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(仮称)室内楽・雑記帳

 2003年夏からの、HP、半年の中断中に、室内楽への関心が高まり、「だぶん」にても、いろいろ書いてきましたが、それを1箇所にまとめてみました。

 TVで見聞きした室内楽演奏会の感想など紹介します。生演奏で体験したものは、基本的には「トピックス」に掲載するつもりです。


 2006年。まずは一言書かなきゃ気が済まない。
 NHK改革の行方は大いに気になる。チャンネル数の減、それもBS・・・。私のように地方に住む者にとっては、NHKのクラシック番組は大いなる楽しみのひとつ。東京まで行かずして様々なリサイタル、コンサート体験ができるわけで、何を置いても、放送、それも公共放送の使命の一つとして、優良な番組を継続していただきたい。視聴率が尺度ではない。我が日本、高度経済成長期の「エコノミック・アニマル」も今や死語ではなく、Hリエモンこそ、日本の負の象徴たるアニマルではなかったか・・・そんな拝金主義横行が多いに気になる昨今、経済性だけが尺度ではない、国際的にも恥じない、文化、芸術の砦としての放送を期待する。確かに、民放でも多少はクラシック番組もあるが、何せ、商業主義濃厚で、CMが交響曲の楽章ごとに入るは、時間制限で勝手にカットするは、デリカシー不足の、何とも恥ずかしい姿勢が気になりすぎる。
 とにかく、NHK頑張れ、と言いたい。こんな人間もいるということ、主張しておきたい。そんな意味もあって、さかんに、TV鑑賞体験は、このコーナー(もちろんN響・TVクラシック鑑賞のページも含めて)に書き続けたい。(2006.1.30 Ms)


2006年

 セルゲイ・ハチャトゥリアン ヴァイオリン・リサイタル(2006.4.20 王子ホール)。
 シューマンのヴァイオリン・ソナタ第1番。フランクのヴァイオリン・ソナタ。
 ガーシュインの「ポギーとベス」から「いつもそうとは決まっていない」(ハイフェッツ編曲)。
 シューマン・イヤー、ヴァイオリン・ソナタもさかんに演奏されているようでうれしい限り。庄司紗矢香さんに続いての第1番のソナタ。
 セルゲイ氏といえば、N響でのベートーヴェンの協奏曲での評価で、日本でも急浮上といったところか。美しい音色は魅力である。ただ、個人的には、今回のシューマンにせよフランクにしろ、キレイなだけではやや物足りない曲想か。もっと、凄みが要所で欲しかった。端的には、フランクの第2楽章での、ぬるい感じがどうにもいただけなかった。私的体験では、小林美恵氏の生演奏に接したのがあまりに強烈(2005年12月ATMアンサンブルはこちら)。また、今回、ピアノを姉のルシネが担当したが、特にそのフランクの第2楽章がちょっとたどただしい感じもしないではない。残念ながらちょっと期待ハズレな感を持ってしまった。

 ラーザリ・ベルマン ピアノ・リサイタル(1988.1.14 東京文化会館)。NHK教育TV、「思い出の名演奏」。
 リストの、「巡礼の年第2年 イタリア」から、「ソナタ風幻想曲 ダンテを読んで」「婚礼」。
 ワーグナーの、「トリスタンとイゾルデ」から「イゾルデの愛の死」(リスト編曲)。
 リストの、「巡礼の年第2年 追加 ベネチアとナポリ」から、「ゴンドラをこぐ女」「カンツォーネ」「タランテラ」。
 アンコールとして、ラフマニノフの、「楽興の時」Op16−4。
 旧東側のピアニストとして幻の存在であったベルマンの来日公演。生前の彼の姿を知らないが(2005年没)、リストの豪快さ、そして繊細さを堪能させていただく。リストの再来との評価もうなずける。特に「ダンテ」の迫力は良い。ラフマニノフもアンコールとは思えないほどに激しい作品で圧倒された。また、「婚礼」が、ふとドビュッシーの「アラベスク」を思わせ、印象派的な方向性も見える。

(2006.9.4 Ms)

 趙静&大萩康司デュオ・リサイタル(2005.12月 和光市)。
 同じ組み合せでNHK−BSでも見ているが、違う会場での演奏を民放でもやっていた。「十弦の響」というDVDも出るそうだ。そのCMもちゃっかり。「アルペジオ―ネ・ソナタ」の雰囲気は良い。その他、前回聴いていないところで、ヴィラ・ロボスの「ブラジル風バッハ」第5番の「アリア」。原曲でチェロ3部によるピチカートの複雑な伴奏をギター独りで簡略化してしまうのは、ちょっと残念だし物足りなさは感じてしまうが、ギターとチェロで結構しっくり聞かせられるものとは思った。曲の持つ性質ゆえとは思うが、悪くはない、と感じたので書き留めておく。

 ソル・ガベッタ チェロ・リサイタル(2005.11.17 武蔵野市民文化会館)。女流若手チェリストが続きますが・・・。
 シューマンのアダージョとアレグロ
 ラフマニノフのソナタ
。最後に、ヒナステラのパンペアーナ第2番。
 シューマンは、随分と丁寧かつテンポの遅いアダージョと、一気に駆け抜けるような快活なアレグロの鋭い対比が印象に。ただ、個人的にはアダージョはもう少し前への推進力があったほうが。やや停滞気味にも思う。アレグロはただ速いだけでなく、微妙な歌心による揺れも心地よい。この作品は、ピアノとチェロが対等に歌を交わすような部分も多く、ピアノとチェロとの音楽の方向性の一致が、速い中にも隅々にまで聴き取れたのは大変良かった。
 ラフマニノフは、このところ聴く機会も多くなってきたな。が、まだまだ馴染みの曲になってはいなかったが、この演奏で、始めてかなりの高感触を得ることができた。前半2楽章の暗い情熱、そして後半2楽章での幸福感への到達。
 ピアノ協奏曲第2番の成功体験が、因縁の交響曲での成功へ目指し胎動始める最初の足跡といった彼の作品系列での位置付けをおおいに感じさせた。確かに楽章配列、楽想の配列に、第2交響曲への布石がこの作品にはあろう。ピアノ協奏曲での成功を室内楽でも生かして、随所に濃厚な歌を取りこみつつ、しかし一方、第2楽章のスケルツォには彼に特徴的なムソルグスキーに通ずるロシア野蛮主義の伝統に根ざす悪魔的な不気味な雰囲気も明確である(協奏曲には見られなかった性格で、失敗に終わった交響曲第1番にルーツを持つ、彼の本来の姿を見出す)。
 このソナタこそ、そしてこの作品のバランス感覚こそ(叙情的歌唱と悪魔的伝統)、彼の作曲家としてのスタンスをようやく確立できたという意味で、彼の代表作に相応しい地位を与えたい。逆に、交響曲第2番のあまりに冗長な、歌にとらわれ過ぎた(まるで、ショスタコーヴィチ社会主義リアリズムに拘束されて創作したが如く。・・・交響曲第12番を聴くのと同様の違和感をラフマニノフの2番にも感じるのは私だけだろうか?私だけか・・・)、可哀想なくらいな、聴衆へのこびへつらい(悪魔的アイデンティティーの素直な過度な表出に対する批評家への恐怖の心もあったろうが)を思うとき、このソナタにこそ、彼の最も幸福な作品のあり方が示されている・・・などと感じた次第だ。
 安定的なテクニックが私を作品に邪心なく没頭させてくれ、また、抒情的歌心が過度になり過ぎず、かつ、悪魔的キャラクターの印象付けなど、私の上記の感想を導くに至ったガベッタ嬢の演奏に感謝。1981年、アルゼンチン生れ。この秋、名古屋にて、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番に挑戦するとも聞く。期待したい。

(2006.7.16 Ms)

 庄司紗矢香Vn.リサイタル(2005.11.29 サントリーホール)。シューマンのヴァイオリン・ソナタ第1番に惹かれて。
 天才のひらめき、が第1楽章に充溢してはいないか。冒頭の主題からして一度聴けば虜になるほど。果てることのない不安、そして、何かしらへの憧憬、とが交錯しているように思う。晩年シューマンの傑作だと固く信じる。特に、コーダの最後、長調に解決すると思いきや、一刀両断に短調の主題が断定的に現われる効果の壮絶なこと・・・マーラーの「悲劇的」の遥か遠い原型とすら感じる。
 ただ、第2楽章はやや凡庸な気もするし、また気分の転換が激しい。情緒不安。ついて行きにくい面もある。
 第3楽章は、ひたすら強迫観念に駆られたような、同一モチーフの連鎖。これは、交響曲第3番「ライン」の第2楽章の楽しげな愛らしいモチーフが短調に転化したもの。あの、おおらかな、生命力の謳歌のような「ライン」がここまで変わり果ててしまうのが、何ともやりきれない。聴いていて、決してスカッとするわけもなく、割りきれない思いが募るのだが、でも、音楽に力がある。演奏も、骨太で良かった。貫禄すらある。

 趙静&大萩康司デュオ・リサイタル(2005.12.13 紀尾井ホール)。
 チェロとギターという一風変わった取りあわせ。まずは、チェロのみで、バッハの無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調
 6曲あるうちで比較的地味な存在か。でも意外に親しみやすい旋律もあり、人懐っこさはある。演奏は、やや速めで、細部にまで磨きをかけたタイプではないが、軽やかな身のこなし、曲の運びが魅力である。
 ギター・ソロは、ヴィラ・ロボスの5つの前奏曲。俗っぽさも多分に含まれていて、聴きやすい。ただ、単純な民謡風、というわけでもなく意外性ある和声なども混ぜつつ、ギターソロの曲としては、なかなか楽しめるもの。
 最後に2人で、シューベルトのアルペジオーネ・ソナタ。美しい旋律が心地よい。ギター伴奏というのも、曲想にあっているように思う。ただバランス上、チェロの存在感が抜きん出た感じになってしまうが、情感あふれる演奏が特に強く印象付けられた。第1楽章の美しさ、今回の演奏で始めてしっかりと脳裏に焼き付けられた。晩年のシューベルト、もっと知らねば・・・。
 ただ、気になるのは、シューマンのピアノ協奏曲第1楽章の主題によく似た感じなのだが、両者の関係やいかに・・・。

(2006.3.16 Ms)

 松実健太ヴィオラ・リサイタル(2005.10.15 王子ホール)。
 バッハのヴィオラ・ソナタ第2番ニ長調BWV1028。ブルッフの「コル・ニドライ」。ヴォーン・ウィリアムスの「グリーンスリーブス」。ブラームスのヴィオラ・ソナタ第2番変ホ長調Op.120−2
 2年前のフォーレのピアノ四重奏曲第1番のNHK−BSでの放送は、私にとっての啓示、ですらあった。その時のヴィオラが松実氏であり、かなりの好印象。ただ、今回のリサイタル、やはりヴィオラ・ソロを1時間聴くのは、地味な印象はぬぐえないのは確かか。でもヴィオラならではの、誠実で暖かなムードは良い。
 バッハの作品も、ヴァイオリンやチェロの無伴奏の華麗、重厚さとは対極にある軽み。第3楽章の主題が、バッハにしては、素朴なシンプルな感じ。ブルッフは、原曲のチェロでやっても渋いのに、さらに地味になってしまうな。「グリーンスリーブス」もフルートのイメージが定着しているし。ブラームスも元はクラリネット・ソナタ。
 それぞれに原曲とは違う味わいを楽しむことになるのだが、特にブラームスは良かった。最晩年の枯れた感じ、そして意外にも第2楽章のメロディアスなセンチメンタルな感じ、ヴィオラにかなりしっくり来る。そう言えばシューマンも晩年にヴィオラを室内楽の主役に引き立てた・・・「おとぎ話」及び「おとぎの絵本」。このソナタ、遥か遠くにシューマンの晩年、つまりはブラームス自身の作曲家としてのデビュー時の思い出などよぎった作品か?特に第2楽章の切なさは、あの晩年のヒゲ濛々の怒れる写真の像とは随分イメージの違うことか。何度も我が心の中を旋回するメロディ。

(2006.2.1 Ms) 


2005年

 石川静氏(Vn.)のリサイタル。チェコでの活躍を反映して、チェコの知られざる作品の数々。ピアノは、ヨセフ・ハーラ。
 まずは、ネドバル・・・誰それ?というあまりにマイナーな作曲家。1874年生まれ、ドボルザークの弟子とのこと。そのヴァイオリン・ソナタ、作品9。ロ短調という調性も手伝って、暗くドラマティックな楽想を聴かせる。想像するに1900年前後の作風としてはかなり保守的か。しかし、心に響く、訴えかける力は認められよう。フィナーレ第3楽章は、やや舞曲風な律動性もドボルザーク風ながら、主要なモチーフが、やはり同じくロ短調の、師ドボルザークのチェロ協奏曲の冒頭の主題をふと思わせるもので、興味を惹く。
 あと、スークの「4つの小品」作品17からの抜粋。こちらもドボルザーク絡み、彼の娘婿だったように記憶する。第3曲が美しい。和声の連結がやや意表を突きつつ、アルペジオの和音を確かに響かせつつ、ヴァイオリンが穏やかに歌い進む。余談ながら早速楽譜を入手して家族で楽しむ・・・ゆったりした部分なら私でもそう練習しなくてもある程度は弾けた・・・。こんな楽しみもまた付随しつつ、室内楽探訪はやめられぬ。

 パスカル・ロジェのピアノ。小林美恵氏のVn,長谷川陽子氏のチェロ。メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲第2番。トリオとしての活動も活発らしく、安定したアンサンブル。1年前、地元で同曲を始めて生で聴き、ブラームスをも想起させる暗い情熱と堅固な構成に興味を持ったところ(ハ短調という調性は、ブラームスの交響曲第1番と同じせいか、両曲の親近性をかなり感じる。特にフィナーレ。6/8拍子。コラール風なパッセージは、ブラームスの第1楽章展開部の開始を思わせる。主題自体も、3度の音程で順次進行で降りてくる動機が共通。かなり、ブラームスは、このトリオを意識したように勘ぐる・・・考え過ぎか?)。
 本格的な演奏を聴く機会を心待ちにしていたがその甲斐あり。特にVn.のリーダーシップが良い。丁度、小林氏の演奏を(フランクのソナタ)を碧南市で年末に聴いたばかり。生、TVともに好印象。

(2006.1.12 Ms)

 BSにて。 ヴィオラ・スペース2005、大阪公演。ヴィオラが主役の演奏会。感銘深きは、バルトーク、44の二重奏曲からの抜粋。ヴァイオリンによる原曲に劣らぬ魅力に満ちている。重音も多用、解放弦の雰囲気など、民俗音楽的。バルトークのエッセンスが簡潔に凝縮された佳曲。いま、楽譜を借りていろいろ編曲など考案。
 曲的にはイマイチだったが、気合い充分なのは、N響奏者、店村氏による、ヒンデミットの無伴奏ヴィオラ・ソナタ。途中のアレグロ楽章でいい部分はあったが、全体として晦渋、しかし、演奏は鬼気迫るもの。もう少し聴き込んでからの方が良いか。
 もう1曲、マルティヌーの3つのマドリガル。ヴァイオリンとの二重奏。弦の使用についてはさすが慣れたもの。かなり響きも良い。ただ、やはり期待したほどの作品ではなかったか。
 マルティヌー、ヒンデミットともに、多作家だし、すべて気に入るとも限らず。

 霧島音楽祭。2回にわたる放映にうちまず、第2回、チャイコフスキーのピアノ三重奏曲。大変有名な作品。「偉大な芸術家の思い出」。ロシアにおいて、故人の追悼をトリオという形で表明する先駆けたる作品。でも、チャイコフスキー自身、室内楽が苦手だなあ、という印象ばかりが目立つ。やはり、ダイナミックにオケを響かせる能力にこそ彼の魅力はあるのか。書法が簡明すぎて変化に乏しく、また、対位法的な深い奥行きが感じられず。さらに、また、長すぎる。第2楽章の変奏曲が特に・・・。余白で数分だけ放送された、プロコフィエフの「束の間の幻影」(バルシャイによる弦楽四重奏版)の方がよっぽど感銘を受ける。
 第1回目はショパン特集。チェロ・ソナタとピアノ曲。さしたる期待もなく見たのが良かったか。チェロ・ソナタはなかなかの佳品。チェロ界の重鎮、堤氏のフレッシュな若々しい演奏が、そう思わせるのに貢献している。また、ショパンという先入観で、どうせピアノが活躍するんだろ、と思いきや、以外に、巧くバランスがとれ、決してピアノ過多ではなく(チャイコの方が、いくらピアニストの追悼とは言え、ピアノばかりに華がありすぎる・・・)、また、ほの暗さが後のブラームスなども思わせる。昨年、デュオ・モリタで聴いたマルティヌーの1番のソナタ、桑田歩氏で聴いたメンデルスゾーンの2番、フォーレの2番、飯田市のアフィニス音楽祭で聴いたドビュッシーのものといい、チェロ・ソナタには何と知られざる、素晴らしい作品が多いことか!!!これらの曲との出会いが、素晴らしい演奏とともに私の前に現われ、虜にしてくれるのが嬉しい。下手な演奏との出会いが、素晴らしい曲との出会いを台無しにされることを最近特に憎む・・・幸福なる第1印象、これを与えられない演奏だけはしてはならない。聴衆にとっての人生における損失を撒き散らすことなかれ、演奏家諸氏。

(2005.9.27 Ms)

 BSにて。 ダビット・ゲリンガスのチェロ。R.シュトラウスのチェロ・ソナタ。ちょっと若すぎて、面白みに欠けた。ヴァイオリン・ソナタなどは、交響詩の時代のちょっと手前なもので、後年の彼のパッセージが色濃く出て面白いのだが・・・。それに比較して、ヒンデミットの「3つの小品」、同じく1桁代の作品番号で若書きだろうに、随分ひねくれたものだ。初期ヒンデミットは、ショスタコーヴィチを語る上で避けられない存在と気付き、機会をみて聴くようにしているが、なかなかに面白い。ロマン派のパロディ的な雰囲気もあって、含み笑いも・・・・ちょいと気味悪いか。

 うって変わって、清純なるロマン派を楽しむ。佐藤美香のピアノ。シューマンの「アベック変奏曲」。キラキラした輝くような音色。ピアニスティックな傾向が、作品1にして、オリジナリティとしてちゃんと感じられているのも凄い。対照的に、ショパンのソナタ第3番。堂々たる円熟か。今年の2月のピアノ四重奏団「オーパス1」としての演奏を聴いて以来、佐藤氏の演奏、気にしていたが、やはり素晴らしいもの。この秋にも、オペラシティにて 「B to C」(バッハからコンテンポラリーへ)シリーズの演奏会がある。シューマンの四重奏がメインとのこと、おおいに期待したい。

 フェルメール弦楽四重奏団で、ベートーヴェンの「ラズモフスキー第1番」。この期に及んで、初耳だったりするのが私の勉強不足。「エロイカ」から「運命」へ、という時代に書かれた意欲作。まず、40分を越える巨大さ。交響曲のスケール・アップの後は、室内楽での同傾向を目指したか。
 それにしても、何かにつけて、後の交響曲への布石を数々打った重要作だ
 まず、第2楽章にスケルツォを置いた点。「第九」の先駆。ただ、彼の交響曲におけるスケルツォとはテンポも違って、性格が異なるようだ。レントラー、つまりワルツの前身たる田舎の舞曲っぽい。冒頭からして、リズムだけに注目すればマーラーの5番のスケルツォがよぎる・・・。また、転調も壮絶に容赦なく遠い調性を行ったり来たり、斬新。
 第3楽章と第4楽章が合体・・・これは「運命」の先駆か。ただ、盛りあげてゆく、というものではない。緩徐楽章の進展とともに、音符が細分化され、その細分化がフィナーレへの予告的な役割となる。ふと思い出すのは、ニールセンの「不滅」。弦のスピーディなフレーズがフィナーレを導く、というアイディアの源、といったら曲解か・・・でも、このベートーヴェンにおけるフィナーレへのつなぎの部分は、まさに、「不滅」に用いられる近接する音を行き来するモティーフが潜んでいる。弦楽四重奏のリーダーとしても活躍したニールセン(写真も残っているし、結構、四重奏は好きだったかな)、ベートーヴェンの「ラズモフスキー」も創作に一役かっているのかも。
 その他注目すべきは、第3楽章、やはり、「エロイカ」の余勢をかった感もある。葬送行進曲に似た楽想。ただ、行進の足取りは希薄だが。その深刻さは、ベートーヴェンの交響曲にはあまり見られない。どちらかといえば安どしがちな、でも旋律では勝負しない緩徐楽章の多いのが交響曲。「ラズモフスキー」は、かなりの悲愴味を感じさせる、そして旋律も美しい・・・後のブルックナーあたりへと続く荘厳で宗教味あふれる緩徐楽章への方向性を示しているな。
 「エロイカ」続きで、第1楽章冒頭も、作りが似てる。八分音符の連続する伴奏に乗って、チェロが快活な旋律を提示。「エロイカ」を踏襲した主題提示だ。でも、旋律は至って素朴。分散和音ではなく滑らかな順次進行。転調もすぐには行わず、朗らかだ。主題の性格自体は相違点が多い。でも、続く展開はやはり凝っているのが、「エロイカ」との同一性。
 この巨大な室内楽、彼の交響曲の革新の実験場でもあるところが興味深い・・・・この作品あって、「運命」も「第九」も生れたのだ。もっと大事にしよう。
 その他、アンコール、「アメリカ」のフィナーレ。愛すべき佳品。昨年の大垣音楽祭での、渡辺玲子氏の麗しく情感豊かな主題(冒頭ではなく次に出るメロディアスなもの)をふと思い出す。完全にその演奏がすり込まれていて、やや演奏があっさりだ、とも感じたが。
 ハイドン「日の出」第3楽章。初耳。なれど、さすがハイドン、弦楽四重奏に適した音楽が鳴っている(ベートーヴェンやシューベルトは、場合によっては、かなり室内楽を逸脱した試みをしているようにも感じる)。心地よく響く(その分、毒もないけれど・・・)・・・と思いきや、トリオにいたって、何やら妙な臨時記号で、フラットな雰囲気が一瞬ふっと現われ、またすぐに戻る。ユーモアあふれる仕掛けが楽しい。それがなければ幸福なれど聞き流される音楽になりそうだが、ふと耳が反応する瞬間を設けているのがハイドンの機知。これもまた愛すべき才能。

 (2005.6.30 Ms)

 珍しく、NHK−FM、最近、夜のクラシック番組(ベスト・オブ・クラシック)で心地よい一時を。3回ほどFMエア・チェック。ああ懐かしいな、エア・チェック。中高生のノリですな。

 まずは、フォーレのピアノ四重奏曲第1番野原みどりのピアノ始め、Vn.千葉純子、Va.松実健太、Vc.菊地知也というメンバーでの公開収録。昨年秋の放送の再放送か。実はこの収録は、BSで映像でも2度経験済み。とにかく印象深く、今の室内楽傾倒の契機ともなった演奏ということで、FMでも改めて鑑賞。洗練。センスのよさ。ピアノの比重高く、この細やかな動きを情感豊かにかつ、完璧に仕上げているのが素晴らしい。弦も、ちょうどこのBS放映の直前に、名古屋で松実氏の演奏を聴き(R.シュトラウスのピアノ四重奏曲)、また、東京にて、シューマンの交響曲第4番のチェロ・ソロを菊地氏で聴き、それぞれに光る演奏で、それに吸い寄せられてこの未知のフォーレ作品を聴くこととなったが、これにイチコロとなった次第。もちろん、千葉氏のVn.も艶やかで映えるもの、バランスの取れたピアノ・カルテットを堪能した。
 また、BSでは放映されなかった、ラベルのピアノ三重奏曲も秀逸。やはりピアノが鍵を握っているのに違いないが、ホントに圧巻だ。フィナーレの幕切れの和音と言いその響きと言い、カッコイイなあ。クラシックに興味を持ち始めた中学時代、始めて、作曲家に興味を持って、その人の作品という観点で曲を聴き始めたのがラベルだったっけ。その頃の自分の、音楽に対する思いなども去来するし、ラベル、再燃す。

 続いて、部分的にしか聴けなかったが、川田知子氏の演奏、バッハの無伴奏。ホ長調のパルティータ。輝ける、すがすがしい音色に惚れる。また、この1月に豊橋にて実演の機会に遭遇したフランス・バロックのルクレールのVn.ソナタ。ニ長調のもので、フィナーレが「タンブーラン」なる舞曲のもの。プロバンスの長太鼓の連打を思わせる伴奏を伴う明るく楽しい作品。豊橋の実演ではピアノ伴奏、今回はチェンバロ。伴奏のアドリブも演奏それぞれにかなり違って興味深い。結構気に入った。意識をすれば、意外と耳にする機会も多いのかな。フランス・バロックなんて随分縁遠かったものだが。

 イッサーリスのチェロ・リサイタル。ショスタコのソナタのスケルツオの壮絶なこと。ガット弦による演奏、今までに聴いたこともないサウンドも飛び出して驚きも多々。特に、ドビュッシーのソナタ。第2楽章の、ギターを思わせるピチカートの独特の雰囲気は印象に深く刻まれよう。意外に、サン・サーンスのソナタ1番、フィナーレだけは惹きつける勢いがある。ハ短調ながら前半は、ベートーヴェンよりはモーツァルト的な典雅さが目立つが、最後はハ短調らしい激しさも垣間みえる。最後に、彼のCDからシューマンの「アダージョとアレグロ」、前半のもたれるほどのテンポの遅さに閉口・・・実はご飯を食べながら流していたのだが、この天国的ですらある、現実離れしたかのような世界を目の前に、食べ物を噛むことを躊躇してしまう。音楽をこそ噛み締めなければ・・・・。聞き流せない、ありがたい演奏なのだ。
 なお、リサイタルで演奏されたシューマン作品、間奏曲・・・これは、ブラームスらと競作した「F.A.Eソナタ」、元来Vn.のための作品なのだが、シューマンらしい和声を持ちながらも、旋律にヒラメキが・・・何かしら、もどかしい。中期に位置する「アダージョとアレグロ」との比較は哀しいくらいだな。他者に対する訴えかけ、この側面の素晴らしさがシューマン、抜きん出ている(メンデルスゾーンと比較したまえ)のに、訴えられない、情感の飛翔の羽をもがれたか。晩年シューマン、辛さをふと思う。ヴァイオリン協奏曲しかり。

今後もエア・チェック、たまには新聞、ラジオ欄を細かく見ようか(2005.4.7 Ms)

 ウィーン・フィルのメンバーによる、ウィーン弦楽四重奏団シューベルトの「死と乙女」。並ではないテンション。特に前半楽章の切迫感、そして充実した内容に感動。ふと、ニールセンの初期の2曲の短調の弦楽四重奏への影響なども想像。 また、フィナーレの、ある意味狂いかけた、曲そのものが持つ熱狂はインパクト大。晩年シューベルトの凄さ、交響曲だけでは伺えない。

 名古屋にあるしらかわホール10周年の、2日にわたるコンサートから。
 バッハの作品から弦楽合奏とソロによる協奏曲。まずは、大バッハの息子、カール・フィリップ・エマヌエルのチェロ協奏曲イ長調。そして、大バッハのヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調。そして、ブランデンブルクの3番。
 さらに室内楽ではシューベルトの弦楽四重奏曲ハ短調、第1楽章のみの作品。そしてブラームスの弦楽六重奏曲第2番
 特にブラームスに惚れた!これまた傑作だ。六重奏は第1番が絶品で、大垣音楽祭で聴いた名手たちによる演奏が忘れ難く、その名演ゆえに、第2番もいつかいい演奏で聴いてみたいと思いつつ、その機会を伺っていたところ。今回も名手たちの集うガラ・コンサートでの作品との初対面、これは幸福感一杯だ。
 冒頭から、何と神秘的。遠い調性の和音を連結するのは後の交響曲第3番を予見。それにしても魅力的な開始。霊感に乏しいと何かとロマン派サイドからは批難もあった彼だが、霊感宿る魅惑にあふれる。いとおしい音楽。女性の影がちらつくがゆえのことかしら。さらに第2楽章の気だるさ、緩徐楽章かと思わせつつ、激しいスケルツォがトリオに。ショスタコの「レニングラード」みたいだな。意外性に乾杯。第3楽章は、ちょっと凝り過ぎた感もあるが、第4楽章は、これまたヴァイオリンの低音域の旋律が渋く、また、それを支える中低弦の和声もいい。拍子感が3拍子と2拍子を漂い、不思議な筆致を見せるのも惹かれる。初対面にして、また会いたい、と思わせる魅力一杯の作品。
 もちろん素晴らしい奏者達ゆえの至福の一時。島田真千子さんが地元として若手ながら中心的な存在で目立っていた(けして協奏曲のソロや、室内楽のトップではないのだが、アンサンブルの楽しさを全身で表現する演奏。我が地元でのNHK−FMの公開録音で初めてお聴きしたのは2年ほど前、随分大人っぽくなった、という印象も。)もちろん、各曲の1stヴァイオリン・トップ、また協奏曲ソロも素晴らしく、美しい響きを堪能。お名前は、Vn、豊島泰嗣、川崎洋介、チェロ、ラファエル・ローゼンフェルト。
 こういったメンバーによって、ブラームスの室内楽、最近、いろいろ聴くうち素晴らしいものばかりでもなく渋過ぎて近寄り難いものもあってフォーレあたりに傾きつつもあったが、俄然、若きブラームス、私の心に訴えるもの大。見直すに至る。また生で聴きたいもの。これだけのコンサートを提供した、しらかわホールにも拍手。名古屋もことに室内楽に限れば、かなりいいもの聴けるのが嬉しい限り。全国に発信しうるレベルで何より。

(2005.3.2 Ms)

 ネタとしてはまず昨年のものから。チョン・トリオ
 BSフジにて、純粋に演奏会そのものだけを放送していた。楽章間CMもなくありがたい。BS日テレの「ブラボー・クラシック」などはどうも気になる。民放のクラシック番組の難点はCMのタイミングだ。我がHPの、はみ出しコラムでも、クラシックのパトロンが日本で存続し得るか?などと書いたりしたが、将来、行政がパトロンから撤退、民間の資本主義理論でのコンサート運営が主になった時、本物の生演奏でも、休憩中ならともかく、楽章間まで企業宣伝が割り込むやも知れぬ。冠コンサートも儲け主義に徹すれば、ステージ上に看板だけ掲げておけば良いこともなかろう。民放TVの楽章間CMの定着化はちょっと気になっていたので、BSフジ、とても気持ちの良い番組でありがたい。

 指揮者のチョン・ミョンフンらチョン3兄弟(「兄弟」とは言え、ミョンフンと姉2人とのトリオ)による、ピアノ3重奏のコンサート。ベートーヴェンの「幽霊」(しかし、凄いタイトルだ。半音階の不気味な楽想ゆえのタイトルと思います)、ショスタコの2番ブラームスの1番
 とにかく、スケールも大きく、安定した演奏。特にショスタコに感激。第4楽章のユダヤの主題を促す弦のピチカートの大胆さは驚き。ミョンフンのピアノも技巧的な部分の華麗さが光る。第2楽章スケルツォなども速さでグイグイ押してゆく。3人ながらも多彩な表現が満載で、そのショスタコの音楽の特筆を最大限に見せつけ、聴かせつけた名演である。このHPでもたびたび紹介させていただいている当曲、演奏頻度がかなり高くなっているようで嬉しい。
 他曲も充分に堪能させていただく。ブラームスは、ここ数年意識して室内楽を聴き、現状として、名曲もあるものの、渋過ぎてとっつきにくいものもあり、全てに感動も感じにくいながら、初期の若々しさあふれる1番は、第1楽章のテーマのおおらかさからして魅力満点。シューマン的なロマン、旋律美、和声美も感じられ、交響曲など後期の彼にない瑞々しさに好感。最晩年に改訂するほど、彼自身ずっと気にしていたお気に入りだったと想像する。このピアノ・トリオは彼の原点と私は思う。そこから彼が、何を捨て、何を成長させたか、クラシック鑑賞の興味ある観点の一つと思う。劇的ないい曲ですので、まだの方は是非。 

 (2005.1.30 Ms)


2004年

 BSの番組から。鈴木理恵子さんのVn.吉野直子さんのHp.によるデュオ。ショスタコ作品2曲が嬉しい。「子守唄」「踊り手」、前者は劇音楽「人間喜劇」からのロマンス。後者はピアノ曲「人形の踊り」からの1曲。気楽な、親しみやすいもの。自然に、ショスタコが取り上げられる時代となって久しい。オケのみならず、こんな軽いものまで、取り上げられることも多くなった。滋賀県栗東市にてこの4月収録のもの。

(2004.7.24 Ms)

 ショスタコのポルカ・ネタ2題。ショスタコのポルカといえば、木琴のソロでお馴染み、バレエ「黄金時代」のもの。
 7月のN響海外公演のうち、ベルギーのブリュージュでの演奏は、N響アワーでも2週にわたって放映、BSでも1度ならず放送され、皆様もご覧のことと思います・・・・が、私は、肝心のショスタコの5番のみまだ未聴。アシュケナージの音楽監督就任お披露目的コンサートなれど、どうも、過去においてアシュケナージのショスタコ演奏に感銘をあんまり・・・なので躊躇するうち1ヶ月過ぎてしまった・・・が、壮大なフィナーレの後の、アンコールの「ポルカ」の腰砕け的、はぐらかし、には共感大で、面白く聴かせていただく。
 一方、編曲ものでも、Vn.のジュリアン・ラクリンのリサイタル、BSにて。ハ短調、運命動機の連鎖で、絵に描いたほどに深刻な、ベートーヴェンかぶれな、ブラームスの「スケルツォ ハ短調」の後に置かれた、タコ・ポルカ。これまた、いい味だしてる!!
 先月、触れた、鈴木恵理子さんのVn.でのショスタコ小品2曲に次いで、Vn.作品がBSから流れたわけか・・・ホントにもう、定着したなあ。

(2004.8.22 Ms)

 先に触れたように、先月は、ジュリアン・ラクリンのVn.で「黄金時代」のポルカ、先先月は、鈴木理恵子のVn.で小品2曲、とBSで取り上げられたショスタコの愛らしい作品であるが、今月もまた。リ・アルティジャーニなる団体。Vn.Cb.とアコーディオンという変わった3人編成(アコーディオン以外は日本人。団体名は「音職人」と訳していた。)。
 ジャズ組曲第2番の「第2ワルツ」
及び、映画音楽「馬あぶ」から「手回しオルガンのワルツ」の2曲。もう、似合いすぎ。この編成のために書かれたと思わせるくらいのマッチぶり。知ってみえれば想像はしていただけよう。ピアソラが身近な存在になって、バンドネオンの音色が聴き慣れたものになってきたせいか、アコーディオンも耳に馴染んでいるということか。個人的には、小学校の頃の器楽合奏では、どうもアコーディオンをやる機会が多くて、そんな懐かしさも含め、アコーディオンによる、素朴で俗なショスタコを親しみを持って聴いていた。
 その他、ヴィヴァルディの協奏曲などもこの編成ながら以外やしっくりと聴けた。子供の頃、イギリスの団体で「ケンブリッジ・バスカーズ」という、リコーダーとアコーディオンの二人だけでクラシック名曲を演奏するのを、TVやラジオでよく聴き、覚えている(確か、今も、「クラシック・バスカーズ」と改名して活動しているような記憶。)。その雰囲気も懐かしく思い出す。

 長谷川陽子チェロ・リサイタル。ラフマニノフのソナタをメインに。歌、全開の楽曲。ピアノ協奏曲第2番に続く作品。そう言えば、チェロ・ソナタ、ベートーヴェン・ブラームス以外の有名どころはロマン派では特に思いつかないし、チェリストに愛奏されてしかるべきものだと感じ入る。
 ロシア作品による演奏会のようで、その他、「剣の舞」や「3つのオレンジへの恋」の行進曲なども聴く。乾いた音色でガツガツと。しかし、どうも、チェロのキャラクターではしっくり来ないようでもある。特に後者は、生でトランペット編曲版を聴いたばかり、差は歴然か。「剣」も、イマイチな雰囲気。編曲は有名なウェッバー(ミュージカル「Cats」)だったようだ。

 ウィーン・トロンボーン四重奏団。ウィーンからやってきただけあって、この編成ながら、ジャズ、ポップス系はなし。気楽なところでは、ヨハン・シュトラウスもの。その他は意外な感じで、シューマンのピアノ・ソナタ、ベートーヴェンの弦楽四重奏などを編曲してやっていた。特に感銘深かったのは、ブラームスのピアノ五重奏曲の第3楽章。6/8拍子で、裏拍の強調も多いものなので、この編成だと、作品に隠れたジャズ的フィーリングも感じられ、ブラームスとジャズのギャップを楽しむ。ちなみに、ベートーヴェンの最後のピアノ・ソナタにも、ストラヴィンスキーが「ブギウギ」と形容した、ジャズ風なリズムがでてくるが、これもまたこの編成に似つかわしいのではなかろうかとふと思い出す。

 フォルクハイト・シュトイデ弦楽四重奏団なる若手で、オーソドックスに。ハイドンの「ひばり」、シューベルトの「ロザムンデ」。
 「ひばり」は、小学校の頃購入し愛聴していた、NHK名曲アルバムのカセットのなかの唯一の弦楽四重奏作品で、耳にこびりついている。第1楽章冒頭主題の美しさな比類なし。第1楽章以外は知らなかったが、フィナーレの無窮動な感じも楽しい。
 この夏、蓼科で聴いたシューベルトの弦楽五重奏曲に感銘を受け、後期シューベルトの室内楽作品に興味も高く、一度ちゃんときいてみよう、と。第2楽章は、有名な「ロザムンデ」間奏曲の主題でおなじみ。それ以外は期待したほどでは無かったのだが、気になった点として・・・
 第1楽章。主題の展開に心くだく作曲家の姿が全面に出てる感じ。ちょっとくどいな。ベートーヴェンへの意識か・・・シューベルトの弦楽四重奏は、大半が自分たちで楽しむ程度のノリ、だが、この「ロザムンデ」から、出版や他者による演奏を意識した作品となったようで、気負いが十分ということか。第3楽章メヌエット。旋律美に欠ける地味でウラ淋しい雰囲気がなぜか心に残る。主部の最後で、どう聴いてもブラームス、みたいな雰囲気の場面がある。第4楽章は、奇数楽章の暗さを払拭しきれない、明るく穏やかな舞曲風な気楽な雰囲気。リズムが、ブルックナーの「ロマンティック」のフィナーレの第2主題で出てくるものと一緒。おい、また「ロマンティック」か。弦楽五重奏のときのそうだったが、晩年シューベルト作品には、ブルックナーのモチーフがかなり頻出しているようで・・・・影響受け過ぎ。

(2004.9.11 Ms)

 今夏の八ヶ岳でのコンサート、シューベルト弦楽五重奏曲を通じて、彼の晩年の作品に興味を惹かれ、いろいろ聴こうとBSで待ち構えるなか、田部京子氏で、ピアノ・ソナタ「幻想」を聴く。第1楽章の美感は、この世を超越せんばかり。あい変わらず長い、のだけれど。さらに、冒頭の緩やかな主題自体に、どうも「第九」が偲び込んでいるようでもある。和声の趣味は、もうシューマンにかなり近づいている。シューマンといえば、フィナーレの軽やかな雰囲気は、「春」と共通性があろう。それにしても、はかなさを持った綺麗な音楽だ、こんな音楽がまだまだ未聴のままだったとは、私も甘いもんだ。青いもんだ。もっともっと、美感あふれる音楽、新たに聴きたいもの。
 ちなみに、シューベルトの最後の弦楽四重奏曲もCDを入手したのだが、マーラーの6番の「悲劇の動機」の背後に流れる、長調と短調の主和音連結がいきなり冒頭に置かれてて驚愕・・・・もう時代の先を行き過ぎているよ・・・・さらに弦楽四重奏なのに刻みを多用して、ブルックナーそのものといった音響。
 このシーズンの、クレーメルの来日で、このシューベルトの15番の四重奏を、弦楽オケで取り上げる。私は行けそうもないが、是非、後期ロマン派に心酔している御仁は、聴くべきだろう。その瞬間から、シューベルトを神として奉ることになろう・・・・。ホントです。この作品(まあ、第1楽章が飛び抜けているのだが)聴かずして、ブルックナーもマーラーも語れる資格はなさそうだ、とまで衝撃を受けたので、知らなかったら是非とも体験してみてくださいね。シューベルトの晩年作品あってこそのロマン派、なんだよなあ・・・つくづく。「未完成」「グレート」だけではお寒い限り。オケ・オンリーの偏狭さは恥ずべし・・・。

(2004.10.17 Ms)

 バッハの無伴奏チェロ組曲に凝ってしまっている。ただ、まだ、曲ごとに旋律がしっかり頭に入ってないけれど・・・・6曲からなる組曲が6シリーズ、CD2枚組み、計36の音楽。
 そもそもは、この夏(7/17)の作手村での、デュオ・モリタの森田満留さんの、6番の演奏が素晴らしかったため。その演奏を追う形でいろいろなCDを収集するも、その時の感激を追体験させる演奏には今のところ出会っていない・・・・。前奏曲の、攻めの推進力、あの時の、尖った鋭角性、開放弦の豊穣な響きを多用したスケールの大きさ、あの体験は忘れられない。
 歴史的名盤と言われるカザルスのもの。まさにこの曲集を発掘、コンサート・プログラムへの道を開いたパイオニアの1930年代の録音。確かに、時代ゆえの技術的な甘さは感じられないではないが、一つの模範的・理想的演奏であろう。
 古楽器を使った、ビルスマのもの。半音低いのがどうも気持ち悪いが仕方ない。演奏自体は、とにかくサクサク速く。妙なロマン的味つけ、テンポの揺れとか、強弱の頻繁で極端な差とか、そういった小細工なしのストレートさは爽快。
 逆に、かなりユニークな、不必要なまでに厚化粧な(、と思わせる)、シャフランのもの。ビルスマと見事に対照的。ロマン的。独特な解釈の宝庫。聴いてのお楽しみ。
 3種も入手してしまった。シャフランに至っては、ロシアということもあり、ショスタコーヴィチ本人との共演による彼のチェロ・ソナタ、さらに、シャフラン編による、ヴィオラ・ソナタの編曲などの存在もあって、タワーレコードの、韓国レーベル、イェダンの10枚組みBoxまで入手・・・1枚300円強という特価ではある。とにかくこの夏以来、チェロづくしなんである。まあ、某人の影響といえばそうなのだが、自分の未知なる世界がまだまだ広く存在し、その未知の世界の中に、感動を呼び起こす数々の宝が山のようにそびえ私を待っている。今の私に対して、前を見つめ、前へ進む力を与えてくれる。

 さて、毎週1度のこの項の恒例が、BS番組紹介となってきているが、その無伴奏、鈴木秀美氏で2日に分けて全曲を。ただし、5,6番は時間の都合で抜粋。それがまず残念。後半の作品こそ、超絶技巧も高みへ。スリリングな演奏が期待できるのになあ。さて、古楽器での演奏。ビジュアルで見ると、現代奏法との違いが興味深く、また、難しさもよくわかる。それにしても、その技術的困難さを克服しての、チェロ1本とは思えぬ変幻自在な多用な世界の表出、バッハさらに鈴木氏に敬服しきり。これほどの音楽が、楽器のために用意されているチェロ、うらやましいですね。

(2004.10.24 Ms)

 木曽音楽祭。4日に渡ってBS放映。今年の8月末、長野県の木曽福島にて。30回という長い歴史を誇る室内楽の音楽祭。
 ドヴォルザーク記念年にちなんでか、弦楽セレナーデ、管楽セレナーデ、ピアノ五重奏曲など。その他、弦管交えて様々な作品を。
 面白かったのは、R.シュトラウス「ティル」の室内楽版。Vn.CB.二人の弦、と、Cl.Fg.Hr.3人の管という五重奏。あの大オーケストラ作品のニュアンスは十分伝わる編曲。特に、Vn.の小林美恵さんの活躍が光る。もちろん、N響の管の実力者たちも素晴らしかったが、それは折込済みみたいなもの、まさか、この曲でVn.をここまで魅せてくれたとはという驚き。
 あと、ドヴォの管セレ、第3楽章が面白い。7番の交響曲の第2楽章を思わせる素朴な田園風景、しかし、ホルンの伴奏がなんだか、ジャズ・ポップス風に最初聞こえ、おまけに拍子感も狂わされ、なかなか拍子が理解できず。単純な2拍子なのに、やられた、という感じだ。

(2004.11.6 Ms)

 BSのクラシック番組から。いろいろヴィデオも溜まって観るのも大変。興味の幅が広がって、今は貪欲に様々に。
 まずは、変わったところで、河口湖音楽祭、シエナ・ウィンド佐渡裕の指揮。久しぶりの吹奏楽、なのだが、ここで取り上げるのは純然たる吹奏楽ではなく、何よりも、ボディ・パーカッションの名曲、シンスタインの「Rock Trap」が嬉しい。岡田知之打楽器合奏団や、アンサンブル金沢などで、TVでも見る機会も多かったこの作品、実は私も、某結婚式の余興で演奏したりしているが、やはりプロは役者だなあ。アクションも決まってるし、何しろ笑いを取れる余裕が。とにかく楽しい一品。口じゃ、いや活字じゃ説明できず。見る機会があったら是非ともご覧下さい。としか言えないな。

 ウィーン・フィルハーモニア・ピアノ五重奏団。シューベルトの作品。でも「ます」は聞かず、ピアノ三重奏曲変ロ長調D.898より第1,4楽章のみ。後期のシューベルト、最近、注意して聞く機会あれば逃さぬよう聴いているが、この曲は、後のブルックナー、マーラーを思わせるものはなく、ひたすらモーツァルト風な古典的な趣向を感じさせ、ちょっと残念。ただ、全曲聴いたわけじゃないので確定的なことも言えないか。

 シューベルトつながりで、ロンドン・ピアノ・デュオの演奏。2台ピアノによるソナタD.617。これは、転調の面白さが心地よい。枠としては、まだ古典派ながらも、自由さを感じる。また、ピアノ3重奏に比べ、二人の奏者が絡み合うさまが緻密だ。ピアノ連弾の大家たる面目躍如か。しっくりきていた。
 また、シューベルトとは無関係だが、2台ピアノの演奏は、2人の奏者が向かい合うスタイルで2台を並べて配置するが、いっそのことその形でピアノを合体させた楽器をつくってしまったものがロンドンにあるらしい。長方形のピアノを両端の鍵盤を前に2人で演奏している写真なども紹介され興味深い。

 パノハ弦楽四重奏団。チェコの名曲2作品。スメタナの弦楽四重奏曲第1番「我が生涯より」、ヤナーチェクの弦楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」。
 スメタナは、情熱的だ。ヴィオラの主導権が強いのも特徴か。2楽章の楽しい民族舞踊、そして3楽章の情熱的なロマンス。それを受けて、作曲家としての成功を突き進む明るく快活なフィナーレが、突如Vn.の超高音のロングトーンで遮られ、力なく主題再現があって寂しげに終わってゆくのが深く心に刻まれる。耳の病気による作曲家としての諦念、辛いものあり。
 ヤナーチェクは、いかにも彼らしい(「シンフォニエッタ」も思わせる)、細かな動機の積み重ね、どんどん変わってゆく楽想の変化といった特徴が作品全体を貫く。600通を超える、30歳以上年下の女性への手紙との関連のあるこの作品、最晩年なのに、とにかくテンションがずっと高くて聴くだけでも疲労度強し。楽章間の性格の変化はあまりないし。それにしても、この複雑さ、混乱を見事まとめあげている演奏のレベルの高さは特筆すべし。

 最後に、これまたチェコつながりで、イッサーリスのチェロ、マルティヌーのチェロ・ソナタ第3番。1番が大変に感銘深く、3番も期待して聴いた。この作品は、緊張感、悲愴味よりは、明るさに満ち性格は違うものの、メカニックなリズム、近代的な和声感覚など共通性もあり面白く聞けた。
 その他、ブラームスのソナタ1番。ドヴォルザークの小品。マルティヌーの面白さと比べると・・・・。

 (2004.11.21 Ms)

 10月末、N響アワーの枠で、「思い出の名演奏」。1990年のライヴ、Vn.のイヴリー・ギトリスバッハの無伴奏、パルティータ2番の有名な「シャコンヌ」、ソナタ3番の「フーガ」。さらにバルトークの無伴奏ソナタ。かなり個性的。虚飾を排した、という感じ。情感豊かというタイプではなく、研ぎ澄まされ過ぎ、か。特にバッハの「シャコンヌ」でそう思う。バルトークはそういうスタンスで良いのだろうが・・・ただ、生で聴いた、2002年、N響、ブロムシュテットのシベリウスのVn.協奏曲のアンコールでテツラフの演奏したバルトークに比較して、音程がやや明瞭ならず、訳わからない度数が高かったなあ。バッハの「フーガ」は主題が「ロンドン橋」を思わせて楽しい。単純な主題が、(ソロでありながらも)壮大なフーガという構築物を作りあげてゆくさまは壮観だ。バッハ無伴奏チェロへの愛好も先日書いたところながら、そろそろ無伴奏Vn.も全体像をつかんでよい頃かな。CDをぼちぼち探そうか、というきっかけを与えてくれたギトリス翁に感謝。 

(2004.11.30 Ms)

 バッハの無伴奏チェロへの傾倒について10月に書いたところだが、先のギトリスに啓発されて、無伴奏ヴァイオリンも、この際、勢いにのってCD購入。いいCDをずっと探してはいた。地元で聴いた上里はな子さんのリサイタルでの1番のソナタの「フーガ」に触発されて以来(聴くたびにショスタコの交響曲第5番第3楽章の主題の引用元としか思えなくなり、その真意に思いを馳せるのが私の人生中盤の主題となろう)、気にしていたが、なかなかこれというCDに絞りきれず、でも、じつは家の近くの古本屋で、何と609円にて、ウート・ウーギの2枚組を発見、ネット上でも評判は悪くないと見て、あまりの破格価格ということもあり入手。これが、また、美音。格調高く素晴らしい。惚れ惚れする名演だ。CD解説書にはウーギと読めるサインも書かれ、この真偽は???

 Vn.ネタが続いて、NHK芸術劇場にて、レーピンのリサイタル。ペルトの「フラトレス」、フランクの「ソナタ」を前半に、後半には、シェーンベルクとシューベルトの「幻想曲」を配するという意欲的なプログラム。
 レーピンのテクニックは超人的で、ショスタコの協奏曲第1番のCD演奏などオイストラフと並ぶ名盤と信じて疑わないのだが、今回のプログラムから、いわゆる超絶技巧的な、ショーめいた華麗さは必ずしも明瞭に浮かびあがらず(確かに「フランク」などは、和音も少なく単音で歌う旋律勝負のうような作風だし)、やや選曲に対する物足りなさはあった・・・・ただ、その物足りなさは、4曲に及ぶ気の効いたアンコールでしっかりサービスしてくれて、チャイコの「ワルツ・スケルツォ」、バルトーク「ルーマニア民俗舞曲」(何と全曲)、そして駄目押しは、パガニーニの「ベニスの謝肉祭」の舌を巻くほどの変奏・・・・とにかく芸達者、楽しませてくれた。
 といってプログラム本体が不満というわけはない。フランクなども、力を感じさせる、熱い演奏で充実したもの。また、ピアノのルガンスキーも、ただの伴奏ピアノを超越したものでレーピンと対等なアンサンブルを繰り広げ満足。ソロならぬ、デュオ・リサイタル、これぞ室内楽の醍醐味を味わう。
 さて、やはり、最近気にしているシューベルト晩年。今回の「幻想曲」D.934もなかなか美しく面白い作品。30分弱、休みなく連続で、さまざまな楽想がやや無秩序にでてくる構成。モーツァルトのピアノ・ソロのハ短調「幻想曲」などと同じような構成感か。
 ピアノの弱奏のトレモロからVn.の息の長い旋律が紡ぎ出される冒頭などあい変わらず、ブルックナーの予告だ。長調と短調をあいまいにさまよう様もシューベルト晩年らしい雰囲気か。続く、当時のハンガリー風と思われる舞踊性に富む部分はやや古典的。そして、さすがシューベルト、というべき転調の美しさをもつ歌謡性に富む部分は、もうこの世のものとは思えない美感。しかし、これが、パガニーニほどではないものの技巧的な変奏を延々繰り返すに至り、ああ、冗長なるシューベルトが顔をのぞかせる。この展開でなければかなりいい線いく曲なのに、惜しい。しかし、この主題そのものの素晴らしさは否定できない。冒頭の回帰のあと、元気の良い、いかにもハ長調という性格のフィナーレ風楽想となる。そのなかでも、美しい歌謡性部分は循環し、構成への配慮はあり。技巧的なパッセージも交えつつ、かなり面白い転調も耳をとらえつつ、華麗に終結。決して悪くはない。いわゆるシューマンら前期ロマン派的な「幻想」性よりは、幾分古典的な味わいもあって、「幻想」というよりは、個人的にはせいぜい「即興」性を感じるのだが、ロマン派への種はしっかりと蒔かれた魅力ある一品とみた。今後も、特にシューベルト、D番号900台は注目したいもの。

(2004.12.5 Ms)


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