たぶん、だぶん(多分、駄文)

記事の更新は不定期となるでしょう。たぶん。

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このコーナーは、「今月のトピックス」に盛りこめないような些細なネタをただ書き連ねるだけのコーナーです。
Msの個人的な日記代わりのようなものになるものと思われます。皆様の期待
(そんなものあるのかなに応えられるものにはなりません。「たぶん、だぶん。」です。    

(2000.12.29 Ms) 「人類の夜明け」は近いか?

 いよいよ、21世紀。世紀をまたぐ瞬間。そうそうない経験である。
 しかし、なんだかいつもの年越しと違わないものである。逆に去年の方が、特別ではなかったか。2000年代の到来。緊張もしたし、興奮もした。仕事上、Y2Kの担当だったりして気が気じゃなかった。それに比べて何て平穏無事な年末である事か・・・霞ヶ関の人達ごめんなさい。今年は引越しで大変だ。
 子供の頃、21世紀なんて言うと、ロボットがでてきたり、宇宙旅行できたり、と空想を働かせたものだ。(ノストラダムスの預言する人類滅亡も気にはなっていたけれど。)なんだか明るい未来が来るような、そんな浮ついた響きとして「21世紀」はあったように思う。しかし、現実には、世相は暗い、国の将来を思いやっても・・・・さえない新世紀到来ではなかろうか・・・・なんて書いてしまって、永田町の人達ごめんなさい。

 ただ、こちらの方は、あえて私が謝る事もあるまいて。
 そう言えば、11月の政局、加藤氏の乱、には皆さんもがっくりきたであろう。こんなことやってたんじゃ、まさに
憂国、である。なんて思わせるのが、これまた三島由紀夫の亡霊か、11月ということもあって。没後30年の今年、憂国ゆえに壮絶な死を選んだ、三島の残したメッセージ、全て受容する事はできないにせよ、なにか共感できるものがないか?
 
憂国を叫んで30年。結局変わらない日本であったのか?高度経済成長は止まって、バブルははじけ、緩やかな景気上昇などと言いつつ地盤沈下?憂国を叫びつつもその声は届かず、日出ずる国、日本の夕刻てな按配。

 夕刻ゆえの憂国な状態にある、わが新世紀到来。決して手放しで「明るい未来」なんて叫べない。そんな現状なのに「人類の夜明け」なんて誰が信じて叫べるものか。・・・この感覚、ショスタコーヴィチの交響曲第12番「1917年」のフィナーレ、まさに「人類の夜明け」と題された音楽を書いた彼の感覚と似ているような気がしてならぬ。
 こんな新世紀だからこそ、「2001年宇宙の旅」なんて浮かれないで「人類の夜明け」を演奏しよう。演奏できなきゃ鑑賞しよう。そしてその音楽の偽善を影で笑おう。ただし、演奏会場では「人類の夜明け」信じてみよう。そして、自宅で一人、信じた自分も笑ってみよう。
 2001年2月、オーケストラ・ダスビダーニャさんの「人類の夜明け」是非聴こう。そして、2001年、「人類の夜明け」感覚を思いっきりぶっとばしてやれ!

(2000.10.15 Ms) 忘れられない9・11

 9/11、最悪の被害をもたらした東海豪雨より1ヶ月経過。テレビで様々な報道がなされる。防災の観点から、NHKで紹介していたのは、横浜市の鶴見川における「総合治水」の例。国や県が、河川改修、堤防作りなど大規模工事を行うとともに、市は、遊水池、貯水池の整備、そして、民間の土地開発に規制をかけて、一度に雨水が川に流れこまない仕組みに取り組んでもらう、という政策の紹介があった。テニスコートが、レストランの駐車場が、緊急時に貯水池に。ちょっとした工夫を、官のみならず、民の施設においても、することで、川の氾濫を回避するというもの。市内3000箇所が、貯水機能を果たしていると言う。それに比べて、愛知県の例は・・・・。
 今回、大被害となった新川。その上流にあたる、春日井市が横浜市と比較されていた。春日井市においては、開発優先。「総合治水」的な政策はなし。貯水池は2箇所のみ。とにかく、宅地造成、商業地拡大、そのなれの果てが、いざという時に裏目、恨め。新川にどんどん、とめどなく水は集中。どうも、その番組の視聴者は、今回の災害、春日井市役所が招いた災害なんじゃないか、と錯覚しそうだ。お役所の視察旅行などなど、いろいろやっていると思いますが、先進的な自治体の取り組みを勉強し活用できていなければ、なんのための視察か?とかんぐってしまうな。それは、ともかく、「まちづくり」の中に防災の観点も取り入れなければならん、と真剣に思う。どこかの新聞の投書に、ご老人が、「私は100年に一度の大雨、生涯、3度目だ」などと書いていた(当然、その老人は300歳を迎えたわけではない)。人災を天災のせいばかりにしていられない。

 さて、同じ愛知県に住みながらも、私の住む辺りはたいした被害もなく、ほっとした、はずなのだけれど。
 その豪雨の夜、母から、父入院の知らせが舞い込む。前日の、刈谷オケの練習の話題のついでで、映画音楽のCDなど聞き始めた矢先、とんでもない知らせがやってきたというわけだ。その夜の雨は、不安感をかきたてるのに充分なほどの効果があった。隋分、寝つけなかった。
 翌日のテレビでの、新川の映像もショッキングではあったが、私には、あまりにも身近な生命の危機、で頭が一杯であった。あの映像をテレビで見るたび、あの夜のことを思い出す。
 昨日、次の治療へ移行することが出来ないため、一応退院はしたのだけれど。命にかかわる選択を、要所要所で求められる1ヶ月だった。ちょっと落ち着いて1ヶ月振り返る余裕もでてはきた。・・・でも、その運命の電話の時、偶然聞いていたのが「風とともに去りぬ」・・・。正直、「去られてたまるか」。そんな気持ちを、あの旋律を思うたびに、抱いてしまう。
 そう言えば、CDもあまり聞いていない。ムラビンスキーの来日演奏も、CDは買ったものの、聞く気になれずにそのままだ。でも、あの時、違うCDを聞いていなくて良かったかもしれない。自分の好きな音楽と、ショッキングな思い出がオーバーラップされてしまうと、辛いだろうな。

(2000.9.25 Ms) 消しがたきもの

 「だぶん」も久しぶりです。7月は「トピックス」がやたら好調だったあおりを受けて、「だぶん」を書く暇もありませんでした。が、「トピックス」にも書きましたが、個人的事情により、「トピックス」は、当面の間、低調とならざるを得ないと思います。今後は「だぶん」を中心に、当HPは回り始める・・・・かどうかはわかりませんが。

 昨日は、マラソンの高橋選手、素晴らしかったですね。日本で女子初の金メダル。日本中が沸きました。そんな中、ひっそりと、いつの間にやら、巨人が優勝を決めていました。N響アワーを見る前、8回で、4−0と中日に負けており、今日優勝を決めないのは妥当な選択だな、新聞の一面に載らないだろうし、などと思っていたところ、寝る前にTVをつけたら、テレビ東京系で、長嶋監督が出演しており、いつの間にやらの逆転劇。それも、テレビ東京と言うのはちと寂しかったが。
 そこで、今年も、優勝記念記事と相成った!!昨年の中日ネタも大好評でしたし。(ちなみに私は特定球団のファンじゃないです)

 提案です。せっかく、オケも持っているんですから、読売。巨人優勝記念コンサートをパーっと派手にやりましょうよ。・・・・もうたいがいの人は気付きましたね・・・
マーラーの1番とニールセンの4番、その名も、
「巨人」は「不滅」だコンサート!!
 ああ、情なや。しかし、ダブル・ティンパニの名曲2曲。今年の巨人の重量打線に相応しい曲ではないか。打って打って打ちまくる。ってわけか。

 それにしても、「不滅」はじめ、ニールセンの音楽にこの夏、おおいに盛り上がっていた私。ニールセンの故郷、デンマークのフュン島に行ったことも影響していようが、とにかく、力強さ、スケールの大きさ、楽天的エネルギー、誰にも似てないユニークさ、などなど惹かれる要素に事欠かない。打楽器の使用法も当然ながら。
 その中でもやはり「不滅」は最高だ。「不滅」ならぬ「消しがたきもの」と訳すのが本来だが、その抽象的ながらも、崇高なテーマにも心が動かされる。第1次大戦の悲惨な状況下にあって、人間の生への意志、そして音楽も、決して消し去る事はできない・・・私達に素晴らしい指針を与えてくれるではないか。
 (ショスタコーヴィチの自虐は、当分封印かなァ) 
 ふと、私の今の今の状態も振り返る。「生の意志」「生の希望」・・・これらが「消しがたきもの」であることを壮絶に信じたいと思う。私の実の親の問題だけにとても辛いのだが。
 さて明日から、「消しがたきもの」の闘いが本格的に始まろうとしている。私もがんばらねば。

(2000.6.6 Ms) コクタイの思ひ出
 
「教育勅語復活」、「日本は神の国」と来て、「日本の国体を守る」などと言われれば、首相の言わんとする「国体」は、国家体制なんて一般的な広い意味でなく、戦前日本に考えられていた、神である天皇を頂点とする世界で唯一無二の日本のいわゆる
「國體」の意味だと誤解されてもしょうがあるまい。
 大東亜共栄圏なる幻想は、欧米諸国によるアジア支配からの解放という側面も確かにあろうが、それ以上に、アジア諸国に対する日本の
「國體」の押し付けではなかったのか。
 戦争末期、早期に敗戦の決断が出来なかったのも、
「國體」護持にとらわれて、天皇の地位が脅かされかねないポツダム宣言を受諾できなかったからに他ならない。そんな「國體」護持の思想ゆえに、2つの原爆投下は阻止できず。さらに、ソ連の参戦も誘発され、満州での悲劇、シベリア抑留、残留孤児といった結果も引き起こす。

 そんな忌まわしい「國體」なる言葉をのたまう首相も首相だが、実は、そんな言葉をすっかり忘れてしまっていた日本人も日本人だ、とも思う。新聞もテレビも、「国体」とは「国民体育大会」の略ではなくて・・・・と前置きして、過去の「國體」なる言葉の意味を解説し出す。そんなことでいいのかどうか。日本に歴史教育なる概念は存在しているのか?つい半世紀前の悲劇、諸悪の根源たる「國體」を知らない、すっかり忘れてしまっている日本人たちこそ問題あり・・・とも思えてくる。

 私も人のことは言えない。しかし、この失言を機会に私の「コクタイ」の思ひ出などひもといてみるか。
 大学1年、入学早々「社会思想史」なる講義を選択したのだが、教授が共産党員であった。明治以降の自由民権運動あたりから話は始まったのだが、福沢諭吉などは晩年、「脱亜入欧」を唱え、日本は欧米のようにアジアに植民地を持つべきだと主張したのだ、とか、板垣退助などは、「板垣死すとも自由は死せず」と言いながらも生き永らえて、しっかり体制側の政治家になりさがった、とか、どうも高校までの教科書からは思いもよらぬ内容の連続で毎日がスリリングであったのを思い出す。中江兆民、植木枝盛といった思想家こそしっかり研究すべきという姿勢も共感をもって聞いていた。そうかと思えば、三島由紀夫の独自な天皇制を中心とした文化論なども批判の対象とし、知的好奇心をおおいにそそる講義の連続であった。そんな彼の著作が教科書であったのだが、その教科書の巻末の付録が、
「國體ノ本義」なる戦前の文章。天皇制を戴く日本の国家体制を説いたもの。いまや入手困難なので、右翼の方々も、彼の著作を購入し「國體ノ本義」の部分のみ切り取って勉強している、と教授は笑っていた。当然この講義でもみっちり取り上げられていた。そして、1年に渡る講義の最後の試験の問題はたった一言、「國體ノ本義」を批判せよ!
 
もう自分がどんな答案を書いたのかは覚えてもいない。しかし、戦前日本の愚かな「國體」なる概念を18歳の若き頃!!に勉強し、かつ批判する機会を持てたことは、私にとってプラスであっただろう。最近の「國體」を巡る報道を横目に見つつ、ふと思った次第。
 案外、首相の一連の時代錯誤発言も、歴史教育の不足する日本にあっては、近現代史の勉強のまたとない契機を全国的に展開させたと言う意味においては、結構特筆できる現象とも考えられよう。・・・しかし、首相も国民も認識不足であるということが全世界に知れ渡ったのは、今後の日本の国際的信用に影響はないかねぇ。もっとしっかりしなきゃ。我々も。選挙ではしっかり考えなければ。

 なんだか、いままでになく堅い内容なので、もう一つの「コクタイ」、国民体育大会の思い出も。
 5年ほど前に愛知県で国体があった。私は裏方でせこせこと働いてもいたので、開会式を断片的にじかに見ることが出来た。大ブラスバンド、大合唱団、その迫力には理性よりは本能が反応し、結構感激したものだ。きっとベルリオーズの諸作品の初演を聞いた人々もこんな感覚だったのかな。さてさて、そんな大音響の饗宴の仕掛け人の一人が、実は西野淳先生と言うわけで・・・・式典行進曲の作曲家として大活躍だったのだけれど、そんな西野先生とつい最近、「コクタイ」発言当日、随分久しぶりに競演して、懐かしさもひとしお。その詳細はまた、トピックスにて。

(2000.4.25 Ms) Sunday DAJARE Battle
 
先週の土日は久々にのんびりとくつろいだ。下の欄冒頭の危機的状況もとりあえずは乗り越え(GW開けが、また、きつそうだが)、土曜は
「トピックス(4/22)」のとおり。
 さて、日曜は、リニューアルされた「題名のない音楽会」から始まった。
 朝日新聞の読者の声にあったが、音楽版「鉄也の部屋」から往年の黛時代へ回帰したようで嬉しい、とのクラシック・ファンの意見もあり、確かに、格調高くクラシックを楽しむ番組へと変貌していた。羽田健太郎をメインに据え、音楽批評家のコメントも交え、今月は、20世紀前半の音楽の特集ということで、私も興味深く見ることが出来た。
 ただ、前回ちらっと見たところ、東京フェスティバルオケ(?)なる団体の演奏は、質が低そうだ。オネゲルのパシフィック、バルトークの弦チェレのフィナーレ、ひどかったな。
 今回の下手さはそれほどでもなかったか。アメリカ音楽の特集、アイヴズの「セントラルパーク」のポリリズムの試み、ピアニストが第2指揮者兼用で、全く異なるテンポのジャズが始まるところなどは面白かった。小松和彦氏の説明も聞けて良かった。
 最後は、待ってましたの、ハネケン弾き振りによる「ラプソディ・イン・ブルー」、パフォーマンスとしては楽しい。
 しかし、そこへ至る会話に注目。
 「これぞ、アメリカという作曲家は・・・」「目白の近くの・・・・」「それは、
学習院!」「あぁ、ガーシュインですね」
 てな具合な脱力ギャグ。
 とうとう、クラシックファンは毎日曜日、朝と夜に壮絶なダジャレ合戦に巻き込まれるというわけか。N響アワーの池辺晋一郎と双璧をなす人物が現れてしまった。
 
ハネケン・イケシンのギャグ・バトル、これからもお見逃し無く。

追記)私は今回のN響アワーは見逃した。利尿作用のあるドボコン(ドボルザークのチェロコンチェルト)は、敬遠させていただきました。(詳しくは
「ジャクリーヌ」の映画を参照)
(2000.4.8 Ms) 2000年春、我が3大Bを称えて
 すべては、3月17日、このセリフから始まった。「君には、180%働いてもらう」
 リストラがらみな大規模な組織改変もさることながら、(一応公的な場なので詳細は書けないが)4月から、私より20歳も年上な同僚と組んでの難しい職場環境の中、年度始めの多忙で疲労困憊な毎日。このところ毎週土曜日しかパソコンをいじってなかったりする。
 しかし、こんな時、音楽があってとても救われるな、と感じるのだ。それも、演奏者としての活動に。
 先週末は年度の変わり目で仕事に追われながらも、土曜日の夜、仕事を切り上げて、ある先輩宅へお邪魔して音楽談義に花を咲かせ、気がつけば翌午前4時半。睡眠不足と二日酔いの中、日曜日、豊田フィルのトラとして練習に参加。曲は、なんと、
バーンスタインの「シンフォニック・ダンス」だ。ボンゴその他を担当。初めての指揮者来団日でもあり、オケ全体としてはまだ混沌とし、特に芸大生を中心とした打楽器トラ軍団も初来団、アンサンブルとは言えないほどに乱れまくっていた。しかし、私も以前お世話になった、西野淳先生の懇切丁寧な、そして、ノリに乗った指導、指揮ぶりにより、少しづつ形になっていくプロセスにとても嬉しさを感じつつ、私も久々に打楽器奏者としての腕の見せ所を発揮させる場を与えられ興奮の度合いも高く、職場での不安は吹っ飛んでいた(しかし、西野先生の変貌ぶりには驚いた。よほどドイツものは不得意、アメリカものが大好きとお見受けする)。
 しかし、そんな、練習の合間にも、まめに職場へ電話連絡、仕事の進捗状況の確認など怠る事無く進めねばならなかった。
 さて、バーンスタインが最後まで行かないままに、次のトラへ足を運ぶ。高速道路とオレンジロードを最速で移動し、一気に南下、蒲郡フィルで、
ボロディンの第2交響曲フィナーレのタンバリン。予定の時間に遅れること10分、しかし、まだ第1楽章が始まったばかり。軽くタンバリン3台を叩き比べて腕ならしした後、合奏に合流、気持ちよく叩けた。それ以上に、待っている間の第3楽章が、こんな感動的に聞こえたことはなかった。とにかく、仕事もそうだし、その時の移動といい、自分には今余裕がない、焦っているばかり、そこへ飛び込んできた、雄大で、かつ、懐かしく、力を与えてくれるようなボロディンの音楽にホント、涙が流れそうだった。
 そう言えば、この春、私はタンバリンづいている。このボロディンも楽しいが、我が刈谷オケの演奏する
ビゼーのカルメンも楽しい。
 そう言えば、カルメンも妙に今の私にまとわり付いてくるな。刈谷もそうだが、実は、豊田でも第1組曲をやる。かと思えば、今週、名古屋シンフォニアからも、声楽との競演と言う形で、カルメンの抜粋(私の出番は2曲だけど)の依頼があった。
 ・・・なぁんて考えてみると、現在の私を支えてくれる作曲家は、バーンスタイン、ボロディン、ビゼー。B、B、Bてな按配だ。
 すさんだ私を勇気付ける音楽は・・・・。
 バッハの職人芸は聞き流すだけの存在、ベートーヴェンの楽天主義は偽善にしか聞こえず(小渕首相の病気も、無理なオブチミズムがたたってのことか?所詮、人間社会、楽天主義には無理がありますって)、ブラームスの禁欲、理性は、じっくり付き合う暇もなく、まどろっこしい。ドイツ3大Bは、私には何の感興も呼び起こさせないじゃないか。
 バーンスタイン、ボロディン、ビゼーは、文句無しに、余分な頭使うこと無しに、私の肉体自身が、音楽を楽しんでくれているような気がする。壮絶な職場環境からの帰宅、彼らの音楽をふと思い浮かべるだけで、がんばろうって気にもなる。
我が3大Bに感謝感謝。これからも私を奮い立たせておくれ。

 最後に余談、タンバリンってとても好きな楽器です。細やかな技術を披露するのが楽しいし、第一、とても華がある。音色も。そして叩く姿も・・・へへへ。一種のコスプレ、変身願望なのかも、特に、「アラゴネーズ」「ジプシーの踊り」なんてそう感じさせませんかねェ。ペンネーム、変えてみようかしら?「丹波 鈴」なんてどうかしらねぇ。フフフ。(疲労ゆえの乱心として軽く聞き流しといてください)

(2000.3.19 Ms) 私の、とある言い訳(いいわけ)と、池辺晋一郎の、とある言い分(いいぶん)と
 
年度末、そして年度始め、春先から初夏まで、いつも仕事で忙しいため、思うように記事も更新できません。実は、今年からの新企画も計画していたのだが、今のところボツのまま。なんとかしたいのだが・・・・(こんな言い訳を書くくらいなら、その新企画でも執筆したらどうか?)それが、その・・・・
 新企画は、極めてありがちなもの。その月に私の買ったCD、好きな順に並べ、コメントなど書こうと思っていたのだ。なに、簡単なことじゃない?それが、その・・・・
 1月、2月と上京したこともあって、両月とも買ったCD約10枚、計20枚ほど、これがなかなか聴く機会に恵まれないのだ。
 どうも、仕事に疲れて帰宅した後、そのCDを聴く気になれないのだ。私にとって初めて出会う曲を、初対面で、ぞんざいに聞き流すことはできない。じっくりと耳を傾けたい。それが平日には出来ない。休日もいろいろ用事があって(実はスキーに行ったりもするのだが・・・いえ、昨日今日は仕事でしたが)じっくり新作CDを聴く気になれないのだ。
 以上が私の言い訳だ。(シベリウスの初期の、「ニコライU世戴冠式カンタータ」(ロシアへの迎合!?)の世界初録音、マーラーの交響詩「巨人」、芥川也寸志の映画音楽集などなど壮絶な顔ぶれで面白いものも多々見つけたのだ。今後紹介していきたいとは思っている)

 さて、話は代わって、2,3日前の読売新聞の、池辺晋一郎氏の投稿が面白かった。月に一度「耳の渚」というコーナーを執筆しているようだ。
 
夜の芝居 消える街 〜勤め帰りの疲れた心、「ことば」では癒せない〜
 との題である。最近の傾向として、演劇、芝居は夜では客が入らない。しかし、コンサートは夜が主流だ、という話。
 引用しよう。「勤め、働く人たちにとって夜のコンサートは、昼間の仕事の疲れを癒すものになっているのかもしれない。」
 では、一方、演劇は?
 「芝居を見ることは、ことばを聞くことでもあるわけだ。ところがことばときたら、昼間の職場でいやというほど聞いてきている。聞くだけではない。自らもかなり発した。それゆえにさまざまな軋轢も生じた。(中略)なのにここで芝居を観たら、ふたたびあの不愉快なことばの世界に引き戻されてしまうのだ。」
 「だから、勤め帰りに芝居は観ない。音楽ならいい。あれは、軋轢を回顧させない。」
 ふむふむ一理あり、という感じ。しかし、最後に彼は、こう危惧するのだ。
 「いつから、芸術は逃避の手段になってしまったのだろうか。受身に徹している。芸術からくつろぎや癒しなど、一方通行の特典を貰おう、という根性に成り下がってしまったではないか。芝居が消えた夜の街で、僕はいいようのない不安にかられている。」

 心配めさるな。少なくとも私は、音楽を逃避の手段、そして癒しとして聞くべくコンサートに行ってる訳でもない。今日書き上げた「オーケストラ・ダスビダーニャ」の感想を読んでわかるとおり、スポーツ観戦並の興奮を味わうべくコンサートに行くのだ。ホントに疲れてるときは遠路はるばるコンサート会場に行くこともなければ、自宅でCDを聴くことも出来ない。ただ寝たい。万難を排し、コンサートに行き私の好きな音楽を聴くのならば、私は心揺り動かされ、エネルギーを使い果たしてしまう。それは、自宅においても、特に、初めてのCDであればそれくらいの覚悟で聴かなきゃ。まして、作曲家が聞き流すために書いた音楽ならいざしらず、聴いてもらうのを前提にした音楽を聴くのなら、万全の態勢で聴きたいじゃないか。まして、例えば、ショスタコーヴィチの大部分の音楽など、社会の軋轢そのものを考えさせるもので、逃避になんかなりゃぁしないよ。
 という訳で、池辺氏の言い分に耳を傾けつつ、私の最近の怠惰の言い訳をしつつ、一筆したためてみた次第。
 (追記。今日のN響アワーの池辺氏は、久々にギャグ炸裂であった。読売紙の投稿の真面目さとのギャップが格段であった。)

(2000.2.24 Ms) プロコフィエフ。 と モーニング娘。
 「今月のトピックス」の、00年2月分「オーケストラ・ダスビダーニャ」の項で予告したネタの登場です。
 ダスビを聴くべく、2/19、前泊したホテルでのくつろぎの一時、TV「ブロードキャスター」で「モーニング娘。」の特集をやっていた。何でも、外国の経済記者が、「モーニング娘。」のヒット曲「LOVEマシーン」が低迷する日本経済の起爆剤だ、とかいう記事を世界に向けて打電したとか。不景気日本の雰囲気を明るくする、と言うわけだ。
 もう、ピンと来る方もいるだろう。
「日本の未来はウォウウォウウォウウォウ。世界もうらやむイェイイェイイェイイェイ」ってこと。
 しかしなぁ、異常な事件相次ぎ、そんな不安を解決すべき警察の不祥事相次ぎ、リストラ、そして失業もいっこうに収まらない状態で、誰が日本の未来をうらやむんだろう。
 
「日本の未来はウォウウォウウォウウォウ。世界も憂えるイェイイェイイェイイェイ」くらいじゃないの?

 そこで、私の想像は飛躍する。かつて、こんな国があったんじゃないか? 翌日のダスビの演目がかすかに脳裏をかすめつつ・・・・。
 ソビエトだ!!それこそ
「ソ連の未来は、世界がうらやむ」とか「共産の未来は、世界がうらやむ」なんて音楽を量産してたよなァ。
 ショスタコの「森の歌」交響曲第12番「1917年」(それもフィナーレは「人類の夜明け」なんてタイトルだ)はじめ・・・・ちょっと待った。ショスタコを引き合いに出しちゃ可愛そうだ。彼の音楽は、どうも素直ではない。何か裏がある。本心は違うところにないだろうか?と思い始め、ここでは
プロコフィエフ。に登場願おう。どうも、ショスタコと違って、あからさまに「世界がうらやむソ連」という雰囲気を感じてしまうな(ホントは、フレンニコフとか御用作曲家を引き合いに出したいが、あまりに未知なる世界だ。プロコにゃちょっと申し訳ない登場の仕方ですね。プロコ・ファンの方、ゴメンナサイ。私も好きなので、こんな風に書いちゃってます。)。
 先月、神田神保町のソ連CDのメッカ「新世界レコード」で最後のソ連版メロディア原盤の一つ、プロコの「鋼鉄の歩み 作品41」始めとする管弦楽作品集を購入した。第一、ロシアから亡命しておいて、妙に「労働者」を意識したバレエ書いて。革命を嫌ったはずが、祖国復帰(そんな人、あまりいないのでは)して、とても明るい「ロシア序曲 作品72」書いて。そして、第二次世界大戦が勝利に終わるや、脳天気な「終戦賛歌 作品105」、「花咲く力強き祖国 作品114」(Msの勝手な邦訳です)何て作品立て続けに書いて、これまた「ウォウウォウイェイイェイ」叫んでしまいそうじゃないの。特に、後半でひたすら打楽器爆裂の「終戦賛歌」は(笑い)涙なくして聞けません。呆れるほどの楽天主義。現実から乖離したオブチミズム!!この未来派的、機械讃美のような「鋼鉄の歩み」始めとする、楽天的音楽の詰まったCD、
旧ソ連の「LOVEマシーン」の数々が聴けて楽しいです。
 (さらに言えば、「LOVEマシーン」の最後の歌詞、「あんたもあたしも、みんなも社長さんも」などと並列されるあたり、共産革命の思想の臭いすらしないか?労働者と資本家の身分的格差が最後になって解消されるのだ。我が日本、いつのまにかヒット曲にのせて、老若男女こぞって共産革命を謳歌しようとしているのだ。おそるべき、つんく。つんくは、平成日本のジダーノフだったのか!)
 将来、こんな風に音楽学者が総括するのではないか。「社会主義リアリズム」と呼ばれた、現実から乖離した楽天的な国家讃美の音楽は、20世紀半ば頃、ソ連で量産され、ソ連解体後は、20世紀末の日本にその後継者を得た。その名も「レーニン愚娘」と言う。・・・・・・あぁ、つまらなさすぎる。書かなきゃよかった!


(2000.1.31 Ms) シルク・ストッキング
 1/26、BSでやっていたアメリカ映画「絹の靴下」(1957)の感想。
 まずはあらすじ。ソ連の生んだ国際的作曲家がパリに演奏旅行に出かけたまま帰って来ない。そこでソ連政府は彼を召還させるための特使を3名送り込む。しかし作曲家は、アメリカの映画監督から映画音楽を書くよう依頼されており彼にかくまわれている。特使達は、監督と交渉するが、女と酒をふんだんに差し出されて資本主義世界の快楽におぼれ、いたずらにパリ滞在を引き伸ばす。そこで政府は、任務に忠実な、美貌の持ち主の女性党員を派遣し、作曲家の召還を命ずる。最初は、監督に対し社会主義の優位を説く彼女も、監督からの愛の告白、そして、踊り、歌を通じて心を開き愛し合い、自分の任務もどこへやらパリでの生活を楽しみ始める。パリのホテルに到着したばかりの彼女はショウウインドウに並ぶ生足の模型にかぶせられたストッキングに嫌悪をもよおしたのだが、監督への恋心から恥かしいながらも最新のファッションに身を包み、嫌悪の対象であるストッキングをはくことにもなる。監督とロシア人5人(作曲家、特使3人、そして彼女)の交際は続くが、さて、映画の撮影現場へ招待されたロシア人5人はその映画の内容を見て驚き、怒りをあらわにする。ロシアの誇る国際的作曲家の作品は通俗的なポップスにアレンジされ全く原形をとどめていない。「ロシアの文化に対する冒涜だ」、と憤る彼らは今までの監督との友好関係を断ち切り、さっさとソ連へと引き上げる。作曲家の召還にめでたく成功したため、彼女の報告書のおかげもあり最初の特使3人も無罪放免。しかし、彼らは帰国後もパリでの生活を思い出し、味気ないソ連での生活に不満を持ち始める。監督からの彼女への手紙は全て検閲済み、本文は墨で塗られている。作曲家は、今や西洋のポップスにかぶれ、ひそかに「赤のブルース」という作品を彼女達の前で披露、パリでの大騒ぎをロシアで再現、同じアパートの人々も交じっての秘密のダンスパーティーと相成る。その後、3人組は再びパリにソ連映画の売りこみという任務のため出国。しかし、本国に彼らがパリのダンスコンテストでチャチャチャを踊って優勝したという密告が届き、再度彼女がパリに派遣される。3人組はパリでロシア風レストランを経営しパリへの永住を決心していた。そこで、再び監督と出会い、彼からの結婚のプロポーズを受け、めでたしめでたし。

 実は、この映画、音楽監督がアンドレ・プレヴィンの、ダンス有り歌有りのミュージカル・コメディ。笑いもふんだんだ。特にロシア人3人組は「ダチョウ倶楽部」的なキャラで、映画の最初のナンバー、酒と女のもてなしで大騒ぎする場面の「もうロシアには戻らない」という歌は最後にも流れるのだが、その華やかなダンスシーンでロシア人がコサックダンスしているシーンがまず面白かった。「シベリア送りになったなら」という歌もグッド。
 また、ロシアのシーンがこれまた作為的。文化庁にものものしい軍隊が隊列を組んで侵入するシーンなのだがパリのホテルのセットに対し余りに汚い。地下組織の薄暗いアジトの様な趣の廊下から長官室に軍隊が乱入し、突然長官を連行する。部屋のバックには巨大なレーニンの肖像。なぜか長官室でバレリーナ達がバレエのレッスン。曲は、例の国際的作曲家の国際的名曲「トラクターの詩」。軍隊と共に乗りこんできた新長官はスターリンを思わせる風貌。
 細かいセリフにもギャグは盛りこまれている。例えば3人組の最初の登場シーン。作曲家の後を追跡し、作曲家に直談判しようとする直前、「笑顔を絶やすな」とお互い言いつつ笑い方を忘れている。「もう30年笑ってないから・・」確かに1957年から30年引くとスターリンの独裁の開始の頃か。また、前長官が長期の休暇に入った、という電報を受け取るや「長官も処刑されちまったか」と。新長官が調べものをする際のセリフは、「生き残り紳士録を持って来い!」
 また、映画の中で制作される映画はトルストイの「戦争と平和」を原作としているらしいが、主演女優はアメリカの水着の女王ということになっている。マリリン・モンローを意識しているかも。今回始めて、水着無しの映画にチャレンジするのだ。しかし、トルストイと言われても誰のことだがわかってない。彼女が、ロシアの作曲家のクラシカルな作品が「つまらないわ」と言う事で、ロシア人を冒涜するアメリカナイズされたアレンジになってしまうのだ。
 眼鏡をかけた作曲家の造型は、なんだかシューベルトみたいな感じだが、彼の最初のシーン、ピアノリサイタルのおわった場面、カーテンコールに答え、聴衆に満面の笑みをたたえての登場。しかし、舞台裏では「祖国からの召還の礼状がきた。私も処刑だ・・・・。」と恐れおののく。しかし、再度のカーテンコールに答え、また笑顔。その繰り返しが面白い。ふと、マジソン・スクエア・ガーデンで交響曲第5番のスケルツォのピアノ演奏するショスタコーヴィチのキャラが重なり合う。
 などなど、随所に冷戦を反映した、社会主義国に対する皮肉が折りこまれたプロパガンダ映画的な側面も見られ、興味深い。結局、ロシア人たちは国外に亡命するか、もしくは作曲家のように、国内に残りながら、ひそかに国策の芸術を批判するか、という生き方になっているところが資本主義優位を訴えかける。ロシア人のセリフ「パリでは反論が許されるんだ。」「パリに私達のロシアを作るんだ」、これは当時のロシア人の偽らざる思いかもしれない。楽しくかつ、興味深く見る事の出来た映画であった。一度見てみてください。おもしろいから。ただ、音楽はロシア的なものは皆無。純然たるアメリカ音楽に彩られた軽いものばかり。
(邦題の「絹の靴下」は誤訳だ。あくまで、原題は、ストーリーの中でも重要な役割を担う「シルク・ストッキング」である。恥じらいながら、バレエ風に踊りながら彼女がロシアのコートなどを脱ぎ捨ててストッキングをはき、着飾っていくシーンは美しく可憐であり、なかなか良いシーンであった。)


(2000.1.22 Ms) 5年前、10年前
 「不定期になるでしょう」と書きつつ、毎週土曜日に更新している意外と律儀なMsです。今週の出来事など思い出して見ますと・・・・
 1/17、5年前の阪神大震災。マスコミでもかなり取り上げられていました。私は名古屋に住んでいましたが、今まで経験の無いほどの強く長い揺れに戦慄を覚えました。当時、私の所属するオケは定演の直前だったのですが、曲はベートーヴェンの「英雄」。第2楽章の葬送行進曲が、オケの未熟さもあってどんどん遅くもたれてゆく重苦しさ、どうしようもない無力感が、当時の、震災後の信じられないような悲劇的映像とだぶってきて、背筋の寒くなるような演奏であったのを思い出します。
 そんな記憶をたどっていた今年の1/17の翌日、私の入社時の隣の席の男性の訃報が伝えられました。享年41歳。死因はガン。約10年前、私の最初に配属された担当は、人事異動で全ての人が総入れ替えでスタートした多難なスタートを切ったところでした。隣の方もその仕事は初めてでしたが、念願かなっての配属先ということで懸命に仕事に取り組んでいた姿が思い出されます。スタート時点は私とさほど変わらない状態でも、年長者として私にいろいろ指導していただきました。今、私も仕事上で後輩の指導に気を使っている所ではありますが、ふと、その方との思い出を手繰り寄せた時、私が反省しなければならない点も多々あることを思い知ったような気もします。冥福をお祈りします。
 さて、1/17夜、BSでは、モスクワからサンクト・ぺテルブルクへの船旅の番組をやってました。ソビエト時代に禁止されていたキリスト教が復活、ロシア古来からの伝統的な教会の鐘も復活しました。その鐘が素晴らしい。大小多数の鐘を一人の人間が紐を巧みに操って演奏します。キーンコーンカーンコーンなどという単音の旋律的なものではなく、一度に多数の鐘が打ち鳴らされる和声的なもので、また、高音の鐘はとても速いスピードでリズミカルに音程を変えていきます。まさしく、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドノフ」の戴冠式の場の音楽の原形そのものでした。チャイコフスキーの序曲「1812年」の鐘もこんな風に打ち鳴らされたのだろうなァ、とも思います。そして、時は流れソビエト時代、そんな優れて音楽的な教会の鐘の音楽が打ち捨てられた時、ショスタコーヴィチの晩年にみられるように、コンサート会場でのみ淋しげに単音の鐘が一つづつ鳴らされ、葬送の鐘にしか聞こえないものへと姿を変えてしまったというのでしょうか。
 1/21は同じくBSで、昨年の10月、ライプツィヒでのビロード革命10周年記念コンサートの模様を見ました。舞台となった聖ニコライ教会に足を運んだことはないのですが、昨年の旅行で見たのと同じ風景や、バッハメンデルスゾーンといったゆかりの作曲家による宗教音楽にのせて10年前の自由化への運動の映像を見る時、再び感動も蘇ってきます。なお、プロムシュテットのベートーヴェンの「運命」は、快速に飛ばすスマートなもので、重厚さを求める向きには不満の残る演奏かもしれませんが、私にとってはとても好感の持てる素晴らしいものと思われました。速くかつ研ぎ澄まされた第1楽章にあって非常に遅いオーボエのカデンツァにははっとさせられました。いささか冗長でくどくてかったるい第2楽章は、彼のような演奏でこそ、初めて鑑賞に耐えられるものとなります(変奏曲の大家でありながらこの変奏は、技法的にかなり幼稚な感じもしますし)。私も今年の7月に「運命」を演奏しますが、不必要に思わせぶりな、鈍重な、良く言えば巨匠的、悪く言えば自己制御不可能、と言えそうなものにはしたくないです。前述の「英雄」の二の舞にはならないようにしたいですね。
 葬送、と復活、そんなイメージに支配された1週間であったような気がします。再度、
我が先輩、そして震災や圧政の犠牲者に対し追悼の念を抱かずにはおられません。

(2000.1.15 Ms) ユーミン・ポケビのミレニアム
 1/8の駄文でも触れたこの件、1/1はあえてリアルタイムでは見なかったが、昨日、ウリナリでその模様を見て思ったこと。
 メインはこの1/21に発売される「ミレニアム」という新曲なのだが、非常に覚えづらい、聞きにくいという第1印象。なぜか、といろいろ考えたところ、この新曲の旋律の特徴がブラームス的なのでは、という私なりの結論に落ち着いた。まず、ユーミンの歌真似とかする際、ロボット的、機械的な部分を誇張することが多いと思うが、その声質もさることながら、旋律の進行が、いわゆる声楽的でないものが多く見られることにも由来していると思う。つまり、跳躍が多い。バラード系の曲はそうでもないのかもしれないが、特に今回の新曲は跳躍の傾向が顕著。器楽的旋律なのだ。旋律の自然な流れは、歌う場合は順次進行が基本。チャイコフスキーが歌いやすいのは、跳躍より順次を優先した進行ゆえであろう。それに対し、器楽の場合は順次進行にとらわれずに思いきった跳躍も可能だ(特にピアノ、弦楽)。ブラームスがあまり一般受けしないのは、旋律至上主義でないためであり、そして、器楽的旋律を特徴としているためと私は思う。今回のユーミンの新曲も旋律が器楽的だということが露骨に聴き取れ、それが私には気になった。
 さらに、サビの辺りの旋律がさらに人工的。4/4拍子に5/8拍子のリズムで旋律が乗って来るという大胆さ。一見、ストラヴィンスキーのポリリズムを彷彿とさせるが、そんな複雑さでもない。これくらいのポリリズムは、やはりブラームスがやっている。4拍子系に、5拍子をぶつける例はブラームスの交響曲第2番のフィナーレにも多用されているのだ。
 などと考えつつ、この「ミレニアム」、マニア向けであり、この項でもイチオシである。ユーミンもポケビも、まさかブラームス風な歌曲をうたっていようとは、自覚も無いだろうけど。果たしてこの「ミレニアム」が2000年を代表する歌となるかどうか、見守って行きたい。
 しかし、「春よ来い」のウッチャンのピアノ伴奏はハラハラさせられたものだ。まるで自分のことのようで。無事とおってよかったよかった。ウンナンも芸達者だよな。先週の社交ダンスと言い。「気分は上々」「笑う犬」と同様、今年も楽しませてもらいましょう。

(2000.1.8 Ms) 私の2000年の幕開け
 例年、大晦日から元旦にかけては田舎に行くのだが、今年は2000年問題の絡みもあって、自宅で年を越した。何かことが起こったら即職場へ駆込めるよう、アルコールも飲まず自宅待機なのである。特に紅白なども見ずに適当にテレビを眺めていた。オーストラリアで無事に0時を迎えたのを知り安堵感を持ち、民放各局をちょこちょこ見ていたのだが11時30分からはテレビ東京系の「ジルベスターコンサート」を見る。「ボレロ」によるカウントダウンである。今までしっかり見たこともなく、なんだかペースが速いんじゃないかなァ、しくじったらカッコ悪いよなァ、などとドキドキして見ていたが、若干最後から2小節目の音にフェルマータがかかった程度で無事、2000年を迎えた。と同時に、ライフライン関係も無事、新千年紀を「ほっ」とした感情の中に迎える事が出来た。
 さて、その番組は続いて「チゴイネルワイゼン」だったため、2000年最初の音楽がそんなのでも味気なく、ユーミンとポケビのジョイントコンサート、とも思ったが、ウッチャンのピアノにハラハラするのも何だかなァ、ということで、適当にチャンネルを変えた末にまた「ジルベスターコンサート」に戻ると、チャイコフスキーの「エフゲニーオネーギン」のポロネーズが始まる。これが私の2000年、初鑑賞となる。小学生の頃買ったカセットにも入っていたこの曲、めちゃカッコ良く感じて今でも聴くとわくわくしてくる。幸先のよいスタートを切った、と感じさせるに充分な音楽で満足。それにしても、チャイコフスキーもご無沙汰だな。今年は1曲くらい演奏の機会ができそうだろうか?
 続いて、教育テレビの「アルゲリッチ音楽祭」でリストのピアノ協奏曲第1番が私の耳を捉えた。えらく速いテンポでじゃじゃ馬のような荒さが面白い演奏だった。新たな年もあらゆることに、軽快にとばしていきたいものである。
 午前1、2時と何事もなく地球は新年を迎えてゆく。一体、Y2K問題は何だったのだろうか?いろいろ仕事でも、その対応に苦労してきたのに、あまりにあっけない結末に拍子抜けである。ローカル局の報道特番で再度、近辺の安全を確認した上で就寝。

 とは言え、実は1月3日の夜、仕事始めの前夜の職場での待機を控えていることもあり、正月休みはひたすら夜型に体を慣らしていくこととなった。結局、昼過ぎまで布団の中、初詣も行く気もなくダラダラと寝正月。親戚回りもせず、ホントにノンピリできた。
 1日の夜も見るべきテレビなく、始めてウィーンフィルの「ニューイヤーコンサート」をライブな時間帯に見た。世界の様々な国にまつわる選曲のようで、これは、と思っていたら、待ってました「ハンガリー万歳」。昨年12月、蒲郡フィルでも演奏し気に入ったもの。さすが、本物は違うね。テンポ感からして、ポルカ・シュネルはこうでなくっちゃ。最後の叫び声までいい感じだ。
 我が家でのCD初鑑賞は、新春を迎えてのシベリウス「春の歌」。ショスタコ没後25年記念イヤーなのだが、ちょっとタコには手が伸びなかった(交響曲第12番のフィナーレ「人類の夜明け」にしようとも思ったのだが・・・・)。その代わり、2月のダスビに向けて、タコの交響曲第4番のビデオなど見たりもした。
 1/3の徹夜もあって、体は、なまったまま1週間が過ぎた。この三連休で体調を整えることとしよう。記念すべきミレニアムの幕開け、我が人生で思い出深いものになるのかと思ったりもしたのだが、過ぎてしまえばなんの事はない。たいしたことも無い平凡な新年である。ただ、その平凡さこそ大事にしたいものだ。Y2Kが大パニックにでもなっていたら、今頃こんな悠長なことしていられなかっただろう。
何事も無い平和な新春に「春の歌」を聴く喜び、それを実感した私の2000年の幕開けであった。


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