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Records Surveys History 1999-2002 2003

2004

 
Column
11/3
only Japanese

日本GP過去7年の視聴率
ビデオリサーチ社のページ他によると、フジテレビ日本GPの視聴率は、長期下落から若干の回復傾向にある。最近、視聴率は操作の問題があるが、一定のものさしにはなるだろう。

1990年代前半にはセナ・プロスト対決で最高20.8%を記録したが、シューマッハ時代になって人気が明らかに落ちた。さらに2000年からは日本人ドライバーが不在になった。2001年は消化試合ということもあり最低の7.5%に落ちている。2002年も消化試合だったが、佐藤琢磨が登場して低下に歯止めがかかった。2003年は佐藤の参戦とチャンピオンシップがかかっていたことでさらに上向いた。まだまだ往年の勢いはないが、明るいきざしと言えよう。

一時はどこまで落ちるのか不安視されていた。このまま下落を続ければ、日本でF1中継がなくなる恐れもあった。どれだけ一般視聴者を見る気にさせるかが重要だ。ここ数年はF1がつまらないと言われたも同然だった。われわれは、単に以前のルールに戻せと言う前に、これらの背景を念頭に置く必要がある。

イタリアでは、日本GPが朝7時半という時間帯にも関わらず、74%という視聴率が記録された。656万人が見たことになると言う。2002年の291万人、2001年の353万人に比べれば相当な上昇だ。母国のフェラーリが王座を獲るかどうかということでそれだけ見る気がわくということだろう。日本にあてはめれば、佐藤琢磨、ホンダ、トヨタ、ブリヂストンでどれだけ盛り上がれるかにかかっている。
 
8/2
only Japanese

フジテレビのF1中継視聴率は、2002年の平均5.6%から2003年は4.6%と1%もダウンした。今シーズンはフランスGPまでのすべてのグランプリで視聴率が前年を下回っている。今年は昨年よりもレース展開的・選手権争い的には面白くなっているはずだが、数字には結びついていない。昨年後半の単調な展開がいまだに尾を引いているのか。日本人ドライバーがいないからなのか。

だが、必ずしもF1だけが低下しているわけではない。スポーツ中継はプロ野球も低下している。さらに言えば、ドラマも低下している。テレビ放送そのものが地盤沈下しているのだろうか。5000万人に達したと言われるインターネット利用者の影響なのか。それにしては落ち込みが激しいような気もするが。

F1について言えば、今はF1の魅力をしっかり伝え、地道に新しいファンを増やしていくことが肝心だろう。この数字からは、今の放送内容を一新する必要に迫られるに違いない。
6/25
さらに・シューマッハは名レースを残してくれるはず only Japanese

およそ近代スポーツにおいて、周囲のスタッフのサポートなしにその競技に参加できる プレイヤーがいたら、教えていただきたいところだ。(Armandoさん)
特にモータースポーツは道具とスタッフの要素が大きいですね。年々その傾向が高まってる。

シューマッハがでは無くF1がつまらなくなったのかなぁーって思いますね。(9inchさん)

FIAが行おうとしている改革が、ドライバーの力に比重を多くすることを願っております。

今のF1は個性的なドライバ−がほとんどいなくなってしまった気がしています。(爆発ゴロ−さん)
特にシューマッハ時代以降、マシンを振り回すよりも、いかにスムーズに緻密に走るかが、勝つための要素になってしまいましたね。

私は、強いミハエルのライバルだったハッキネンのファンです^^; 後々、強いミハエルのライバルだったって語り継がれてほしいです。(ppperさん)
1998年ニュルはハッキネンがミヒャエルのお株を奪うレースでした。そして、何よりも2000年スパ。ミヒャエルをオーバーテイクするシーンが今でも目に焼きついていますね。
 
6/24
続々・シューマッハは名レースを残してくれるはず only Japanese

私はシューに対してどうしても好意を持てませんね。 それは彼が一人で戦っている訳ではないからです。(seritaichiさん)
ミヒャエルはF1史上で最も幸せなチャンピオンかもしれません。こんなにチームと一体になり、不安を持たなかった人はいませんでしたから。

99年サンマリノGPでは ハッキネンリタイアの後、それこそ「渾身のアタック」でクルサードを逆転し、優勝を 掴み取ったのです。(風埼(新潟県)さん)
このレースもミヒャエルのマジレースでしたね。ミヒャエルVSクルサードといえば、00年がピークだったかな。フランスのデビ中指立てとか、いろいろ見せてくれました。

シューマッハー引退後は70年代のように群雄割拠、悪く言えばどんぐりの背比べのような争いになると思う。(ダークQさん)
勝利を独占するミヒャエル時代から、年間3勝でチャンピオンが決まるような時代に変わるかもしれませんね。

セナのようにならないように、頑張りすぎちゃ駄目だよ(デイモン・ヨルさん)
大丈夫、セナがミヒャエルは死なせないから。いや、FIAがその後の安全性を高めたから。それに、トッドは、99年シルバーストンのようなことを2度と起こさないようにミヒャエルの車は徹底チェックさせてるはずです。

ライコネン  オーラガンガン感じます。(ろろさん)

オーラとは、すごいレースを見せてくれたあと、その人のまわりに重なっていくのではないかと思います。われわれの記憶がね。ライコネンはこれからもね。

「最高のチームと最高のマシンは、最高のミヒャエルを約束してはくれない」(RIHOさん)
"名言"ありがとうございます。ひとあじもふたあじも違うRIHO様のページにはミヒャエルを愛する気持ちがひしひしと伝わってきます。ミヒャエルをけしかけるような発言を続けたことをどうかお許しください。
もしも叶ったならば、そのときは、とても、とても、幸せでしょうね。(RIHOさん)
ミヒャエルがすばらしいレースをしたら、彼自身が表彰台でいつもと違う喜びの表情を見せてくれるのではないかと、私も楽しみにしております。それを見せてくれるまで、引退は許さないぞ(笑)。
 
6/23
続・シューマッハは名レースを残してくれるはず only Japanese
このテーマについて、まだ反響が続いており、掲示板の投稿にここでコメントいたします。

「一人の天才だけでは名勝負は生まれない」 シューマッハの不幸はこれに尽きる。(カシアスクレイさん)
ある意味シューマッハは不幸です。なにがなんでも倒したいというライバルがいないのですから・・・。(MP4/4bさん)
一人の天才に対し、優れたマシンが立ちはだかるというのはどうでしょうか。ミヒャエル対ニューウェイ、ミヒャエル対ミシュランの中から名勝負が生まれませんかね。

仮にシューが今やめてしまうと、まったくオーラの感じられないライコネンとかがチャンピオンになってしまいそう。(LEGOさん)
われわれはミヒャエルがチャンピオンの基準になってしまいましたね。でもその前は違うタイプのチャンピオンがいました。チャンピオンにふさわしいのかと思う人もいました。しかし、器が人を作るということもあり、どのチャンピオンもそれらしくなっていきましたね。だからあまり心配していないのですが。ちなみに私はモントーヤびいきです。

緻密に計算してそれを完璧に遂行する行為は、 上手い、お見事とは思いますが美しいとは少し違う気がします。(きつねさん)
そうなんですよね。「さすが」じゃなくて、「信じられない!」という表現ができるレースを見たいです。

コラムを見ていると、シューマッハに「名レース」を残すことを狙ってほしいという風に取れてしまいます。(たかさん)

おっしゃる通り、名レースは狙ってできるものじゃないですね。下の文の最後に書きましたが、ミヒャエルはここぞというレースで全力を振り絞ると思ってます。それが名レースを生むのではないかという期待です。言い換えると、ほかのレースを8分くらいの力温存でしのぐという予想です。今のミヒャエルは持てるすべての力を出し切っていませんよ。それでも勝てたし、チャンピオンが取れてしまった。それが数年続いていると思っています。それでは名レースは生まれないのです。
 
6/22
シューマッハは名レースを残してくれるはず only Japanese
先日のコラム「シューマッハは今のままでいいのか」に対し、掲示板で皆さんから賛否両論を多数いただきました。投稿してくださったすべての方々にお礼を申しあげます。F1ファンとひとくちにいっても、さまざまな見方があるなと実感しました。皆さんのいずれも真摯な想いが伝わってきました。

シューマッハファンからすると、あまりの辛口内容に、攻撃されたと思ったかもしれません。そういう反応が少なからずありました。
「ミハエルが悪いとは到底思えません。(KENさん)」ミヒャエルが悪いと言いたいのではなく、題名のとおり、今のままでいいのかと言いたかったのです。こうしてほしいという願望の裏返しです。
そもそもこのコラムを書いたのは、「シュー兄は感動的なレースを最近してない(銀河の皇帝さん)」という思いがあったからです。私の意図は攻撃ではなく、「シューマッハ批判ではなく、激励のような想い(RYO-Sさん)」です。私の文章から、それらを汲み取っていただければと思います。ちょっと長文ですが、くれぐれも一部だけ見て揚げ足をとらないでください。言いたい事の本質をとってください。私は懐古主義ではありません。過去も現在も、そして未来も考えていきたい。それをわかってください。

私のミヒャエル観について説明しましょう。私は、かつてのセナのファンであり、1994-1997年の間は生意気なミヒャエルが大嫌いでした。1994年のイモラでセナを追い詰めたようにも見えてしまいました。1997年のヘレスでミヒャエルがビルヌーブにぶつかって自滅したときは、正直言うと、「ざまぁみろ」という気分でした。ところが、1998年に最強マクラーレンにひとり立ち向かうミヒャエルの姿を見てから、気持ちが変わっていきました。「98年のハンガリーGPなどはシューマッハの名レース(kntrさん)」と言えますね。そして鈴鹿でミヒャエルに注目しました。E2席から見える2コーナーで、ミヒャエルはリタイヤしました。あのとき、ミヒャエルが低い壁に座ってうつむいた姿を忘れられません。「この男に再び王座をとらせてやりたい」と思ったのです。それから2年後、2000年の鈴鹿で5年ぶりにチャンピオンになったときはもう、もろてを上げて応援していました。ミヒャエルがハッキネンを抜いたとき、鈴鹿のA席で万歳してたくらいです。これは本当ですよ。それから後は、再び、誰がこの独走する男を倒すのかという関心に変わっていきました。私のミヒャエルに対する想いは、まさに「愛憎溢れる(テンプさん)」ものなのです。私はF1を1987年から見ていますが、セナ(87-94)よりもミヒャエル(91-)の方を長く見ていることになりました。1991年にはモンツァでミヒャエルのデビュー2戦目を見ました。「すげぇよあの新人、トップ集団にくらいついてる。」と言うのが感想でした。2002年はスパでミヒャエルが勝って喜びを爆発させたのも見ました。ミヒャエルを観ることに関してはちょっとでは負けませんよ。

セナを応援していたとき、セナこそがファンジオの5度王座を破るものと思っていました。その思いは破れました。しかし、ミヒャエルが後を継いでくれました。われわれは、50年に1度のことを目撃しているのです。これはわれわれ自身が誇りに思ってよいものです。そして、それは単に回数だけでなく、質的にもすばらしいものだと思いたいのです。


さて、皆さんから、現代F1は昔と違うという意見がいくつか寄せられました。
「空力に頼り過ぎたマシンでオーバーテイクも物理的にままならない。トラブルが起きた場合や明らかに性能の違いが無ければ直線での追い抜きなんて夢のまた夢。(まるくさん)」
おっしゃる通りです。でも、どんなに車が進化しようと、人間がドライビングすることに変わりはないですよね。今年のメルボルンでミヒャエルがライコネンを抜けなかったのは、車のせいだけじゃないでしょう。ライコネンの気迫が、ミヒャエルを芝生に押し出したと思います。

私は思うのです。今から10年、20年後に説明できるすごさって、何だろうとね。2003年のF1が技術的にどうこうなんていうことは説明にならないと思うんです。説明できるのは単純なことだけですよ。たとえば、1935年ニュルブルクリングでヌボラーリが最強メルセデスに1分差を大逆転したとか、1993年ドニントンでセナが1周目に4台抜いてトップに立ったとか、そういう誰でもわかることが必要なんですよ。

「与えられた情況の中で最大限の努力やもがきを感じませんか?(まるくさん)」
そうですね。ミヒャエルはA1で火事があっても動じなかったし、モントリオールではブレーキトラブルがあっても守りきりました。これらは名レースと言えるほどではないですが、さすがと思わせました。

「速い車を速く走らせるのはとても難しいことだということを94年、95年のデーモン・ヒルは証明している気がします。(nucleusさん)」
F2003-GAは、実は扱いにくいマシンのようですね。大変なのかもしれません。その上で言いたいのです。私はミヒャエルが今のドライバーの中でずば抜けた力を持っていると思っています。だからバリチェロに優るのは当たり前だし、フェラーリで5割の勝率は確実と思っているのです。私はその上を望んでいるのです。ヒルは優れたドライバーでしたが、5度王者のミヒャエルにとって、比較する対象ではないと思います。

「シュー兄自身がレースを甘く見ているような気がして嫌でした。(HLさん)」
アズエフ8月号で、今宮氏と川井氏が、フェラーリには過信があり、それが開幕戦やモナコでの敗因につながったと言ってました。こういう雰囲気をわれわれも感じるんですよね。



私は最近、シューマッハはセナより上かな、と思うようになってきました。ところが、シューマッハの発言に、「何かシューミは大人気ない部分があります。(フォーミュラー1さん)」が目立つと思うのです。「セナも90年ごろから同様のことをよく言ってましたよね(PPPさん)」その通りです。だからこそ、セナを超える史上最高のドライバーなら、デンと構えんかい、と思ってしまうのです。

ミヒャエルは人よりも数倍も勝つための欲望が強く、それが彼をここまでのし上げてきたのだと理解しています。勝つためなら、どんなことでも自分のプラスにするよう取り込みます。その一方で、プレッシャーに弱い面があり、肝心の場面で何度もミスをしてきました。コアなミヒャエルファンは、そういった弱さも含めて好きだとよく聞きます。

1994年と1997年、ともに最終戦でライバルに接触しました。あれは勝ちたい一心の行き過ぎでした。ミヒャエルのことを語るとき、この事件は欠かせません。私は昔のことを責めてるんじゃありませんよ。人間はどたん場のギリギリのところでどういう行動に出るかがわかると言いたいのです。プロストとセナもそうだったし。

ミヒャエルは、実は繊細で神経質な性格なのかなと思います。ファンジオのような紳士であれなどとは言いません。とても人間くさいチャンピオンと思っています。だから、苦労の末、勝ち得た今の境遇で、無理しないのもわかるのです。それに34歳という年齢は、がむしゃらに走る時期ではないこともわかります。

それでもあえて、言いたいのです。ミヒャエルは名レースを残せと。今のままでは、まだまだ足りないぞ。


「F1レーサーとして最大の目標はチャンピオンになること。 そのために無理をせずにポイントをとっているシューマッハ。 管理人の意見を聞いてると「無理してでも追い抜け!」と言ってるように聞こえる(みかん畑さん)」
たしかに無理して自爆するのは匹夫の勇ですね。私が言いたいのは、もうすでに5度もチャンピオンになった者は、ほかのチャンピオンとは違う次元にあるということです。ポイントを計算することも大事でしょうが、電卓をたたくのは裏でやってくれ、です。これぞミヒャエルのレースと、ミヒャエルファンでなくても賞賛するような勝利をしてチャンピオンになってもらいたいのです。

1957年、ファンジオが5度目の王座を決めたレースは、ニュルブルクリングでした。このときファンジオは38秒遅れの3位から逆転勝利をとげたのです。こういったレースを後期のミヒャエルも見せてくれないかなと思ってます。

「強いならば強い者なりの感動を与える事も可能(tenさん)」
たとえば、ジム・クラークは完全優勝(PP、FL、全ラップ1位)、かつ全車周回遅れという離れ業を残しました。そんなことをやっても1位の10点は変わらないって言われそうですが。何十勝してもいいけど、コレっていうのも欲しいんですよね。

「私は「セナとそれ以前のドライバーは速い車を求めたが、シューは強いチームを作った」と言う とってもデフォルメされた意見に賛同していません。(テンプさん)」
ミヒャエルファンがよく言う話ですね。私も違うと思います。ミヒャエルは1995年に移籍を決めるとき、モンテゼモロ社長のビジョンと、トッドという優れたリーダーによってフェラーリが強くなることに賭けたのだと思ってます。それから、最大スポンサーのマールボロがマクラーレンを切り、フェラーリに資金を集中していくという背景もありました。たしかにブラウンとバーンはミヒャエルという強い星のもとに集まってきました。チームはミヒャエルの力を信じて結束しています。しかしミヒャエルがチームを作ったという表現は言い過ぎで、モンテゼモロとトッドを過小評価することになります。

フェラーリというチームがすばらしい仕事をしていることは事実ですが、ドライバーがコックピットにおさまれば、大半はドライバーに任されることです。だからドライバーがレースでどういう走りを見せるかが一番の見どころです。それが史上最多のチャンピオンであれば、他のドライバーとは違うハイレベルなものを観客はのぞむはずです。

「そろそろシュー個人の本当の挑戦を行っても良いのではないか(テンプさん)」
ミヒャエルが単に勝利とチャンピオンの数を増やしたいだけでいいかと思っているのかどうかですね。気づいてくれないかな。


しかし、皆さんの意見で多かったのが、強いライバルの不在という見方でした。
「シュー兄対その他大勢(ダリル ストロベリーさん)」
「実力のあるライバルが存在しない(tenさん)」
「対抗できないライバルたち(seritaichiさん)」

「役者が今のF1にシュー以外いない(Haziさん)」
もしそうだとすると、悲しいことです。われわれの記憶に残るだけでなく、われわれが死んだ後の世代にまで残ることは、勝利の数よりも、名勝負の数です。

われわれは1950年代のファンジオなんか見たこともないし、ましてや戦前のヌボラーリなんか見た人は誰も生きていません。それでも、ヨーロッパでは彼らのことがずっと語り草になっているのです。本もたくさん出ています。100年以上続いているグランプリ・レースはひとつの文化であり、自動車競争の頂点という表現だけでは足りません。

今しか見ないというのは、すごく狭い見方です。数年以内でミヒャエルは引退するでしょう。そのあとはもう、過去の人になってしまいます。われわれが生で見たヒーローを、後の世代の人たちに軽い言い方で済まされたくありません。ミヒャエルは若いときはぶつけてチャンピオンになり、年取ってからはマシンのおかげでチャンピオンになったドライバー、とは言われたくないでしょう。ミヒャエルはとてもすごいドライバーだったんだぞ、って誇りたいですね。だからすごいレースをもっとしてほしいのです。

「他のチームがもっと頑張ることが必要だ(たいしょうくん さん)」
「マクラーレンやウィリアムズにがんばってもらって、もっと勝ってシュー兄を必死にさせてほしいです。(HLさん)」
「モントーヤ、ライコネン、アロンソ、といった 若手が近いうちにシューマッハに肉薄してゆくだろう(kntrさん)」
それは可能なことだと信じています。彼らとミシュランは驚くほど進化して差を詰め始めました。モントーヤ、ライコネン、アロンソらはチャンピオンになれる実力を持っています。ミヒャエルは苦戦するでしょう。そしてミヒャエルは、ここぞというレースで全力を振り絞るに違いないと思います。それが名レースを生むのではないかと切に期待しています。それが鈴鹿なら最高なんですがね。(sio)
 
6/21 Jun.21
シューマッハは今のままでいいのか?
M・シューマッハファンは怒らずに聞いてほしい。私は思う。ミヒャエルはこのままでいいのか、と。正直言って、ミヒャエルがいくら最多勝や最多チャンピオンをとろうが、まるで感動を呼ばないのだ。それはなぜだろう。レーサーとして勝ったと思うレースがここ数年で見当たらないからだ。優れたマシンで当然のように勝つか、ピットストップ戦略でライバルを出し抜くようなレースばかりだ。

緻密な戦略の醍醐味もいいが、そんなレースばかりされてもうんざりだ。われわれはF1を好きになって見始めた初心者のとき、何を魅力に感じたか。ピットストップ戦略で勝つことだったのか?

M・シューマッハは、引退しても記録上最高のドライバーとして歴史に残るだろう。だが、このままでは、それだけになってしまうのではないか。感動や尊敬の記憶が薄い、レーサーというよりも計算高い冷徹なドライバーという記憶だけが残るのではないか。

勝った者、ポイントの多い者だけが偉く、それ以外は価値が低いのか。F1とは、そんな無味乾燥な世界だったのか。そうではないはずだ。

M・シューマッハは、若いときは名レースを残してくれた。1995年のスパとニュルブルクリングはすごかった。まさに、信じられないという表現がぴったりだった。今はそんなレースをしてくれない。計算しつくされた勝利など、シューマッハのファン以外は感動しない。シューマッハのファンはどんな形でも勝てば万々歳だろう。だが、ファンであっても、本当にそれでいいのか。

モナコで3位に終わった後、悔しがりもせず、予選5番手から上々の出来などと言ってほしくない。カナダの予選後、選手権でトップに立つことを目標にし、ポイントを計算するということを、シーズン中盤にしてほしくなんかない。レース後、4勝もしているのに1勝の者に3点しかリードできないという不平など、言ってほしくない。

思えば、1998年までは良かった。そのころのM・シューマッハには、追う者としての気迫が感じられた。今は無理をしていない。その必要もないからだろう。

優れたマシンに乗っていても、感動を呼ぶレースは可能だ。1967年イタリアGPで、ジム・クラークはトラブルで周回遅れになりながら、猛然と追い上げ、1位の車を2度も追い抜いてトップに立ったのだ。クラークはそのレースでリタイヤしてしまった。しかし、このレースがクラークの最高のレースとして今も語り草になっている。

M・シューマッハにとって、このまま語り草にならない勝利を重ねて、チャンピオン回数を増やすことが、何の意味があるのかと問いたい。
 
Is Schumacher good with now?
M.Schumacher fan, I want you to hear it, without getting angry. I consider. Michael  is good with this. Honestly, although Michael  will take most win and the most numerous champion how much, impression is not completely called. Why? It is because the race regarded as having won as a racer will not be found in here several years. They are only the races which win by the outstanding machine so that naturally, or forestall a rival by pit stop strategy.

Although the enjoyment of precise strategy is also good, it is embarrassment even if only such races are carried out. What did we feel for charm at the time of the beginner who it takes to F1 and began to see? Was it winning by pit stop strategy?

M.Schumacher will remain in a history as the highest record top driver, even if it returns to private life. But, doesn't it become with this so? Doesn't only memory called a calculating cool-headed driver remain rather than the racer with thin memory of impression or respect?

Only the person who won, and the person with many points are great, and is value low except it? Was F1 such dry world? That cannot be right.

It left the noted race, when M.Schumacher was young. Spa and Nurburgring in 1995 were uncanny. Expression of just not being believed was tight. Such a race is not carried out now. The calculated victory is not impressed other than Schumacher's fan. Schumacher's fan will be matter for great congratulation, if it wins in any forms. But, even if it is a fan, does it say truly?

After finishing with the 3rd place in Monaco, 2003 also being mortified it does not carry out but very best from a qualifying of No.5, it can do etc., and I do not want you to say after a qualifying of Canada, I want you to carry out calculating a point for the purpose of standing on a top for a championship in the middle of a season, and there is nothing something. I do not want the person of one victory to make after a race the complaint that only three points can be led etc. to carry out no less than four victories.

When considering, it was good till 1998. The drive as a person who follows was felt for M.Schumacher at the time. Unreasonableness has not been carried out now. It will be because the necessity does not exist, either.

Even if it has ridden on the outstanding machine, the race which calls impression is possible. In 1967 Italy GP, becoming circumference delay in a trouble, Jim Clark caught up violently, also twice passed the car of the 1st place, and stood on the top. Clark has done the retired in the race. However, this race is still a topic of conversation as Clark's highest race.

Increasing the number of times of a champion wants to ask about the victory which does not become a topic of conversation as it is what meaning there is in piles for M.Schumacher.
 
4/26 Apr.26
琢磨2004へ加速
佐藤琢磨はアメリカのIRLかCARTで修行した方が良いという意見がある。だが、高木虎之介や中野信治のように行ったきりになる恐れもある。IRLはオーバル主体のため、F1とは違う世界である。CARTは日本メーカーが撤退したこともあり、可能性はない。琢磨がヨーロピアン・フォーミュラでステップアップしてきたことを考えれば、畑違いもいいところだ。

F1に目を転じて、BARの事情を見てみる。メインスポンサーのBATが近い将来に撤退する可能性がある。EUが2005年途中からタバコ広告を全面禁止しようとしているからだ。BARがビルヌーブに20億円近い金を払う余裕はない。BARはイギリスのチームだ。名称をロータスにしようという動きもある。バトンは期待の星であり、今後も使い続ける。

BATの撤退によりホンダの比重が高まる。ホンダがエンジンを無償提供しているということは、ビッグスポンサーに等しい。ホンダが日本人ドライバーを乗せろと言えば、断れない。デビッドソンは、2004年の正ドライバーは佐藤と、2月に語っている。デビッドソンはいつのまにかBARのテストに姿を現さなくなった。

日本人のF1ファンすべてが琢磨を応援しろとは言わない。だが、ヨーロッパから見て、琢磨をけなす日本人は奇異に見えるだろう。おそらく日本人の中の極少数のヒネクレ者と思われるだろう。日本人はF1で活躍していないのに、それを続けたいのかとも思われるだろう。琢磨にとっては、ヨーロッパの評価がすべてであり、日本人が彼をけなすことはほとんど意味がない。

日本人F1ドライバーがひとりもいない状況では、日本GPも昨年のようには盛り上がらない。日本人がいてF1が盛り上がることは、それで商売している人でなくても、大いに楽しめることだ。昨年の日本GPがそうだった。

琢磨の1年目の成績は、すごいとは言えない。だが、日本GPの5位は英AUTOCOURSEも評価している。10年前の日本人F1ドライバーは、ヨーロッパから見て実力未知数であり、スポンサーの後押しだけだった。琢磨もホンダの後押しが必要だが、英F3王者という実績があることは過去と違うところだ。どんな形になろうと、レギュラーシートを確保すること、すべてはそこから始まる。そして、その方向へ向かっている。
 
Takuma accelerates towards 2004
Takuma Sato has opinion that it is better to train oneself by U.S. IRL or CART. But, there is also a possibility of becoming as it carried out like quantity Toranosuke Takagi or Shinji Nakano. IRL is the world where is different from F1, because of an oval subject. Since the Japanese maker withdrew CART, it is impossible. A field is differed if it considers that Takuma has stepped up by the European formula. 

Changing the eye to F1, the situation of BAR is looked at. A main sponsor's BAT may withdraw at the near future. It is because EU is going to forbid the tobacco advertisement completely from the middle in 2005. It is difficult for BAR to pay the money with 2 billion yen near Villeneuve. BAR is the team of Britain. There is also motion that a name will be made into a lotus. Button is the star of expectation and using it is also continued from now on. 

The specific gravity of Honda increases by withdrawal of BAT. It is equal to a big sponsor that Honda is doing gratis offer of the engine. It cannot refuse, if Honda says put a Japanese driver. Davidson told Sato may be the regular driver in 2004 at February. Davidson stopped appearing to the test of BAR 

Not all F1 Japanese fans say aid Takuma. But, probably it sees from Europe and the Japanese who depreciates Takuma looks strange. Probably, the minimum number in Japanese people becomes perverse, and a person will be seemed. Japanese people will be considered whether to want to continue it, although it is not playing an active part in F1. For Takuma, evaluation of Europe is all and most things for which Japanese people depreciate him are meaningless. 

In the situation that one person does not have Japanese F1 driver, either, Japan GP does not rise like last year, either. There being Japanese people and F1's rising is greatly being able to enjoy oneself, even if it is not those who are doing business by it. Japan GP of last year was so. 

It cannot be said that Takuma's results for the 1st year are uncanny. But, the 5th place of Japan GP was also evaluating English AUTOCOURSE. Japanese F1 driver of ten years ago was seen from Europe, was a merit unknown, and was only a backer of a sponsor. Although Takuma also needs a backer of Honda, it is just going to differ from the past that there is an actual result of English F3 champion. No matter it may become what form, all the things for which a regular sheet is secured begin from there. And it is going in the direction.

 
4/18 Apr.18
新予選が全チームに支持された日
モズレーFIA会長の記者会見によると、レース開始まで給油を禁止した新予選に対して、どのチームからも反対意見が出されなかったという。トップチームは新予選で損をしており、特にフェラーリは勝てない原因のひとつにもなっている。にも関わらず彼らは給油解禁を訴えなかった。

新予選について以前から出ていた反論は、真に速い者が誰かわからないということだった。だが、予選と決勝の両方とも面白くなり、F1が活性化したことのメリットのほうがはるかに大きい。

当サイトは給油禁止の発表(2003/2/14)と同時にこれを支持した。F1関係者やファンの間では多くの反対意見が出たが、この議論は2003年4月17日をもって決着した。

変わるということは何かを失うことでもある。既存のルールにとらわれ、現時点しか見ないと視野が狭くなる。広くF1を見る場合には、最も重要なことは何かを考えなければならない。

盛りのドライバーとチームのファンには受け入れがたかったかもしれない。ルール変更があっても勝つのが真の王者である。ターボ禁止でも勝ちつづけたマクラーレン・ホンダはそれが言えた。今のシューマッハとフェラーリでも出来るはずだ。

2002年以前を旧予選と呼ぶならば、セナは163GPで65回のPPを取り、シューマッハは179GPで50回のPPだった。シューマッハは2つの時代をはさんで最多を狙えばよい。
 
The day all teams support new qualify
FIA president Max Mosley said on press conference that no team offered the contrary opinion to the new qualify which forbade fuel load to the race start. Top teams are losing on the new qualify and especially Ferrari has become one of the causes which cannot win.

I heard the counterargument which had come out about the new qualify that who is the quickest driver, we can not understand. But, the merit of both qualifying and race having become interesting and F1 having activated it is far larger.

This site supported this simultaneously with the announcement (2003/2/14) of the ban on fuel load. Although many contrary opinions came out between the F1 persons concerned or the fan, this argument was settled with April 17, 2003.

Changing is also losing something. It is caught by the existing rule, and a view will become narrow if only this time is seen. When seeing F1 widely, you must consider what is the most important thing.

The fan of the driver or the team which is on the peak, can not understand. It is the true king who is won even if there is rule change. In 1989, McLaren Honda which turbo prohibition also continued winning was able to say it. It does also with Ferrari with present Schumacher.

If before was called old qualify, Senna took PP 65 times by 163GP, and Schumacher was 50 times of P in 179GP. Schumacher should just aim at the most numerous on both sides of two times.
 
3/9 Mar.9
14年前の再現、フェラーリは「気」に負けた
2003年開幕戦で最強フェラーリが敗れたとき、14年前の光景が再現されたと思った。1989年開幕戦で、当時最強のマクラーレン・ホンダが敗れたことだ。彼らは前年に16戦15勝していたが、開幕戦でブラジル人セナがクラッシュし、最多勝のプロストはマシンが不調になった。勝ったのはフェラーリに乗るイギリス人のマンセルだった。

1チームが独走してしまった時、周囲はそんなことを続けさせたくない気が漂う。ライバルチーム、主催国、スポンサー、テレビ局、FIA、そして多くのファンがそう思う。フェラーリはたしかに強いが、この「気」をはねかえすことができなかった。開幕戦でフェラーリが負けたことは世界中にニュースとして伝わり、F1に背を向けた人々を振り返らせる。

シューマッハは「気」を肌で感じていた。いつもの冴えが見られず、ライコネンを抜きあぐねた。早めのピットインで抜くことも出来なかった。唯一、追い越しをかけたとき、ライコネンの気迫に負けた。さらにシューマッハは、ライコネンが突然目の前から消えたとき、集中力を維持できなかった。

バージボードなしでも速いフェラーリが連敗することはない。1989年、マクラーレンホンダも第2戦以降に勝ちだした。今年のフェラーリもすぐに勝ちだすに違いない。だが、1989年がそうであったように、前年ほど勝利を独占することはできないだろう。「気」は「時代の流れ」に変わっていく。マクラーレンホンダは1990年から苦戦し始め、1992年に王座を失った。
"Tendency" beats Ferrari in reappearance 14 years ago
When strongest Ferrari was beaten by the opening game in 2003, I thought that the spectacle of 14 years ago was reproduced. It is that McLaren Honda of that time strongest was beaten by the opening game in 1989. Although they were doing 16 race 15 victories in the previous year, Brazilian Senna crashed by the opening game, and, most winner Prost had machine trouble. The winner was Briton Mansell who drove Ferrari.

When one team has had its own way, the tendency that you don't want to continue such a thing drifts. Rival teams,  host nations, sponsors, television stations, FIA, and many fans think so. Although Ferrari was strong to be sure, but was not able to eliminate this "tendency". What Ferrari lost at the opening game in is transmitted as news all over the world, and makes it look back upon people who turned the back to F1.

Schumacher felt that from experience. Usual skill is not seen but it was weary of overtaking Raikkonen. It was not able to overtake in early pit in, either. When only passing is applied, he was overcome by the drive of Raikkonen. Furthermore, Schumacher has not maintained concentration, when Raikkonen disappeared from impending suddenly.

Quick Ferrari is not defeated successively even when they have no barge board. In 1989, McLaren Honda had started winning after 2 game, Ferrari of this year will surely also start winning immediately. But, victories could not be monopolized the previous year, as 1989 come out so and there were The "tendency" changes to "current of a time." McLaren Honda began to have a close game from 1990, and lost the throne in 1992.
3/6 Mar.6
F1をつまらなくさせたのはシューマッハか
ウィリアムズのパトリック・ヘッドは英ガーディアン紙に語った。
「レースを魅力と興奮あるものにするには、ドライバー支援装置の禁止だけでは不十分だ。昔はコーナーで豪快にオポジット・ロックしてスライドさせる車が多かった。ドラマチックなレースを見るためには、タイヤについてレギュレーションを変えればよい。非常に小さなフロントタイヤと、非常に大きなリアタイヤにすれば、車の重量配分が変わる。TCS禁止だけで突然車がスライドしやすくなると思う者は、現代F1カーの限界を基本的に理解していない。」

「オポジット・ロック」とは、意識してタイヤをロックさせ、コントロールすることを言う。コーナーで限界をわずかに超え、スライドさせて曲がる。カウンターステア、ドリフトとも言う。

このような走法は戦前から戦後にかけてグランプリで主流だった。だが、ドリフト走法はグリップ走法よりタイムが劣る。特にシューマッハの時代となり、緻密なグリップ走法が主流を占めた。ハッキネンの引退によりパワースライドは姿を消した。
現代のF1では、コーナーでブレーキを踏みながら曲がる。ダ・マッタはCART式にコーナー前でブレーキングを完了するため、F1に慣れるのに苦労している。
時代はライバルがいないシューマッハの理想をかなえる方向に進み、2001年のTCS解禁のあと完璧になった。その結果、F1はつまらなくなったと言えるかもしれない。
 
Did Schumacher make F1 petty?
Williams's Patrick Head told "the Guardian". "A ban on electronic driver aids is not enough to bring back the glamour and excitement to Formula One racing. In days gone by, watching Formula One cars sliding on opposite lock through the corners.  If you want to see dramatic looking racing you've got to have different tyres on the car, you've probably got to change the regulations that cause you to have much smaller front tyres and much bigger rears which will in turn cause us to change the overall weight distribution of the car. There's a lot more than just banning traction control, and anybody who thinks that banning traction control and launch control will suddenly make cars go around the place in big slides is basically not understanding the limitations of a current Formula One car."

"Opposite lock" makes a tire lock consciously and means controlling. Exceed a limit slightly, it is made to slide at a corner, and it bends. It is also called counter steering, and a drift. 

Such a style was in use in Grand Prix from the prewar days to the postwar period. But a drift style's time is inferior to a grip style. Especially  in Schumacher's era, a grip style is the mainstream, and when Hakkinen retired, a power slide style disappeared.
It bends in F1 of the present age, stepping on a brake at a corner. Da Matta is taking pains to get used to F1, in order to complete breaking in front of a corner at a CART style.
The time progressed in the direction which fulfills non-rivaled Schumacher's ideal, and became perfect after removal of the TCS ban in 2001. Consequently, it may be able to be said that F1 became petty.
 
3/4 Mar.4
戦争とグランプリ
2001年9月11日の同時多発テロの際、多くの人がF1なんかやってる場合ではないと言った。その年のイタリアGPとアメリカGPは中止されるのではないかと噂された(日本GPですらも)。当サイトは、それでもグランプリを行うべきと主張した。結局、グランプリは開催された。
今、米英がイラクを攻撃間近と言われている。あのときF1どころじゃないと言った人々は、今なぜ言わないのか。欧米や日本などの先進国から遠く離れた場所で行われる戦争だからなのか。
グランプリが戦争で中止に追い込まれたのは、2度の世界大戦のときだった。戦後、レーシングカーの爆音が再び轟いたとき、それは平和が戻ってきたあかしだった。
正直言って、戦争には反対である。サダム・フセインがいかに悪者であろうと、日本が北朝鮮への対抗上でアメリカ支持にまわる必要があろうと、多くのコンストラクターの母国イギリスが戦争に突き進もうと、反対である。
アメリカは、20年前にフセインを支援した事実がある。アメリカは軍事産業と石油ビジネスが支配する国でもある。世界のモータースポーツは平和とともにあり、その信念を貫くべきだ。
War and Grand Prix
On September 11, 2001, at the time of the simultaneous frequent occurrence terrorism, many people said that it was not the case where F1 is being held. Italy GP and the United States GP of the year were spoken about as it is stopped (it is even Japan GP). It was claimed that this site should still hold Grand Prix. After all, Grand Prix was held.
Now, U.S. and Britain are called attack nearness in Iraq. Why don't people who said should not do F1 at that time say now? It is because it is war performed in the place distantly from advanced nations, such as the West and Japan.
It was that Grand Prix was driven into the stop by war at the time of the World War of 2 times. When the explosion of racing cars roared again after the war, it was the proof to which peace has returned.
Honestly, I am opposite to war. When how Sadam Hussein is a bad fellow, Japan is in opposing to Democratic People's Republic of Korea and if Japan will be necessary to support the United States, mother country Britain which has many constructors is pushing on to war. 
The United States is the country which supported Hussein 20 years ago, and is also the country which military industry and oil business rule. There are motor sports in the world with peace and we should pierce through the belief.
3/2 Mar.2
新ルールは「スポーツマンシップ」に合致する
「スポーツマンシップ」とは、ルールを遵守すること、フェアプレーを尊び相手を思いやることを指す。その根本は人間尊重という精神にある。勝利至上主義よりも、選手のすばらしいプレーを賛美する。
F1にもスポーツマンシップは存在する。チームは車両規定や競技規定という「ルールを遵守」するし、ドライバーはバトル中の相手にスペースを与えるなどの「フェアプレー」を行う。
今回のルール変更はF1にスポーツの要素を高めるのが目的だ。機械性能に偏りすぎた現状をドライバーのスポーツに戻す。それは「人間尊重」に向かっている。
今は投資金額に比例して成績が決まってしまう。スポーツというよりもリスクを減らすビジネスである。始まる前に結果が見えてしまうレースは見たくない。思わぬハプニングと、それにどう対処するかを見たい。
球技はボールの転がる方向がドラマを生む。そういった偶発性もスポーツの魅力だ。新しい予選はその要素を取り入れている。
New rule agrees for "Sportsmanship"
"Sportsmanship" puts observing a rule and thinking of fair play much and sympathizing an other player. The origin is in the soul of human respect. It is in praising a player's wonderful play rather than a victory supureme principle.
Sportsmanship exists also in F1. Teams "observe rules" like vehicles regulation and game regulation, and driver performs "fair play", such as giving a rival a space, during a battle. 
It is the purpose that this rule change raises the element of a sport to F1. The present condition which inclined toward the machine performance too much is returned to the sport of a driver. It is going to "human respect".
In proportion to the investment amount of money, results will be decided now. It is the business which reduces risks rather than a sport. I do not want to see the race a result is in sight before starting. I want to see the happening not to consider and how drivers cope with.
As for a ball game, a ball may roll and a direction may induce a drama. Such occurrence nature is also charm of a sport. New qualify has taken in the element.
3/1 Mar.1
フェラーリを独走させない策
メルボルンのレース(58周)は昨年まで1ストップで良かったが、予選のことを考えると、燃料を軽くするため2ストップ策が主流になるだろう。予選で前へ出たいチームは3ストップを取るかもしれない。
速いフェラーリが予選で20周分の燃料を積んだ場合、遅いライバルが予選で前に出るには、10周分の燃料で勝負する必要がある。フェラーリは予選で後ろになっても、レース10周後にはトップを奪い返せる。
ただし、メルボルンはアクシデントの多いサーキットである。フェラーリを独走させないためには、セーフティカーを乱発させればよい。そうすれば給油のロスが減る。米CARTはちょっとしたことでもフルコース・コーションになる。FIAはこれを参考にするだろう。
とにかく、不確定要素を増やして、フェラーリにレース前の戦略を予定通り行わせないことである。シューマッハがそれを乗り越えて勝ったなら、それはそれで面白いと言える。

The plan Ferrari can't have their own way
Till last year, as for the race (58 laps) of Melbourne, one stop was sufficient. But now, 2 stop strategy will become in use, in order to make fuel light, if the thing of qualify is considered. The team which wants to come out to a front by qualify may take three stops. 
In order to come out before a late rival's holding qualify when quick Ferrari stacks the fuel for 20 laps by qualify, it is necessary to fight with the fuel for 10 laps. Even if Ferrari becomes back by qualify, they can take a top again after 10 laps of races. 
However, Melbourne is a circuit with many accidents. What is necessary is just to make a safety car overissue, in order not to make Ferrari have one's own way. Then, the loss of oil supply decreases. It also becomes full-course caution to have carried out U.S. CART just for a moment. FIA will refer to this. 
It is increasing an indefinite element and not making the strategy in front of a race perform to Ferrari as planned anyhow. If Schumacher overcomes it and wins, it can be said that it is interesting at it.
2/25 Feb.25
理想の空論「最高の技術競争」
「F1は世界最高の技術競争の場であるべき」というのは理想の空論である。行き過ぎた競争の結果として、ばく大な費用がかかるという弊害を無視できない。今はコストをどうやって抑えるかが、主要な課題なのだ。

ミナルディのレース用エンジン1基:1.2億円
BMWとウィリアムズの予算:409億円
マクラーレンの新テクニカルセンター:234億円
フェラーリのエンジン予算:205億円
フェラーリのテスト費用:103億円
B・A・Rのスポンサーもてなし:8.4億円
(英F1レーシングマガジン)

その金の出所がおぼつかなくなったなら、巨体をもてあまして倒れる。この問題はチーム同士で解決することが出来ない。だからFIAがさまざまな策を提示している。たとえ試行錯誤になったとしても、誤った方向を是正しなければならない。
Empty theory "The Highest Technical Competition"
"F1 should be the place of the highest technical competition in the world" is the empty theory of an ideal. The evil in which huge expense starts as a result of competition it went too far beyond cannot be disregarded. It is main subjects how cost is held down now.

Minardi's engine per race weekend: $1 million
Williams and BMW's budget: $350 million
McLaren's new technical centre: $200 million
Ferrari's engine budget: $175 million
Ferrari's testing expenditure: $88 million
B.A.R's corporate hospitality: $7.2 million
(F1 Racing Magazine in England)

If the source of the money becomes doubtful, it will have too many of a huge form, and will fall. This problem is unsolvable in teams. Therefore, FIA has presented various plans. You have to correct the direction which was mistaken even if it was that a trial-and-error method is applied.
2/19 Feb.19
シューマッハが開幕戦で負ける可能性
新ルールに反対を述べる人は、今のF1の危機感を考慮した方が良い。スポンサーのつかないジョーダンとミナルディに資金が援助された。これは病院で延命措置を受ける末期患者と同じだ。
一方で今年もフェラーリが強すぎることは明らかだ。もし開幕戦でシューマッハが勝てば、多くの人々がF1を見ることをやめてしまうだろう。モズレーとエクレストンは、今年のチャンピオンはシューマッハだと、わざと強調している。裏を返すと、最後には王座に就いていいから、最初から勝ちすぎるなと言いたいのだ。
今から14年前、1989年の開幕戦で、前年に15勝したマクラーレン・ホンダが敗れた。このときはターボが禁止された。それでもホンダエンジン搭載車は10勝した。ルールを変える効果はすぐに現れない。開幕戦こそが、人々の興味を引き付ける最大のイベントなのだ。
メルボルンはこうした雰囲気の中で開催されることになる。この空気に逆らって勝とうとするなら、9年前のバッシングが再現される恐れがある。今のFIAなら毎週何を打ち出すかわからない。
A possibility Schumacher will lose at the opening race
The person who states the contrary to a new rule had better take into consideration the present sense of impending crisis of F1. Capital was helped by Jordan and Minardi which a sponsor does not attach. This is the same as that of the terminally ill patient who receives a prolongation-of-life measure in a hospital. 
On the other hand, it is clear that Ferrari of this year is too strong. It will stop many people looking at F1, supposing Schumacher wins by the opening race. Mosley and Ecclestone are emphasizing purposely that the champion of this year is Schumacher. Since the post of the throne may finally be taken, They want to say don't win too much from the beginning, if the reverse side is returned. 
14 years ago, in 1989, McLaren Honda which did 15 victories in the previous year was beaten by the opening race. The turbo was forbidden at this time. Honda engine loading vehicle was still carried out ten victories. The effect of changing a rule does not appear immediately. The opening race is just the greatest event that attracted people's interest. 
Melbourne will be held in such an atmosphere. If he is going to win against this air, there is a possibility that bushing nine years ago may be reproduced. If it is the present FIA, it does not know what is hammered out every week.