←サイトマップ  

← 2012/ 7月の独り言    2012/9月の独り言

Part14   8月の独り言


2012/08/31 (金)  残暑?・・・


北海道では、お盆が過ぎると秋の気配が漂ってくるが・・・暑い(*^_^*)

3年前の9月1日から読み始めたアイヌ叙事詩ユーカラ集・・・今日が丸三年経った日
もう三年も経ってしまったとは思えない程・・・あっと云う間に過ぎ去ってしまった。
でも、コンテンツの「アイヌ叙事詩ユーカラの里」でアップしたものを読んでみると・・・
その量に自分ながら驚いてしまう
マダマダ付け加えたいログが相当あるんです・・・アイヌ文化に関してだから当たり前(*^_^*)

日本中に散らばって暮らしているアイヌの人々に、こんなにも凄いものが埋まっていたこと。
知らせてやりたいと思っている。
------------------------------------------------------------------------------
9月からの作業予定は、「虎杖丸の曲」「蘆丸の曲」「八串肉串の戦」「くさひとかた」の4篇を
著作権に配慮してカタカナ表記していたのを、原文転記に直して・・・
ついでに雅語(ユーカラ)辞典を作っていこうと思う。

筆録原文転記で統一した方がワカルパ翁の発音に近いと思うし、古語を覚えられる。
樺太アイヌは、沙流の言葉は尊いと云っていたあたりを確認したいと思う。
後は、今まで漠然としか分らなかったアイヌの神々の曼陀羅を具現化してみたい。
宗教家があっと息を呑むようなものを顕してみたい・・・(*^_^*)
-----------------------------------------------------------------------------
今月のスパムは中国経由、4個・中国語の2個・・・一つはアメリカ経由(*^_^*)
合計6個・・・累計250個・・・残り50個の枠が余っている
300個までなんとか行き着けるかスパム・・・(*^_^*)
 

2012/08/30 (木)  平賀エテノアについて・・・


大正4年に金田一博士は・・・ホリアンナ Ete と云う女(エテアンマッ)から Oina を一篇筆録
その Oina をアイヌ名ヤイプニレ所伝として発表されている。

エテノアと云うのは渾名で・・・子供の頃、ものを食べるとき口の周りを汚くして食べた為付けられた名
少しお行儀が悪かったのかも知れません(*^_^*)

後に久保寺博士が彼女から虎杖丸の曲を筆録するんですが・・・何とワカルパ翁の倍の長さ
エテノアと云うのは大人に成ってからは、少し不名誉な名なので・・・
久保寺博士がそう呼ぶので・・・からかって倍の長さにして筆録させたのでは
ないのか? と最近思っている(*^_^*)

ユーカラの実演では、壇上に上がり酒を飲む、タバコはふかすのやりたい放題・・・
相当の強者メノコだったようです。

ワカルパ翁の虎杖丸の曲は、サンゲレキの兄さんから聞いたもの・・・そのサンゲレキの
奥さんがウテカレで金田一博士は虎杖丸の曲の終章だけ筆録されいてる。
その嫁がエテノアなので、倍の長さになるのは、どうしても不自然である。

ユーカラは、男の伝承と云う定義を外したら陥る落とし穴であること。
そこをしっかり捉えないと闇鍋状態で迷走するばかり・・・(*^_^*)
 

2012/08/29 (水)  アイヌ文化は再生出来るか?・・・


結論から云うと・・・可成り難しいと思う(*^_^*)
遙か遠い昔・・・オキクルミとポイヤウンペがイケスイしている・・・アイヌの世界

でも、それを教訓として何とかアイヌの国土を作ろうと頑張っていた本土アイヌ・・・
コシャマインは、渡り党の内紛で本土アイヌには他人事のように映っていた・・・

シャクシャイン(san kusu ainu)は、ユーカラで云うレプンクル
ムックル(口琵琶)は、チュプカ(東方)の巫女の道具・・・
ウポポもhieranto shinotでもhararaki(鳥オドリ)も皆レプンクルの風習・・・
------------------------------------------------------------------------
レプンクルのポンケマラッキは、最強でポウヤウンペと同格だが・・・
本土の胤が絶えるのを憂えて・・・逃げた。
本当に強い同士が闘うと・・・下手をすると滅亡する・・・
シャクシャインに唯一逆らったのが石狩のハウカセ・・・同格?

ハウカセにしてみれば・・・チンピラ サンクスアイヌと松前の喧嘩じゃないか!!
わしゃ知らん・・・
と思っていたら・・・とんでもないことに成ってしまった。(*^_^*)
昔からポイヤウンペに挑んで負けた石狩彦・・・

アイヌの男達の意地のぶつかり合い・・・悉く勝ったポイヤウンペ・・・孤独
うーーーん・・・世界中のスパムと闘うとポイヤウンペの戦い方が良く解る・・・
一対四十億だったら・・・大抵はゴメンナサイと逃げるしかない(*^_^*)

ポイヤウンペは、ゴメンナサイとは決して云わない・・・
その代り・・・大きくなるまで我慢して犬に集る蚤まで殺し尽す・・・徹底振り
お宝の賠償には、応じない・・・気違いのような怒りを爆発させる
-----------------------------------------------------------------------
ポンケマラッキのように蝦夷全体の平和を考える勇者が居るときはアイヌは最強だった
蜂起に参加しないとシャモより先に殺すぞ !! と脅して参加させたサンクスアイヌ
ユーカラで云うレプンクルの遣り方
ポイヤウンペの遣り方、先ず敵の様子を調べてたった一人で奇襲を掛ける・・・
挫けそうになる気持ちを奮い立たせ本土の胤としての誇りを持ち続ける。
その不屈の精神を表現しているユーカラ・・・

差別を受けた代償を求めている現在、一部のアイヌでも全体として映ってしまう
今は都会で暮らしている人が多いと思うけど・・・
沙流の人達が残してくれたユーカラ群を一度読んで・・・アイヌの誇りを
呼び覚して欲しいと願っている(*^_^*)

アイヌの神々の曼陀羅は、それは見事なもので自然が豊かな処からでしか
出来上がらない曼陀羅
 

2012/08/28 (火)  アイヌの火神(カムイフチ)・・・


アイヌにとって火神は、一番重要な神で女神・・・日の神も女神・・・狩りの神アシナウ神も女神
舟の神も女神・・・

アイヌが山入り(狩り)をして・・・kamui chikoikip (熊)を獲った場合・・・直ぐカムイノミをする
その時にイナウと酒を捧げるが・・・カムイノミは、カムイフチを通じてしか伝わらない。
それでマッチを持っていくが・・・Nitpio(カムイフチの孫)として連れて行く(*^_^*)

カムイフチは、人間の言葉を神語に翻訳して伝える偉い女神・・・
パソコンで云えば・・・CPUと云ったところの要職を担っている女神
神の世界とパソコンの世界は良く似ていて・・・こんなことを考えついたアイヌは鋭い・・・

抽象的なことを理解する人間の頭脳というのは、矢張り不思議なものです
動物・鳥などは、瞬時に動作・匂いなどから身を守る体制に移る。
何年前だったか・・・幌村で海を見ながら色々食べていたら知らない間にカラスが取り囲んでいて
ギョッとして逃げ出したことがあった・・・(*^_^*)
カラスは、人間を良く識別していて、此奴は食べ物を呉れる奴だから皆来い!!と鳴いている
でも、何十羽ものカラスに取り囲まれたら・・・映画の「鳥」を思い出す(*^_^*)

動物とか鳥と付き合うには、動作とか目の色とか体臭とか・・・敵意を消さないといけない。
お盆に埼玉の長女夫婦と共に来たワンコが熊の肉を食べた私を嫌うか?・・・が
心配だったけど・・・再会した喜びを気が狂ったように表現していた・・・(*^_^*)
 

2012/08/27 (月)  総括その三・・・


金田一博士は、ワカルパ翁をアイヌのホメロスとして高く評価されている・・・
と云うことは、ワカルパ翁のユカラのみが本物であると云うことだと思う。
ワカルパ翁も知らないケチャウ小袖の童・メヨイ小袖の童・・・カミアシ(化け物)
Wen darap yukara のモシレチクチク・コタネチクチク・・・カミアシ
クルイセイもカミアシ
辛うじて残ったユーカラ12曲だけでも訳されていれば・・・世界五大叙事詩として理解された筈
-------------------------------------------------------------------------------
カンナリキ(金成喜蔵)と知里家はShisam sani (和人の血筋)でクリスチャン
狩猟から離れている人達・・・本当のアイヌではない(*^_^*)
正しくアイヌのユーカラ曼陀羅と神々の曼陀羅を知っていると和人と同等の哲学を持っている
益して、叙事詩を持っているのは、寧ろ優越していることを知るべきで・・・

素直に沙流の本当の哲学を知るべきであったと思う・・・でも、残念なことに時間が無かった

知里幸恵のものが、祖母のモナシノウクと養母のマツさんとか他の伯母とかから
聞いたものだとすると・・・アイヌの神々の曼陀羅は、崩壊していたことを示している。

沙流の神々の三大神の曼陀羅は実に整然として美しくもあるし・・・身近に感じる神
三大神〜火神(Kamui huchi) 樹神(Shiranba kamui) 水神 (Wakka ush kamui)は、
Utara koro kamui として Topochi(家来)を沢山抱えている神
------------------------------------------------------------------------------
降った雨の保水に大きく関わっている樹・・・それによって育つ樹
樹によって育つ動物群・・・海の生物も育てる森
その再生サイクルが保全されていた海に囲まれた島国、日本列島
そこに生まれた自然の哲学・・・アイヌの文化
これは、極北を生き抜いてきた知恵・・・悠久に語り継ぐべきのもの・・・
決して享楽的に楽しむものではないことをしっかり認識して北海道の歴史を
掘り下げて今後の展開に生かすべきだと思う。
 

2012/08/26 ()  総括その二・・・


ここんとこ二日ほど次々と思いが浮かんできて・・・纏らなかった(*^_^*)
今日は休みで道立図書館へと思っていたがマラソンがあるので・・・取り止めにした。
以前、家へ帰るのが遅くなって酷い目に遇ったことがあるから・・・(*^_^*)

今まで沢山の方、アイヌ文化に関して本を出されていて、それを読んで勉強していたが・・・
どうしても断片的で良く分からなかった・・・鮮明にイメージ出来なかった。
金田一博士のユーカラ筆録ノートの大半を転記してみて・・・確信を得た。

金田一博士と私のアプローチの仕方が違っていたので気が付いたのかも知れない。
学者としてのアプローチとして・・・筆録は最良の方法であるが想像を絶する根気が要求される。
それを厭わず終始一貫して続けてこられた金田一博士は偉大な方だと感じる。

金田一博士は、言語学者だからそれがメインにあると思われる・・・
アイヌの物語を文学の発展史として・・・アプローチされたんだと思う。
そうすると各地方のものまで全部のものに行き渡る必要が出てくる。
そして、全てに渡って分析し・・・しかるのち統合という作業をしなければいけない。
そこで、
『オイナ伝は、まだ全然宗教的な気持ちを離れないのである
この気持ちから離脱して、純然たる享楽的な気持ちで聴き且つ楽しみ味わう方へ
踏み出したものが、英雄説話のユーカラの方である。』
と云う、予見(仮説)を前提に進めた・・・和人側の視点
------------------------------------------------------------------------------------
一方、ワカルパ翁の切羽詰まった事情があった・・・
昔、アイヌの都(文化コタン)には、全蝦夷の情報が集まっていた・・・
それと、集団を維持する為の倫理・掟・行事・・・などが確立していた
それをデータベースとして文字を持っていない為、保存する工夫をしていた。

それがオイナでありユーカラでありカムイユーカラであった・・・
特にユーカラは、敵の情報なだけに男の中でも特に優れた者を選んで伝授したんだと思う。
その頃、若者は日本のことばかり気にして・・・伝説には見向きもしない。
おまけに川上では、勝手に作り替えて楽しみでやっている始末

本当は、和人の耳に入れることは最も忌み畏れるところだけど・・・
残さないことには、死んでも死にきれない。・・・ええぃっままよ !!
一つの賭けに全身全霊を預けた・・・
ユーカラは、男がやるポイヤウンペのものをユーカラと云うもので・・・沙流にしかないもの
他の地域のものは・・・ハウとかハウキとか云うんだ・・・サコロペは女がやるものだ
と話しておけば・・・察しがつくだろう? ・・・アイヌ側の視点
------------------------------------------------------------------------------------
私のアプローチは、絵を描くため・・・兎に角、真実に近づこう・・・
ワカルパ翁が命を賭して嘘はつかないと断言したのだから・・・それを尊重した。
一見、諧謔的で享楽的なユーカラは、カムフラージュで・・・
アイヌの隠し言葉「燃えさしを炉縁に近づけるな !!」に近い
意味は、此奴はお喋りだから、あまり深いことは話すな !!・・・(*^_^*)

だからユーカラは、これから・・・その冒険の旅に出る浪漫物語・・・(*^_^*)
 

2012/08/23 (木)  総括その一・・・


アイヌ文化を文学と云う物差しで分類するのは、間違っている・・・
言語学と云う物差しだけで判断するのも間違っている・・・

人は、自己保存の為・・・以外と簡単に嘘を言う人間社会・・・もっと悪い場合は故意に騙したり
徒党を組んで・・・正直者を陥れる。
この場合、修羅場を経験していると・・・その人間の本性を見抜いて対処出来るが・・・
そんなもの学校で教えて呉れるものでも無く・・・

自然界では、嘘は通用しない・・・それは、死を意味する
希に擬態として優れたものもあるが・・・それは、天から授かったもの(*^_^*)
----------------------------------------------------------------------------
幌別のユーカラ(金成マツ媼のもの)について・・・

金成マツさんがローマ字で筆録されたものは、昭和3年から22年まで92篇に及ぶものだが
その36篇迄が彼女自身が母のモナシノウクから聞いて筆録されたものとされ・・・
残りは知人とか親戚とか別の人のもので・・・その前半の36篇をみると

  1
虎杖丸の曲 2 蘆丸の曲 3 ペルイカの郷の曲 4 草ひとかたの曲 5 海の妖精の曲
6
八本の肉串戦物語 7 秘めたる霊剣の曲 8 川口びとの戦物語 9 ポンケマラッキ
10 黄金・白金の魚・・ 11
金獺の曲 12 トーブトびとの助太刀物語 13 紅焔の形・白焔の形
14 カニシリびとが敷物・・ 15
悪夢の曲 16 熊男の勇剛物語 17 首づと首肴の曲
18 イヨチびと物語 19 峡中記 20 コタンラが・・・ 21 黒柏の森・白柏の森
22
投げ輪の曲 23 沖の岬の鐘を持つ女 24 小和人物語 25 神賜の頭・神賜の身
26 白蜷物語 27
ニシマク姫の物語 28 魂の泣く音が・・ 29 継ぎ目無しの耳輪の曲
30 大鯱の背に乗る物語 31 よろよろふらふら物語 32 日神殺され少女生かす物語
33
イヨチ姫 34 薄金・剥金物語 35 チワシベツ姫 36 黒山刀物語
47 小父に虐待される物語
(悪小父物語)

ワカルパ翁が残されたユーカラと同じ題名のものが@ACEGHJLNと9篇ある。
@の虎杖丸の曲の中身は別の物語のように違っている
Pの首づと首肴は、金田一博士が明治39年に平取のカネカツクから初めて
ユーカラなるものを筆録したもの。
これは、所謂沙流で云うユーカラでなく・・・厚真のイカシレプが総乙名ツレアン翁の
処に酒を飲みに来て伝えたものでHauの部類になるもの。

22・24・25・27・29・33・47は金田一博士がアイヌ叙事詩ユーカラ集に発表したもの。
 

2012/08/22 (水)  最後のコピー


金田一博士が既に発表されているワカルパ翁のもののコピーは、控えていたが・・・
辞典作りには、必須のものなので・・・26日の休みにやっておこうと思う。
八串の肉串の戦いと草人形・・・それにカムイユカラ

金田一博士が発表されているカムイユカラは、ワカルパ翁・タウクノ媼・ユキ・シコサンケ媼・ウテカレ媼・コポアヌ媼
何れも韻律のしっかりした韻文のもので・・・正真正銘のカムイユカラ
素朴でありながらテーマが浮かび上がる
オイナ・ユーカラ(男の)・メノコユーカラも韻文で言葉も専用の言葉を使っている。

特にワカルパ翁のユーカラは、金田一博士も云っておられるが、隙がない完璧さ。
沙流には、男にしか伝承出来ないユーカラが存在する・・・
そこに注目した人は、知里博士だったのかも知れない。
ユーカラは擦文文化(ヤウンクル)とオホーツク文化(メナシクル)の対立・実戦の記録と主張
でも、知里博士は、ユーカラは、男も女もやるものと云っているので・・・自己矛盾に陥った。

シャクシャンの蜂起・メナシ・クナシリの蜂起も何れもその対立の延長で起きていること。
昔の話だけではなくて・・・その勢力構図を記録しているのがユーカラの正体
各地の情報が集まっていた沙流・・・ラッチイレンカの沙流に保存された。
他の地域では、トパットミなどに依ってニシパの血筋が絶えて・・・情報も絶えた。

胆振、とりわけ幌別にユーカラが存在するというのは、錯覚の類で・・・
沙流のオッテナクラスの男達のコタンを守る情報がユーカラと呼ばれていた。
それからして胆振にユーカラは、有り得ないことになる。
 

2012/08/21 (火)  #2  コピーの枚数・・・


今まで道立図書館でコピーしたのを数えるの面倒だから重ねて押しつけて測ってみた
二つ折りで30センチ・・・開いて15センチ約1500枚といったところ・・・
1日15枚(30頁)として100日掛かる計算になるナ〜(*^_^*)

9月〜12月まで掛かってユーカラ語(雅語)辞典を作って置いて・・・
来年一年で沙流のユーカラ曼陀羅を完成させようと思う。
やればやるほど新しい発見があって・・・ユーカラに出逢えたことに幸運を感じる。
-----------------------------------------------------------------------------
ブータンは、チベット仏教国で平地が殆ど無く・・・王国で
国民は、世界一幸せだと感じている国みたいです。
確かに経済的には貧しいかも知れないが・・・笑い方を知っているようです。

冷笑ではなく・・・他人の喜びを自分の喜びととして自然に笑みがこぼれる美しい笑い
日本から来た美しい女優さんを見て・・・素直に女神を見たように美しいと云う少女
素直に照れながら喜ぶ女優さん・・・何かホッとする安らぎ

仏教の三毒・・・貪・瞋・癡(とん・じん・ち)・・・それを克服したときが人の幸せ感に繋がる
貧とは、貪りの心・・・他人を押しのけて自己の利益ばかりを計る者
瞋とは、「ねたみ、そねみ、うらみ、ひがみ」つまり嫉妬心の強い者
癡とは、自分を実力以上に思って他人を侮る気持ちが強い者(*^_^*)

それに依ってRatch irenka (穏やかなる掟)で統治しているニシパを滅ぼそうとする
敵をやっつけたポイヤウンペのお話しがユーカラなんです。
仏教で云えば、闘いの神・・・阿修羅と云ったところでしょう。

貧富の差が激しい国ほどその害毒が蔓延して・・・滅ぶことになる(*^_^*)

そういったことを修正するのに・・・熊送りをしたアイヌの知恵には、驚くばかりです。
 

2012/08/21 (火)  アイヌ文化・・・


人間社会は、数を増やして動きやすいように道路を造ったり・・・食料を確保するのに・・・
樹を切り倒して畑や田圃を作って栽培し、家畜を育てて蛋白質を確保する
一見、合理的に見えるけれど・・・バランスを崩すと自ら滅ぶ道に変身する

人は気が付いていないけど・・・樹のある森林とは自然の掟がそのまま繰り広げられている。
アイヌの生活は、すっぽりその中で生きてきた知恵。

アイヌの男達は夏の間、女達の働きで家にいてノンビリ四方山話で情報交換して・・・
春の堅雪に信じられない距離を移動して・・・猟をしたみたいだ。
自然の摂理(パコロカムイ)を良く観察してそれを利用して生きていた。

人の目には、映らないけど・・・一旦自然林などに足を踏み入れるとシランバカムイの支配下に置かれる
何故かと云うと・・・人間も動物だから(*^_^*)
日本くらい地球の鼓動を感じる国はないと思う・・・地震・台風・津波・火山噴火、天災のデパート
しかし、自然の恵み樹が育つ国・・・樹の文化
再生が可能な樹の豊かな国・・・アイヌ文化=日本の文化
農耕と狩猟の文化のバランスを保つと世界最強の文化を持つことになるのに気が付いた !!

アイヌは、土地を奪われたのでは無くて・・・狩猟を奪われて行き場を失った・・・
先日、墓参をして気が付いたが・・・美瑛〜深川〜留萌〜増毛〜雄冬〜幌村
途中タンパケと云う切り立った処があるが・・・
遙か見上げると・・・木々に沿って悠々と大きな鳥が飛んでいた・・・
まるでアバターみたいだった・・・(*^_^*)

昨日、テレビでブータンのことをやっていたが・・・オリンピックのアーチェリーの倍以上の距離
的の小ささを見て・・・オリンピックの儚さで打ちのめされた。(-_-;)
アイヌの弓矢もそう云うものであったのでしょう

それを描写しているオイナ・・・ブータンに一度行ってみたい !!
 

2012/08/20 (月)  今日は休み・・・


今日は雨降り・・・元町図書館は休みでなくても直ぐ行けるので・・・
今日は、ゆっくり休もう・・・(*^_^*)
今までやってきたユーカラノートの整理をしてユーカラ辞典の準備でもしておこう・・・

どうしても解らなかった・・・金成マツさんのものをユーカラとした訳・・・ようやく解った
金田一博士のユーカラ定義が・・・

『オイナ伝は、まだ全然宗教的な気持ちを離れないのである
この気持ちから離脱して、純然たる享楽的な気持ちで聴き且つ楽しみ味わう方へ
踏み出したものが、英雄説話のユーカラの方である。』
-------------------------------------------------------------------------
これならユーカラ集に金成マツさんのものが入っても不思議でない。
しかし、ワカルパ翁が折角、教えてくれた
沙流のユーカラ定義が崩れてしまう。

一旦、学者が断言したものは、撤回できないでしょうが・・・
これは、その後のアイヌ文化の迷走に繋がってしまったと云うことなのでしょう。

ワカルパ/フォルクローレで私の説の正しかったこと確認出来たし・・・
沙流のユーカラ定義も全くその通りであるのに・・・何故?
金田一博士の詰めが甘かっただけなのか?・・・な?(*^_^*)
------------------------------------------------------------------------
ここへ来て・・・とんでもないドンデン返しになってしまった・・・

ツレアン翁が土産にと持たせて呉れたハイのパスイのこと・・・
ウトムリウク翁がカムイノミをして譲ってくれたワカルパの守り神(狐の頭骨)
チャント保存されているか?・・・解らなくなってきたナ〜(*^_^*)
 

2012/08/19 ()  比較・・・


沙流以外の地域では、ユーカラの定義が曖昧であるのは何故だろう?
金田一京助筆録ユーカラノートの大半に目を通したので・・・比較が出来る

そこで総括として・・・知里真志保著作集をもう一度、隅々まで読んでみようと思う。
明日は休み・・・只、道立図書館は休みなので・・・元町図書館で借りようかな(*^_^*)
アイヌ叙事詩ユーカラ集は、中央図書館にしかないが・・・ネ
元町図書館は5分で行けるから便利なんです。

道立図書館と中央図書館は、車で片道30分掛かるので・・・チト遠い(*^_^*)
------------------------------------------------------------------------
相関表から何が解るか?・・・と云うと嘘が見えてきます
嘘とは言い切れなくても・・・間違いが見えてきます(*^_^*)

アイヌの真実・・・それがワカルパ翁のユーカラとフォルクローレ・・・アイヌ文化史
金田一博士の誤謬は文学論で分類しようとした点にあるように思う。
ワカルパ翁は、数ヶ月で全てを表現出来たアイヌの天才であると思う・・・
残して呉れた11曲のユーカラ・・・アイヌに限らず日本の宝の一つだと思う

アイヌ問題とか文学とかを遙かに超えた・・・人間の生き方を描いているユーカラ
ぎりぎりの真剣勝負の生存競争の哲学・・・Keomante(熊祭り)

熊祭りを Keomante と云うのを Iomante と云っていた今までの常識・・・
オキクルミも拝むと言うコタンコロ カムイ(梟)を殺してしまう・・・
知里幸恵の神謡集(本当のカムイユカラでは無い)・・・の発刊
そこから・・・パンドラの箱の蓋を開けたように思われる
-----------------------------------------------------------------------
出来得るならそこいら辺、修復してみようと思っている
可成り難しい問題だとは思っているが・・・(*^_^*)
 

2012/08/18 (土)  相関表・・・


相関表を作るに当たり・・・色々調べてみると・・・
金田一博士の周辺には膨大な人達が関係していることが解る・・・
大正元年の上野拓殖博覧会に居たコポアヌ媼の写真があったり・・・
鍋沢ユキのことが小樽商大の調査記録から解ったり・・・
その調査記録がワカルパ/フォルクローレから比較すると全くの誤謬であったり・・・

啄木と父親が亡くなって・・・樺太のラマンテ(クサエ)から筆録したハウキにも歯が立たなくて
いっそアイヌ語を捨てようか?・・・それを救った博覧会
大正二年から大正十四年まで偉星北斗まで・・・アイヌの叫びが聞こえるよう・・・
負けたくないと云う・・・叫び
-----------------------------------------------------------------------------
相関表は表組みを使うのでどうしてもファイルサイズが大きくなってしまう。
200KBになるのでナローバンドの方にはチト重たい。
でも、知りたいと云う方なら・・・見る価値が充分にあると思うので
アップしよう(*^_^*)

偉星北斗は、歌人だけにものを見抜く鋭さがあったみたいで・・・
又、余市びとなだけに沙流に行ったことも窺える・・・
色々なことが浮かび上がってくる相関表

この三年間に得たことの総括をするには、とても役に立つものです・・・
----------------------------------------------------------------------------
今まで罷り通っていたアイヌに関しての間違った情報が・・・見えてくる(*^_^*)
 

2012/08/17 (金)  宝刀「反魂丸」の曲・・・


一般的に知られていない「虎杖丸の曲」の最初の題が「反魂丸」です・・・
これは、國學院には無いものと推定出来ます。(*^_^*)

金田一博士が公に発表された時は、昭和4年に「虎杖丸の曲」として刊行されている。
実は、大正2年にワカルパ翁から筆録した翌年大正3年12月に道庁の嘱託として
踏査の費用を出してくれた見返りに提出しているものです。

それで大正四年に樺太と紫雲古津・新平賀で思い切り調査が出来たんです。
このときの踏査で樺太アイヌと沙流アイヌの関係をすっかり理解されたんだと思う。
ワカルパ翁のユーカラは、本当の古語を使っていて濁音が殆どないこと。
樺太のハウキも濁音がないこと・・・樺太アイヌは、沙流の言葉は尊いと云っていること。
-----------------------------------------------------------------------
現在、金田一博士との関係者の相関表を作っています。
何故?ワカルパ翁のユーカラ定義と違った方向にユーカラの解釈が進んでいったか?
そこをしっかり捉えておきたい・・・(*^_^*)
 

2012/08/16 (木)  さぁーーー・・・本格翻訳


来年から今まで転記したもの137篇の本格翻訳作業の前に・・・全資料から
ユーカラ語辞典を4ヶ月掛けて作っておこうと思っている・・・
これが無ければユーカラもメノコユーカラも上手く訳せないと思うので・・・

何百年も語り継がれて磨かれて残っているユーカラの本当の輝きを放ってみたい・・・
ユーカラの本当の姿を理解している人・・・現在では皆無だと思う(*^_^*)
金田一博士だけが仄かに灯るアイヌの真実を観たのかも知れません。

闘いの修羅場を体験した人にしか見えない世界・・・
誤魔化しの無い真剣の世界に遭遇すると・・・鍛えてないと負ける=死
 

2012/08/15 (水)  恒例の墓参・・・


いつもの通り朝4時に出発・・・美瑛で墓参の後、姉の処に寄って・・・
義姉の実家に寄って野菜と朝もぎのトウキビ(スィートコーン)80本くらい貰って・・・
浜益へ・・・午後2時前に幌村に着いて
日頃お世話に成っているタマクマさんの処では来客多く・・・
トウキビ25本ほど届けて・・・浜益村の西塔さんに10本
熊の肉を呉れた渡辺さんの奥さんの処に15本ほど届けて・・・
残りを義弟家族との分30本ほど茹でて・・・みんなで墓参りして・・・
イザ、バーベキュー・・・(*^_^*)

トウキビのお礼にと・・・茹でウニを持ってきて呉れたタマクマさんの母さん
義弟が用意していて呉れた・・・焼きウニ・・・
美瑛で貰ってきた新種のピーマンの美味しいこと・・・ジンギスカンも旨い
それに朝もぎのスイットコーンの甘いこと・・・

6時間に及ぶ運転の疲れも吹き飛んでしまった〜(^_^)v
美味しいものと云うのは・・・旬のものを云う
 

2012/08/14 (火)  アイヌ文学論・・・


----- 一般的なユカラについての認識としての論が或る新しい本に載っていた -----

金田一京助は我が国で初めてアイフ文学を体系化し、その頂点に立つ英雄詩曲の
ユカラを世界五大叙事詩の一つに加え、世界中にユカラの壮大な絵巻物語(神謡)を伝えた。
その意味で、アイヌ文学は金田一京助によって確立され、アイヌの自然宗教から分離され
独立されるものとして体系化されつつある。しかし、故金成マツが昭和3年から22年迄に
ローマ字で綴ったユカラは92話に達し、現在、萱野茂によって年一冊ずつ訳され
平成12年度で22話となっている。金田一京助が研究の対象にしたのは10話前後であり
とりわけ、「虎杖丸の曲」「蘆丸の曲」等を中心にしたものにすぎない。
------------------------------------------------------------------------
「アイヌの自然宗教から分離され独立されるものとして体系化されつつある」
ここに誤謬があると思う・・・自然宗教そのものを表現しているユカラ曼陀羅

iramante=マタギ=狩猟(狩り)によって成り立っているアイヌの男の世界
それによって得たお宝を奪いに来るアイヌとも闘わねばならない・・・
とりわけ沙流に於いてはユカラは、その敵に関する男の軍事機密情報
女子が楽しみでやるものではないので・・・禁止していた。
そしてユカラクルは、創作があるかないか?・・・を厳しくチェックして
ユカラクル同士は、それを弁えていた。
創作の多い人をワカルパ翁から聞いていた金田一博士

ユカラとオイナは、同格でオキクルミ(アイヌラックル)のユカラをオイナと呼ぶ
神々のこともオキクルミが教えたそのままを実行していた沙流の男達
それがカムイユカラ・カムイイソイタクなど・・・
カムイとは、食物連鎖の上位に位置するもの・・・即ち狩りをするもの
狩りをするから動物を育てる樹の親分をシランバカムイと云って拝む
それと狩りの神さまアシナウカムイも一緒に拝む
神の名とか間違ったら寧ろ悪い結果になるので・・・女子には禁止した。
-----------------------------------------------------------------------
金田一博士の随筆だったと思われるが・・・金成マツさんの「朱の輪姫」に
触れておられるが・・・金田一博士に渡したものと知里博士に渡したものは
別の物語か?・・・と錯覚するくらい違っていたと仰っている。
これはどういうことかと云うと・・・全くの創作で口承ではないと云うこと。
そこまで解っていて何故?・・・と云う気持ちを拭いきれない。
有名な近文の一宿一飯の恩が後々までアイヌ文化再生の方向性を狂わせてしまった(*^_^*)
兎に角、残すのに精一杯で整理まで仕切れきれなかったのでしょう。

後を継いで整理する弟子に恵まれなかったのが・・・本当のところでしょう(*^_^*)
 

2012/08/13 (月)  転記の枚数・・・


転記したのを大正二年から大正十四年まで数えてみた・・・
1200枚くらいかな?・・・と思っていたら何と1709枚 3400頁分在った(*^_^*)

原文10枚20頁読んでも170日掛かってしまう計算になるな〜・・・約6ヶ月掛かる
Shisam uwepekere と樺太のハウキを除いてだからネ〜・・・(*^_^*)
-----------------------------------------------------------------------
今まで埋もれていた沙流のユーカラ(伝承)群・・・
それらが曼陀羅を形成して・・・アイヌの世界を表現している・・・
1700枚の48%を占める男のユーカラ・・・
それに使われている言葉と形式が全く同じの Hau である点を見逃しては
アイヌ文化を語れないと思われる。
オイナとカムイユーカラも同じ雅語を使って形式も韻文・・・

一番特徴的なのは、男が受け継ぐものはそのまま受け継ぐという点
途中で終っていても・・・それがユーカラであるという点
女子がやった場合・・・それが崩れてしまうと云う点が
Hure epeshep
確認出来たのは大きな収穫であった・・・ワカルパ/フォルクローレにより・・・
沙流川筋でも男のユーカラを知っていたのは極一部の人達だったこと
女子には禁止してユーカラ・・・

だから他地域に於いては・・・ユーカラは存在していなかった点
ユーカラは、アイヌ口承の総称と云われてきたのは間違いであった・・・と
云うことを確認出来た・・・ワカルパ/フォルクローレ
アイヌの人達はそのことを知るべきだと思う(*^_^*)
----------------------------------------------------------------------
知里幸恵の神謡集のものが祖母のモナシノウク媼か養母のイメカヌ(マツ)さんの
ものだとすると・・・沙流の原典を変造した散文であることも解る。

コタンコロカムイ(梟)・ヌサコロカムイの扱いは沙流とは懸け離れている。
神の扱いは、沙流では男のみと決められていた・・・
カムイノミ(礼拝)は女にも犬にも聞かせないものであった(*^_^*)
 

「2012/08/12 ()  ようやく一段落・・・


湧別 イクレシュイ ニシパの三つの物語 合計45枚90頁の転記終ったぁ〜!!
早速、アップしておこう・・・
ユーカラってどんなもの?・・・から始まって丸三年毎日6時間やって・・・
此処まで漕ぎ着けるとは思っても居なかった(*^_^*)

大部分が本邦初公開・・・蓋を開けてみたら何とお宝ばかりと云う豪華さ !!
これは和人が知らなかった世界・・・大部分のアイヌも・・・(*^_^*)

来月からユーカラ辞典の編纂に入る前に、今月中に今までのことを振り返って
総括しておこうと思っている。
------------------------------------------------------------------
13・14日と連休取れたので・・・14日に美瑛に墓参りが出来る
そのまま幌村に行って・・・みんなでバーベーキューが出来る(^_^)v
海に入って泳ぎたい・・・浸かるだけでもイイ・・・(*^_^*)
潮風に吹かれて・・・只、海を観ていると全て忘れるコトできる・・・
 

2012/08/11 (土)  あと一日・・・


湧別のイクレシュイ ニシパの物語を沙流で記録しているのは、ユーカラと同じ原理

樺太のオチョポッカの日記を読むと・・・その頃の樺太アイヌの男達は、強かったと思う。
女達も強かったと思う・・・(*^_^*)

強いと言うのは・・・善を生むと思う
弱いと云うのは・・・余り良いことに成らないような気がする・・・悪とまでは云えない。
悪を生みやすいというような・・・
-----------------------------------------------------------------------
又、考えてみたら・・・明治40年から大正14年まての金田一博士の軌跡を辿って
大部分を転記して・・・ユーカラについては大分理解できたが・・・
原文を全部読んだら何日掛かるのか?・・・
全部で何枚・何頁あるのか数えてみようかな・・・(*^_^*)
 

2012/08/10 (金)  あと二日・・・


あと二日で何とか転記を一旦休んで振り返ってみようと思う・・・(*^_^*)

古典のユーカラ・オイナ・カムイユーカラ・・・
その周辺のカムイウゥエペケレ・カムイイソイタク・オキクルミウパシクマ・・・

各地のハウ・サコロペ・ハウキ・・・アイヌウゥエペケレ・シサムウゥエペケレ・・・
全部、揃っている金田一京介筆録ユーカラノート・・・
--------------------------------------------------------------------
考えてみたら・・・樺太アイヌのハウキは、ラマンテのものだけ博士は発表されている。
今日では、インターネットという国境なしの通信手段がある・・・(*^_^*)
山辺安之助が単独で樺太に渡ったくらいだから・・・樺太にはアイヌが居ると思う。
その人達にそっと原文でハウキを伝えようと云うこと・・・閃いた(*^_^*)

もし、いらっしゃったら・・・必ず反応する筈・・・
日本のアイヌは・・・なかなか反応する人居ないですネ〜(*^_^*)
 

2012/08/09 (木)  平村コタンピラ・・・


大正二年のワカルパ/フォルクローレで平取のエカシキリを博士は聞いている
ワカルパ翁は恐らく・・・本当のユーカラでは無いことを話したと思われる。
金成マツさんが11年間平取に居た間に近しくしていた一人だと思われる・・・

知里幸恵が大正11年に上京して・・・それに合わせるようにコタンピラが来て
蘆丸の曲を演じた・・・博士は、蘆丸の曲は・・・途中で終っていたことを知っていた。
創作は、博士の研究対象では無かったので・・・筆録はしなかった。
ところが・・・知里幸恵がすっかり分りましたと文章にする・・・(*^_^*)

驚いたことに・・・大正14年にコポアヌ媼がワカルパ翁と同じエカシキリを伝えている
12年経っても同じ情報というのは・・・真実なのだろう
金田一博士の徹底振りには、驚くが・・・大正12年にコタンピラを訪れている。
そこでオキクルミの出自について聞いているが・・・まともな回答は得られていない。

金田一博士は、伝承と創作ははっきり区別されていた・・・
しかし、本当の伝承を聞いたのは博士お一人であった・・・
無勢に多勢・・・弟子は勝手な判断をする・・・
----------------------------------------------------------------------
お盆前に転記を終らせて・・・今まで3年間の印象を書いておこうと思う

ワカルパ翁没後百年となる今年にその全容を明らかに出来たのは
私の一生の宝になるような気がしている・・・
ワカルパ翁の血筋にあたる方にお会いしてユーカラ11曲を届けたいけど・・・
その願いが叶うと良いのだ゜けれどネ(*^_^*)
 

2012/08/08 (水)  Ikureshui nishpa・・・


湧別のイクレシュイ ニシパに関しての物語が3篇あるが・・・
2篇は、大正十一年に東京で鍋沢naka とサハト?から・・・
後1篇は、昭和四年頃?のもの・・・伝承者分らない(*^_^*)

ユーカラの絵を描く為
2010/06/09から自分で分るように現代語風にワカルパ翁の4曲直して・・・
2010/08/03に完了して・・・
他の本からワカルパ翁のもの全部で10曲あること知って・・・
今では訳せる人居ないと知って・・・でも読んでみたい

金成マツさんのノートは、極一部の人(萱野茂氏など)しか扱えないと云うし・・・(*^_^*)
益して金田一博士のノートとなるとまぁ無理かな?
でも諦め切れない・・・無駄骨に終っても良いから辞典を作ろう !!
金田一博士は、後の人の為に虎杖丸の曲では注釈を全体の1/3を使って残されている
それを 2010/08/06〜09/10 で纏めてから或る方にメールした
しかし、なしのつぶて・・・(-_-;)

2ヶ月経ってからインターネットの検索でやってみると道立図書館に
マイクロフィルムの存在を知る・・・ええぇぇぇ〜(@_@)
そしてついに 2010/11/03 コピーに成功した
1年と10ヶ月掛かって何とか金田一博士の筆録ユーカラノートの全容を
浅くさっと見渡すこと出来た・・・(*^_^*)
口承を筆録すると云うのは・・・これまた気の遠くなるような忍耐と
天才でなければ出来ない仕事だと思う。

熊祭りは何故?やるか?・・・本当の理由が解ったり・・・
今まで云われてきたことが・・・戯言のように聞こえたり・・・(*^_^*)
それは、凄いもので在ったと云うのが印象的

日本の八百万の神と云うのは、寧ろアイヌの神々を模倣したのかも知れないほど
神々の序列の曼陀羅を形成している・・・
この貴重な文化は、国家レベルで研究すべきものと感じる。
その資料を一生掛けて残された金田一京助博士・・・
北海道では2007年にようやく整理された
金田一ユーカラノート
その豊かさを先ず北海道の人達に知って貰う為に転記に勤しんできた。

私が知った範囲ではこの世に残った真のユーカラは、16曲である。
後コピーしたいのは、「八串の肉串の戦い」と「草人形・くさひとかた」である。
それでワカルパ翁の残されたものが全部揃うことになる。
それをモトにユーカラ辞典を9月〜12月に纏めようと思っている。

そして、16曲のユーカラだけでも完成度の高い翻訳にしようと思う(*^_^*)
 

2012/08/07 (火)  今日は休み(^_^)v


今日は、コポアヌ媼のカムイユカラとカムイウゥエペケレ等を4篇アップしておこう

Shisam(和人)uwepekere などを飛ばして・・・転記しているが・・・
いずれ転記しようと思っている・・・(*^_^*)
沙流のお話しは、全道に跨っていて・・・留萌・マシケ・湧別・・・なども出てくる
これが本当のアイヌ(の世界なんだと思う・・・
--------------------------------------------------------------------
今月いっぱいでコポアヌ媼のものの転記を終える目途がついた・・・
取り敢えず・・・古典ものを纏めることが出来た・・・所謂、ユーカラ曼陀羅(*^_^*)

近年ものの
Uwepekere もアイヌのお話しとして貴重なものだと思うので
別枠で纏めようと思う・・・
現在、表に出ているものだけで129篇に成っている・・・
ここまで来ると・・・沙流のユカラ定義が全く正しいことが解る
ユカラ=伝承〜一語一句変えてはいけないもの・・・
これには、相当の能力が要求されるのと出自が問題になってくる。
ワカルパ翁のユカラは、その出自がはっきりしている・・・
ここを見落とすと・・・今までのようなユカラ談義になってしまう。(*^_^*)

農耕民族の視点では、狩猟民族の価値観は、相当難しいことだと分る
しかし、狩猟民族からすると案外容易く価値観が分るのだと思う
 

2012/08/06 (月)  ブラウザ Opera ・・・


Opera でPDFが開けなくなって、色々調べてDllなどもコピーしてみたけど・・・:結局、駄目
マイクロソフト系のLunascape6 とか KIKI などをインストールしたが・・・
ワカルパ翁のエカシキリ(系図)などがグチャグチャになってしまう(*^_^*)

昨日、Opera のバージョンアップの案内があったのでインストール・・・
何と、すんなりPDF が表示された・・・(^_^)v
Opera の開発担当者・・・エライ !!

沙流のエカシキリを作るのにどれだけ苦労したか!!・・・それを綺麗に表示するOpera
これから主流のブラウザに成るんだと思う・・・
マイクロソフト系のブラウザには、何か欠陥があるんだと思う・・・(*^_^*)
Mozilla はLinux にも対応していたが・・・Opera もLinux に対応している。

Mac OSXからは、早くからファイルシステムEXEに移行している・・・
Windows は、NTFS なのに・・・Win2000・WinX を捨てた?
Linux は、その時代に在ったPCに合わせたバージョンが残っている。

確かにコンピュータと無縁だった一般市民の私にもホームページを作らせて呉れた
Windows それは、ファイルシステムFAT32 ・・・
セキュリティが甘いからNTFSにと・・・Win2000 をクリーンインストールしたのが
何だったのか?・・・でも、未だにWin2000 で何にも不便を感じていない私・・・
----------------------------------------------------------------------
パソコンで・・・インターネットで何が出来るんだ !! に拘ってやってきて・・・
一番困ったことは、OSのバージョンアップ
その度にアプリケーションのバージョンアップにお金が掛かってしまうし
基本的な機能を覚える暇もなくなる苛立ち・・・(*^_^*)

ホームページを作っていて・・・インターネットサーバは Unix 系のOSで
動いていること・・・つまりファイルシステムが違うと云うことを知らないと
結構、難しいものです。
それとメールサーバのことも知らないとスパムには勝てない(*^_^*)
Linux で実際にWeb サーバ Apache を動かしたから出来たこと。
恐らく・・・個人としては世界で初めてのことだと思っている・・・

1999年4月13日にプロバイダから貰ったメールアドレス・・・
それをそのまま公開し続けたことに依って達成出来たパラドックス

石川啄木に金田一博士が「アイヌ語などやって何の役に立つのか?」と
云われて・・・ユーカラは、詩かもしれないと感じた為に続けた研究
目先の利益に囚われない高次のものって在ると思う。(*^_^*)
 

2012/08/05 ()  Poiyaumpe・・・#2


転記したのでアップしておこう・・・これは、立派な
Yukara であった(^_^)v
独特の諧謔が満遍なく溢れている・・・
それと Aoron カムイユカラの原文もアップしておこう・・・

金田一博士のカムイユカラは、訳文だけのものも在り・・・矢張り原文の妙も
味わって頂きたいと思っている。
 

2012/08/04 (土)  Poiyaumpe・・・ポイヤウンペ


短篇30頁程度の
Poiyaumpe と云うのが出てきた・・・
最後まで転記してみないと何とも云えないが・・・何か面白そう・・・(*^_^*)

短篇だけれど・・・Yukara のような感じの構成になっている
転記も100を超えると・・・韻文と散文の違いがはっきりと分ってくる・・・
散文は、矢張り説明的に言葉が多くなっている

ユーカラ・オイナ・カムイユーカラは、そのテーマに向ってリズミカルに展開する
それは伝承する為に推敲された言葉と構造をもっている
それと、もう既に意味が分らなくなっている言葉も含まれている(*^_^*)

その点で、ワカルパ翁のユーカラは、蝦夷の浪漫が溢れて魅力的ですネ
 

2012/08/03 (金)  ユキのもの・・・


鍋沢ユキのカムイユカラを転記して・・・ユキのものは、完了した・・・(^_^)v
アップしておこう・・・

Yupet(湧別)の
Ikureshui と云うニシパの話がUwepekere で残っているが・・・
最後に回して・・・コポアヌ媼を攻めてみようか・・・(*^_^*)

幌別のShisam sani のキリスト教信者のものが何故?・・・アイヌ文化と成ったのか?
論理的に破綻しているのに・・・何故?
コポアヌ媼は、生粋のアイヌカッケマッ・・・ぶれない強さを持っている
鍋沢ユキも然り・・・強さを持っている

沙流の男達の純粋でそれでいて・・・強い心・・・
それがユーカラに現れている・・・矢張り農耕民族の思考では分りづらいのかも知れない。
狩りをして・・・腹を割いて血を飲むのが最高のご馳走・・・
あらゆる栄養素が含まれる血液・・・理に適っている(*^_^*)

ramante(狩り)=マタギをする人にだけ許されたものかと云うと・・・そうではなくて
熊送りに依って・・・村の弱者にもその恩恵を平等に分け与えた制度は凄いと思う
肉はひとまず平等に分けられるらしい・・・貰った人は、好きな人にプレゼントしたらしい
みんなから好かれた人は、抱えきれない程の肉を貰うらしい・・・

そのコタンの問題点をつぶさに観ることが出来る・・・熊祭り
政(まつりごと)の生け贄が熊(kimun kamui)なんですネ
 

2012/08/02 (木)  さぁーー・・・転記が終るか八月? (*^_^*)


横道に逸れそうな魅力的な問題が浮かび上がりつつ・・・真っ直ぐに行けるか?(*^_^*)
ここは一つ・・・転記に没頭しようと思う

鍋沢ユキのものを全部転記した後、コポアヌも転記できたら・・・ホッとする
それが終ったら・・・鍋沢ユキの昭和3年のものをじっくり研究してみたい・・・(*^_^*)

ユキは、父のワカルパを本当に好きだったようで・・・誇りに思っていた
だからアイヌとしての勉強も怠らなかった・・・
ユーカラ語(雅語)をしっかり説明しているのがあるが・・・
namneと云うユカラ語・・・日常語のtashi に近いと説明している・・・
これは、私にとってお宝級の解説・・・(^_^)v
よく
inampe namne って出てくるのをどう訳したら良いのか?
その場面を受けて・・・色々変化するもののように思う・・・(*^_^*)
------------------------------------------------------------
今日は先月、転記した
「リクンベツのカネラン」
コポアヌ媼のKamui uwepekere ユキの Kamui yukara をアップしておこう

コポアヌ媼が最後の東京見物だと云って上京して話した時・・・
「リクンベツのカネラン」の筆録の前後に Chiripa と Monashnouku についての
メモ書きがあって・・・沙流では幌別のことも知っていたことが窺える(*^_^*)
又、アイヌは陰口を極度に嫌うから・・・話さなかったと思えるが
コポアヌ最後の置き土産に話したんだろうと思う(*^_^*)

これをモトに知里家と金成家の家系図(イキリ)が書けると思う。
今まで謎だった部分がようやく見えてきたようにも思える(*^_^*)

金田一博士が知里幸恵から色々話を聞いている中にオヤッ?と思われたに違いない・・・
それを昭和2年に金成マツさんの虎杖丸の曲の筆録で確認した・・・
ただその時は、アイヌの文学論としての方向で纏めておられたので・・・
ユーカラ群の一つと捉えられていたと思う
当然、色々な矛盾が沸き起こってくる・・・最初の私のように・・・(*^_^*)

文学論ではどうしても全体をみてしまうので・・・本質に迫れないように思う。
そして創作まで包含してしまう・・・あくまでも伝承に拘る姿勢を
崩してはいけないのが・・・アイヌのユーカラ曼陀羅(哲学)であると思う。

ポンケマラッキの云った言葉には、どんな時代にも当て嵌まる普遍性をもつ
為政者が忘れてはならない尊い意味を含んでいる。
 

2012/08/01 (水)  今日は休み・・・(^_^)v


何かしら・・・すっきりした気持ちの八月です
スパムとは、お別れ出来たし・・・混沌としたアイヌの真実に迫りつつあるし・・・(*^_^*)

金田一博士のユーカラノートを整理してみると・・・と云う私見を挟まないものを
表現してみたい・・・どんでん返り(*^_^*)

金田一博士がユーカラと云うものに取り憑かれて・・・とことん行った軌跡
コポアヌ媼が最後を飾ったのかと思ったら・・・ユキがその後、留めを刺していた(*^_^*)
------------------------------------------------------------------------
本当のアイヌの天才少女は、ユキだと思う・・・
知里幸恵は、金田一博士に・・・
オイナとかユカラを分かり易くしたのがカムイユカラだと云っている・・・

金田一博士は、明治39年にカネカツクから「首づと・首肴」を筆録したとき・・・
アイヌ全体に残っているユーカラをイメージされていたと思われる。
明治40年に樺太のユーカラ(ハウキ)の筆録に成功する。
しかし、バチェラー博士の辞典では、歯が立たなかった・・・
日常語(yayan itak)とは反対の意味になる場合がある雅語・・・

丸5年後、上野拓殖博覧会で樺太アイヌと沙流のカッケマッ(コポアヌ)に巡り会えて
道が開けていく・・・ワカルパの存在を知る
翌年、東大学長の私費による援助でワカルパ翁を自宅に迎えること出来た。

そこで聞いたことは、アイヌの秘密だった・・・決して和人が聞けなかったこと
それを包み隠さず・・・全部教えてくれたワカルパ
所謂、沙流のユーカラ定義・・・男の伝承するポイヤウンペのものをユカラと云う・・・
アイヌのイメージが一変したと思われる・・・
しかし、親戚に重い病人が出て・・・祈祷に帰ってきて欲しいと手紙が来る
題名だけは聞いていた三つのユーカラを筆録できないまま・・・ワカルパ帰る
ワカルパは、心残りではあったが・・・アイヌの秘密を明かした以上・・・
二度と博士には会えないこと察して・・・上野で写真を残して帰った。
そして、帰ってその12月に本当に死んでしまった。
----------------------------------------------------------------------
慌てたのは、金田一博士・・・翌大正3年春にコポアヌと息子タイノアシ上京
コポアヌは、それなりに・・・
博士はワカルパの話していたShisam uwepekere をタイノアシから聞いた。
そして、翌大正4年に沙流の女性陣からの聞き取りを徹底的にやった。

そして、ワカルパから聞いていたツレアン翁・サンゲレキ翁に会えた。
そしと兄さんのウトムリウク翁にも・・・皆、乙名
金田一博士は、ワカルハから聞いていたRankarap(挨拶)をしっかり出来たので
長老達も心を許し・・・女性陣も協力したんだと思う
---------------------------------------------------------------------
Irankarapte を今では「こんにちは」と説明されているけど・・・全然違う(*^_^*)
Irankarapte yairushkare と続くのが本来の挨拶・・・
その相手を立てる謙虚さがアイヌの心髄である点
私も社交術には疎いものだから(*^_^*)・・・これを武器にしようと思う・・・(*^_^*)