某K市民管弦楽団 第12回定期演奏会 〜男と女の「運命」いろいろ〜
<1>若きチャイコフスキーの失恋体験
1868年、28歳のチャイコフスキーの前に一人の女性が現れる。イタリア歌劇団のソプラノ歌手、デジーレ・アルトー。歌劇団のロシア公演の際、二人は出会い、互いの才能を認め合い、やがて恋におちた。二人は結婚を決意する。しかし、その二人の想いを妨害せんとする怪しい影が・・・・。
ロシアが生んだ大作曲家チャイコフスキー。彼の音楽家仲間たちは、彼がさらに作曲家として成功することを願い、また、信じていた。そこへ超ウレッ子の歌手が現れ、彼の心を虜にした。これは一大事。シューマンの例もある。彼が彼女の演奏活動に振りまわされはしないか?作曲に集中できなくなるのではないか?友人たちは彼に結婚を諦めるよう説得するが、彼は頑として聞かない。そこで友人たちは、作戦変更、アルトーに迫る。
「君との結婚が、作曲家チャイコフスキーを破滅させる。彼を、そして彼の才能を愛するのなら、君は去るべきだ!」
思い悩んだアルトー、ワルシャワ公演への旅立ちに際し、彼との再会を約すものの、すぐに風の便りが・・・・・アルトーの結婚。それも、相手は、歌劇団の中で二人ともその才能を軽蔑していた無能なバリトン歌手であった。「つまらない男と結婚する事で、チャイコフスキーが私を軽蔑し、私を忘れてくれるだろう。」それが彼女の選択であった。愕然とするチャイコフスキー・・・・・・この事件が、彼の女性不信、さらには同性愛、もしくは近親相姦(弟との愛?ゲゲッ)の引金となったかは定かではない。
1869年、彼は1曲の管弦楽曲を完成させた。それが「ロメオとジュリエット」である。愛する男女が、それぞれの家の対立の中で引き裂かれ、悲劇的な最期を遂げるそのストーリーに、彼は自らの失恋体験を重ね合わせたのかもしれない。
緩やかな長い序奏の後、二人の愛を引き裂く邪悪な力、運命を思わせる主題が登場。続き、それに負けじと例えようもないほど美しい愛の主題。その2つの主題は鋭く対立しつつ、最後は、愛が運命によって滅ぼされる。・・・・・しかし、愛はきっと天国で結ばれるのに違いない。そんな幕切れが涙をそそる(はずですが)。
紙面の都合上、今回は今までよりかなりコンパクトにまとめてます。(2000.7.25 Ms)
<2>ビゼー殺人事件、主犯はカルメン?
真面目な軍人ホセは、魅惑的なジプシー、カルメンに一目惚れ。ホセは、故郷も軍人の地位も、さらには婚約者ミカエラも捨ててカルメンに求愛。しかし、カルメンは束縛されるのが大嫌い。今は、アイドル的闘牛士エスカミーリョに夢中。結局、ホセは愛するカルメンを殺してしまう・・・・歌劇「カルメン」は、そんな男女のドロドロした愛憎まみれのドラマをスペイン風な異国情緒溢れる音楽で描いた名作中の名作。
しかし、その作曲家ビゼーの一生については余り知られていないようだ。
教育ママに厳しく育てられたビゼーは英才教育を施され、「お受験」を勝ち抜いて若干10歳でパリ音楽院入学。若くして才能を開花、19歳で難関、ローマ大賞第1位を獲得、ローマ入学へ。帰国後は、将来が約束されていた(母校の教授、歌劇場指揮者など)にもかかわらず、定職に就くのを潔しとせず、「フリーター」の道を歩む。不安定ながらも自由な生活の中で彼は歌劇を始めとする作曲に没頭することとなる。
そして、厳格な母の死の床を横目に、彼はメイドを孕ませてしまい、母の死を契機に母への反抗が開始される。道徳や掟を省みず、自由奔放に生きる女性と、それに翻弄される男性を音楽に表現しながら、彼は絶大な影響を持った母からの独立を果たす。その過程に「アルルの女」そして「カルメン」があるのだ。
しかし、「カルメン」の初演は大失敗。当時のパリのオペラコミック劇場は、社交場であり、若いブルジョワたちのお見合いの場ですらあった。そこへ、彼は、愛憎渦巻く悲劇、それも、ジプシー、密輸団が登場、さらにヒロインが殺されるなどという物騒なオペラを持ち込んだのだから当然か。聴衆に対する挑戦でもあり、また、因習や伝統という束縛からの開放を訴えた、彼の自由の宣言であったとも言えよう。
オペラ上演に合わせて、ほとんど毎日徹夜状態で作曲を続けた彼にとって、一大自信作の失敗は落胆をもたらした事だろう。過労がたたってか、彼は初演から3ヶ月後、謎の死を迎える。36歳という若さであった。
その死の当日、「カルメン」は不評ながらも公演を続けており、そこで一つの事件が起こった。第3幕のトランプ占いの場面で、主役の歌手が本当に「死」の札を引き当てて失神。一時上演が中断したらしい。密室で心臓発作を起こして死んでいたビゼー、この「死」の札が引かれた瞬間に死んだのではないか?というのがもっぱらの説である。カルメンに魅了され破滅したのは、劇中人物ホセのみならず作曲者ビゼーもまた然り。真面目に育ってきたが故に、母と全く正反対な女性に翻弄され、消耗していった点において二人の男は同類であったということか。
純朴なる男子諸君、女性にはくれぐれも気をつけるべし。
(2000.7.26 Ms)
<3>身分を越えた、伯爵未亡人との愛の顛末
1804年、交響曲第3番を完成させ、ナポレオンに献呈する予定であったベートーヴェンが、ナポレオンの皇帝即位に激怒し、その表題を破棄したのは有名な話である。その逸話の後、この交響曲ハ短調は着手されている。激しい感情の高ぶりを表現するため、彼は短調の作品を継続して書き続けている(「悲愴」ソナタ、「月光」ソナタが有名)が、今回、初めて、大管弦楽のための交響曲に短調という調性を選んだのだ。そして、その交響曲は、前述のソナタと同様、短調で締めくくられる予定であった。スケッチブックには「悲愴」ソナタの第3楽章を彷彿とさせる主題がフィナーレとして書き留められている。
しかし、交響曲ハ短調はすぐには完成されなかった。委嘱作を始め様々な作品を並行して作曲していたためでもあるが、1805年から翌年にかけては、交響曲第4番、ピアノ協奏曲第4番、バイオリン協奏曲が交響曲ハ短調に先駆けて次々と完成される。今までにないほど、幸福感に満ちた作品群とは言えないか? それらの名作の影に・・・・・女性の影がちらついている。
家族ぐるみの交際をしていたブルンズヴィック伯爵家の三姉妹とは、ピアノ教師として彼女たちが若い頃から交際があったのだが、三姉妹の次女、ヨゼフィーネが夫ダイム伯爵に先立たれ未亡人となったのが1804年。芸術に無理解であった夫と死別した彼女とベートーヴェンとの関係は次第に深まりつつあり、家族も心配するありさまだ。彼が彼女の兄に当時、献呈したのが有名な「熱情」ソナタ。果たして真意は如何に?
共和主義者であったベートーヴェンの、皇帝ナポレオンへの怒りが彼の公的な闘いであるなら、身分を越えた貴族令嬢との恋愛は、彼の私的な闘い(しかし、身分制の否定という意味では同様に社会的側面は持つ)であったのかもしれない。
しかし、そんな大恋愛も終焉を迎える時が来る。
「・・・・・1807年末、最後は互いの立場を考えた二人が理性的に決着をつけてこの恋は終わる(彼女がベートーヴェンの子供を産んだという推測もあり、これは全否定できない状態にある)。・・・・・」(「ベートーヴェン・ルネサンス」音楽之友社より)
二人の幸福な時代を迎えて後、改めて交響曲ハ短調の作曲に取り組んだ彼にとって、短調のフィナーレという伝統に則った終わり方は破棄されることとなる(一方、交響曲ハ短調の当初の終わり方を生かしたのが、1807年作曲の「コリオラン」序曲とも考えられる)。激昂した悲劇的なテーマは曲が進むにつれて、次第になりを潜め、第3楽章の後半では悲劇は消滅、第4楽章に至って完全な歓喜の絶叫へと転化する。決して、現実世界においては、公的には共和制が未確立、私的には身分制が打破できない結果にはなったのだが、1808年、交響曲ハ短調が交響曲第5番となり、長調の輝かしいフィナーレを持つに至り、彼の理想と夢が高らかに歌われる契機になった一つの要因として、作曲と並行して進展していたヨゼフィーネとの関係を全く無視できないように私には思えるのだが・・・・いかがでしょうか?
ただ、気になるのは、ベートーヴェンとヨゼフィーネとの間に生まれたかもしれない子供の存在!! 真相は一体・・・・・しかし、今となっては事実は闇の中。この交響曲第5番こそが、二人の愛の結晶なのかもしれない、ということにしておこう。二人の男女の秘められた愛、情熱が聞こえてくるような気もしませんか?
(曲に関する詳細は、1Fロビーにて副読本を頒布しておりますのでそちらもご覧下さい。)・・・注・・・拙著「世紀末音楽れぽおと」のことです。「運命」と「ロメジュリ」については詳細な曲解が掲載されております。
(2000.7.28 Ms)
Msの感想など一言
今回はどうも感想が書きづらい。演奏終了後の達成感は充実したものがあった。ものの・・・・数日後、冷静にビデオなど見ると全くもってしらけた感じ。結局、指揮者の意図など、どこ吹く風で、それも自覚症状もなく、勝手に違う方向を団員が向いている。練習のプロセスを知るものとしては、疑義を感じざるを得ない(特に「運命」は不愉快。リハーサルで崩壊寸前の状況が、本番自体は、先生の壮絶な妥協もあって何とか形になって、あぁ良かった良かった、という程度の達成感か・・・・)。とにかく苛立ち多し。私は自問自答する。このオケで良いのか?(あえて、こんなオケで良いのか?とは問わない。組織の変革はどだい一人の力では無理だ。所詮、自分が続けるか、去るかの選択のみだ。・・・・問題意識のあるものは去る・・・・そんなオケになりつつあるのでは・・・・)
ああ、書くのもつまらなければ、読むのもつまらない。そんな感想しかないなら、ホントに進退考えようか?
停滞しそうだから、鑑賞者ではなく、コンサートの企画者、曲解の執筆者、打楽器奏者としての感想を書いておこう。
(2000.8.6 Ms)
<1>「カルメン」の選曲、およびアンコールについて
当初、「カルメン」第1、第2組曲全曲を予定していたのだが、竹本先生の指摘により曲をカットする事となった。確かに全部やるには長過ぎ。しかし、第1組曲だけでは短過ぎ、第2組曲だけだと渋過ぎ。といろいろ問題ありなのだ。ということで、第1組曲からは割愛される事も多い「セギディーリャ」をカット。そして第2組曲からは、最後の2曲「子供達の合唱」と「ジプシーの歌」のみのプログラムとなった。
そして、アンコールに、極めつけ、というわけで「ハバネラ」そして「闘牛士の歌」が配置され、お客さんの満足度の高いプログラム、となったと思われる。最後に、これぞ「カルメン」という2曲で駄目押し。「運命」がこけても後味は良く帰っていただけるという作戦だ。この作戦は大成功であった。
さらに、この男女のアリアが2曲並んだ事で、今回の演奏会の隠れテーマ「男と女の運命いろいろ」が追認される効果を持ったと言うわけだ。竹本先生のセンスには、毎度毎度脱帽である。ショーマンシップを充分心得た指揮者であることに間違いは無かろう。
<2>ティンパニ・パート譜から見た、ペーレンライター版「運命」ならざる演奏のススメ
ここのところ、最新のクリティカル・エディションであるベーレンライターの楽譜で演奏するのが主流になりつつあるようだが、今回、あえて、従来の版で演奏する事となり、ティンパニ譜の比較をしつつ、ベーレンライター(以下、「新版」と呼ぶ)で変更、訂正された部分をあえて従来のままであることを強調した演奏を試みてみた。それがなかなかに面白いので、是非、他の方々にも意識して演奏していただきたいと思いつつ、一言書かせていただきます。
(1)第1楽章52小節目(練習番号A)
第2主題へと導く部分。ティンパニ以外全ての楽器はff。しかし、ティンパニのみf。「新版」では当然、ティンパニもffに統一されている。ちなみに、再現部での同じ部分は、従来の版でもティンパニはff(練習番号D)。ティンパニのみfというのは明らかな誤記だと思われる。
しかし、竹本氏はそこを捕まえ、ティンパニのみfなんだから弱くしろ、という訳だ。曲が始まって最初のティンパニの連続したパッセージだ。とかく、目立ちたがりの刈谷オケ打楽器パートを、竹本氏は常に牽制するのが恒常的な事。今回も、いきなり先制パンチを食らったと言うわけだ。
再現部においては同一の場所がffであること、新版ではffに改められていること、を主張しようとも思ったのだが、雰囲気を悪くするだけなので、とりあえず従った。
しかし、モノは考え様で、提示部と再現部の同一部分でも、ティンパニの叩き方が違っても良いのでは、と思い直した。
再現部においては、ドの連打の後、一発、ソ、の音があり、ファゴットによるブリッジでハ長調が準備されて第2主題が始まる。
提示部においては、ドの連打の後、決めの一発は、ティンパニには無く(変ホ長調の5度の和音・・B−D−F)、ホルンによるブリッジで変ホ長調が準備されて第2主題が始まる。
ようは、再現部においては、ティンパニが最後までオケの面倒を見るのだが、提示部においては、途中でその任務を投げ出さねばならない。つまり、ティンパニが目立ちすぎると、変ホ長調への転調が、カスッとした和音打撃にしかならず、めちゃカッコ悪いというわけだ。
そう言えば、竹本氏との個人的な話の中で、
このオケにはコントラバスがいないので、音楽を作る土台がなくて練習にならない。チェロも音楽を先導する能力が不足し、コントラバスの穴を埋められない。こんな中でティンパニが演奏するのは酷なことだね、
と同情していただいた。低弦さえしっかりしていれば、バランス的にもっとティンパニの音量も出せるのに、さらに言えば、ティンパニが無くなった途端、低音がふにゃふにゃになるのが刈谷オケの実態であることを竹本氏も苦々しく思っているのだ。
それならば、ふにゃふにゃな低音が露骨にばれないためにも、常に迫力不足な感じにしたてておいた方が、曲の流れはスムーズになる。ということで、考え直した結果、ベートーヴェン先生も、ティンパニの威力の大きさ、それに比しての低弦の弱さをうすうす感じたと仮定して、旧来版の楽譜の音量指定に従い、あえて提示部の練習番号Aではおとなしい演奏を心がけてみた。
当然、再現部の同一箇所は、そんなことは考慮しないで良いのでffで叩いた。前半で抑圧されたが為に、その、ド。ソ。という決めの和音はとても気持ち良い感覚を伴うものであった。ティンパニにようやく、華が回ってきた、という喜びのすぐ後に、ティンパニの最大の聞かせどころ、第2主題のバックに流れる運命動機のソロのパッセージはある。提示部における抑圧は、意外と良い感覚を私にもたらした。
なぜなら、続く第2主題から緊張感溢れるコーダに進むに連れ、ティンパニのパッセージは今までの断片的なものから、継続的なものへと変化する。コーダの音楽は、申し訳無いが、もたもたした低弦に任せてはおけない。音量こそ、私らしくも無く壮絶に控えめではあったが、音楽に命を吹き込むのは、竹本氏の棒とティンパニの躍動するリズムだ、と体感しつつ、テンポ感においては鈍重、音質においては軽薄なる刈谷オケのサウンドを引っ張っていけたのではと思う。後半にテンションの高まりをイヤがおうでも感じざるを得ない演奏(少なくとも私は)となったという意味で、旧来版の音量表示にこだわった竹本氏の、いささか杓子定規な主張も、楽章全体からという大きな視点からは、説得力溢れる解釈になったのではないか?
とてつもなく、こじんまりとした「運命」第1楽章ではあったが、小さいのは小さいなりに、小さい中でもテンションを高めて行く音楽の流れは表現できたのではなかろうか?竹本氏と私との共同作業で、弱き低弦を穴埋めしつつ、バランスの良い演奏が可能となったのではないか?それを可能とさせたのが、提示部のある一部分におけるティンパニの忍耐、であったように思うのだが。
(2)第2楽章のファンファーレ主題
第2楽章はご存知のとおり、2つの主題を持つ変奏曲。その第2主題が、金管によるマーチ風な趣の主題。そのファンファーレ的な響きを支えるのが、ティンパニだ。しかし、35,36小節のsfの位置が、旧来版では、金管とティンパニで相違している。金管は第1拍目。ティンパニは第3拍目。これなども、全くもって、誤記でしかありえないだろう。新版は、ティンパニも金管に合わせている。
ただ、第1楽章で、せっかく旧来版らしさを表現するのだから、明らかな誤記であれ、旧来版の楽譜に忠実にやろう、と心に決め、あまり露骨ではないものの、オケ全体に逆らったsfを楽譜を盾にやってみた。意外と、効を奏し、3拍目から1拍目への勢い・推進力がオケ全体に与えられ、オケ全体が躍動感溢れる表現となったような気もするのだが・・・・楽譜の誤りを平然と堂々と演奏するのは結構意地の悪い考えですかね・・・・・。これはこれで楽しいのですが。指揮者にも誰にも気付かれないのが不思議。
(3)第4楽章コーダ
フィナーレの最後であからさまな音符の誤記がある。今までは、音符は同じだが、ニュアンスが違う(音量や表情)例であった。第3楽章からの通しの小節数で763小節目。フィナーレの冒頭の第1主題がプレストの速さで再現する部分。ティンパニはトランペットの旋律線と同じリズムであるべきだろうが、何故か764小節目が違っている。その小節だけ低弦のリズムと同じ。なんだか意味不明なのだが、これも、旧来の楽譜通り演奏。指揮者も誰も気付かなかったようだ。よくよく聴くと、これってかなり変に聞こえるんですが・・・・・。プロの演奏も、旧来版であれ、旋律の動きに合わせているように思います。が、楽譜に忠実な指揮者の考えを忠実に守りつつ、余り他では聴くことの出来ない、ユニークな演奏と相成りました。
さらに、最大の謎が、最後の小節。みんな、全音符のばしのフェルマータ。ティンパニは、2分音符を32分音符で刻んだ後、残りの2分音符にフェルマータを付けたトレモロ。何故、2つの音符に分れているのだろう?ちなみに新版では、全音符のトレモロに変更されている。個人的には、これは前述のような、誤記の類ではなく、ベートーヴェンがあえてこう書いているのだとすれば、意味不明だろうと、そのまま楽譜は改ざんせず、奏者や指揮者の解釈に任せるべきだと思う。この一点に付き、ベーレンライター版を私は認めたくは無い。作曲者の意図を捻じ曲げた詐欺ではないか。
(蛇足ながら、このティンパニの終わり方、シューマンの交響曲第2番の最後にも影響を与えていると想像される。シューマンが、自分の作品にあのティンパニ譜を書いた前提として、当然「運命」の終結を頭に描いたのだろう。シューマンが聞いた「運命」の最後は、きっと全音符のフェルマータのトレモロには聞こえなかったはずではなかろうか?)
というわけで、なぜ旧来版がこのような書き方なのかが問題。ものの本に寄れば、当時、ティンパニのトレモロ奏法としては、現在のいわゆるティンパニにおける通常のトレモロ以外にも、軍楽隊の名残として、小太鼓のトレモロをティンパニに応用した奏法もあった、という考え方があるのだそうな。1回のストロークで2つの音を出す、いわゆる二つ打ち。
ただし、現代のバチでそれをやっても、あまり効果の無い結果となりそうだ。当時の、思いっきり固い、フェルトのないバチならその場にふさわしい音も出るだろうが、現在の通常使われるバチでは、芯の無い音になるだけだ。やるなら、全編、スペシャル・ハードなバチで、かつ古楽器を用意せねば・・・・ならば、その他の楽器も200年前のスタイルの楽器でなければ統一性なし。いつの間にやら、刈谷18世紀オーケストラを立ち上げねばならなくなってしまう。それはナンセンス。
この点については、トレーナーの白川先生にも伺ってみた。セントラル愛知管弦楽団の首席ティンパニ奏者である。指揮者の小松和彦氏によれば、最初の2拍に密度の濃いトレモロをしたのち、通常のトレモロに戻す、という指示を受けたとのこと。押しの強そうな表現。確かに、あのテンポで32分音符の刻みというのは凄いことだ。その凄みを最初に表現するのだそうな。(ちなみに、3拍目の頭にアクセントを付ける必要は無し。ティンパニのみ、ダーダーーーンとアクセントがずれるのは少々奇をてらったと言えそうだ。ただ、ブロムシュテット指揮のゲバントハウスが、旧東ドイツの崩壊10周年のコンサートで、ダーダーーーンとやっていたなぁ。インパクトはある。我がオケでも、練習中、試みにやってみたが、団内トレーナー氏はそこまではご存じなく、「そんな風にやるんですか?」と豆鉄砲を食らった鳩のような按配であった。練習期間中にせっかく衛星放送とは言え放映されていたのだから、団内トレーナーくらいならチェックしておいて欲しかったですな。聴いても気付かない部分だったかしら。)
そう言えば、該当箇所、トロンボーンは、4分音符のみで、フェルマータ部分は休符である。それと合わせて考えれば、この白川=小松解釈は充分合点がいきますね。
白川先生の指摘を受けて、その方法で解釈し、練習そして本番に臨んだのだが(この部分も指揮者のコメントは無し。現在、ベーレンライター版で無しにこの旧来版のスコアで演奏するのなら、この最後のティンパニの意味不明な音符をズバッと解決してもらわにゃならんのになぁ。)、結果、やはりティンパニの音量は不用とのことであったので、最後の和音の冒頭のみ、普通くらいの音量で早めのトレモロとし、ひたすら伸びる間は、やや間の抜けた、少々密度の薄い、かつ音量控えめな、とても「運命」の最終的結論とは信じがたいほどのテンションの低いトレモロにしかならないのであった。
弦も、と言おうか低弦の音もどうしようもなく薄く、迫力のかけらも無く、さすがに、これでは演奏が止められない、と感じられたか、最後のフェルマータが長く、指揮棒ももっともっととせがむので、約束が違うなァ、と感じつつも演奏を終わらせるためにも、フェルマータにクレシェンドを追加。きわめて、ある意味ハイドン的な軽い「運命」ながらも、最後だけちょっとチャイコフスキーに近づいたような変な終結にはなったのだが、指揮棒もやっと音を切る事ができたようだ。
今回の演奏は、音量の上限が低いため裏目に出たのだが、旧来版で演奏される場合は、この解釈は有益だと思いますので参考までに記させていただきました。
きっと、打楽器奏者の人くらいしか、最後までお付き合いできないネタだったかもしれませんが、アマオケの打楽器奏者もいろいろ考えて演奏しているのだということ、指揮者といろいろせめぎあって音楽作りしている事、などわかっていただけるのではないでしょうか。
なお、オケで練習とは言え指揮棒を持つ方々は、超有名曲でもありますし、これらの点につき、ティンパニ奏者が認識不足なら、率先して、どう演奏するか問いただしつつ、指揮者とのせめぎあいに備えていただいた方がよろしいかと思います。
(2000.10.4 Ms)
<3>学級崩壊的テュッティと、個人の能力差による練習妨害(日本の教育界の混乱の縮図としての刈谷市民オケ)