旬のタコいかがですか? ’06 2月
(ショスタコBeachへようこそ!)
2006年 2月
当HP(交響曲第5番関連)が「レコード芸術」にて紹介
「レコード芸術」誌、2006年2月号での、我がHPからの「引用」、大変驚きでした。まさか、私の「曲解」がオーソライズされた専門誌に紹介されるとは、私自身思いもよらぬことでした。
これを機会に、私も自分の書いた数年前のショスタコーヴィチ関連の記事を読みなおすこととにもなったのですが、まだまだ「曲解」のネタは私の中に眠っており、実のところ、うずくものがあります。正直、昔は、「証言」と1,2冊の文献、そして楽譜、CD、これだけで様々な憶測を自分なりに楽しんでいましたが、2000年を越える頃から、数々の新たな文献の登場があり、結局それらを読みこなす時間もないまま、「それらを読み込まなきゃ、これからは何も言えんわなあ」、という諦観めいたものが先立ち、以前の「曲解」の勢いがそがれてしまったのは確かです。でも、それをこなしてから、なんて言ってると自分の人生も終わってしまうよなあ、という気も持ち続けていたところへ、この「レコ芸」でした。
最近の自分の趣味は、バッハの発見、そしてロマン派を中心とした室内楽への傾倒、といったところで、ピアノを習っていた頃のシューマンの「子供のためのアルバム」に対する郷愁から、自分にとっては自然な成り行きだと思いながらも、実はショスタコーヴィチ理解のためにも彼が血肉としたであろう古典の数々を知った上でのショスタコーヴィチ論こそ私の今後のライフワークとしたいもの、という思いが強まってもいます。バッハ以降の音楽をもっともっと知ることで、ショスタコーヴィチをもっと知ることができるのではないか・・・改めて「曲解」を高らかに掲げたい・・・。
没後150年のシューマン記念年、そして生誕100年のショスタコーヴィチ記念年。どちらとも、生誕250年のモーツァルトには全く太刀打ちできない今年、我がHPもちょっと意地になって2つのSを「曲解」してみますか?
ショスタコーヴィチの交響曲第5番には、シューマンの「森の情景」というピアノ作品のなかの「呪われた場所」なる小品が刻まれている、なんてのはいかがだろう。ビゼーの「カルメン」の引用以上に信憑性に欠ける指摘なのだけれど、今、手元にシューマンの関連のデータがないのでおって入手してから、書き進みたい。なかなか腰を落ち付けて書くだけの時間も足りず、小出しに少しづつやってみようか、と思います。
ちなみに「レコ芸」引用箇所は、交響曲第5番におけるカルメン引用の部分と、最後の大太鼓の意味するところ、でした。(2006.2.21 Ms)
前回までは、「引用」総論、と題して、ショスタコーヴィチの音楽を私なりに語るための前提となる考え方を、たどたどしいながらもまとめてみたつもりです。
ここで、やっと、ショスタコーヴィチの傑作かつ問題作、交響曲第5番に切り込んでゆこうと思う。
生きるか死ぬかの瀬戸際に立った作曲家が、自分の持てる全てを総動員して書きあげたであろう名作。私も、稚拙ながらも、自らの知識を総動員して、じっくり取り組むつもり。ショスタコーヴィチが知り得た全ての音楽を知ることはかなわないが、「引用」という問題を取りあげる以上、彼が知り得たであろう先輩等の諸作を自分なりに探しあてつつ、「ただ、似てる」と言い放つだけでなく、どんな意味を持たせ、どんな思いを込めて「引用」したのか・・・と思いを巡らせたい。
<2> ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」における「引用」私論2006
<1>では、ショスタコーヴィチを語る上で避けて通れない「引用」の類型について、いろいろ分類などしてみたが、今までの考え方を使って、今、私が考え得る「交響曲第5番」における「引用」等(「借用」「流用」も含めて)について、述べてゆきたい。かなり、いろいろな作曲家にもご登場いただくこととなろう。
ただ、一部の「引用」「影響」の指摘にまま見られる、何となく似ている、といった、多分に主観的な書き方は極力排除して、具体的な類似点を挙げつつ書き進めたい。・・・けれど上手くいくかしら。(譜例を使わずに説明するので、スコアがないと分りにくいかもしれない点、ご了承下さい。)
<2−1> ベートーヴェンの交響曲第5番
まずは、何と言っても、「運命交響曲」である。
番号が共通するのはさておき、でも、作曲家としては充分意識するだろう・・・第5番。チャイコフスキーもマーラーも随分、ベートーヴェンの第5番を意識している。何と言っても、ベートーヴェンの代名詞、「苦悩を突き抜け、歓喜に至れ」、「暗黒から光明へ」、・・・この筋書きで、感動的大作を書きたくなるのは、うなずける。
ショスタコーヴィチも、まず、この大前提を踏まえ、短調から長調へと推移する全体像を、交響曲第5番に付与した。これも、ベートーヴェンからの「借用」と言えるだろうが、この程度の借用なら、誰だってやっている。それ以外に、ショスタコーヴィチにおける固有の事例として、作曲技法的な観点より、ベートーヴェンの交響曲第5番からの「借用」を2点を挙げる。
@リズム動機の楽章間を越えた展開
ベートーヴェンについては、説明無用だろう。「タタタ・ター」というリズムが第1楽章冒頭で提示されるや、第1楽章では徹底的に、繰り返し活用、展開される。本来、対立すべき第2主題においても、背後で鳴っているほどだ。後続楽章においても、主要な主題にこのリズムは内包している。第3楽章スケルツォの低弦の序に続く、ホルンの主題。第4楽章の第2主題。
ショスタコーヴィチにおいては、ベートーヴェンに遠慮したか、1つ音符を少なくして、「タタ・ター」というリズムを徹底的に活用している。
第1楽章の4小節目にさりげなく、序奏的部分の最後に1回鳴らされるこのリズム、その後、折りに触れて出現し、第2主題(50小節目以降)の伴奏としてくどい程に反復される。その後の展開部における活用の徹底ぶりは、説明不要だろう。
第2主題のスケルツォにおいても、中間部(ヴァイオリン・ソロ)で、何度も現われる。
第4楽章においても、特にクライマックス(119小節目)において威圧的にトロンボーンで登場するなど、目立った役割を負っている。
A第2楽章再現部における管弦楽法
ベートーヴェンにおいては、第3楽章の冒頭の主題が、再現部において、弦のピチカートと木管を主体とした、ささやくような静寂の中に表現されるが、ショスタコーヴィチにおいても、第2楽章の再現部(157小節目以降)が、全く同様の発想で、冒頭の提示部に対して管弦楽法が変更されている。
これは偶然ではなく、「スケルツォ楽章の再現部」という場所自体が共通しており、明らかに意識的なものであろう。
さらに、細かいところ詳細に見ていけばまだあるかもしれない。例えば、B楽曲終結における主和音のみの強調。
ショスタコーヴィチにおいて、フィナーレの最後13小節は、全く不純物のないニ長調の主和音のみが鳴り響き、この「純粋さ」(ドミソ以外の音は使わず)と「くどさ」(他の和音を挿入せずに使い続ける)は、ベートーヴェンの第5番を想起してもいいかもしれない (このベートーヴェンに匹敵するのは、マーラーの2,3番の交響曲の結びくらいか。)。
それにしても、20世紀も中盤、1937年に、ここまでやるのは、やや意固地な感じもするな・・・。どうだ、これでも納得しないのか・・・と。
(2006.3.7 Ms)
<2−2> ブラームスの交響曲第4番、そしてバッハ?
いきなり、脱線である。ブラームスからの「引用」があるという話ではない。ベートーヴェンも出てきたことですし、「古典」への崇拝の念、について触れておきたい。このあたりから、「?」が付きまとうので、くれぐれも、ご用心。
ブラームスは、リスト、ワーグナーが新たなるロマン派音楽の開拓を目指したの対し、伝統を重んじる態度を鮮明にしていたが、ブラームスの交響曲第4番においては、大きく2点、以前の交響曲にはない、伝統の尊重を思わせる特徴を持つ。
まず、第2楽章冒頭や、第4楽章冒頭の主題の低音部(7小節目)にバロック以前の教会音楽における「フリギア旋法」の特徴を取り入れた点。
また、第4楽章にバロック時代の変奏曲スタイル、「パッサカリア」を採用、さらに主題そのものもバッハからの影響の強いものである(音楽之友社刊のミニチュア・スコアの解説では、カンタータ第150番の「シャコンヌ」の主題に言及している。)。
曲の構成も、大きな3部形式で、中間部を長調にしている点が、やはり、バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番の「シャコンヌ」と同様であり、さらに、ブラームスにおける中間部の主題(トロンボーンの旋律)のリズムは、このバッハの「シャコンヌ」の主題と同じリズムを使用している。
ちなみに、この無伴奏ヴァイオリンのシャコンヌを1877年にブラームスは、左手だけで演奏するピアノ作品に編曲し、
「ただ、貴女への愛情のためだけで書きました」と記して、右肘を脱臼したクララ・シューマンに贈ったとのことだ(音楽之友社刊 「大音楽家 人と作品 10 ブラームス」 門馬直美著)。
この編曲作業を通じて、交響曲第4番の第4楽章のアイディアが醸成された可能性はあるかもしれない。
さて、翻ってショスタコーヴィチを見れば、ブラームスと同様、@第1楽章の「フリギア旋法」については多く指摘されているとおり(6,7小節目で主題提示。展開部で最大限に活用される)。
先に述べた、弦楽四重奏曲第8番への「不完全引用」でも触れたが、A−G−F−Es−F−Dという旋律線である(Eでなく、Esの音を使用しているため、「フリギア旋法」と分析される)。
また、この旋律線は、ショスタコーヴィチの交響曲第4番の第2楽章中間部の主題として使用されていたものに類似しているが、それとの関係は後述したい。
さらに、Aバロック音楽との関係については、前述の千葉潤氏著作(P191)でも、第1楽章について、
「冒頭の序奏主題は、荘重な付点リズムとカノン等、バロック風の特徴をもち・・・」
と言及されている。
例えば、バッハの管弦楽組曲などの序曲を思い出していただければわかるが、いわゆる、バロックにおける「フランス風序曲」の特徴、付点リズムを伴った緩やかなテンポによる開始、との類似である。
これら@Aをもって、具体的な特定の曲からの「引用」とは言い切れないものの、バロック音楽、さらに昔の音楽からの影響と見るなら、ブラームス同様に、「古典」への崇拝の念、が作品に投影しているという解釈は成り立とう。
しかし、ここで私が思うのは、権力側の「批判」に対する「回答」として、この作品を眺めれば、まさに「荒唐無稽」、「カオス」と前作歌劇を批判された以上、「秩序」「伝統」の重視を、とにかく明確にするためのポーズとして、この、「古典」尊重と受け取られるのが可能な楽想が「借用」され、冒頭に掲げられたのではないか、という推理である。
それも、いきなり第1楽章冒頭7小節間で、矢継ぎ早に提示され、かなり意識的であったと考えられないか。
つまりは、この<2−2>(「古典」への崇拝を思わせる「借用」)と、<2−1>(ベートーヴェンの交響曲第5番からの「借用」)の指摘をあわせることで、「カオス」ではない音楽を創作すべく、ベートーヴェン、バッハなどの古典を真面目に勉強して新作を書いたんです、というアリバイが用意されている、というわけだ。
(一方で、1948年のジダーノフ批判の際の「回答」、オラトリオ「森の歌」は、スターリンを称える言葉や、民謡によって、かなり安易な形で、体制に擦り寄っている。交響曲第5番における「回答」の方が、自己保身と芸術家としての良心の絶妙なバランスの上に成り立っていると言えそうだ。)
かつてのショスタコーヴィチは、交響曲第2番ではヒンデミットの「管弦楽のための協奏曲」、歌劇作品ではアルバン・ベルクの「ヴォツェック」、交響曲第4番ではマーラー、と、かなり20世紀音楽からの影響を濃厚に示していたが、ここで、生き残りのための、大真面目な「古典」尊重、という姿勢が急浮上しているのではないか(もちろん、ショスタコーヴィチにおいては、ピアノ協奏曲第1番も「古典」を意識したものとして有名だが、本人曰く、「笑い」を喚起する作品として狙っており、パロディとしての性格が強すぎる点、交響曲第5番との相違が見られよう。)。
と、ここまでは、従来からの指摘の範囲かと思うが、「古典」尊重という姿勢から、さらにバッハに絞って、「引用」について考えてゆきたいのだが・・・。
(2006.3.9 Ms)
バッハからの影響という点では、1951年の「24の前奏曲とフーガ」が最も相応しい存在だが、それ以前にも、バッハの影はちらついているように思われる。
例えば、1940年のピアノ五重奏曲の第1、2楽章も、同様に「前奏曲とフーガ」と題されている。これらの2例は、楽曲の形式の模倣、として解説できる。
また、交響曲における最初のパッサカリアの使用を行った、1943年の交響曲第8番も、同様の文脈で語ることが可能かもしれない。ただ、これらは、バッハからの「引用」と言える性質のものではない。
さて、その前後においても、さらに具体的なバッハの特定の作品との関連を匂わせる作品として、まず、1941年の交響曲第7番「レニングラード」の第3楽章について、例えば、前述の千葉潤氏著作(P195)では、
「この楽章の特徴は、両端部分に見られるバロックの模倣である。数オクターヴに広がる冒頭のコラールは、オルガンの荘厳な響きを連想させ、つづく弦楽合奏の即興的なフレーズは、バッハの無伴奏ヴァイオリンの音楽を彷彿させる。」
と言及されている。
ちなみにバッハの無伴奏ヴァイオリン的な楽想は、18小節目以降現われ、コラールと対話しながら何度も登場し、クライマックスにおいては(341小節目)、トランペットで高らかに吹奏される。
さらに、1939年の交響曲第6番の第1楽章については、日本におけるショスタコーヴィチ文献の祖である、井上頼豊氏の「ショスタコーヴィッチ」(音楽之友社刊)によれば(P90)、
「いくぶん厳粛なラールゴの主要主題はバッハの旋律形のあるものを思わせ、六度から導音への進行は平均率ピアノ曲集第1集のト短調フーガ、または第2巻のイ短調フーガを思わせる。」
と言及されている。
私個人としても、この第1楽章7〜9小節目の主題は、バッハのブランデンブルク協奏曲第6番第2楽章の主題を想起させる。
H.Ottaway著、砂田力訳の「BBCミュージック・ガイド・シリーズ25 ショスタコーヴィチ/交響曲」においても(P45)、
「最初の素材の解釈にソヴィエトの評論家たちは、J.S.バッハを引き合いに出すのがお気に入りのようで、ひとつまたは2つの音程―例えば変ロ音から嬰ハ音への下降―と対位法的展開を解釈の拠り所としている。」
と言及されている。
この一連のバッハとの関連が、ここまで継続的に出現してくると、「偶然の一致」ではなく、それぞれが意識的な「借用」、もしくは「引用」(交響曲第6番においては、旋律線の類似ということで、「不完全引用」と解釈できないか)との可能性も高まろう。
そして、ようやく本題となるのだが、この流れの発端として、交響曲第5番は位置するように私には思えるのだが・・・その根拠としては・・・。
具体的には、交響曲第5番の第3楽章の24小節目から出る、第1ヴァイオリンの旋律が、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番第2楽章のフーガ主題の「不完全引用」と思われる。バッハにおける1小節の主題提示がほぼそっくりな形で(音符の長さこそ倍に拡大されているが)引用される。ただし、この指摘については、私の知り得る限りでは未見なので、「完全引用」とは断定しないでおこう。
この主題自体は、79小節目においても低弦で再現されるが、何と言っても、クライマックスの121小節目以降、木琴を伴った鋭角的な響きで鳴り渡るのが印象的だ。
これら、交響曲第5番から第7番におけるバッハとの関係をどう見たらよいだろう。
もちろん、ショスタコーヴィチの本心として、バッハへの尊敬の念、これも無かったとは言えないだろう。
さらに、自身の延命のため、「古典」重視のポーズ、これは考慮されているかもしれない。
そして、これらが、「借用」なり、具体的な「引用」とするなら、何らかの意味付けはあったののだろうか・・・。
まず、借用元、引用元が、標題や歌詞を持たない絶対音楽であるので、「修辞的」ではなく、「非修辞的引用」との可能性は高いだろうが、それにしても、全て、緩徐楽章、それも、短調的な現われ方、そして、これらの「バッハ」的発想の部分の切々たる訴えかけるような情感、ここにショスタコーヴィチの何らかの思いを私は感じずにはいられない。
(なお、蛇足ながら、この3例ともに、緩徐楽章の冒頭に提示されず、主題提示部の2番目の楽想として登場し、かつ、それぞれが、強奏される箇所を持っている点が共通している。)
ここで、「24の前奏曲とフーガ」の作曲背景を私は思い返す。ジダーノフ批判の後、体制讃美の声楽作品(オラトリオ「森の歌」、カンタータ「我が祖国に太陽は輝く」など)、体制讃美の映画音楽(「ベルリン陥落」など)を、1953年のスターリンの死まで書き続けた彼にとって、「24の前奏曲とフーガ」は、「体制」、「政治」に媚びることのない芸術至上主義の現われではなかったか・・・。
当時の状況下では、ささやかな抵抗の色を帯びてはいなかったか・・・。
ショスタコーヴィチにとって、バッハこそ、創作活動における純粋な芸術性の拠りどころとなっていたのではないか・・・。
そう考えた時に、交響曲第5番から第7番の緩徐楽章のバッハからの「引用」または「借用」は、単なる「非修辞的引用」を越えた主張を匂わせてはいないだろうか。
その発端としての、交響曲第5番の第3楽章における、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番第2楽章からの「引用」について、私はおおいに着目したい。
「政治」や「体制」に穢されない・流されない芸術のあり方をこそ指向したい・・・そんな思いが、バッハに仮託された形で私には聞えて来るのだ・・・。
多分に個人的「曲解」なのだが、この我が思い、全くの的外れだろうか???
(2006.3.15 Ms)
続きはこちら(次回は、ラフマニノフについて)