなりの高い位置にある特徴と思われるが、さらに、クライマックスで、打楽器だけにその音楽の到達点を委ねてしまう、という素晴らしい特徴も特筆すべきである。例は挙げることもないだろうが、有名な5番の、第1、4楽章の銅鑼、始めいろいろありますね。さて、この第4番のフィナーレもまた、かつてないほどの陣営でクライマックスを打楽器群に任せている。
しかし、今までの私の感想としては、いまいち物足りない、クライマックスとしての到達感が薄い、とすら感じていた。確かに、5番以降の打楽器によるクライマックスの委任に比べれば、そこへの持って行き方にちょっと無理があるような・・・・てなことはあるでしょう。しかし、このショスタコの若さ、甘さ(かどうかは言い切れないが)を見事、初めて今回、演奏者が補ってくれた、と感じた。
他の例は、銅鑼や、大太鼓の一撃など、音が自然に減衰する音符の書き方が多いのだが、この4番の例は、銅鑼の一撃以上に、大太鼓、小太鼓、シンバルのロールが持続的に鳴り続け、その人工的なdim.の後に次のコーダが現れる。この部分のシンバルのロールが、特段の存在感で、まるで今までの歓喜を全て掻き消すが如く勢いであったのに驚愕、狂喜すると共に、そのdim.の後に大太鼓の弱奏ロールが響く中、オスティナート的に刻まれていたティンパニのリズムが、シンバルによって掻き消された後から浮きあがり、再び私に認識できた途端、そのオスティナート・リズムが、四分音符の連続する心臓音に変わった時の衝撃は今でも忘れられません。
歓喜の瓦解、という、ベートーヴェン以来100有余年の西洋音楽の伝統の、こんなにあからさまな否定が、ここまで明瞭に私に迫ってきたのは今回の演奏が初めてであった。その瓦解の大音響を担った打楽器群の内、シンバルの音響が効果的に支配していたが、その大音量にも当然説得力があったが(100有余年の伝統が爆破されるのだから、これぐらいインパクトは欲しい。無難な「ご立派な音楽性」など、ここではクソ食らえ、だ。)、その大音量の減衰して行く過程の微妙なニュアンスが私にとって衝撃的であったのだ。歓喜の瓦解の過程、つまり歓喜の殿堂が崩れ落ちる最中、ティンパニの音符の変化の中に、瓦礫の中の人の死を思わせる弱々しい心臓音が立ち現れ、私の耳をとらえたのだ。
この部分の場面転換の素晴らしさが、曲の展開を知りつつも、私には衝撃であり、感動をより深いものにした。
また、行き着くところまで行って、ストーンと落ちる。この落差の激しさは、ショスタコの作品の中でも最大のものではなかろうか。そして、その落差は、当然、くどいようだが、ベートーヴェン以来100有余年の西洋音楽の伝統のあからさまな否定ゆえ、当然のことだろう。ここまでの落差は、その後の彼の交響曲始めその他の作品にも見られないのではないか?ショスタコの、この作品に固有な主張はこの辺りにも潜んでいるのではないか。瓦解した後の廃墟を前に、その廃墟が妙に説得力を持つところが、この作品の凄さであり、恐さでもあろう。それを、思う存分、演奏者は表現し尽くしたと言って良かろう。
その表現に対する聴衆の答えが、演奏終了後の、かつて経験したことのないほどの長い沈黙、静寂ではなかったか?私は、この演奏会のことを一生、忘れることができないように思った。
つづく。今日で完結のつもりが、まだまだ書き足りないのです。(2000.3.11 Ms)
〜音にならない最後の一言〜
今回の演奏会体験記は、私の「曲解」も最高潮に達し、横道にそれてばかりで全くあきれ果てておられる方も多いでしょう。申し訳ございません。
嗚呼、素晴らしい演奏会よりはや1ヶ月。もう、春の訪れを感じる季節となりました。今度こそ、完結、最後の一言、となります。ご安心を。
さて、前項に対する自己批判から・・・・
第3楽章第4部、ショスタコの書いた楽譜自体が、クライマックスの打楽器群への委任への持って行き方が強引、というような指摘をしました。それが彼の若さ、甘さ、などという表現もしました。ただ、考え直して見れば、この歓喜の瓦解は唐突に現れてこそ効果的ではなかろうか?
他の交響曲におけるクライマックスへの持って行き方は、感情の率直な流れ、用意周到に準備された必然を感じさせますが、4番の例は、見掛け倒しの歓喜が、一気に破壊されることでより大きな説得力を持つのではないか?と考えるに至りました。
打楽器への委任ではありませんが、似た事例として、1番の第2楽章、再現部の最後、クライマックスのピアノの強打される和音を思い出し、これこそ、率直な流れ、準備された必然も感じなければ、意味のある作為的な唐突さでもない、まぎれもなく彼の若さ,甘さを感じさせるものではないか?
この1番の唐突さと、4番の唐突さ、同列には論じられないだろう、と思えます。
ということで、感想に戻りましょう。
第3楽章の複雑怪奇さを交通整理するのは大変なことであっただろう。特に、第3部「市場風組曲」「真夜中の誰もいない遊園地」は、楽想の急激な変化、管楽器を中心とした、ソロの連鎖、綱渡りの連続で事故多発予想地帯だと思う。それが難なくクリアされ、余計な心配もなく私は、彼の音楽に身を委ねることができた。とても楽しい体験であった。
市場もしくは遊園地のアトラクション、遊具の数々は私を飽きさせる事無く、遊ばせてくれたのだ。ピッコロ、フルート、ファゴット・・・・次々と道化者たちが瞬間芸やら、立ち回りを演じきり、テンポ良く受け渡しをしていった。「運命」的な思想性とは全く別次元の空間がとても快かった。
そして、真打はトロンボーン。第3部後半のあたりはトロンボーンの独壇場である。それも、どうも場違い的な面白さのある登場の仕方だ。私が思うに、今回の演奏では、やや堅い、正攻法的な演奏との感想を持った。笑わせてやろう、というわざとらしさ、いやらしさ、よりは、真面目に構えた感じだろうか?(奏者の演奏意図と違っていたらゴメンナサイ)ただ、意識しすぎた余分な表現を感じなかった分、「おいおい、間違ってるんじゃない?ホントに出番?」といった違和感から来るおかしみ、がとてもよく感じられた。私のつれも「あんな楽譜でかわいそうだ」との感想を漏らしていたが、そう思わせたら「しめたもの」、ではないだろうか?
笑いの鉄則、笑わそうと思って結局面白くないのは最低、本人おお真面目で笑わせようなどと思わないのに、その場に合わない失態を演じてしまうと大爆笑・・・・人間ってホント性格悪く出来てるものだ。今回の、トロンボーンに笑いの本質を見た、いや聞いたような気がするのだ。
全くの余談だが(ちょっと非難めいてしまいます。N響ファンの方にはあらかじめ謝っておきます)、3年ほど前のアマチュアオーケストラ連盟の合同演奏会、浜松での開催の時、佐渡裕指揮でショスタコの5番をやって、大変素晴らしい演奏であったのだが、観客として私が気に入らなかった点、第2楽章のバイオリン・ソロ。最近、N響のコンマスをやっている髭面の天平文化仏像風な顔の方です。道化の表現が、いやらしすぎ、わざとらしすぎ、よたれすぎ、逆に面白さが殺されていたのを思い出します。「笑わそう」という魂胆見え見えなのも逆効果だ、と痛烈に感じました。ショスタコの道化の演奏の勘違いの例として、甚だ独断的ではありますが、紹介させていただきました。
さぁ、期せずして長期連載となった、タコ4第3楽章を巡るこの拙文。最後を迎えることとなった。
最後のコーダ、ベートーヴェンの「運命」的な歓喜が消滅した今、何が残されたのか?
交響曲における19世紀的楽天主義を否定する2つの第6交響曲がクローズアップされる。
そう、チャイコフスキー「悲愴」とマーラー「悲劇的」。
前述の通り、歓喜の瓦解の直後から聞こえてくるティンパニ等による四分音符の心臓音。それがいつの間にか、コントラバス主導になり、第1拍にスラーが付き、ンタター・ンタターというリズムが約100小節続く(さらにティンパニもこの音型を受け継ぐ)。このコントラバスの動きは、まさしく「悲愴」第4楽章コーダのコントラバスのオスティナートそのものである。そのリズムの上に木管群の和音が響く。最高音のFes−Esという動きは、「悲劇的」の統一テーマである、長調−短調の和音連結に類似していないか?
などと聴きこむ内、もう一つの第6交響曲が聞こえてくる。低音木管、さらにハープで奏でられる、H−A−Cという動き、ショスタコ本人の6番のフィナーレの最後の音の動き・・・・はたして関係はあるのか?単なる偶然か?
ショスタコの6番、「頭のないシンフォニー」ならぬ「お尻のないシンフォニー」との考え方がある。つまり「悲愴」の第4楽章を欠いた形を想像しよう。悲愴なる終末が敢えて書けなかった社会主義リアリズムという、芸術表現の縛りを、ショスタコのロ短調の6番は物言わず抗議しているかのようでもある。その6番が4番に引用されているのが確信犯的犯行であったなら・・・・・・。
などと想像する楽しみこそ、我が「曲解」ワールドである。本気には出来ないだろうけれど、そんなこと考えるのもまた一興だ。
ただ、最後のH−A−C、よくよく楽譜をよく見れば、第1楽章冒頭のA−G−Fという3度の下降順次進行の第4楽章第4部における再現(金管群のG−Gis−Aというファンファーレと対決するかのような、ホルンと弦によるG−F−Eという音型の連続)から導かれたものに過ぎない。つまり、H−A−Cという動き自体は、第1楽章冒頭の変容された再現であり、それ以上の意味(6番との関連)はない、と言いきってもいいかもしれない。でも、なんだか気になるのだ。4番第3楽章のコーダが、6番のキャラクターを示唆するという考えも面白い考え方だとは思うのだが・・・・。さてさて。
さらに最後、葬送行進曲の再現、G−C−Fis。As−Des−G。4度の上行が積み上げられた、トランペットの弱奏。そして、チェレスタの不思議な、ハ短調主和音の分散和音が繰り返される中、最後に一言、チェレスタが、ますます不思議な音を発する
・・・A・・・・D・・・・・?????
ここで私の曲解。このチェレスタは、その前のトランペット弱奏を受け継ぐ動きではなかろうか?
G(2拍)−C(1拍)−Fis、そして、As(2小節)−Des(1小節)−G、さらに、A(4小節)−D(2小節、フェルマータ付)・・・・・・・
ときて、ふとひらめく。この三つの動きは、拡大されかつ、半音上行するという法則でつながっている。トランペットのハ短調的な動きを半音上げて、最後にチェレスタは、最後の力を振り絞って、フラット音をナチュラルに変え、ハ長調の確立をしようとしつつも、力尽き、背景の弦のハ短調の主和音も当然長調にはならず、旋律線そのものも、A−Dときて、その次の音が何になるかは不明のまま、解決を見出す事無く終わるのだ。
まるで、人の臨終の場面、最後の言葉を発しようと懸命に口は動かすが、音にはならず、最後の言葉は発されることなく死んで行く・・・・・そんな場面を想像するのだ。まさしく、ショスタコが生き、この作品を書いていた時代、場所は、最後の一言を発することなく息絶えていった人が大勢いたのではなかったか。そして、死にゆく人の最後の言葉に細心の注意を払って、耳をすませば、A(4小節)−D(2小節)の次のタイミングに聞かれる音は、ハ短調のか弱い主和音、具体的には、和音の最高音G、そしてその音を聞き出そうとしても、減衰していくばかり・・・。A−D−Gという完成された、4度の上行が連続するモチーフのハ長調的な変容は、もはや聞くことが出来ない。いつまでまっても、最後の言葉は、息のもれる程度の空気の動きだけで、音になることなく、息絶えるのだ。
そして、その死を見取る我々は、一つの命の灯が消えてゆくのを静かに凝視しつつ、死を信じたくないあまりに、まだ、灯がともっていることを信じて待つのだ。しかし、待てども命の灯は小さくなるばかり。・・・・・・・・・ひたすら凝視
・・・・・・・・・・・・長い緊張と沈黙・・・・・・・・・・生の創造者(指揮者)が、長い静寂の後、完全な死を確認してその沈黙に終止符を打つ・・・・・・・。
音にならなかった最後の一言、チェレスタのGの高い音を頭の中に想像しつつ私は、その沈黙の間、現実のGの音を探し続け、それを諦めた時、音楽は(その沈黙の間も含めて)終わっていた。何という重い経験だったであろうか。そして、これほどに、厳かで、また、凍りつくような研ぎ澄まされた感覚に支配された、曲の終焉が他にあろうか?「悲愴」「悲劇的」の終結など比ではない、この感覚。この体験は、音楽鑑賞というレベルを超えた、人間の生きざま、そして死にざまさえ、追体験させるが如き重いものだと感じた。
この壮絶なる音楽を見事、再現し得た「ダスビ」そして「マエストロ・長田氏」に感謝します。そして、この体験をより素晴らしいものにしてくれた「聴衆」の方々も同様です。この演奏に出会えて、幸せです。
今後の活躍もおおいに期待しています。
完
音楽聴くも興奮、感想書くも興奮。音楽が人の心を突き動かす、という実感に満ち満ちた経験、嗚呼、何と素晴らしいことか(2000.3.19 Ms)
2/15(火) 安倍圭子 講演会
世界的マリンバ奏者、安倍圭子さんの講演会兼ミニ・コンサートがあったので名古屋まで出掛けた。
私も、これでも打楽器奏者の端くれなのだが、安倍さんの存在こそ知っていたものの、その演奏も作品も知らず、私の勉強不足は多いに恥ずべきだ。なにしろ、今回の講演テーマ「日本発信の文化〜マリンバ〜」に対して?のまま講演会に臨んだのだから。
楽器の由来はきっと、アジア、アフリカ辺りだろうが、現在の形になったのは、中南米、そしてアメリカであるという。その楽器が何故、日本発信の文化という役割を担っているのかが理解できなかった。西洋のクラシックでも19世紀後半から木琴がオーケストラでも使用されるようになるが、マリンバも同じように西洋で発達し、20世紀後半頃から打楽器を愛好する現代作曲家によって今の地位を築いたものと勝手に想像していたのだが・・・・。
日本にマリンバが上陸したのは第2次大戦後。その頃、安倍さんがマリンバと出会い、魅せられ、その道へと踏み込むのだが、当時、芸術音楽の楽器としては全然認知されていなかったと言う。日本だけでなく世界的な話である。ラテン系音楽の伴奏に使われる程度であったという。安倍さんは、西洋のピアノ曲などをアレンジして演奏を始め、当初はいかにマリンバという楽器でピアノ音楽を移し変えることができるか、といった点で演奏技術の開発をし、それで満足していたらしいのだが、ある時、「何故、マリンバにはオリジナル作品がないのか?」といった疑問にぶち当たり、それから作曲家に曲を依頼し、また、自ら曲を書くことになったのだ。最初は、何人かのグループで活動していたのだが、経済的な苦境にあって、結局安倍さん一人が残った。スタジオでのバイトの稼ぎが作曲依頼の資金となり、日本の有名作曲家たちも盛んに曲を提供し始めるが、それも安倍さんの積極的な働きかけあってのことだ。
文化庁主催の芸術祭への参加に初めて応募した時、お役人は安倍さんを門前払い。マリンバなどという楽器は前例が無い。芸術音楽としては認知されていない。等々。3度目のチャレンジでようやく、窓口担当に意欲的な人と出会い、多くの日本の代表的作曲家からの曲の提供が効を奏し、実現する。その芸術祭での演奏後、すぐさま、アメリカより、大学での講師、そして演奏会などの依頼が10件以上あり、そこからようやくマリンバは世界で認知される道が開かれた、という訳だ。そして現在、マリンバ・ソロの楽曲の主要レパートリーの約1/3は日本の作品、とのことらしい。ピアノ音楽におけるドイツ音楽、みたいな古典的かつ主要な位置を占めるにいたり、世界に誇る日本の文化、と言うにふさわしいものになっているのだ。
さて、安倍さんの作品であるマリンバ・ソロの曲の演奏をはさみつつ、いろいろなお話も聞かせていただいた。
最も印象的だった曲は、日本の祭りの太鼓をイメージして作られた作品。動物の皮を大きく巻いたバチを使用(大太鼓のバチより大きい)。木を叩くと、ばちばちといったノイズと音程が聞こえ、確かに和太鼓の雰囲気はある(皮を木で叩くのでなく、木を皮で叩くのだ)。随所にバチの後ろで鍵盤を叩く事で、枠打ちの効果を狙ったり。音響的にとても面白かった。また、音楽の質も、カーニバル、フェスティバルではなく「まつり」のイメージとして、勇壮な和太鼓の連打とともに、祭りの後の淋しさなどもイメージされているとのこと、そんな雰囲気もただの景気良さだけでなく、曲に奥行きを与えていた。
細かな音符の中から、大きく旋律が点描的に浮きあがるのが聞こえてくる「ドナドナ」のアレンジも感銘を受けた。コンセルトヘポウの首席打楽器奏者の方の家を訪問した時のこと。子供が大事に育てていたウサギが死んでしまい、子供が大泣きしていた。両親は自分でその悲しみを乗り越えるしかない、ということであえて何も手を出さなかったが、子供は自ら泣き止み手厚くウサギを庭に葬った。そして、自分の部屋から習いたてのサックスを取りだし、思いのたけを楽器に託す。音にならない。しかし、徐々に旋律らしいものが現れてきた。それが「ドナドナ」であった。私は知らなかったのだが、「ドナドナ」は反戦歌なんだそうな。これから殺されるであろう子牛の運命を、戦場に赴く戦士に重ね合わせたものらしい。その時の「ドナドナ」が忘れられないという。そんな話を聞いた後のマリンバソロによる「ドナドナ」、とても心に響くものがあった。
そうかと思えば、バリバリの現代的作品「道」。今や、アメリカの音大のマリンバ専攻者が1年生で必ず演奏する作品とか。その作品を改訂したバージョンでの演奏だったが、両足に鈴のようなもの、両腕にシェーカーのようなものをつけ、演奏とともに足を踏み鳴らし、また、バチを空振りさせて空中でシェーカーの音を出したりと、全身であたかも打楽器アンサンブルをしているかのような鬼気迫る作品で凄かった。日本人としての祈り、のようなものが作品の背後にあるらしい。
最後に演奏した「愛のリフレクション」は、アメリカのポップスソング「愛の喜び」を断片的に引用した作品。最新作の一つ。安倍さんがずっと暖めていた作品だったようだが、60歳になったのを期に愛について考えてみたとのこと。しかし、「愛の喜び」の旋律が全面に出る事は無い。愛する者に裏切られるのではないかという不安、出会いの不安、または愛ゆえの憎しみ・・・・・・・もっと、生身の人間として、安らぎだけでないドロドロとした愛を表現したかったと言う、タイトルからは想像できないほどに厳しい作品であった。それにしても、60歳を越えているとはとても信じられないパワフルな演奏、そして妥協の無い(自分の技術にも、そして聴衆にも)演奏家としての姿勢、もう、とても素晴らしい、としか言いようが無い。日本の生んだ打楽器の巨匠に対する私の不明を羞じることしきりである。
さて、その他、曲間のお話の中にも、日本の企業、役所における、文化に対する無知、無視ぶりを指摘するものもあり、なるほどと思うものもあった。
例として、安倍さんは、マリンバのパイオニアであるにもかかわらず、コンクール嫌いで通っておりコンクール開催など考えてもいなかったのだが、ある時ニューヨーク・タイムズの編集長が、コンクールの無い楽器が一流と言えるか、との意見で、安倍さんの演奏会に対する批評記事を没にしたことがあり、後進のためにも、国際マリンバコンクールを主催する事を決意したとのこと。しかし、その自他共に認めるマリンバ音楽の発祥地でもある日本でスポンサー無く、結局、世界のマリンバ関係者の努力空しく、第1回はドイツでの開催となったらしい。第2回は長野の岡谷でなんとか開催できたらしいが、それも予定よりかなり遅くなってしまったらしい。それが数年前のこと。「私も、日本の役所仕事的な進め方(役所も企業も)に対してしっかり勉強させていただきました」と笑う安倍さんに対してとても恥かしい思いも抱いてしまう。阪神大震災時の外国からの救助犬の受け入れのもたつきについて、ちょうどその日、オランダに滞在しており、レッスンしていた大学生が安倍さんに対し猛烈な日本批判をしたのに対し何も答えられなかった・・・・などというエピソードとともに、日本の麻痺した感覚を再認識。
また、最初と最後に強調されていた、「個」の尊重こそ大事、「個」が文化の最小単位だ、組織にあっても「個」の感性を忘れずに、といった指摘は充分、心に刻みたいものだ。
とても満足感に満たされた1時間半を過ごすことが出来た。安倍さんの今後の活躍も多いに期待しています。
(2000.2.17 Ms)