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遷延性意識障害

 日本脳神経外科学会は

@ 自力移動ができない
A 自力摂取ができない
B 排泄が失禁状態
C 目で物の動きを追っても何か認識できない
D 「手を握って」などの簡単な指示に応じてもそれ以上の意志疎通ができない
E 声は出しても意味ある言葉が言えない

という状態が、医療努力によっても改善されずに3ヶ月以上続くことと定義している。

・・・・・2004年10月30日付け朝日新聞朝刊での記事より抜粋させていただいた。
 こういった、重い意識障害が長く残る患者が、我が国に2万人と推定されているという。本日、10/31に「家族会」が立ち上り、国に対し、実態調査、支援制度の設置などを要望する。

 きっと、今日のこの動き、ほとんどの方がご存知ない、見落とされているのではないでしょうか。きっと、かつての私もそうであったでしょう。でも、身近に、患者を持つと、そうもいかないわけです。とうとう私のケースも、「医療努力」からは事実上、見放され、出口のない、家庭介護の道への準備が始まったところ。しかし、こういった事例、2万人、とは意外に多いな、と思いつつも、今後どんどん増加するのは必至だろう。我が家のケースも、きっと、現代医療の進歩が、落命を回避したものの、全く人間の尊厳などと言ってられないレベルの、生物として必要最小限の「命」だけを確保してくれた。きっと、21世紀、「命」は、こんな「命」がもっともっと身近なものになるのだ。今のうちから、この現状と、問題意識、より多くの人々に持っていて欲しい。明日は、我が身。今日の報道を忘れずに。

 我がHP、音楽に特化したつもりのHPなれど、あえて、社会的に少数な立場の人々の存在を知っていただくためにもここに掲げさせていただきました。我がHPが今後普通に今までどおり続くことで、こんな問題を抱えつつも、なるべく人並みに、社会生活が送れていることの証左となれば幸い。 

 正直なところ、複雑な心境である。あえて21世紀的な事象として提起したい。20世紀であれば、もう少し、「命」は、あっけなかったのではないか。
 この辺から音楽ネタを挟みますが、実は、この夏、こんな事情もあってか、
ニールセンの交響曲第4番、いわゆる「不滅」にすがる心持ちは私の中に確かに存在した。聴く機会を2度得た。その「不滅」だが、より原題に近いニュアンスとして「消し難きもの」という翻訳もある。私は、あえて今までの通例に従って「不滅」と言わせて頂いている。「消し難きもの」でも実は邦訳として言い得ていないという考えもあるようなのだ。
 出典は今、思い出せないが、原題のニュアンスとして、「暖炉の火を消したはずが、まだチョロチョロ火がくすぶっている」といった時に形容される表現らしいのだ。
 「巨人軍は不滅です」なんて言う時の「不滅」は当然かけはなれた言い回しなのだが、「消しがたき」「滅ぼし得ぬ」でも何だか違う。もっと、不確かな、あやうい、存在しているか存在してないかの境界線の微妙さ、を言い表せなければ正確な邦訳にならないのだろうが、それを一言の日本語で言い尽くすのは難しそうだ。

 そんなことを考えながら、一応、我が患者の「命」もまさしく「不滅」なのだが、その「チョロチョロしたくすぶり」の様が、きっと、ニールセンが第1次大戦最中に考えたものと、私が今、目前にしているものと、随分違っていよう、と思わざるを得ない。ニールセンが描く音楽においては、「滅」より「不滅」の方が断然、絶対的に尊く、希望を内在させた楽天的エネルギーへと転化するのだけれど、我が21世紀の「命」の「不滅」性は、そんな絶対的な楽天性を謳歌するものか・・・・・。

 ここで、冒頭の新聞記事の抜粋から再び、

 某大学教授の指摘として、「患者と家族が置かれた現状では、日本は先進国とは言えない」。
 昨年から開かれている、家族と医療関係者による「意識障害を考える会」での意見として、「これまで医療側が救命治療実績の向上に熱心でも、救命後の患者と家族にはあまり目を向けなかったことを反省」。

 「命」の質、ここまで踏み込んだ「救命」のあり方、これは、21世紀医療の課題である。この問題に対し、患者はもちろん、残る家族も、あまりに非力だ。医療関係者に対し責任ある行動を求めていくしかないし、また、その医療のあり方、介護支援制度のあり方について国はどんな責任を取っていただけるのか。救急医療の発達、そして高齢化社会がますます進む中で、この「遷延性意識障害」の問題は、まさしく国家的課題であり、この課題に直面した一人の日本国民として、今後、この問題とつきあっていく所存。

 いつか、ニールセンの「不滅」を、懐疑の心無く、鑑賞できる日を望みつつ。

重い話題にて失礼。しかし、今、私が書くべき、かけがえのない話題には相違ない(2004.10.31 Ms)

 

 この、極、私的な重い話題ではあるが、自分の気持ちの整理のためにも、過去の関連の文章など下記にまとめる。

 BSで、N響・読響といった放送局のオケをTVを通じて見る機会も多くなったが(N響は、教育TVのN響アワー以外にも、全ての定期が見られるし、この4月からは、月曜の朝8時から過去の演奏<概ねこの10年くらい>を1時間見ることができる。読響は火曜、BS日テレの「ブラボー・クラシック」)、最近、偶然チャイコの「悲愴」をそれぞれで聴き、奇しくも聴き比べが出来、面白かった。オケのカラーとしては、金管の華やかさが全く好対照。読響の方が聴いてて気持ち良し。N響、最近、特にTp.がパワー不足が気になることしばしば。放送設備の良し悪しも関係するのかもしれないが(全体に読響の方が、画面も明るく、音もクリア。)。本来は同じホールで、生で聴き比べたいものの、在京住人でなし、なかなかそこまでは・・・。
 ただ、指揮の違いという点では、読響のアルブレヒトは、オーソドックスな極めて普通な感じであったが、N響のスクロバチェフスキは、テンポの揺れなども効果的に、自然と惹きこまれていた自分。第1楽章のアレグロ、やや緩いテンポで始めつつ、細やかな動きが、ほぼ同時に書かれた「くるみ割り人形」の小序曲を思わせたり(音楽の性格は正反対ながら、譜面の書き方は似てる・・・・「運命」と「田園」の主題提示の共通性なども思い出す。全く異なるキャラと思いきや、やはり作曲家も人間、同じ時期に書いた作品、作り方は似てることもあるわけだ。)、おや、と思わせ、ああ、こんな演奏もいいね、と頭に残る。あと、同じく第1楽章提示部、金管がでたところでテンポが突然、前に動き出す。はっとさせられる効果だ。その後は第3楽章も含め、アレグロの速さが心地よい・・・・・スクロバ氏、同じ月曜の時間枠で、他の曲も(ベートーヴェンの7番は、この下にも書きました)聴く機会をもったが、年老いた巨匠、といったイメージよりは、随分若々しい溌剌とした演奏を聴かせてくれ、好感度上昇中だ。・・・遅ればせながら、か。皆さんもうご存知でしたか、失礼しました・・・・私的には、今頃、最近になって、その素晴らしさに気付いた、ということです。 

 「悲愴」に続き<メモ程度のNHK教育TVの「N響アワー」の雑感>(気になった曲のみのコメントにてご容赦)をここで挿入させていただこう。
 
 
6/6(日)放送今年5月の定演から。
 1515回定期(2004.5.13) マーラーの交響曲第6番「悲劇的」。サラステ指揮。
 熱くない、ドロドロしていない。爽やか!なんていうと大袈裟な気もするが、不思議な演奏だった。マーラーでも最も主観的といおうか、自己没入の度合いも高く、今までの私的には、辟易、敬して遠ざけていた感も強いこの作品を、軽く、濃厚な味つけもなく、押しつけがましさのない快演としてくれた。これじゃ「悲劇的」ではない、と怒る方も多かろうが、私的には、大食漢が汗だくになってのたうち回るような、ぶよぶよした重々しく、決してスマートならぬ本作を、清潔に、クリーンなイメージでやっていただいたことに感謝したい。こんな演奏なら、遠ざけはしなかった。今までの経験が、そんな先入観を植え付けたということか。
 第一、冒頭の低弦の行進リズムからして、武骨に、全身全霊でぶつけるような、いきなり疲労感を感じさせるものではなく、音符そのものだけが存在するかのようで、他の虚飾が皆無。かといって、全編にわたり別段、なよなよしたわけでもなく、豪快に鳴らすことは厭わない。不必要なまでの力みを全く感じさせなかった。ネット上の意見など拝見しても、「シベリウス的なマーラー演奏」といった比喩もみられた。なんだか、想像しにくいけれど、体験してみると、意外とそういう表現は、その演奏を的確に表現しているかもしれない。
 クラシック音楽愛好家歴も長いと、自己の感性、体験も凝り固まって、「バカの壁」も障壁となる。こういったカベを突き崩す演奏、大歓迎。身近に、こういう体験ができる時代
(BSの導入後、クラシックの演奏映像は各段に身近となった。外来オケも含めて。)であり、環境であることを本当に感謝したい。下にも書いたように([2004年、これだけは言いたい]なる一文、是非とも)、将来の日本の見とおしの暗さなど思うと、今、音楽ファンとして恵まれていることの感謝、もっとかみしめたい。将来も続いて欲しいな。やや余談。

 さて、「悲愴」に「悲劇的」に、どうにもクライ音楽ネタばかりになった。
 こういった音楽が最近私の前に、放送媒体から流れてきたという偶然だけで、私の聴きたい音楽として聴いた訳ではない。しかし、こんな日常のなかで、不思議なもので、我が父の病気の進行、余命数ヶ月、という話が飛びこむ。
 頭の病気である。正式な病名も、現代医学では突き止められず。3年前から、苦しんでは来たが、この半年は入院、次第に、体の自由は奪われ、声もない。言葉が失われた。この病気の進行にあって、「悲愴」やら「悲劇的」は、何ら感ずるものなく、自分の今の感覚とずれている。ようは、生々しさを欠いた作りものに過ぎなかった。音楽を聴き、父を思い、涙する・・・・ような性格の音楽ではなかった。

 そんな頃、BSから流れてきた、シューマンの「ヴァイオリン協奏曲」、読響の演奏にはっとさせられた。シューマンが精神疾患を患いつつも書いた遺作である。随所に、彼らしさは折り込まれている。でも、その楽想の連鎖の具合がしっくりこない。言いたいことが言い出せない。言葉を選んでいる間に、言いたいことも忘れられて行くかのような、空しさを、曲全体から感じた。言葉を失いつつも、必死にもがき、しかし、思いを伝達することままならず、涙する毎日の父、・・・・つらいよ。その涙すらいまや・・・・。

父の日も、むなし(2004.6.23 Ms)

 父の病気のこともあって、頻繁に実家に通っている。この半年、母は病院にピタリと付き添い、家を一人で守ってきた90歳を超える祖母も、さすがに心細くなったか、やはり、身内がそばにいて欲しいという感情を明らかにするようになった。休日も許す限り、片道30Kmの山道を往復し、また、平日も、泊まれる時は泊まっている。その時は、朝6時には起きて、6時半には家を出ることとなる。そこから1時間のドライヴ通勤、結構大変だな。・・・・それぐらい、もうやっているよ、という人も見えるでしょうけど・・・。
 といった具合で、HPの更新もはたまた停滞気味。せっかく、昨年の空白を埋めるべく頑張ってきたものの、また、記事が追い付かなくなって失礼します。また、落ちついたら、一気に書きためて公開していきましょう。
 音楽活動ができないからこそ、このHPの場、自分にとってはかけがえのない場、だし、このHPに向かう時だけが、日常の雑事を忘れさせてくれる。

 ただ、仕事と家庭上の諸々で忙殺されるのも自分としては、空しさもあり、なるべくチョットした変化も、生活の中で必要。
 つい1週前の土曜日は、岡崎のこども美術館まで行って、
トーベ・ヤンソンの「ムーミン谷の素敵な仲間たち展」を見る。ムーミンの作者トーベ女史の、ムーミン以外の絵画作品も含め、イラストやら、マンガの原稿など見る。フィンランド旅行(2001年)の際、タンペレでの体験(ムーミン谷博物館)を思い出させてもくれ、懐かしさもひとしお。また、フィンランドの風刺雑誌「ガルム」の表紙は、けっこう興味深い。第二次大戦中ながら、ナチスへの批判を込めたもの(フィンランドは、ソ連の侵略に対抗するため、ドイツと協力せざるを得なかった)、また、スターリンへの批判・・・・なかなかに反骨精神旺盛な様子を伺う。ただ、そんな表紙の傍らに常に、ちっちゃくムーミンが潜んでいるのがごあいきょう。つい、顔が緩む。
 ムーミンに関するグッズも、北欧の本家本元から入手してあって、これまたナツカシや。「ムーミン・ミュージック」というタイトルの音楽が流れるオルゴールのややチープなムード(私もヘルシンキにて購入したけれど)、結構好きだなア。(岡崎でのムーミンの展示は7/11まで。その後は、確か東京でやるんではなかったか。北欧フリークの方は是非お運びくださいませ。いろいろ発見あると思います。)
 日常の雑事から逃れた一時・・・ながら、その帰りはそのまま山の実家へ、そこから、翌日日曜出勤、朝9時前から夜9時過ぎまでの12時間超の労働、疲労困憊。1週間の労働がきつかった・・・でも、ちゃんと、エネルギー充填、立て直して、とりあえず、これだけ今日はご報告。

(2004.7.11 Ms)

 私自身の演奏活動も全て休眠状態となり、音楽への渇望はいまや絶頂といった感もある。自分のアイデンティティーの一つが封じられて、自分がどこに向かうのか、今の自分にもよくわからない。でも、意外とサバサバ、現状を受け入れている。また、音楽に追われている状態から、完全に、音楽を追っかける立場に逆転し、これが、実は自分の中で何らかの高揚感・燃え上りを見せている。この際、貪欲に、音楽をむさぼり聴き、演奏の現場を見、体感し、(ついでに、片っ端から文献もあさり、)数々の本物の音楽との出会いにときめき、すら感じ・・・・。というのは、大袈裟だが、今の立場で出来る限りの音楽体験を重ねよう、と決意している。この期間が、一体いつまでかは、神のみぞ知る、が、この期間を抜け出た時の自分が、何を目指すのか、数段、高次の自分になっているのか?ならないのか? 楽しみ、である。

(2004.8.9 Ms)



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