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Part14   2月の独り言


2012/02/29 (水)  Samchip upsh chipako ashkuru(覆舟変化物語)


最後のほうの1頁分待っても来ないので・・・取り敢えず原文で楽しんで頂くためアップした
原文で読める方いらっしゃると良いのですが・・・(*^_^*)

3月からワカルパ/フォルクローレの整理・編集に入りたいと思っている・・・
ユキが小母さんから聴いて金田一博士に伝えた
Pishkato a pishkaをアップ出来たので
本当のカムイユカラを紹介出来た喜びは、計り知れないです。

知里幸恵の
Shirokanipe ranran pishkanと鍋沢ユキのPishka toa pishkaを読み比べて見てネ
彼女たちは、同じ歳なんです・・・只、環境が違った・・・(*^_^*)
周りがどうであれ・・・民族の習慣とか神の畏敬をしっかり信じて生きていた少女
時代の流れに翻弄された少女の苦悩・・・自決権の喪失・・・

矢張り、いくら貧乏でも両親と共に居たことが子供にとって如何に大事なことか・・・
食べるために奮闘する・・・泣き笑い
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今年は、春から秋にかけて・・・浜益で思いっきり遊べそうだ・・・
矢張り、蓼藍が栽培に適しているか?・・・徹底調査もしておかなくてはならし・・・
シヌタプカの絵も描かなければならないし・・・何か楽しいナ〜(^O^)
 

2012/02/28 (火)  スパムが大漁・・・(^_^)v


今月はスパムが大漁・・・(~o~)
中国12個 韓国1個 日本2個・・・合計15個・・・累計198個 後2個で200個達成出来る。
300個達成には何年掛かるのだろう?・・・(*^_^*)

丁度、今の狩りゲームのシステムが完成した2009年に取り組んだユーカラ・・・
2年半で200個・・・金田一博士の筆録ノートの全容が見えたときがスパムとお別れかナ?(*^_^*)

300個の枠溢れたら・・・最後の手段 金の矢を飛ばすだけなので気が楽
国のIT関連技術力を調べるには、凄く解りやすいスパム問題
Googleが中国から撤退したことが納得出来る問題に結びつく・・・(*^_^*)
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インターネットは丁度、渡り鳥のように国境が無い・・・
両刃の剣のように使い方で怪我をする・・・スパムを許してはいけないと思う
インターネットの健在化と云う点ではFacebookは、画期的だと思う。
本当の意味でインターネットルネッサンスと讃えたい・・・
 

2012/02/27 (月)  Pishkato a pishka・・・#2


Pishkato a pishkaは、私がやっと出逢えたカムイユカラのお宝・・・
一応和訳完成したのでアップしておいた・・・只、Wariunekuruと云う言葉が初めてで解らない
大正4年のタウクノ媼のカムイオイナに出てくるらしいこと解った

今度の休みに道立図書館でコピーしてこようかナ(*^_^*)
yayanitak(日常語)には出てこない言葉なので・・・雅語って本当に難しい。
日常語からアイヌ語を覚えた場合は、特に難しいと思う。
reraruturu=女性の胸の時のように勘で訳しておいた(*^_^*)
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これらは、ワカルパ/フォルクローレと密接な関係にあるものだから
代表的なものを揃えておく必要がある・・・
来月からコツコツと進めていこうかフォルクローレの整理・・・(*^_^*)
 

2012/02/26 ()  叙事詩・・・


自然の状態では、食物連鎖の上位を占める狩りをする動物はテリトリーを持っている。
そして、集団で種を残すに為に社会性を持った生物には規律がある・・・役割と言い換えてもイイ

人生たかが50年と云われて・・・世代が変わった時期がつい何十年前と認識している人少ないのでは?
矢張り、人の親に成ったら・・・親に教えて貰ったこと・・・先の先祖のこと・・・知らせたい
でも、戦争などあると・・・全部吹き飛んでしまう現実

矢張り侵略などあって、家族とか居れば・・・むざむざ殺されたくないから戦う若者・・・
人間の文明は、悉く消滅してきた・・・自然の摂理が勝っていたから・・・

日本列島ほど神々に恵まれた国土は無いと思わないと罰が当たる
蒙古襲来も防げたし・・・発想の転換が必要な時期に来ていると思う。

アイヌには、pakoro kamuiと云う年を司る神が舟に乗って巡回する思想があって・・・季節神かも知れない(*^_^*)
一人の神では無くて・・・一杯topochi(家来)を連れての巡回らしい・・・
その中には、風邪の神とかも混じっているから・・・人が死ぬらしい・・・
それを伝えているのが・・・鍋沢ユキなんです。(*^_^*)
特別にその話では無い・・・アイヌラックルの着物が焦げている訳のお話しに
博士がメモ書きにしている程度・・・でも貴重な情報
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世界五大叙事詩の一つがある北海道・・・知らなかったのは迂闊でしたネ〜(*^_^*)
 

2012/02/25 (土)  paimoka pachepoipe(首苞・首肴の曲)


金田一博士が明治39年に初めて北海道に来て・・・アイヌ語のユーカラなるものに触れたのが・・・
paimoka pachepoipe(首苞・首肴の曲)
これは、平取のカネカツクから筆録して・・・ひょっとしたら詩ではないか?と閃いたもの

ワカルパ/フォルクローレでは・・・
「厚真のユカラクルikashrepが沙流の総乙名tureanの処に酒飲むに来てpaimoka pachepoipeを伝えた」
と書いてあるのだが・・・大正4年にツレアンに逢った時、訊いたと思われる。
ツレアンは、恐らく・・・沙流のものでないからユーカラでは無いと云ったと思う(*^_^*)
それで、博士は訳さなかったと思われる。
内容も、人の首を煮て食べるという恐ろしくも猟奇的なものだし・・・(-_-;)

その頃、金成マツさんも平取に居たから・・・同じ題名のものがあるのは納得
幌別(登別)には、ユーカラが在るとは・・・ワカルパ翁は云っていない。
それがいつの間にか胆振にもユーカラが在ると云ったのは・・・以外にバチェラーだったのでは?

paimoka pachepoipeと云うのは・・・アイヌ文化を紐解く最初の結び目だったのでしょう(*^_^*)
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11曲ワカルパ翁のユーカラを読んでみて感じるのは・・・
心地よい諧謔と品格が備わっていると云う点で素晴らしいと思う・・・
タウクノ媼のオイナ・・・ユキの伝えるカムイユーカラ・・・
言葉に無駄が無く、スゥーーと良いテンポで流れていく心地よさ・・・

知里幸恵の神謡集は、散文的でカムイユーカラの要素が崩れていること
今まで指摘した人居ないけど・・・金田一博士のみ伝承ではないこと
学術的価値はないこと指摘されている。

博士は、アイヌも自分で書き出して発表する場を提供して・・・
どんどんそう言う人が出てきて欲しいと思われたのだと推察する。
只、昔話とか奇談などはどの国どの地域にもあるが・・・
博士がびっくりしてワクワクしたのは、叙事詩を持っている民族であるという点
それは、沙流にしか無かったと云う点。
これがアイヌ文化を考えるとき忘れてはいけないことだと思われる
森林の中にシランバカムイが聳えているようにユーカラの存在に
気が付かないと森の中で迷ってしまう・・・道理(*^_^*)

 

2012/02/24 (金)  本当のアイヌにイオルを・・・


アイヌは、狩猟民族だから・・・自然の生物を知り尽くしている。
これは、非常に大事なことだと思う・・・日本列島火山噴火・・・津波・・・台風・・・地震・・・オンパレード
それは、神々の仕業だから・・・学ばなければいけない
アイヌラックル(オキクルミ)は、人間界に飢饉が襲ったから穀物とか肉を送った
それを配った妹の手を引っ張った輩が居た・・・アイヌに・・・そしてイケスイした。

ポイヤウンペもイケスイ(何処かへ行く)するのだが・・・ワカルパ/フォルクローレだと・・・
アイヌラックルがイケスイするなら・・・・面白いこと無くなるからオイラも一緒に行く(*^_^*)
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日本には、自然一杯の国有地が眠っている・・・明治時代の御料地
北海道にも在る・・・それを本当のアイヌに管理して貰うのは、浪漫があると思う
でも、存在するのか?・・・本当のアイヌ(*^_^*)
 

2012/02/23 (木)  ワカルパ翁のkamui yukara・・・


大正2年にアイヌの全てを博士に教えたワカルパ翁・・・当然何曲かカムイユカラもある。
金田一京介全集第八巻に載っているSanta tori paina(月中人)とは少し違うものが・・・
ワカルパ/フォルクローレに在って・・・どう取り扱うかずっと考えていたが・・・
ユーカラの下にワカルパ翁所伝として・・・皆さんに味わって頂こうと思い
アップすることにした。

ワカルパ/フォルクローレの取り扱いって以外と難しくて・・・
特にカムイノミ(祈り)とか神々に関することなどは、女・犬にも聞かせぬ・・・としているので(*^_^*)
男だけに公開したほうが良いものか?・・・
それとekashi kiriと云って・・・沙流のニシパの系図が殆ど分ってしまう・・・
例えば・・・ヤヤシ(パルコ)とかコタンピラ・カネカツク・・・鍋沢元蔵翁とか・・・(*^_^*)
亜流が台頭したこととか・・・金成マツさんが平取で伝道していたときの繋がりとかが
全て読みとれる・・・ワカルパ/フォルクローレ

その頃から・・・今のアイヌの醜い温床が作られたことが浮かび上がる・・・
生物学的には、血が濃くなるほど破滅の道を辿る・・・遺伝的な病気
子孫が繁栄するには、その弊害が無くなると良いのは・・・彼岸のように沙流では考えていた
アイヌ問題で一番大切なのは、その部分・・・
和人と交われば確かに血は薄くなる・・・でも、和人も馬鹿ばかりでは無い。
圧倒的に数の面でも勝っている・・・
アイヌ人口3万/北海道人口550万=0.5%・・・ワカルパ翁のユーカラを全部覚えるのが
寧ろ和人側の可能性が高い・・・
 

2012/02/22 (水)  ユーカラ・・・


ユーカラって本当に凄いと思う・・・世界文学全集とか読破したことあるけど・・・
その描写力は、類を見ないほど・・・(*^_^*)
各地のhauとかsakoropeなど在って読んでいるけど・・・少し違う

ユーカラが11曲揃うと・・・そこの処が良く見えてくる。
沙流のオイナ・カムイユーカラ・オッカヨユーカラ・メノコユーカラ・・・
それにハウとサコロペを比較すると更に見えてくる。
 

2012/02/21 (火)  衣食住・・・


動物が生きていくには・・・衣食住が必須
人間は毛皮が無いから衣服で保温する・・・食べなきゃ死に至る・・・食べるために仕事をする
仕事をするために居場所を決める・・・居場所を失うと゜困ったことが起こる・・・
自然界の動物の掟と同じだと気付く人・・・あまり居ないのではないのか?(*^_^*)

農耕民族は、天気次第・・・狩猟民族は、運次第・・・
でも、準拠枠のルールが安定していてると・・・助け合いの暗黙の了解があって
優れたリーダーと伝統を大切にする気風が満ちている・・・

武士は食わねど高楊枝って・・・可笑しい痩せ我慢の男が居ても良いのかも知れない。
 

2012/02/20 (月)  アイヌの伝承・・・


今回の覆舟変化物語では、貧しい婆さんがポイヤウンペを秘境で育てるんだが・・・
狩りが出来ないから山へ行って動物の食べ残しを拾ってきて食べさせる。

金田一博士は、Hennoyeをワカルパ翁の他コポアヌ媼・ユキからも筆録している・・・
これは、体が壮健なとき獲物を沢山獲っても、困っている人に分け与えないアイヌの物語
何故、十勝と名がついたか・・・と言う副題のお話し(*^_^*)

北海道アイヌと一括りに論じている人が多いけれど・・・それではアイヌの世界が見えない。
又、土地を奪われたと云うのはアイヌには本来通用しない概念
何故かと云えば・・・土には神が存在していないと云うことから(*^_^*)

それに地域での生き方の考えが相当違うことにも目を向けなくてはならないと思う。
アイヌの場合・・・年少者用の情操教育としてカムイユーカラが存在している・・・
ユキの沙流のカムイユーカラと知里幸恵のカムイユーカラは、同じ題材だが
その背後にある哲学には、相当な隔たりがある。
それを一括りに論じてはいけないと思う。

人種とかを越えて親が子供に聞かせたいと思うのが・・・沙流のものだと思う。
それをトミサンペッ シヌタプカ(浜益)から子供達に発信したいと思っている。
アイヌの伝承には、人間が忘れてはいけない問題が沢山含まれている。
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金田一博士もアイヌを一括りに論じている一人に成るのかも知れない。
それが気になっていて・・・書いておいたのが
これです
男のみが伝承するものがユーカラで沙流の極秘情報と云うことを
すっかり納得されていなかったのでは、無いのか?
それで、文学の未発達の段階のものとしてしまって・・・
金成マツさんの創作ものまで・・・ユーカラの一種として取り扱ったのでは?
アイヌの伝承は、人類の宝とする視点がないと誤謬を産む・・・

人は、その森羅万象を表現したくて絵を描く・・・
それと同じようにアイヌは、ユーカラ群で言葉で描いた・・・詩で以て
ワカルパ翁のユーカラを実際に転記してみると・・・その厳格な韻律が良く解る
私は、意味を分りやすくするのに・・・ki  rok aineと書くと6音に成ってしまう
実際に発音しているのは・・・kirokaineと5音で云っている
それが何百年前からずっと伝承されていた事実・・・文学論で済ますのはチト失礼
人間の能力の原点が見えるのがユーカラの正体
 

2012/02/19 ()  アイヌの世界・・・


考えてみたら小学生の頃・・・ピーリカ ピーリカ タントシリ ピリカ ユンケクスネ〜
と云う歌を習ったことと・・・「コタンの口笛」という差別を扱った本が読まれていたことくらいかな?
記憶にのっているのは・・・「イヨマンテの夜」という歌謡曲もあった・・・(*^_^*)

私の親父が生まれた年に、31歳の金田一博士がワカルパ翁から筆録して・・・
私が8歳の時、マイクロフィルムで永久保存されることになり・・・
10歳の時にユーカラ集第一巻が刊行された

そう考えると・・・随分昔のことだったんだな〜と気付く
しかし、筆録ノートは、昨日書かれたような古めかしさは微塵も感じない(*^_^*)

イヨマンテ(其れを送る)がアイヌの世界を最も良く表現しているとされていた・・・
狩りをするのは、自然の中で生きていく掟が全てに当て嵌まる厳しさ
食うか食われるか?・・・身体能力が作用する世界
萱野 茂氏の国会演説を読んでみると・・・
「ずっと昔、アイヌ民族の静かな大地、北海道にアイヌ民族だけが暮らしていた時代、
アイヌの昔話と全く同じに、シカであってもシャケであってもたくさんい たので、
何を食べたいとも何を欲しいとも思うことなく、アイヌ民族だけで暮らしておったのだが」

これとは逆の事を表現しているアイヌの昔話(ユーカラ群)
それが残っていた紫雲古津・・・アイヌの世界は伝承でしか残せなかったこと
ユカラクルとして周りを見渡せば一人になったワカルパ翁の苦悩がひしひしと伝わる。

蘆丸の曲が虎杖丸の曲と同じくらい長編の八戦記だったらしい・・・
しかし、途中までしか聴けなかったワカルパ翁
それを隠すことなく・・・正直に伝えた。
ワカルパ/フォルクローレでは・・・コタンピラは優れたユカラクルとは書いてない。
博士は、確かに最後まで伝えたコタンピラとそれを文字にした幸恵の労に対して
素直な気持ちで・・・別伝として本に入れた。

幸恵が亡くなった次の年にコタンピラを訪れてオキクルミの出自を聞いている・・・
そこで矢張り・・・解ってしまったことだと思う(*^_^*)
その大正12年にユキが来てPishka to a pishka(Kesorap kamui yaiye yukara)を伝えて
博士は、臍を噛んだ・・・何ということだ!!と・・・(-_-;)
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金田一博士が経験されたことは、明治・大正・昭和の大きな事件を全て・・・
どっと和人が押し寄せた時代の狭間にいたワカルパ翁とそのエカシ達・・・
乃木大将にも触れているフォルクローレ・・・
沙流川筋では、二風谷には、ユカラクルは、存在していなかったことも書いている。
或るコタンでは、チャランケ専門の村も在ったとか・・・(*^_^*)

或るものを探求していく過程で真実を見抜くのは、必須であるけれど・・・
その弱さからくる嘘は、憐れみも混じっていかんともし難いもの
でも、生物の世界では排除の力が働いてしまう残酷さ
 

2012/02/18 (土)  覆舟変化物語の転記・・・


1頁を除いて転記終了した・・・後は、國學院図書館から送って頂いたら完了する。(*^_^*)

昨日、テレビでアバターが在ったので録画して貰った・・・何度見てもユーカラそっくり・・・

ワカルパ/ユーカラとしては、最後の翻訳になるSamchip upshi chipako ashkuru
samchip〜日本の一本帆柱の舟 upshi〜伏せる
chipako〜イナウを ashkuru〜立てる処の人
つまり、大きな舟を伏せたような鎧を着た村人がイナウを立てる村の守り神(tumunchi kamui)と
ポイヤウンペが戦うが、アツイサラ媛の悲劇が胸を打つ物語
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このような叙事詩が存在していることを何故、人々は忘れてしまったのか?
忘れたのではなくて・・・アイヌの大多数も知らなかったと云うことだと思う。
男のみが伝承するオッカヨユーカラの存在をハッキリ区別出来なかったこと。
紫雲古津以外・・・ピラカ(平賀)でもサンゲレキの兄さんも亡くなってから
本当のユーカラを伝承する男が居なくなって・・・主に女が楽しみでやるようになっていた。

金田一博士の洞察力は、それを捉えていた・・・
そして、奇跡的に11曲の男のみが伝承するユーカラを残せた・・・
博士が世界五大叙事の一つと絶賛し、悠久に語り継がれるべきもの
 

2012/02/17 (金)  北海道の浪漫・・・


樺太方面からの交易ルート・・・千島方面からの交易ルート・・・
それらをシサム(大和)へ運んで漆器とか刀を手に入れ宝としていたヤウンクルアイヌ・・・
フレシサム(赤人=ロシア)の悲願・・・不凍港確保の南下の脅威に晒され
蒙古の脅威にも晒され・・・ヤウンクルアイヌは、大和の力を頼りにしていた。

アイヌの真実の記録がユーカラと捉えると・・・その壮絶な世界が見えてくる。
アイヌは、生活の半分を狩猟に頼っていたから・・・それらを育てる木を大切にした。
ワカルパ/フォルクローレでそれが書いてある・・・
猟をするとき・・・シランバカムイ(木の神の頭)に祈るのは、木を傷めないように拝む。
狩りの神様アシナウカムイには、怪我をしないよう拝む
熊を獲ったら直ぐアシナウカムイとシランバカムイにイナウを立てる・・・
そして、その場で送りの儀式を済ませてしまう・・・頭骨は持ち帰りチパに飾るが
有珠・虻田のように決して拝まない・・・送りは一度で良い

農耕民族は、畑とか作るのに木を全部切ってしまう・・・海が枯れる
川も真っ直ぐにして洪水を防ぐ・・・
そこら辺もっとバランスの良い方法って無いものだろうか?
 

2012/02/16 (木)  荒れ模様・・・


猛吹雪など又、積雪量など全国的に大変ですよネ
3.11の大津波からもう一年になろうとしている・・・地球温暖化って人間の想像力を
遙かに超えた現象が起こるので・・・警鐘を鳴らしていた30年前の科学者たち
天災・人災・・・人災は、自然の摂理に逆らう為に起こってしまう・・・
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ユーカラから学ぶことが沢山あるように感じるので・・・
そこいら辺顕在化出来たら良いと思っている
 

2012/02/15 (水)  転記のスピード・・・


転記も大分やって・・・スラスラ読めるように成ったので1時間で見開き2枚4頁ってとこかな(*^_^*)
このスピードで行ったら・・・金田一博士の筆録ノートを結構、短期間に転記出来るかも知れない。

北見のサコロペとか新冠のハウとかも・・・この世に解き放って上げたいものです。
その前に大正2・3・4年の沙流のものを全部とコポアヌ媼とユキのものも全部・・・
ワカルパ翁の兄さんウトムリウクのものも纏めると・・・全て解る。

アイヌ問題で発言している人沢山居るけれど・・・ユーカラのお話し出来る人居ない
アイヌの神々を曼陀羅のように説明出来る人居ない
アイヌと云うだけで・・・国から出てくるお金が凄い・・・私はアイヌに成りたい
冗談だけれど・・・(*^_^*)
或る種族とか動物の種が存続するには、絶対数の限界がある・・・相対的ではあるが
絶対数が限界を下回ると能力の先鋭化も起こるが一方劣性要因も顕在化する

ユーカラで女子の拐かしや敵の媛が身内を裏切って敵の正しい理由に組みして
戦に依って絶対数を極端に少なくなった集団は、自然の淘汰で消滅すること
感じての本能的行為を表現しているように思えてならない。
 

2012/02/14 (火)  面白いもの見つけた・・・


アイヌの歴史を研究している赤崎さんのブログで見つけた動画
報道スペシャル−アイヌ問題の真実

何故?・・・金田一博士の筆録ノートが今まで眠っていたか?・・・の謎が解けた。
利権に絡んだ集団の仕業であることが・・・(*^_^*)

アイヌ曼陀羅は、全世界の人々が注目するほどの哲学を含んでいるもの・・・
その最高峰ユーカラが4曲しか訳されていなかったので解らなかった。
それと、ワカルパ/フォルクローレの存在も知らなかった。
最初、アイヌ保護法は、サルンクル(沙流人)が陳情したことらしい・・・
それがいつの間にか国からお金を出させる便利な方法に変化してしまった。

それに都合が良かったのが知里幸恵・真志保・金成マツだった図式・・・浮かび上がる
アイヌの血を引いていて・・・自立をしていたのが沙流の人達
キリスト教などに救いを求めず・・・アイヌの神々を拝んでいた人達
アイヌの神々と日本古来の神々は、ほぼ同じで敵対するものではなくて・・・
アイヌも矢張り初めから日本人であったこと。
お宝は、積み上げられた漆器の数々・・・

風体が毛深いと云うだけで・・・それが又、男の美学であったこと・・・
体毛の薄い私などは、丸で女みたいと云うコンプレックスに悩んだものです。
生まれ変われるならアイヌの遺伝子を持つ男に成りたい(*^_^*)

土地を奪われたから・・・賠償金を出せなんて云わない
ワカルパ翁のユーカラを全部暗誦出来るアイヌに成りたい!

金田一博士が樺太・沙流を中心に筆録されていたのは、大昔の交易を知ろうとされていた
と推察する。・・・アイヌの視点で

ユーカラに出てくる石狩媛の容姿を・・・赤い直毛で顎の半ばでちょん切っていると
云うのは、昔からロシアの南下を危惧していたアイヌと捉えると日本人なんです。
只、狩猟民族としての自然観が哲学だっただけで・・・
農耕を主体にしていた考えとは、少し違っていて・・・貴重な哲学ですよネ(*^_^*)

砂澤氏が云っている・・・アイヌは、男尊女卑だと云うのは正しい。
骨格などは、男は狩りをする為に足の骨格が作られているとかテレビでやっていた。
自然界で狩りをする動物とかをカムイとするアイヌの思想が其処にある。
それらから学んでいるのだと思う・・・生きる術を
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逃げていたら・・・男の本領狩りは出来ない
スパムメールも全く同じことが云える・・・尻尾巻いてきゃんきゃん鳴くのは負け犬・・・
全世界にIPアドレスが40億あっても・・・有限だと云う事実に目を向けないと負ける。
負け犬の論理は、要らない・・・勝つことが戦略と云うこと
私はワンコの尻尾がクルッと巻いている凛々しい姿がこよなく嬉しい人間の一人
それとは違うことを配信したサイトに送ってしまった・・・ワンコのバナー

 

2012/02/13 (月)  今日は休み・・・


金田一博士のユーカラ筆録ノート46冊を年代順に見ると・・・足跡が浮かび上がると同時に
随筆に書かれている事柄も段々に解ってくる。

博士は、聞いたことなどは、私見を挟まず・・・そのまま書かれている
真実を掴むには、そのまま受け入れると云う姿勢が徹底していて流石だと思う・・・(*^_^*)
原典としての虎杖丸の曲一つとっても徹底している
虎杖丸の曲は、ワカルパ翁がサンゲレキの兄さんChikupshiriから伝承したこと聞いて
サンゲレキの妹?ウテカレ媼からも最後の戦いの章を確認する徹底さ・・・

その時に、ワカルパ翁のが原典であるとして・・・本伝として評価されている。
本伝と云うのは、伝承であって・・・個人の変更が許されないもの・・・
又、本伝はアイヌ民俗全体のものであることが第一義・・・個人が忘れた部分を
勝手に補ってはいけないもの・・・蘆丸の曲がそうであるように・・・

虎杖丸の曲でケチャウとメヨイと云う言葉が出てくるが・・・意味が不明である
Wendarap yukaraではモシリチクチク・コタネチクチクも意味不明
今回の
Samchip upsh chipako ashkuruのモシリウロリ・アツイウロリも然り
これは、意味不明のまま・・・受け継がれてことによる謎めいた浪漫
ワカルパ翁以外の人は、省いている点・・・

そして其れを見抜いた人・・・金田一博士のみであったこと(*^_^*)
ユーカラの原典11曲が揃うと・・・そこからがアイヌ文化の見直しが始まることだと思う
オキクルミのウパシクマ・・・それから神々の世界が拡がっていく
壮年期の男女の戦いを表現しているユーカラとメノコユーカラ
年少者用のカムイユーカラの素朴にして美しい教訓・・・
それらが響き合って美しいハーモーニーを奏でるようになっているアイヌ曼陀羅

それらが完全体で残っていた紫雲古津・・・それがハッキリと解った。
一言で云えば・・・Okkayo yukaraは、沙流の中心コタンのユカラクルのものだけ・・・
その重責を担えるのは又、一握りの人達だけで在ったと云うこと。

アイヌが生き残るには、血の濃さからくる深刻な問題も解決しなければならないこと
そうした場合、混血によって確かにユカラを伝承する能力は薄まっていく。
しかし、隔世遺伝で再び出現するかも知れない確立に賭けたワカルパ翁かも知れない。
その人の為に文字による残し方しかないこと・・・知っていた。
アイヌの弱点を充分知っていたから・・・決して和人に土地を奪われたとは
考えていなかった。・・・そして助けを素直に求めた。
それに応えたのが金田一博士の情熱だった・・・それが見えてくる。(*^_^*)
 

2012/02/12 ()  吹雪・・・


夜中、雷も鳴って・・・猛吹雪

今日も吹雪、少し早く出勤しなければネ(*^_^*)
 

2012/02/11 (土)  矢張りユーカラは凄い・・・!!


沙流でもHayopira=Hai o piraの丘の近辺で受け継がれていた男だけのユーカラ・・・
ハヨピラの丘は、Aeoina kamui=Ainurakkuru=Okikurumiの山城(チャシ)の在った処
胆振では、オキクルミのことをオキキクルムイとか呼んでいて面白い・・・(*^_^*)

アツイサラコタンは、どうやら樺太みたいだ?・・・(*^_^*)
ユーカラの特徴は、情景とか装束・年齢とかの描写があってイメージし易いこと
メノコユーカラとは、明らかに描写が違っていると云うこと。
残った11曲のユーカラでグルッと北海道探検旅行も楽しいと思うし・・・
シヌタプカ探検も面白いと思う。

今年は、ユーカラ探検隊を立ち上げること提案しようと思っている。
コポアヌ媼のメノコユカラにシヌタプカの山奥に滝が出てくるので・・・実存するか?とか
調べて楽しみたいと思っている。滝の沢と云うのはあるらしいから・・・(*^_^*)
 

2012/02/10 (金)  Samchip upsh chipako ashkuru(覆舟変化物語)・・・#3


最後まで読んでみた・・・面白い ! 29枚目の右部分が掠れて全く読めないが
8日に再度の複写依頼書送ったら・・・今日電話が入り、一番濃く印刷してこの程度だと(*^_^*)

何とか考えて下さるそうで・・・現存する11曲の内の貴重な1曲なので訳しておきたい。
明日から転記を始めようか?
 

2012/02/09 (木)  Samchip upsh chipako ashkuru(覆舟変化物語)・・・#2


15枚半分まで読み進んだ・・・この後、どう展開していくのか楽しみ・・・(*^_^*)

アツイサラコタンに辿り着いたところ・・・チワシペッに似た描写であること解ったのと・・・
エカエチシ(岩崖山)の周りに沢山のコタンが在るというのは、初めての描写

日常語(yayan itak)では無い雅語のワカルパユーカラ・・・アイヌでも訳せなかったこと良く解る(*^_^*)
何故か?と云うと・・・直接教えて貰ったのは金田一博士だけだったから・・・
アイヌ文化は、アイヌの伝承からしか解らないと云うことをアイヌも知らない人多かった。
キリスト教を信仰したアイヌは、アイヌの神々を否定した人と定義したら・・・自ずと解る

新冠のサンキロッテ(留吉)は、ワカルパ翁からユーカラを聞きたかったが・・・
Poro Oinaを持っていたので・・・ワカルパ翁は、聞かせなかったのでは?
女性は、アチコチ歩いて・・・聞いたりして楽しんでいたと思われる。
男も、そう言うことをしていた者も居たようです。女に混じって・・・

しかし、ユーカラだけは、村の中枢の男子だけが、その雅語の使い方など見て・・・
免許皆伝ではないけれど・・・此奴なら大丈夫であろうとして教えたと思われる。
狩りをする男の世界・・・自然の摂理の体得・・・形而上学

2012/02/08 (水)  Samchip upsh chipako ashkuru(覆舟変化物語)・・・


今晩読もうと思っていたが、ついつい4枚くらい読んでしまった・・・何か面白そうだ !
金獺記のようにカムイオトプシが捕まって梁に縛られている話をRepun kamui(シャチ)から聞いて
助けに行くみたいだ・・・(*^_^*)

虎杖丸の曲では、アツイサラ人が来て戦うんだけど・・・今度はアツイサラコタンに
乗込んで戦うから・・・コタンのイメージに繋がる言葉が出てくるかも知れない。
今回は、黒ずくめの装束を身につけるみたいなので、それも面白い。
又、二カ所日付もメモされているが・・・七月十八日・最後の頁十月十五日
と云うことは、博士は半年ほど滞在したとユーカラ集第八巻に書かれている。
6月〜10月まで滞在していたのかも知れない
随筆集の一ヶ月と云うのは、ミスプリントと思っていたが・・・酷い間違いだナ〜(*^_^*)

10月に紫雲古津に帰って、博士から貰ったお金で糸買って・・・網編んで
東京にシャケを送ろうと冷たい川に腰まで浸かって風邪引いて・・・
亡くなったのは、余りにも痛ましいお話しで・・・胸が詰まってしまう。
 

2012/02/07 (火)  #3  ついに届いた・・・(^O^)


Samchip upsh chipako ashkuru(覆舟変化物語)・・・國學院図書館から届いた。
31枚61頁・・・ワカルパ翁が虎杖丸の曲・蘆丸の曲に次いで伝えたもの(^_^)v

これで11曲全部揃って読むことが出来るとは・・・感無量ですネ〜
沙流のユーカラ定義 からすれば、この世に残った11曲のみのユーカラですもんネ〜
ワカルパ翁没後百年目にしてようやく、世に甦る・・・(*^_^*)

浜益のShiranba kamui(樹齢千五百年)にユーカラに取り組んだ最初の時
ポイヤウンヘのこと知っていたら教えて下さい・・・とお願いしたのが届いたのか?
それと、明治30年の浜マシケ(浜益)の地図でチャシコッの存在を確認出来たのも
シランバカムイのお陰のよう感じている・・・(*^_^*)
道立図書館に欠落していたノートWakarpa/yukara 2 vol
探し当てて下さったご配慮・・・感謝の至り

沙流の伝承を明らかにすると・・・蝦夷の古が見えてくるのは浪漫ですネ〜
浜益に居た勇者をシシリムカ(沙流)で記録していたのも浪漫
オキクルミ(aeoina kamui)のハヨピラ(文)とポイヤウンペ(yukara kamui)のシヌタプカ(武)の二局
永田方正氏の軍を出したる川・・・がトメ(ミ)サンペッの意味と
云うのは、当たっているかも知れないですネ(*^_^*)

アイヌの超極秘軍事情報だったユーカラ・・・一般アイヌが知らないのも無理は無い
それが消え去ろうとして危機一髪を救った金田一博士は、矢張り凄い
 

2012/02/07 (火)  #2  萱野茂氏の国会アイヌ語演説・・・


 イタップリカ ソモネコロカ シサムモシリモシリソカワ チヌムケニシパ チヌムケ
 カッケマク ウタペラリワ オカウシケタ クニネネワ アイヌイタッアニ
 クイタッルゥェ ネワネヤクン ラモッジワノ クヤイライケプ ネルウェクパンナ。
 エエパキタ カニアナッネ アイヌモシリ、シシリムカ ニプタニコタン コアパマカ
 萱野茂、 クネルウェネ ウッチケクニプ ラカサッペ クネプネク ス テエタクルネノ、
 アイヌイタッ クイェエニタンペ ソモネコロカ、タナントアナッネ シサムモシルン
 ニシパウタラカッケマクタラ アンウシケタ  アイヌイタッエネアンペネヒ
 エネアイェプネヒ チコイコカヌ クキルスイクス アイヌイタッ イタッピリカプ
 ケゥドカンケワ、 クイェハウェネ ポン ノネクス チコイコカヌワ ウンコレヤン。
 テエタアナッネ アイヌモシリ モシリソカタ アイヌパテッ アンヒタアナッネ ウウェペケレ
 コラチシンネ ユクネチキ シペネチキ ネフパクノ オカプネクス ネプアエルスイ
 ネパコンルスイ  ソモキノ アイヌパテッ オカプネアコロカ ネウシケウン
 シサムネマヌプ ウパシホルッケ エカンナユカラ エクパルウェネ。
 インネシサム エッヒオラーノ ユクアウッヒ
 シペアウッヒ ニアドイェヒ ハットホ チコイカラカヲ オロワノアナッネ アエブカイサム
 アウフイカクニ チクニカイサム アイヌウタラ ケメコッペアナッネ ケメコツパワ
 オドタヌオドタヌ ライワアラパパ シツヌワオカ アイヌウクラカ  アイヌイタッ
 エイワンケクニシサムオロワ ハットホアンワ アイヌイタッエイワンケ、 エアイカプパプ
 ネプネクス チイェワピリカプ アイヌイタッ  ネアコロカ タネアナッネ ウララシンネ
 ラヨチシンネ ウコチャンチャンケペコロ クヤイヌアコロカ タネオカ
 ペウレアイヌウタラ ヤイシンリッ、 ヤイモトホェプリウェンパワ イタッネヤッカアイヌプリ
 ネアヤッカ フナラパワ、ウゥォポキン ウゥォポキン エラムオカイパコロ オカルウェネ。
 ネヒオロタ ニシパウタラ クコラムコロヒエネオカピ アイモシルン アイヌウタラカ
 コエドレンノ シサムモシリタ オカアイヌカ ェネネヤッホ アイヌネノ
 アイヌイタッアニ ウコイタッパワ ラッチオカ、アプンノオカクニ
 コサンニヨワ ウンコレヤン ヘルクワンノネアゴロカ アイヌイタックイェ、アイヌイタッ
 エネアンクニ チコイコカヌヒ ラモッシワノ クヤイライケナー
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ーーーーー 訳 ーーーーー

 言葉のあやではありませんが、日本の国土、国土の上から選び抜かれてこられた紳士の皆様、淑女の皆様が肩を接しておられる中で、成り行きに従いアイヌ語でしゃべらせてもらえることに心から感謝を申し上げるものであります。
 私は、アイヌの国、北海道沙流川のほとり、二風谷に生をうけた萱野茂というアイヌです。意気地のない者、至らない者、私なので、昔のアイヌのようにアイ ヌの言葉を上手には言えないけれども、きょうのこの日は、日本の国の国会議員の諸先生方がおられるところに、アイヌ語というものはどのようなものか、どの ような言い方をするものかお聞き願いたいと私は考え、アイヌ語を私はここで言わせていただいたのであります。少しですので、私のアイヌ語にお耳を傾けてく ださいますようお願い申し上げる次第です。
 ずっと昔、アイヌ民族の静かな大地、北海道にアイヌ民族だけが暮らしていた時代、アイヌの昔話と全く同じに、シカであってもシャケであってもたくさんい たので、何を食べたいとも何を欲しいとも思うことなく、アイヌ民族だけで暮らしておったのだが、そのところへ和人という違う民族が雪なだれのように移住し てきたのであります。大勢の日本人が来てからというもの、シカをとるな、シャケもとるな、木も切るなと一方的に法律
なるものを押しつけられ、それからというもの、食べ物もなく薪もなく、アイヌ民族たちは飢え死にする者は飢え死にをして次から次と死んでいったのであります。
 生きていたアイヌたちもアイヌ語を使うことを日本人によって禁じられ、アイヌ語で話をすることができなくなってしまいそうになった。言っていいもの、 使っていいもの、アイヌ語であったけれども、今現在は、かすみのように、にじのように消えうせるかと私は思っていたが、今現在の若いアイヌが自分の先祖 を、自分の文化を見直す機運が盛り上がってきて、アイヌ語やアイヌの風習、それらのことを捜し求めて、次から次ではあるけれども、覚えようと努力している のであります。
 そこで、私が先生方にお願いしたいということは、北海道にいるアイヌたち、それと一緒に、各地にいるアイヌたちがどのようにしたらアイヌ民族らしくアイ ヌ語で会話を交わし、静かに豊かに暮らしていけるかを先生方に考えてほしいと私は思い、ごく簡単にであったけれども、アイヌ語という違う言葉がどのような ものかをお聞きいただけたことに、アイヌ民族の一人として心から感謝するものであります。ありがとうございました。
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知里幸恵と鍋沢ユキのカムイユーカラで一番の違いは・・・

知里幸恵の場合、矢が当たるとkamui chikapは、自ら降りていく・・・
鍋沢ユキの場合、男の子が木に登り懐に入れて降りる・・・
イナウも汚れたものであったけれど・・・自ら初めて削ったものだからkamui chikapは受け取って
その子の守りをしてずっとイナウを捧げて貰う絆が出来た。

自決権とは、どのようなものか?・・・自らが決めての行動であると思う。
他人からこうしろ ! と云われても・・・強かに自分の遣り方をやり通す覚悟だと思う。
弱点を晒す行為は、相当な勇気が必要で・・・共存の為には又、必須の行為
ワンコの社会は、腹を見せる行為に依って・・・社会の安定が保たれる・・・攻撃が無い
ワカルパ翁は、アイヌの恥も誉れも両方金田一博士に伝えた・・・
流石に博士がアイヌのホメロスと賞賛するだけあって・・・哲学者であって詩人

ワカルパ翁のような人が居たら・・・なんと情けない ! 沙流人の云うことでない !
と叱責するようなことを国会でブチ上げた萱野氏・・・
その体質が不正を産む温床だと思われる・・・自分が強くなることが自決権だと思う
自分の幸せを他人に考えて下さいと云うのは・・・如何なものか?(*^_^*)
 

2012/02/07 (火)  アイヌの名・・・


ユキの母タウクノ媼の意味を博士は書いてあった・・・
toita uk no 畑でharu(穀物)を沢山採れるように・・・と云う意味らしい
直訳すると・・・畑 採る 良く toi(土)の部分は音にならないところが良く分った

コポアヌ媼は、子供を沢山持てるようにと名付けられたらしい・・・(*^_^*)
そうしたらWakarpaと云うのは?・・・

矢張り食べ物が豊かに健康に育つようにと名付けられるのが多いと云うことで・・・
人の親の願いは同じだと云うことだと思う。働けると云うこと。
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Pishka to a pishka(Kesorap kamui yaiye yukara)ケソラブ神自序伝
ノートに転記したのを更にHTMLで
転記した・・・
これは、ワカルパ翁のユーカラと共に、我がサイトの宝の代表となるでしょう(^_^)v
僅か見開きで3枚、ページ数にして6頁足らずだけども・・・
人々の心を打つ珠玉のカムイユーカラだと信じている・・・
又、これを子供達に届けたいと思う・・・差別は、アイヌとか貧乏だからでは無くて・・・
その精神性の気高さによるもので聡明な人は見抜くし・・・
卑屈になったら負け犬のように攻撃を受ける動物の世界(人間も)

アイヌの哲学が活き活きと残っていた紫雲古津のコタン
時代の流れに翻弄された人々が多かった中で・・・自分たちの信仰を捨てずに
生活していたが・・・文字を持っていなかった為、それが消えようとしていて
何時の日か・・・末裔がその信仰を蘇生させ生き抜く強さを身につける為
文字を持ったShisamに託したのは・・・アイヌの聡明さを物語っている。

でもネ・・・昨日の転記した原文を見て頂けたら分ると思いますが・・・
金田一京介博士って・・・何とも凄い人だと思うばかりで、呆れて仕舞うほど(*^_^*)
博士にしてみると・・・日本にも世界に誇れる叙事詩が在った・・・
それも、現在の段階で残っていると云う奇蹟に感動されたんだと思う。

数々の戦争時代を経験され大震災も経験され・・・それでも尚ユーカラに献身させた魅力
アイヌの魅力・・・本当は誇って良いのに・・・卑屈になっていたアイヌ
沙流のユーカラを読むと・・・深刻な状況の中で諧謔が含まれている。

私の絵の師匠(勝手に)ルノアールが云っているのは・・・笑い方を忘れている
本来、人間ほど滑稽な生き物は居ないと思ったら・・・面白いかも
余りにも頭脳が大きく成りすぎた・・・その分馬鹿になったと定義したら(*^_^*)

考えることを止めた方が良いことになる・・・老子の教えに近い
そのバランスの問題だと思う・・・考えるばかりでなく・・・楽しむことも
楽しみばかりでなく・・・考えることも(*^_^*)

2012/02/06 (月)  連休・・・(^_^)v


今日、明日、お休み・・・(^_^)v
昨日は、ユキが伝えたPishka to a pishka(Kesorap kamui yaiye yukara)ケソラブ神自序伝を
転記した・・・書いて行く内に、ぐっと胸に迫るものがある・・・
知里幸恵の有名なShirokanipe ranran pishkanの1/3しか無いけど・・・
心に突き刺さる本質をズバッと、核心だけのカムイユカラ・・・童話として成り立っていた沙流
アイヌの哲学・・・人の哲学・・・

読み較べてみると・・・沙流と幌別の違いが実に良く分る
大きく違っているのは、kamui chikap(神鳥)を矢で撃った者がイナウを削るか?と云うこと。
子供であっても、その作法を身につけた者がニシパになると云うこと。
それがこの物語の核心だと思う・・・

知里幸恵の場合・・・kamui chikapを獲ってきた子供にイナウの削り方をエカシが
教えずに・・・代りにやってしまったこと。二重の過ちをしていると思う。

アイヌの文化が甦るのも同じことが云えると思う。
しっかり、勉強して身につけた正しい伝統を・・・後世に正しく伝える姿勢が必須
網を持たずして淵に挑むべからず・・・
ユキのものは、Huchi(祖母)から教わるが、イナウは、男のするものだと云って
獲った本人にイナウを削らせているのも核心・・・
 

2012/02/05 ()  金田一博士の筆録ノート・・・


2年5ヶ月・・・只ひたすらに毎日取り組んで来たユーカラ・・・筆録ノート読むと面白くてしょうがない。
ユキの筆録なんかは、宇宙語みたいにグチャグチャだけど・・・読める(*^_^*)
ワカルパ翁とコポアヌ媼の筆録は、実に綺麗な筆記体で伝える方の工夫がある・・・(^_^)v

ワカルパ翁が上京して・・・真っ先に伝えたのが虎杖丸の曲・・・最長編
これは、ノート1.3冊分だから何日掛かったものなのか?
私の憶測では、先ずワカルパが言って筆記する・・・ワカルパは書き終わったら直ぐ云う
そしてタイミングが合ってくる・・・ドンドン進む
次ぎ博士が読んでいく・・・一音違ってもワカルパは、指摘して博士は訂正する。
それと同時進行で、分らないところを注釈懸けていく・・・でも、驚くほど速かったと感じる。

樺太でラマンテから筆録したとき、やらなかった為に5年も苦悩の時代を経験した博士
ワカルパの時は、沙流のユカラクルって・・・凄いものだとビックリしたと思う。
ラマンテとは、大きく違っていて・・・アイヌの伝承を残したいと云う気迫が在ったと思う

だから、訊かれること全部喋った・・・嘘こかないと宣言した覚悟で・・・(*^_^*)
ワカルパは、沙流では盲目に成らなかったら・・・総乙名(大酋長)候補だったのでしょう

2012/02/04 (土)  ユキのことが分った・・・(*^_^*)


大正4年に博士がワカルパ翁のシンヌラッパ(供養)がてら立ち寄って村中の人達と
過した時、婆さん連中に混じって・・・12歳のユキも居て・・・
或るカムイユカラを母親のタウクノ媼が半分やり・・・ユキが半分やったこと分った(~o~)
それとユキはワカルパ翁に似ていて・・・父は可愛くてしょうがなかったこと・・・
それで付いたアイヌ名も分った(*^_^*)

大正11年に大阪の外国学者にアイヌ語を教えに行っていて・・・知里幸恵が上京したのと
同じことをしていたユキ・・・翌年大阪から帰る途中、東京に寄り・・・
博士の処で足かけ2年位滞在して幸恵と同じようなことしていたらしい・・・

ユキから筆録したのは、数少ないけど・・・珠玉のものばかりみたいだ(^_^)v
ユキが持っていたお守り・・・信天翁の頭(ipe rusui chikap)直訳すると食べたい鳥
それも博士は、書いておられた。
ユキの情報は、両親が優れた伝承者だっただけに・・・格調高い
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Kutune shirika(虎杖丸の曲)は、新平賀サンゲレキの兄Chikupshiriから伝承したこと
Shupune shirika(蘆丸の曲)は、平取Itakratukの親父から聞いたと云っている。
そしてItaktatukとChikupshiriも途中で終っていた・・・と
皆、亡くなっていたので、ワカルパ翁が最後だったこと分かる
只、ワカルパ翁は、昔からサンプツと聞いていたのにルエサニだ・・・と
コタンピラがサンプツだけれど・・・私にはしっくり来ない(*^_^*)

八串の肉串の戦物語と草人形・くさひとかたもコピーしておいて
中身よく見ておく必要がありそうですネ
 

2012/02/03 (金)  コポアヌ媼のOkkayo(男)yukara・・・


大正2年の12月にワカルパアチャボが亡くなったのて゜・・・博士も慌てたと思われる(*^_^*)
翌大正3年の早春にコポアヌ媼とその息子タイノアシが上京して説明したんだと思う。

その時に、真っ先に筆録したのがOkkayo yukara・・・本当は女がやってはいけないもの(*^_^*)
禁を破って一つだけコポアヌ媼が伝えたのを・・・読んでみた。
確かに男のユーカラだけど・・・戦闘場面など端折っているので描写力が弱いです。
でも、ニセイカコタン アツイヤウンクルなど初めて聞くものが出てきて面白い。(*^_^*)

こうしてみると・・・金田一博士のユーカラノートは、アイヌの宝でしょうネ
ただ、アイヌでも解らない沙流の雅語=古語・・・(*^_^*)
樺太アイヌの古老だけが沙流の言葉は尊いと云っていたらしいから・・・???(*^_^*)

沙流はアイヌの都で昔から情報が集まる処でデータベースの保存も行われていたと
考えると・・・hauもsakoropeも在るのが納得出来る。(*^_^*)
hauのOtashutunkuruは、小樽に偉いニシパが出たこと・・・ワカルパ翁は伝えている。

2012/02/02 (木)  Shupne shirika(蘆丸の曲)・・・


昨日コピーしてきたヤヤシ所伝をコポアヌ媼が博士に伝えたのを読んでみた。
全然違う物語のようだ(*^_^*)・・・

ウテカレ媼のカムイユカラHeyaye・・・オキクルミの妹のお話・・・ワカルパ翁とピッタリしている。
矢張り、Nusakoro kamuiは、夫婦神であった。
有珠・虻田・幌別などは、ワカルパ翁は、神の祭り方も大分違っていたとフォルクローレで云っているので
その地方は、それで良いかも知れないが・・・沙流のものも勉強しておいた方が良いと思う。

ユキが遊びに行って八郎さんの妻(叔母)から聴いたと云うカムイユカラ・・・
Pishkato a pishka(Kesorap kamui yaiye yukara)ケソラブ神自序伝
知里幸恵の有名な 銀の滴降る降る・・・Shirokanipe ranran pishkan

殆ど同じ年代の乙女の環境の違いが見事に見て取れる二つのカムイユカラ
片やKesorap kamui・・・片やKotan koro kamui・・・
この違いは、重要な意味を含んでいるが・・・今まで論じられていなかった
知里真志保博士でさえ・・・ran ranは降る降るでなく 降れ降れであると云っている程度(*^_^*)

鳥のカムイユカラの題名は、鳥の鳴き声に成っているけれど・・・
知里幸恵の梟ならShirokanipe ranran pishkanと鳴くのは無理があるような気がする
ユキのhanchikikiの副題は、チュチュと鳴くが如しで雀のこと・・・それが鳥の名

カムイユカラは、年少者の教訓の為のもの・・・原典は実にシンプル
それを、その地域で変化させ娯楽性を持たせたのであろうと思う。
 

2012/02/01 (水)  #2  コピー・・・


道立図書館に行って司書のSさんに國學院図書館から来たものを見せて説明して来た。

コピー70枚して・・・マイクロフィルム4本からのコピーだから終ったの11時(*^_^*)
何回もやっているから慣れていても、その位掛かる・・・
國學院図書館のK氏が探し当てるの大変だと思うと・・・幾ら待っても良いと云う気持ちになる

金田一博士は、何故筆録した順番にマイクロフィルム化しなかったのだろう???
確かに初めて見たとき・・・Shanputunkuru otumi oshmaだけでもと・・・やったのが良かった。
欲張って他も・・・と思ったらノックアウトされていたかも知れない
学者でさえ手を付けない代物だけに・・・盲、蛇に怖じずとは良く云ったものです。(*^_^*)
でも、パラドツクス(背理)で考えてみると・・・正解なんですよネ
私は、最初から雅語から始めているので・・・そのままスゥーと吸収出来る。

これが下手に日常語から始めたら・・・頭がパニックに成っていたと思う。
知里真志保博士のイタドリの件・・・これは完全なる誤謬
幌別には、男のユーカラが無かった・・・もう少し素直なメンコイ気持ちに成れなかったものか?
違星北斗は、余市出身で色々やっている・・・大正15年に金田一博士に合っている
知里幸恵のことを博士から聞いて・・・その後、知里真志保にも合っている・・・
平取にも行ってバチェラーの幼稚園で働いている???
しかし、27歳で結核に倒れた・・・死にたくないと思っても人は死ぬ

ワカルパ翁は、アイヌの秘密を背負っていて・・・誰も受け継ぐ者が居なくて・・・
文字にしてくれる人に全部託した・・・そして納得して死んだ・・・
病気で死ぬのは・・・自然死であって厭う気持ちは間違っていると思う(*^_^*)
臓器移植をして生きたところで・・・他人の為に何をして上げた上で死ねるのか?

2012/02/01 (水)  ユーカラ群の原典・・・


どの時代のもの又、どの地域のものを対象にするか?で読み手の興味が違って来る。
それが今まで論じられてなくて・・・混乱していた
金田一博士もそこまで手が回らなかったのでしょう・・・文学論で始められている。

カムイユーカラは、神話・教訓と捉えると文学論に当て嵌まるが・・・
ユーカラは、男のもの・・・それに対してメノコユーカラが在って
オイナは、男神のもの・・・それに対して矢張りメノコ版が在る・・・と捉えると整理が付く

但し、男のユーカラは、過去の戦い相手の情報を詩として含んでいるので・・・
もし、気付かれたら攻め込まれる危険性があるので無闇に迂闊な者とか女性の娯楽で
やるのを禁止していた点・・・それが昔、守られていた沙流
Otkeni婆さんの話のように・・・
古代・中世・近世に至るまで、渡り党・唐子・日の本が存在していて・・・
又、同族でもその名声に嫉妬してイクサが有ったこと記録しているから(*^_^*)
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ワカルパ/フォルクローレに・・・アイヌラックル(オキクルミ)がやたら強い兄弟神と
喧嘩するのだが・・・Chup kamuiの子と知って・・・友達に成る。
兄弟も生まれの素性を知って・・・安心する
その兄弟がシヌタプカと余市に住んで・・・やがて子が繁栄してイシカリウンクル
シャンプトウンクル・ルウェサニウンクル・ツンニポクンクルに成って
レプンクル(メナシ)とかが強いポイヤウンペをやっつけて勢力を伸ばそうとして
イクサが起こった・・・それをオキクルミのシシリムカ(沙流)で記録した・・・
アイヌに何でも教えたからAeoina kamuiと云う。

沙流のアイヌが拝む三大神は、Wakka ush kamui(水神)Kamui huchi(火神)Shiramba kamui(木神)で
或る小冊子に書いてある・・・浜益の古老が云っていた
三大神は、Chup kamui(日神)・ape kamui(火神)Wakka kamui(水神)
太陽と木が入れ替わっているのは、面白いです。(*^_^*)

ユーカラに出てくるChupkaunkuru(東方人)と云うのは・・・私が最初、仮定した千島(北方四島)の
内の島(択捉を除く)と云うこともワカルパ/フォルクローレで解った(*^_^*)

それからするとどうやら・・・金成マツさんのユーカラは、平取で伝道活動をしていた
11年間に聞いたものをゴチャマゼにして書き出したもののように感じる
それだとアイヌの世界が歪んでしまう・・・(*^_^*)
矢張り、原典を見極めなければいけないですネ