今月のトピックス

 

 January ’00

1/28(金)〜30(日) オケ三昧な三日間(3オケ、3ホール 聞き比べ)
〜セントラル愛知交響楽団・新交響楽団・名古屋シンフォニア管弦楽団〜

 久々に生のオーケストラサウンドをイヤと言うほど(決してイヤにはならないが)三日間であった。

 まず、28日、平日の夜、仕事を切り上げて名古屋は伏見、しらかわホールでのセントラル愛知の定演。2年前、1年だけ私はセントラルの賛助会員となり、ほとんどのコンサートを聴いた。小松和彦氏を音楽監督に迎えてからのセントラルはめきめき腕を上げ、一昔前までの弱小オケというイメージを払拭し、いささか停滞気味の名古屋フィルに対する対等なライバルとして台頭してきたその時期、選曲は前期ロマン派中心で個人的にはあまり熱狂したわけではないものの、小松氏の指揮による充実した演奏を楽しみにコンサートへ足しげく通ったものだ。
メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」全曲、シューベルトの劇音楽「ロザムンデ」全曲、交響曲(旧)7番ホ長調、及び(新)7番ロ短調(いわゆる「未完成」)の全曲復元演奏など、興味深いものも多数あり、氏のコンサート前のミニ・レクチャーなども好奇心をそそるもので、演奏も充実していた。
 さて、私はその後、名古屋から転居し、セントラルの定期もご無沙汰していた。が、ちょうど1年前、まさしく、このHPがスタートを切った時の、最初の「トピックス」でとりあげたのがセントラルの伴奏による、地元豊川の合唱団による
「カルミナブラーナ」だったのを思い出す。小松氏による、前期ロマン派選曲で培われたオケの基本形、2管編成でのまとまったオケ作りの成果が身を結び、大曲もこなしつつあるのを聴き、大変嬉しく、かつたのもしく思えたものだ。そこで、今回、セントラルの本拠、しらかわホールでの定演に約2年ぶりに足を運ぶこととなり、イギリス近代音楽をセレクトした大変意欲的なプログラムに私はおおいに満足することとなるのである。詳細は、また後ほど。

 続く、29日土曜日は、我が家の最寄りのバス停から東京への直通バスが出ている利点を生かし、午前10時から約4時間のバスの旅を楽しみつつ(青く晴れ渡る空との絶妙なコントラストを見せる、雪を頂く富士山の素晴らしさ!!)、上京し、昨年の芥川也寸志没後10年記念のコンサートの感動が今なお私を揺さぶり続ける、日本のアマオケのトップと言っても過言ではないと思われる新交響楽団さんのコンサートを聴く。
 プログラムが普通ではない。
シューマンの交響曲第3番「ライン」はまだ一般的だが(しかし、それにしては、アマオケは敬遠する曲だ。名古屋で生に触れる機会はまずない。さらに、「ライン」がオープニングだなんて)、続く、ブラジルの巨匠、ヴィラ・ロボスの「ブラジル風バッハ第7番」!!ただ、このところ、タンゴのピアソラの大流行に便乗してか、南米の作曲家、ヒナステラやヴィラ・ロボスは以前の無視状態から、状況は変わりつつあるようだ。NHK教育テレビの「デュトワの音楽教室」でも南米は独立した回で紹介されていたし、N響の定演でもオール南米プロを見かけ、音楽雑誌にヴィラ・ロボスの特集を見かけることもあったし、東京においては、アマオケもぼちぼち取り上げ始めている。ただ残念ながら東海地区では、そんな兆候は私には皆無に感じられる。東海地区への南米ブームの上陸は22世紀頃になるのだろうか。それはともかく、全貌がまったくわからないヴィラ・ロボスの作品の中で唯一知られている「ブラジル風バッハ」の連作でまだ聴く機会の少ない、1,5番以外の作品が聴けるのはとても嬉しいことだ。リムスキーもラベルもレスピーギも真っ青な、原色の華やかさを感じさせる色彩感豊かな管弦楽法の達人の手になる、まるでびっくり箱の如き驚きの連続のサウンドワールドを体感できて満足だ。アマオケの主要レパートリーである、ブラームス以前のドイツ古典の音楽しか手を伸ばさず、せいぜいチャイコフスキーくらいにオケの色彩感を感じている人が聴いたら、同じオケの作品とは思えないほどの別世界をのぞくことが出来ます。とにかく楽しかった。
 そして、メインが新響さんの独壇場。日本人作曲家の作品の紹介。
諸井三郎(1903〜1977)の交響曲第3番。同じく作曲家の諸井誠氏の父である。戦前にドイツ留学し、ドイツ的な堅固な構成感に基づく作品を書いた人と聞く。日本の民謡を引用するような、反アカデミックな立場の作曲家(伊福部昭とか)とは鋭く対立したようだ。そんな彼の1944年の作品、戦争末期の日本人による交響曲、一体どんな作品なのか、録音されたこともなく、今までに3,4回しか演奏されたことのない作品ということで興味深く感じた。聴いての感想は、私の趣味からはちょっと外れた作品だが、ドイツの後期ロマン派もしくは、その影響を受けた作品(前期スクリャービンを私は思った)との音響の類似に関心がゆく(ただ、R.シュトラウス、マーラーの色彩的管弦楽法からは遠い、重厚な響きではあった。)。破滅の一途をたどる戦中の日本にあって作られた、ブルックナーの9番の影響をもろ感じさせるこの作品、もっと聞く機会にさえ恵まれれば、現代日本にあっては多くのファンを獲得するのかもしれない。アダージョ・フィナーレは、ブルックナー、そしてマーラーの9番の延長にあるように思われた。さらに、やや控えめなパイプオルガンの使用も特にブルックナーへの親近性を物語るようだ。詳細は、また後ほど。

 さて、新響さんのコンサート後、遅い夕食をとって夜行バスで帰宅。翌30日午前5時すぎ。2時間ほど布団でぐっすり寝た後は、再び名古屋へ。名古屋シンフォニア管弦楽団さんのエキストラ出演である。オール・ブラームスという、これまた、なかなかオーソドックスだが滅多にお目にかかれない意欲的プログラムである。大学祝典序曲、ハイドン変奏曲、そして交響曲第1番。私は1曲目だけの出演ということで、負担も少なく、半ば聴衆としてのコンサートだった。特に交響曲はじっくりと聴かせていただいたが、私の知る限りではアマオケとしては最高の部類に入る名演と言ってよいと思われた。
 前回の定演、昨年の7月の「トピックス」でも取り上げた、ショスタコーヴィチの5番はじめ、もう4,5回お手伝いさせていただいている。毎回、指揮者の江原先生の的確な指示は私も奏者として勉強になる。私の演奏歴にあっても、シンフォニアさんとの演奏はかけがえのない充実したものとして、大事にしている。今回は、演奏会場で販売されていた今までの演奏のCDも購入、帰宅後聴いてみたが、とても心地よいものがある。私もこのような演奏の一翼を担わせて頂いているというだけで嬉しく思うのだ。ただ、個人レベルの話になれば、「幻想交響曲」の大太鼓は、かなりスゴイ演奏?に聞こえる(我ながらフィナーレの「地獄絵」をここまで表現した演奏に出会ったことはないです。一聴の価値、多いに有りです)。その他の曲も私としては、不満な箇所もあるものの、概ね自分のベストは出せていたのではないか、と思う。録音技術の秀逸さに助けられているのかもしれないですが。
 さて、今回も大太鼓を担当させていただきましたが、ベルリオーズとは曲想も多いに違うので、全く違うコンセプトで演奏はしましたが、ちょっと影に隠れすぎたような気もします。隠し味的効果を狙いすぎ、かなり意識しないと私の音を判別しづらかったのかもしれません。それで充分な曲ではありましょうが・・・。大太鼓の音として単独で認識できなくとも、ティンパニ、コントラバス、チューバなどの音色を幅広く深みを持たせる役割に終始し、オケ全体のもつ音の質感を見えない部分で増幅させるような音、を目指したつもりなのですが、はたして成功したのだろうか?気になります。けっして、寝ぼけて力が出なかった、というわけでは断じてありません。私らしくない演奏、と思われた向きがあるのならちょっと心外だなぁ。
 私事はこれくらいにして、全体的な感想は、また、後ほど・・・・なのですが、そちらに移る前に一言。

 今回、さまざまな大きさのホールでのオケの演奏を聞き比べることにもなったのだが、私にとって1番慣れている、ということもあるのでしょうが、名古屋シンフォニアさんの会場であった愛知県芸術文化センター、コンサートホールがもっともしっくりと感じられた。
 しらかわホールは、やはり室内楽用、よくやって弦楽オケくらいがベストのようだ。今回のプログラムでは、ブリテンのシンプルシンフォニーが最適。まして、ブリテンの「4つの海の間奏曲」の第4曲「嵐」などは、もうホールの許容の音量を越えて音が飽和状態で、聴きづらいものを感じた。
 逆に、新響さんの会場、東京芸術劇場は、ホールが広すぎで音が拡散しすぎているように思った。もちろん、パワフルにオケが全開で鳴るところの迫力は感じられる。しかし、愛知県芸文ほどの音の臨場感は感じられず、遠くで鳴っている、という感じがしたのだ。聞いた席にもよるのでしょうが、東京芸劇では、最遠の席からステージへの距離の半分程度の位置に陣取り、愛知県芸文では、ほとんど最遠の席であったにもかかわらず、後者の方が音の臨場感に勝っていたように感じたので、今回特に一言付け加えさせていただいた次第。いいホールだと思う(前回のシンフォニアさんのショスタコの5番の際、奏者としても、木琴の音の伸びに感激したことも思い出される)。
 県財政が逼迫し、芸文も現状のままいつまで機能するか、かなり不安に感じられる今日この頃、愛知県が、文化不毛の地という汚名を挽回し(汚名返上でもなければ、名誉挽回でもなく)、芸文閉鎖、その浮いた予算で万博推進、なんてことにならないよう、愛知県民として充分監視する必要はあるでしょう。まさか、とは思うものの、最近の報道ぶりにちょっと不安に思ったので蛇足ながら付け加えさせていただいた。

久しぶりのオリジナル長編記事だ。この1ヶ月、ちょっとサボり気味でしたね。(2000.1.31 Ms)

 

1/28(金)  セントラル愛知交響楽団 第44回定期演奏会 「英国紳士たちの誇り」

 まず最初に、席がかなり悪い場所であったことをお断りせねばなるまい。ホールの横側のバルコニー席の後列それも、舞台に近いところ、最悪の視界である。ステージの約1/3しか見えない。バイオリンと打楽器しか見えない。全貌が見えない席がこんな苦痛だとは。ま、1500円でこれだけの演奏を聴かせていただいたのだから良しとすべきか。しかし、視覚的には欲求不満。それはともかく始めよう。

<1> ブリテン シンプル・シンフォニー

 まずは、弦楽のみ。昔を知る者として、うまくなったなぁ。というのが最初の偽らざる感想。ただ、第1楽章、第2楽章においては、細かい動きにほんのわずかではあるが乱れも見られたのが気になる。
 しかし、全曲のなかで最も聴かせたのが第3楽章。冒頭の、嘆きにも聞こえる悲痛な歌、これには泣けた。弦楽オケの音の厚さを充分感じさせ、かつ旋律も緊張感に満ちた張り詰めたものがある。ホールも充分鳴っていた。ブリテンの若書き(9〜12歳の作品をもとにした)で、「シンプル」のタイトルが子供っぽさを象徴するのだが、この第3楽章のサラバンドは、底の浅い安っぽい子供的な世界ではなく、堂々たる充実した大人の世界といった面持ちであった。
 続く、速いフィナーレは充分調子に乗ってきた感もあり、前半ほどの乱れは感じられない好演であった。もっと可愛らしい可憐な作品との認識では有ったが、今回の演奏は、壮大さと言う面でグリーグのホルベルク組曲をはるかにしのぐ、チャイコフスキーの弦楽セレナーデに匹敵するほどのスケールをも感じさせた。坊やではなく、まさしくジェントルマン。自立した大人を思わせる作品、かつ演奏であった。

<2> ディーリアス 小管弦楽のための2つの小品

 存在は知っていたがほとんど馴染みのない曲。「春を告げるかっこう」そして「河の上の夏の夜」。
 弦楽と木管による、ドビッシーをも思わせる、柔らかな優しい音楽である。曲の途中でやっと、クラリネットによるかっこうのモチーフがかすかに聞こえてくる。ブリテンが精力的な硬質な雰囲気も見せていたのとうってかわって正反対のイメージを表現できていたのも、オケの充実ぶりを物語る。ただ、正直なところ作品自体が私の趣味ではない。特に第2曲、下降するゆったりとした半音階は私のまぶたも下になでているかのようで目を開けているのが精一杯。木管の様子が全く視界にないのも辛かった要因。

<3> ブリテン 四つの海の間奏曲(歌劇「ピーターグライムス」より)

 休憩をはさんで、待ってました。のブリテン。大編成の難曲と思われるこの作品、さてどんな仕上がりを見せるのか?楽しみにしていた。
 第1曲「夜明け」。高音のバイオリンとフルートのユニゾンによる悲しげな旋律から私の心を打つ。その旋律の合間に現れる、ハープ、クラなどの細かい動き、そして金管、ティンパニのコラール、とそれぞれの色彩感の対比が面白い。金管、ティンパニも上品に雄大に盛り上げていたものの、やはりホールの許容音量を越えた感じが、もう既に比較的静かな第1曲から気になったのが残念。せめて、芸術文化センターとは言えなくとも、昔懐かしい名古屋市民会館大ホール位の方が相応しかったのでは?演奏に落ち度がないだけに・・・。
 第2曲「日曜日の朝」。冒頭の鐘を思わせるホルンの重なってゆく和音、音程が苦しい。さらに他の管の細かい動きに比べ遅れてゆく。少々限界を見た感じ。快速に飛ばしていきたいのだが。しかし、本物の鐘が鳴り始める辺りからは調子も取り戻し、安心して聴くことも出来た。
 第3曲「月の光」は比較的穏やか、静かな曲で問題は最も少なかった。寄せては返す波を思わせるムードが心地よくまとまっていた。ただ、効果音的な木琴がちょっと前面に出ていたか。全般的にティンパニの白川先生はかなりいいバランスでこのホールに慣れていることをうかがわせたが、シンバル、ドラなどの金属系の奏者(芸大生のエキストラか?)は木琴も含めてバランスが悪いと感じた。私もこのホールで奏者として失敗した前科者として、自分の事は棚に上げつつ、やはり気になった。
 第4曲「嵐」。まぁ、この曲はどうせうるさいのだし、細かいことは言いッこなしで楽しませていただいた。勢いでガンガンいって、その勢いに飲まれてしまう。金管群も快調に鳴らし、ホルンも第2曲の汚点を吹き飛ばす如く、マーラー風な高音オクターブを爽快に決めていた。終わる直前の歌う旋律とスケルツァンドな楽想の対比も難なくこなし、最後の超不協和音でぶつかったままの下降音型はインパクト充分な迫力でこちらも興奮。満足。

<4> エルガー エニグマ変奏曲

 これまた、待ってましたのエニグマ。素晴らしかった。冒頭の主題などは情感たっぷりに歌わせ、エルガーのロマン性をたっぷり表現しつつも、全曲通じては基本的には快調に飛ばして、結構似たような音楽が続く、冗長な感じもしなくはないこの作品を、しっかり引き締めていた(初めて生で触れたのだが、予想外に長さは感じてしまった。ただ演奏に助けられた。これ、下手するとホントに「またか。まだか。まただ。まだだ。」なんてハメになりかねない難曲のようだ)。ただ、フィナーレに疾走感がやや不足。重く聞こえたように思う。オルガンも入れて欲しかった点も含めフィナーレだけは少々物足りなさは感じてしまった。
 しかしながら、特に速さをウリにしたバリエーションは気持ち良くなるほど速かった。ほとんどグリッサンドになりそうなバイオリンのスケールとかもばっちりきまってカッコイイ。
 ティンパニの早業は見ててもエキサイト。なお、最後から2番目の変奏の小太鼓バチによる弱奏のロールが緊張感ある不思議な効果を醸し出していた。バチの持ち替えに気を使いそうだ。
 ビオラ、チェロのソロも泣かせていただいたが、ただその雄姿がほとんど見られなかったのが口惜しい。
 木管群のソロも細かいニュアンスまでいろいろ研究されていたようでトータル的にも満足(私の持つシカゴ響のCDと遜色ないじゃん、と思わせる部分もあり)。
 やはり、もっとも感動的だったのは「ニムロッド」。あぁ何て素敵なんだろう。こんなにこころを突き動かす音楽が他にあろうか?私にとっても、刈谷のオケでその昔演奏の機会が失われたのは今なお悔やまれる事件であった。それは余談として、1歩1歩クライマックスに向けて、たっぷりと歌わせつつ世界が広がる感じが素晴らしい。そしてそのクライマックスがスーっと力が抜けて宗教的ですらある落ち着いた終止を迎える時の至福感と言ったらもぅ最高。来て良かった!としみじみ思ってしまう。

 オケの充実ぶりを十二分に味わう事の出来たのが嬉しかった。指揮者の湯浅卓雄氏との相性も良かったのではなかろうか。最近私もCDを入手したロイヤル・リバプール・フィル始め、イギリスのオケ中心に活躍しておられるようで、イギリスものは得意と見た。セントラルの意欲を物語る選曲、そして指揮者、今後もますます、名古屋フィル以上に注目していきたいと思った。来期は最初の定演で、シチェドリンの「カルメン組曲」、ショスタコのピアノ協奏曲第1番も取り上げるらしいですし。

(2000.2.4 Ms)

追記) セントラルの打楽器奏者たちによる打楽器アンサンブルのコンサートもあります。2000年6月21日(木)午後7時より、ミュージックサルーン オーデン(地下鉄六番町駅近く 052−682−2164)にてチャベスの「トッカータ」、ライヒの「木片の音楽」など演奏されるようです。行けたらいいなぁ。名古屋が世界に誇るご当地ソング(?、歌じゃないけど)ライヒの「ナゴヤ・マリンバ」(しらかわホールに献呈されたマリンバ・デュオの名曲)はやってくれないのかなぁ。今年のセントラルは、ホント、目が離せないですよ!!

 

1/29(土)  新交響楽団 第168回定期演奏会

 昨年の芥川也寸志没後10年の演奏会で一気に新響ファンになってしまった私である。今回も意欲的プログラムで、私を遥か遠い東京へといざなってくれた(正直、名古屋から豊川へ引っ越しただけでこんなに意識が東京へシフトしようとは思いもしなかった。確かに、東日本、西日本という区分けは、統計的には(住民の意識と言う点で)愛知県の東部(三河)と西部(尾張)で境界線が引かれるらしい。ただ、岡崎を中心とする西三河は名古屋を向き、名古屋は東京の影響からの自立という意味でも西日本と自覚する傾向を持つが、豊橋を中心とする東三河は、静岡県の浜松や長野県の飯田とも活発な交流を持ち、東日本との自覚が多いらしい。日本海から流れてくる雪雲も東三河と西三河の境界の山々あたりで全て雪を降り尽くし、豊橋あたりはあまり雪も降らず、私の感覚では東日本と西日本の境界は岡崎市の東はずれ本宿のあたりと勝手に思っている。)
 確かに我が家の最寄りのバス停から(新幹線の約半額の値段!)東京行の直行バスが出ている事もあり、東京へのコンサート・ツアーの回数が断然増えてきた。今まではホテルで一泊する旅感覚で行っていたが、今回はハードスケジュールのためほとんど目的がコンサートのみとなりあわただしく往復し、名古屋で外来のオケをいい席で聴くよりは安い価格で済んでしまった。

 コンサートまでの自由時間が3時間くらいではあったが、秋葉原の石丸電気、神田古書センター内の新世界レコードなどでどっさり珍しいCDを買いこんだ。また機会を見て紹介します。今や10種しか存在しないソヴィエトのメロディア原盤、ロジェベン指揮の今は亡きソヴィエト文化省オケ(ホント好きなんだよなァ)によるプロコのバレエ「鋼鉄の歩み」全曲他ケッタイなお笑い管弦楽曲集、オリンピア・レーベルからはロシア・アヴァンギャルドの雄、ポポフの交響曲などは、もうあきれてしまうほどの凄さです。その他、今度私も演奏するカルメン、メキシコ・シティ・フィルの演奏にも笑わせていただいた。

 さて、前置きはこれくらいにして、新響さんの演奏である。前回聴いた芥川作品があまりにも素晴らしく、当然十八番でもあるからなのだが、その印象をもってコンサートに臨んでしまったということもあり、ちょっと過度の期待が交じっていたかもしれない。全体的に、うまくまとまってはいたが、細部でのミスも前回よりは気になった。しかし、それにしたって充分満足な演奏であった。ハードルはとてつもなく高いプログラムだ。それほど演奏機会に恵まれない作品ばかりでここまで仕上げられる力量は、同じアマオケに従事するものとして感服してしまう。前日のプロオケ、セントラル愛知と比較しても全く遜色ない、同レベルで鑑賞できるものであった。

<1> シューマン 交響曲第3番「ライン」

 曲自体が大好きなのだ。しかし、楽章ごと、明確に相違するキャラクターが確立されているのだが、ただ、その楽章内においてはまるで「金太郎飴」のごとくひたすら同じような場面、表情が継続する、なかなかに演奏しづらい曲ではあろう。確かに、今回、初めて生で聴かせていただき、正直なところ「金太郎飴」的なものを痛感し、演奏効果という点であまたの名曲の中では見劣りしてしまうかな、とも思った(旋律の美しさ、情感の豊かさなどは超一流の作品なのだが。)。が、その曲の持つ弱点を克服するのが演奏家の役目。新響さん及び指揮者の飯守さんはその辺り見事クリアーできていたと思われた。
 まず、
ホルンの充実ぶりが素晴らしい。第1楽章、第2楽章は、再現部においてホルンの高音域のパートソロがあり、ここを圧倒的な存在感で充実した響きを聴かせることで、説得力あるものとなった。ホルンの雄叫びに快感。第4楽章の冒頭、トロンボーンと共同しての弱奏高音の旋律もうまく決まった。第4楽章こそが「ライン」の存在価値を高めている重要ポイントだと思う。心に染み入る宗教的ですらある深さを感じることが出来た。
 そして、ほとんど曲全体を通じて極端に存在感の薄かった
トランペットだったが、第4楽章後半の長調に転じる管楽器のみの一節で初めて私の耳をとらえた。確かにシューマンの不必要なほど分厚いオーケストレーションにあってトランペットは特に目立ちすぎると曲を崩壊させかねないのだが、あまりに禁欲的で、もっと聞こえて欲しいという場も多々あった。しかし、ここへ来て初めてトランペットが美しく鳴り渡り、暗いトンネルに光が差し込んできた。それも、輝かしすぎずロ長調という渋い明るさ!!そう言えば、ブラームスの第1番で唯一トランペットが旋律的に動くのも第3楽章のトリオ、ロ長調である。ここのトランペットが渋い明るさを聴かせる演奏はアマオケではあまりなさそうだ。かすってしまうか、思いっきり出てしまうか。)他の管楽器と充分融合しつつも、トランペットが主体と認識できる程度の良いバランスで聴けた。
 それと反対にティンパニは、見事シューマンの罠にひっかかり残念。楽譜どおりに演奏しているのだろうが、楽譜の指示以上にもっとメリハリは必要だ。同じ強打でも音量、音色はもっと研究しその場に応じて叩き分けを要する。いささか、目立ちすぎ。固く、荒い印象を受けた。
 当然弦楽器も壮絶にメリハリが要求される。弾き詰めなだけに、ニュアンスの変化をパート全体として引き出せねばならないのだが、それも上手くクリアーできていた。全体的に、曲が「金太郎飴」でありながらも、演奏の努力によって場所場所によって「金太郎」の表情の違いは最大限強調され、それを私も感じることが出来、冗長だとかつまらない、と思った部分は皆無であった。きっと、場合によってはアマオケの演奏、正直聴いていられないものになりかねないのだろう。作品に対する細部に渡る理解、他のパートとのバランスの把握、譜面に忠実かつ、効果的な演奏(弾き辛い点の克服も含め)、といった高度な技と頭が特に必要な「ライン」(シューマンは全てそうか)はオケの実力が測れる試金石かもしれない。新響さんの演奏は、新響さんの底力を充分に我々に示してくれたものと思う。

(2000.2.11 Ms)

<2> ヴィラ・ロボス ブラジル風バッハ第7番

 まず、曲をご存知ない方は「隠れ名曲教えます」のコーナーへどうぞ。こちらです

 さて、今回の3曲中、もっともオケがのっていたと思われ、聴いている方も快く、楽しい気持ちにさせてくれるものであった。
 ただ、第1曲冒頭が、伴奏の弦のピチカートに乱れが見られたのが唯一惜しかった点。しかし、すぐ、立て直し、事無きを得た。その冒頭の不安を拭い去った後、鬱蒼たるジャングルの中を彷彿とさせるような、暑苦しい(?)そして、スケールの大きな歌が沸き起こる。
 やはり、金管群の鳴りが格段によく、第1曲のテュッティによる主題提示から、ぞくぞくと来るものがあった。さらに、その金管に負けじと朗々と歌う弦も共感できるもの。全体的に金管主導で音楽は進むものの、要所で木管のソロ、そして打楽器、ハープなどの効果的な使用がうまく決まって、耳を飽きさせない。特に第3曲の、木琴、ココ、ハープの連携プレイは素晴らしかった。ただ、ココが、主張が強すぎた感は否めない。カタカタいいすぎていたような気もする。もう少し柔らかい音色がこの場面には相応しく感じたのだが、どうだろう。
 最後に、やはりホルンの上手さはここでも強調しておきたい。いわゆる、吠えるようなグリッサンドも多用されて、これまた、南米バーバリズムなムード満点なのだが、その絶妙な演奏を始めとして、ソロ的場面から伴奏に至るまでオケ全体の中音域をしっかりと固めて、オケの安定感に大きく貢献していたと思われる。やはり、どんな曲であれ、ホルンの良し悪しが、ある程度、オケ全体の実力を左右してしまうものだということを痛感した。東京まで聴きに行く価値は十分にある演奏で、新響さんにはいつもいつも(まだ2回目だが)感謝感謝である。
 何せ、東海地区、そのトップにあるべき名古屋フィルも、金管弱いしなァ、近現代モノは当然ながらも、シューマンですらも、めろめろで欲求不満になってしまうものなぁ。オーケストラ・ダスビダーニャさんも含め、一度東京のアマオケ事情は、東海地区に住むオケ関係者は知っておく必要がおおいにあると思う。井の中に閉じこもっていないだろうか?
 特にホルン、オケを生かすも殺すも・・・。 さて、我がオケは如何に?????などと思い巡らせてしまうのだ。

 ブラジル風バッハ、なかなかに演奏効果も抜群。ノリも良い。金管の上手い(タフな)アマオケにはもってこいなレパートリーではなかろうか。今後の普及を楽しみにしたい。・・・・と思っていたところ、これまた名曲の誉れ高き「ブラジル風バッハ第4番」が演奏されるとの情報あり。(とりあえず勝手にリンクさせていただきました。こちら。)私はちょっと行けませんが、興味を持たれた方、是非オススメな1曲です。そのうち、私の「隠れ名曲」でも登場予定です。今年のバッハ・イヤー、ヴィラ・ロボスも便乗ブームに乗っているのか?
 この2000年、バッハ生誕250年、そしてブラジル発見500年(西洋人から見た勝手な言い分だが)、とくれば、今年は「ブラジル風バッハ」記念年で決まり!!私も応援します。

 ちなみに、もうひとつ言えば、バッハ生誕250年、そしてショスタコーヴィチ没後25年(何てうまい重なり方!!)、とくれば、ショスタコの「24の前奏曲とフーガ」記念年(作曲開始50年)でもある。年内に大々的な企画記事書きたいなァ。閑話休題。

<3> 諸井三郎 交響曲第3番

 今回の演奏の感想も含め、「隠れ名曲教えます」にて紹介しています。こちらです

 なんだか、尻つぼみ的展開で申し訳ありません。ただ、ホントに一聴の価値あり、なオーケストラです。今度は4/30、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」がおおいに期待させるプログラムですね。期待してます。

(2000.3.20 Ms) 、


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