旬のタコいかがですか? ’00 5月

(ショスタコBeachへようこそ!)

 

 

 今年(2000年)の海開きというわけでもありませんが、久々に「旬のタコ」を提供できそうで嬉しく思います。ただ、1999年の構成とは違って今回はこんな切り口で攻めてみましょう。

2000.5. 1

20世紀最後のメーデーに「十月革命」を思う

 共産主義を論じようというつもりはありません。念のため。
 2000.4.30の新交響楽団さんの演奏(演奏の感想はこちら)により、ショスタコーヴィチの交響詩「十月」に感化されてしまった私の、「十月」に関する曲解に過ぎません。それでは、かなり強引な展開をすでにみせてはおりますが、

 旬のタコ、いきのいいタコのネタを、どうぞ、ご賞味あれ!!!

<1> 革命50周年、1967年のショスタコーヴィチ

 革命記念の区切りの良い年(10年おき)に、タコは何らかの記念作品を書いている。
 10周年(1927)・・・交響曲第2番「十月革命に捧ぐ」
 20周年(1937)・・・交響曲第5番
 30周年(1947)・・・???(ただし、「祝典序曲」がその可能性も??詳細はこちら
 40周年(1957)・・・交響曲第11番「1905年」

 それらに続くのがこの、交響詩「十月」である。しかし、記念すべき50周年にしては力の入ってなさそうな曲だ。第一、共産党員になって初めての記念年なのに、今までの記念作品はいかにも大作と思われそうな交響曲だったのが、今回は10分程度の管弦楽曲なわけだ。それに、曲想、展開などみれば同じテーマを扱ったと思われる、交響曲第12番「1917年」の第1楽章と瓜2つじゃなかろうか?
 緩やかな序奏、そして序奏主題が速くなって主部の第1主題に早変わり。第2主題は歌謡風(余談だが、両者ともにブラームスの交響曲第1番の第4楽章の歓喜の主題、あるいはそれを下敷きとしたマーラーの交響曲第3番の冒頭主題との関連を指摘しておこうか?)、オーケストレーションもぱっと聴いたところ似てるな、と思うところもある。
 それ以上に、本人のやる気を疑ってしまう理由として、最晩年の作品としての違和感、がある。

 タコ生涯最後の10年の作品は、外見的には室内楽的な方向、内面的には、瞑想と諧謔の並列、無調的な語法、そして思索的な方向がより強く打ち出されている。1966年以降の主要作を見てみれば、

 1966年・・・弦楽四重奏曲第11番、チェロ協奏曲第2番
 1967年・・・ヴァイオリン協奏曲第2番、ブロークの詩によるロマンス
 1968年・・・弦楽四重奏曲第12番、ヴァイオリン・ソナタ
 1969年・・・交響曲第14番「死者の歌」
 1970年・・・弦楽四重奏曲第13番
 1971年・・・交響曲第15番
 1972年・・・弦楽四重奏曲第14番
 1973年・・・ツヴェターエワの詩によるロマンス
 1974年・・・弦楽四重奏曲第15番、ミケランジェロ組曲
 1975年・・・ヴィオラ・ソナタ

 弦楽四重奏曲第11番以降とされる、これら最晩年の作品群のなかに、この交響詩「十月」を入れるのに、かなり違和感がある。
 これらのことを考え合わせ、いや、それ以前に、主要作品を聞き終えた後で出会った「十月」は、私にとっては二番煎じな、音楽としての魅力に乏しい作品と、感覚的に判断してしまっていたこともあり、私の意識に昇ってこない、それほど好きでもない作品という事で通っていたのだ。
 それをくつがえしてくれたのが新響さんの演奏であったのだが、その新響さんの演奏を聴いてからの私の曲に対する思い、を紹介する前に、1967年のタコについて、ちょっと考えて見よう。

 同年作曲のもう一つの代表作は、オイストラフに献呈されたヴァイオリン協奏曲第2番であるが、この曲に関するエピソードは有名である。
 オイストラフの60歳の誕生日のために密かに作曲されたのだが、完成してそれを告げたら、実はオイストラフは59歳になる手前。1年まちがえてしまったとのこと。それで、翌年、本当の60歳のお祝いにヴァイオリン・ソナタを書く事となるのだ。
 なんとも微笑ましいエピソードなんだが、ちょっと考えてみよう。タコにとっては、革命50周年より、友人オイストラフとの友情のほうが重要であったのではなかろうか?と考えられはしないか。
 1967年の出来事をもう少し細かく追ってみると、

 5月20日・・・オイストラフに手紙で協奏曲の完成を告げる。
 夏・・・・・・・・・「十月」の作曲に着手。
 8月10日・・・「十月」完成。
 9月12日・・・プラウダ紙に記事掲載。(随分前に国家の記念日のための作品を書きたいと思ったがうまくいかなかった。数ヶ月前、1937年に映画音楽を作曲した映画を見て、その映画が国家の記念日のための作品の方向性を決定付けた。)
 9月13日・・・協奏曲の試演。
 9月16日・・・「十月」初演。
 9月30日・・・オイストラフ59歳の誕生日。
 10月26日・・協奏曲の公式初演。

 共産党員として、何より先に革命50周年のための作品を書く義務を負っていたのでは、と思われるタコが、うまく書けない、とか言い訳しながらも、あっという間に短い機会音楽を書き上げた様子がうかがわれる。結局、協奏曲は自発的な創作意欲があったのだが(それもかなり余裕をもって完成させている)、機会作品は直前に仕方なくチョチョイと書いた、という風に見える。それも旧作の引用である(旧作の引用である機会作品として「祝典序曲」も想起されるであろう)。
 ここで、ちょっと邪推してみよう。ひょっとして、タコはオイストラフが59歳の誕生日を迎えると知って協奏曲を書いたとすれば・・・・。
 タコと同じく世界的な芸術家オイストラフのための協奏曲の作曲を盾に取り、機会作品が大曲にならなかったという言い訳を成立させようとした。また、機会作品の作曲期間の短さに対する言い訳にしようとした。などという深読みが可能だ。
 第一、機会作品がうまく書けない、などというのもなんだか言い訳臭い。年表を見てみれば、1967年は大小6曲の作品を完成させた最晩年で一番の多作の年だ。創作力の枯渇という問題もなさそうだ。結局、機会作品が書きたくなくて、なるべく大作にならないように、うまいこと周到に理由を用意しておいた、という風にも私には思えるのだが・・・。

 以上が、イヤイヤながらに書いたと思われる、最晩年の作風から逸脱した「十月」の作曲姿勢に対する邪推である。こんな「曲解」な推定と、目新しくない曲自体の様相を聴くにつけても、たいしたことねェなァ、と常々思っていたのだが、新響さんの真摯な演奏に私は心打たれたのである。これは、ひょっとして名曲やも・・・。と感じるにいたり、さらに新たな「曲解」が私の中に渦巻くのであった。

つづく(2000.5.2 Ms)

<2> 新響さんの演奏を聴いて

 私が新響さんの生演奏に接して感激したのは、その演奏の素晴らしさによって、曲そのものへの共感が私に生まれてきたこともあってのことであった。
 曲の後半、再現部における第2主題の再現と展開、そして長調へと転化、といったクライマックスの築づきかたが巧妙かつ琴線にふれるものだったのだ。素晴らしい演奏によって、タコの作曲技法の素晴らしさも明確に感じられたのだ。より具体的に曲の構成を把握しながら説明しよう。
 
 緩やかな序奏、そしてアレグロへ移行しての第1主題、は前述のとおり同じ素材だ。第1主題は圧倒的な勢いをもって曲全体を支配している。それに対する第2主題は常に弱奏の木管群によりひそやかに歌われている。2つの主題の勢力の違いは、ベートーヴェンの交響曲第5番の第1楽章(第1主題の支配力を思い出そう)を引き合いに出してもいいかもしれない。これは提示部、展開部においても同じだ。
 しかし、再現部、第2主題の再現はやはり、ひそやかだが、木管から低弦に旋律が移るに当たって、今までの従属的な立場から変化が生まれる。高弦の機械的音型がからみながら次第に第2主題は勢力を増し、金管によるなだらかなコラール風な姿にも変奏される。この「パルチザンの歌」と呼ばれる主題自体にも何か私を引きつけるものがあるのだが(マーラーの3番冒頭と同じ節回しなのも気になる)、これが徐々に盛り上がりを見せるのに興奮しつつも、その流れはまたも圧倒的な第1主題によって遮られる。さらにそれを乗り越えて、第2主題は高弦によって高らかに歌われ、精力的に姿を変える。ここのインパクトは強烈だ(あの日以来、何度も私の頭を駆け巡っている)。やっとひそやかなる第2主題は表舞台に立つこととなるのだ。しかし、再度、第1主題の報復を受ける。もうダメかと諦めた時、金管のファンファーレ的なフレーズとともに初めてシンバルが鳴るや、一気に、曲全体を覆っていた暗い短調の響きは払拭され、ハ長調が確立、第2主題の冒頭の動機が何度も繰り返されて明るい終結が待っている。
 この2つの主題の確執が作り出すクライマックスへの流れがとても感動的であったのだ。そして、この2つの主題は両者とも短調だが、第1主題は3拍子、第2主題は4拍子と際立った対比を見せており、それが最後、交互にお互いを乗り越えつつ次々と出現するに至ってその対比はさらに強調される。
 (少なくとも私にとって)魅力的な第2主題が、圧倒的な第1主題の支配から脱却し、自ら高らかにその存在を主張してゆく変化の過程あってこそ、この作品への私の共感が生まれたようである。

 などと私なりに解釈するうち、2つの対立する主題の扱われ方が、いかにも「革命」を象徴しているようにも思えてくる。第1主題はロシア帝政。そして、文字通り、「パルチザン」である第2主題。パルチザン・・・武装蜂起した民衆である。なぁるほどねぇ・・・と感心しつつ、ちょっと待った。はたして、第1主題は旧体制たるロシア帝政なんだろうか?との疑問も涌いてくる。
 第1主題・・・どこかで聴いたことがある?・・・タコの交響曲第10番の冒頭だ。弦楽器の深い音色。そして最初の4音は音高が違うのみでホ短調をハ短調に移しただけ。リズムも同じ。さらにそれがアレグロになると、同じく第10番の第3楽章の冒頭。瓜2つじゃないか。さらに、第10番の後半を支配する、タコのイニシャル動機、レミドシ(DSCH)が、第3楽章の開始、ドレミシ(CDSH)から導かれるとするならば、この「十月」の第1主題もタコ本人との密接な関係を想像させてしまうのだが・・・・。全然、圧政者、ロシア帝政としての第1主題という位置付けはできなくなってしまう・・・・あぁ困った・・・(誰も他には困らないわな。)ということで「曲解」も深まってゆく。そこで私の考え付いた結論。またしても久々に「太宰」が登場するのだが。

 太宰の小説によく見られるのだが、結局、作中人物がほとんど、作者の分身になっている、という例を想起しよう。有名な「斜陽」もそう言われているが、その傾向は歴史小説や過去の名作の翻案にもみられ、嫌いな人はおおいに嫌いな部分だと思われるのだが、ようは、歴史上の人物も限りなく太宰に近く描かれているという点。「新・ハムレット」「右大臣実朝」「惜別(魯迅の青年時代を描いた)」などに顕著だと思われる。

 いきなり、はぁ?と思われる方が多いような気もするのだが、気にせずに書きましょう。
 交響詩「十月」の2つの主題両方ともに、タコ自身が象徴されている・・・と考えてみたのだが・・・・。とするなら、題材はなんであれ、太宰的な自己中心的かつ自己分析的な作品として、この「十月」を聴く事が可能である。
 第1主題は、DSCHを導く交響曲第10番、第2主題は30年前の映画音楽「ヴォローチャエフの日々」からの「パルチザンの歌」。この2つが、交響曲第12番第1楽章という枠の中で葛藤するのだ。何か見えてきそうじゃありませんか? 

つづく(2000.5.3 Ms)

<3> タコにとっての革命50周年、そして作曲生活50周年。及び作品の自伝的性格?

 「十月」と交響曲第10番の類似性から私は、もうひとつのタコの作品における類似性を思い出してしまう。
 交響曲第5番第8番の類似性である。
 第1楽章の構成、そして2つの主題の作り方など、旋律線のみならずオーケストレーションの面でもかなり似通っており、私は、両者の第1楽章の類似にもかかわらず、第2楽章以降の音楽の展開が全く違う方向を目指すところに、第5番が描けなかった世界を第8番で描こうとしたタコの本意があるように考える。つまり、全体の歓喜(第5番)ならぬ個の歓喜(第8番)という結末を私は思い描くのだ。

 これと全く逆の事が、「十月」第10番の間にあるのではないか。
 第10番といえば、初演後の「第10論争」が有名な逸話である。スターリンは死んだが俄然幅をきかせる「社会主義リアリズム」。スターリンの死の直後に発表された第10番は波紋を呼び、「暗すぎる」「フィナーレが弱い」などとこき下ろされる。が、ハチャトリヤンらの援護もあってかろうじて批判はまのがれた。しかし、その論争の中でタコは自己批判をする。第1楽章は失敗だ。次は「交響的アレグロ」を書く。などと公言している。
 この自己批判によって、交響曲の第1楽章たる「交響的アレグロ」は、第12番で結実する。しかし、タコの書きたいものは、どうも「交響的アレグロ」の第1楽章ではなさそうだ。アダージョ的な第1楽章こそ彼の本領、特徴的なものではなかろうか。第10番はそのものであるし、前述の第5番、第8番も中間部で速度は上げるものの基本は緩徐なテンポである。他にも頭のないシンフォニー、第6番、さらに第13番、さらには協奏曲等にも例がある。また、彼の第1楽章のみならず作品全体に特徴なのは「交響的」よりは「協奏的」「室内楽的」なものだろうし、また彼が好んだ速度指示は速い場合でも「アレグロ」よりは「アレグレット」のような気がするし、どうも「交響的アレグロ」は「社会主義リアリズム」という教条的な教科書的なモットーであって、彼はそれを常に本気で書きたかったとはどうも思えない。
 そんな彼が、「交響的アレグロ」の失敗作、第10番の第1楽章と同じ素材を使って、「交響的アレグロ」の成功作、第12番の第1楽章という枠を借りて、「十月」を書いているのだ。「個」を強烈に感じさせる第10番が、「公」を強烈に感じさせる「十月」に生まれ変わったとはいえないか。そんな意味で、第5番と第8番の関係の裏返しがここに感じられるのだ。

 さて、その第10番に起源を持つ第1主題に対抗する第2主題は、旧作「パルチザンの歌」である。映画音楽「ヴォローチャエフの日々」としての作曲は1936〜37年とされている。作品番号としては交響曲第5番に続く作品48となっているが、第5番より先行する作品ではなかろうか。つまり、交響曲第4番と第5番との間に位置する作品とも言えるのだ(詳細は文献不足で不明であるが、第4と第5に関わる年表はこちらを参照してください)。「プラウダ批判」、そして交響曲第5番の作曲へと向かいつつある時期に書かれた「パルチザンの歌」、何かタコにとって思い入れの深そうな音楽になり得ないだろうか。おまけに、マーラーかぶれな交響曲第4番の撤回とからめて考えるなら、マーラーの第3番冒頭と同じ節回しな「パルチザン」というのは、うーん、匂ってきそうな・・・・。

 (ここで、補足として二言。
 このマーラーの第3番の冒頭のホルン・ユニゾンのテーマは、非ヨーロッパ的(かつ非古典的)な音の動き、また、既存曲の引用としていろいろ論じられる、マーラー研究の格好の題材となっているものだ。
 まず、柴田南雄「グスタフ・マーラー」(岩波新書)。タコが引用した部分、ラーシドシーラー・ソーミ(移動ドによる)については、ユダヤ教の礼拝の歌のエコーとの指摘をされている。タコにとって反体制としての「ユダヤ」がここにも投影されているのか?
 もう一つ、渡辺裕「文化史のなかのマーラー」(筑摩書房)。ブラームスが大学祝典序曲の冒頭でも引用した学生歌「我らは堅固な校舎を建てた」のパロディとしてのマーラーの3番の冒頭主題という論点を指摘している。この学生歌は、1819年に民主国家の実現を目指すドイツの学生運動を背景に作られ、メッテルニヒの弾圧に対抗すべく、「校舎は壊れるかもしれないが、そんなものが必要なのか?精神は我々全員のなかに生き続けている。」と歌われているのだ。またマーラーの第3番第1楽章は、1890年のウィーンにおける最初のメーデーとの関連も指摘されている。労働者の「目覚めの呼び声」としてのホルン・ユニゾンのテーマをさらに、タコが「十月」で引用しているとなれば、まさしく「パルチザン」にふさわしい旋律との解釈も成り立つ。
 ただ、果たして、タコが、マーラーの引用の意図をそのように解釈して、さらに自作に引用したかどうかは確かめられないけれど・・・・。ただ、まぁ、期せずして調べているうちに、この企画もメーデーに相応しいものにいつの間にかなってきましたねぇ。)

 そこで、また邪推なのだけれど。
 「十月」の作曲のきっかけは、もう忘れかけていたような映画「ヴォローチャエフの日々」の封切準備に立ち会ってのことだ。そこで彼は何を思い、この作品を書き上げるに至ったのだろう。
 革命50周年記念作の作曲ともなれば、革命とはいったい何だったのか?私にとって革命は何をもたらしたのか?どういう関係にあるのか?という問題に当然ぶち当たることだろう。
 事実、タコの創作活動もまた、1917年の革命から開始されている。9〜11歳の頃(1915〜1917)に書いたピアノ作品「兵士」「自由の賛歌」「革命の犠牲者に捧げる葬送行進曲」などから彼の作曲家としての歩みが始まっていると考えれば、革命50周年=タコの作曲生活50周年でもある(大雑把に言って)。その作曲の営みは、常に社会主義革命によってもたらされた社会主義体制から切っても切れない影響を与えられてきた。そんな中で、2つの50年という歴史を思う時、タコにとって「プラウダ批判」は絶対に忘れられない出来事であった事は充分想像できる。創作の場で、50年の総括をしようと考え、思い悩んでいた時に偶然再会したのが、「プラウダ批判」直後に生まれた「パルチザンの歌」であったわけだ。
 その「パルチザンの歌」の意味は、生まれた背景とマーラー的という「曲解」も含めて考えれば、当時の芸術家を支配していた「社会主義リアリズム」への「パルチザン(武装蜂起)」による抵抗でもあるかもしれないのではないか。
 だとするなら「十月」の第1主題、第10番の引用は何なのか?タコのイニシャル、DSCHを導く本人を象徴するものでは具合が悪くはないか?
 しかし、ここでの第10番の引用は、前述のとおり、「交響的アレグロ」に変容してしまった第10番に他ならない。つまりは、体制の側についてしまったタコを象徴すると考えられないだろうか?確かに第10番の作曲時と違い、彼は既に共産党員。体制の側の「公」の人になっていたのだ。
 この構図を「十月」の音楽に乗せて考えるなら、もはや体制側の人間となっていたタコではあったが、心の奥深くに「パルチザン」である自覚は持ち続け、ただ、それをおおっぴらには言えず、ひそやかに歌うしかなかったのではないか。しかし、我慢できずに(再現部に至り)徐々に「パルチザン」の勢いが増してくる。しかし、公人としての立場がそれを押さえこむ。しかし、しかし、さらにそれを乗り越えて「パルチザン」たらんとするタコ。そんな、彼の心の中の葛藤が見えてくる・・・・。結局、「十月革命」という歴史をタイトルに冠しながらも、自己中心的、自己分析的な作品として解釈できてしまう(それこそ太宰的!)というのが、今回の私の「曲解」なのである。

 「十月」を構成する素材、交響曲第10番が「第10論争」、パルチザンの歌が「プラウダ批判」、交響曲第12番がタコの「共産党入党」という自分史かつソ連史とリンクしあうことで、この作品は、「個」と「公」の壮絶な葛藤をも思わせる作品として私の心に鋭く切り込んでくるのである。
 例のごとく、以上は「曲解」に過ぎない私の夢想ではあるものの、ただ、純粋に音楽だけに焦点を合わせても、この対立する2つの主題の織り成すドラマはとてもスリリングだ。「個」と「公」という対立軸を具体的に提示しなくても、2つの概念の鋭い対決を音楽的に表現し得たこの作品には、普遍性が存在していると思うのだ。見直すべき名曲、との評価を私は「十月」に与えたい。

注)参考文献は例によって、音友の「作曲家別・名曲解説・ライブラリー」と春秋社「ショスタコーヴィチ大研究」による。

(2000.5.4 Ms)

 

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