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Part13   12月の独り言



11/12/31 (土)  今日は休み・・・


2ヶ月に及んで勉強してきたワカルパ/フォルクローレ・・・全体の整理がようやく着いた。(*^_^*)
これがアイヌ文化の原点だと・・・そしてその後の金田一博士の踏査のバックボーンに
成っていること見えてきた・・・

「アイヌ民族の古辞・雅言をたずね、部落生活の秘密へ触れていく研究になると
もはや女子の関知するところではない。」と仰っているのはホントの話(*^_^*)

郷に入らずんば郷に従え・・・自分が育った世界と違う世界に入り込んだら・・・
そのルールに従わないと・・・とんだことに成るし、相手にされない。
金田一博士が総乙名のツレアンからhai(カジキの角)で作ったpasui(酒箸)を
土産に貰ったと云うのは・・・挨拶を完全にこなしたと云う証拠。
それをワカルパ翁から徹底的に教えて貰ったこと・・・アイヌの男は誇り高い。
ツレアン翁は、日本のことに詳しい人だったようで・・・ワカルパ翁も親のように
尊敬していた人・・・そのパスイ(酒箸)何処で保存しているのか?

ユーカラを読むと・・・そのパスイが浮いている酒の入っているシントコ(行器)を
飲み干す場面があるけど・・・ユーカラとメノコユーカラは、アイヌのニシパの
弁えなければならないオキクルミの教え(irenka)を周りに伝えられるか?
・・・を対局に据えて成り立っている

ユキのhennoye・・・コポアヌ媼のWendarep yukara・・・
ワカルパ翁が先にその話の真意を伝えていて本当の伝承と云うものを
彷彿とさせている・・・香り立つように有機的に
ワカルパ/フォルクローレを公開すると、アイヌに対するイメージが一変
して、礼儀を重んじる民族で・・・人生で得た知恵・教訓を尊重し
次代に伝える社会が生き生きとして存在していたこと学べると思う。

アイヌの世界観・死生観・神々・魔物・・・まるで密教の曼陀羅のように
又、仏教の貪り・侮り・憎しみの三毒を戒めているユーカラ群
決して娯楽の為の説話では無いこと・・・
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今まで、ワカルパ翁のものは、ユーカラとカムイユーカラの一部しか
訳されていなくて・・・それも殆ど読まれていなくて(*^_^*)
アイヌとしてそれを看板にしている人でも・・・殆どワカルパ翁の凄さを知らない。

月中人と云うカムイユーカラでは、ウグイ(shupun)を馬鹿にする言葉がparimomoで
parimomoとは、口がすぼんていると云う意味らしいが・・・
ゴロが良いと言うことで使っているアイヌが居たり・・・(*^_^*)
正しいアイヌ語を学ぶならワカルパ翁の残したものだと思った方が良い。

カムイノミ(祈り)の言葉・・・熊送り・熊を取ったときの儀式の作法・・・
人が死んだときの言葉・刀の意味・サパンペ(冠)の意味・・・
アイヌが知りたいこと・・・全て伝えている
 


11/12/30 (金)  wakarpa/Forkrore


84枚168頁の分類整理が90%くらい終った・・・大学ノートに移してのこと(*^_^*)

それを又、HTMLに整理してワカルパ翁のユーカラを読むのに役立つようにしたい。
オイナカムイ(オキクルミ=アイヌラックル)とポイヤウンペとの関係とか

ワカルパ/フォルクローレを読めば・・・古代・中世のアイヌ世界が昨日のことのように
イメージに浮かんで、面白いのは何故なんだろうと考えてしまう(*^_^*)

蘆丸の曲にしたって・・・平取・新平賀・紫雲古津のユカラクルが全員同じ処で
終っていると云うことをワカルパ翁は博士に教えている・・・
蘆丸の曲は、結末が判らないユーカラ・・・
大正11年に知里幸恵が博士の処に滞在したときに・・・コタンピラが客となって
堂々と蘆丸の曲を最後まで演じたのを知里幸恵がすっかり判りましたと云って
書いたのを博士は、別伝としてその労に酬いるとしている(*^_^*)

コタンピラの洗礼名もワカルパ翁は、教えているのに・・・(*^_^*)

ユーカラとして約束ごとがあって・・・iresusapo iresu yupiとか育てる人を始めに紹介
一人で育つこともあるが・・・時代が神に近い創世記(*^_^*)
コタンピラの始りは、akor yupi akor sapo shisak chireshu・・・
ユーカラのルールから外れている・・・メノコユーカラに近いかも・・・

金田一博士はアイヌの土俗とか全て文化のエッセンスを求めていた・・・
アイヌにしたって今までシサムの文化も凄いと思って尊敬していた
矢張り、強い者を尊敬するのは、当たり前のことであって・・・

ワカルパ/フォルクローレに乃木大将が出てきてビックリした・・・
NHKでやってた・・・坂の上の雲の時代だもんな〜
日露戦争ですよネ・・・その頃擂鉢山のチャシが無くなった・・・
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今月のスパムを記録しておこうかな・・・アメリカ1個・中国3個 計4個
累計177個・・・177×64500=1140万のサーバを拒否したことに成る(*^_^*)
割り引いて1000万かな?(*^_^*)

残り123個/5個=24ヶ月と云うことは後2年間楽しめるということかナ?(*^_^*)
 


11/12/29 (木)  アイヌの原点(原典)・・・


ワカルパ翁は、古老から蘆丸の曲を教わった・・・その古老の息子からも聞いて
新平賀の酋長サンゲレキの兄さんもユカラクルで途中までしか無いこと確認している

ユーカラは、矢張りコンピュータサーバのミラーリングのように一人から
何人か受け継いで途切れないにしていたことが理解出来た。
ユーカラクル皆死んでしまったとワカルパ翁は云っている。
確かに自分が死んだら・・・ユーカラは、永遠にこの世から消えてしまうんですよネ

アイヌ文化の根元はオキクルミ(アイヌラックル)として悠久に語り継ぐものとして
oina kamuiとして崇めていて・・・そのupashkuma(昔語り)が男達の拠り所
祈りの言葉も呪文のように短いし、詩のように感じるもののように思える(*^_^*)

金田一博士がOinaとYukaraを救おうとしたのが大正解であったと云うこと。
洞察力が冴えてのことでしょうネ
 


11/12/28 (水)  後三日・・・(*^_^*)


丁度14ヶ月で読みたいユーカラなど結構読めるようになった(^_^)v

アイヌ語には、普通語yayan itakと雅語atomte itakがあるのと・・・
敬語は、動詞が複数形になるとか・・・沙流アイヌの世界では当たり前のルールが在る
普通語 彼・アイツ=ashinuma=雅語 私・自分・・・人称が変わる

そう言うことがワカルパ/フォルクローレにビッシリ書かれているんです(*^_^*)

例えばシャクシャインの蜂起は、和人側から見ると大変な事だったけど・・・
同じ時期に在った有珠の噴火で沢山アイヌが死んだことの方が重要だったアイヌ情報
視点が全く違うんです・・・価値観が・・・(*^_^*)
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國學院大學図書館からコピー届きました・・・44枚?
確認してみると虎杖丸の曲の後編と蘆丸の曲の最後の語句がしっかり
肝腎の覆舟変化物語(Samchip upshi chipako ashkuru)は表紙のみ(*^_^*)

マイクロフィルムのコピーの難しさを感じます。訳したことないと・・・
何処が始まりで何処が終わりか判らないことを示している(*^_^*)
今回の分は、郵便振替で直ぐ代金支払っておいた・・・
来年の開館直ぐに又、コピーをお願いしてみよう・・・

しかし、今回の蘆丸の曲で今まで解らなかったワカルパ翁が云っていた古老が
判っただけでも大収穫・・・平取のitakratukの親父shupneshirikaを知ってた
それから聞いたitakratukからも、サンゲレキの兄からも聞いた
そこまで云う
itakratukも死す、以上の人皆死すshupneshirikaを終わりまで
知っていた筈だが死んだ。
 


11/12/27 (火)  道立図書館への報告・・・


明日から三日までお休みのようだから・・・Sさんには4日にでもメールいれておこうかナ(*^_^*)
ユーカラに取り組んでから図書館に行くようになったけれど・・・
本は自分で買って読むものと考えていたのは、間違いだった・・・
中央図書館にも良く通ったナ〜・・・マイクロフィルムが在るのを知ってから道立図書館

でも、Sさんも仰っていたいたけど・・・何故Wakarpa/yukara 2 volが欠けているのか?
解らないそうで・・・國學院に在るはずとお話ししたのは事実です。(*^_^*)
最初、ロックフェラー財団からの補助でマイクロフィルム化出来たので・・・
きっと在ると予想していました。

道立図書館でも全部揃うと・・・良いのにネ(*^_^*)
 


11/12/26 (月)  #2  Wakarpa/yukara 2 vol


國學院図書館が明日から休みに入るので電話してみた・・・
担当のK氏がコピー終って今日、発送して下さるそう・・・(^_^)v
國學院大學の図書館は学生のみの利用と成っていて一般には公開してないらしい。

道立図書館のご配慮によりワカルパ翁のユーカラが全部揃うのは、感謝の至り
辞典を作ったのが無駄骨に終らなかったのは、やって本当に良かった(~o~)
reraruturuと云うのもワカルパ/フォルクローレに書いてあった。

金田一博士が25年間自ら筆記されたノートは、アイヌ文化を網羅されている。
博士が亡くなってから40年も経ってしまって・・・知ったユーカラの存在
何故?・・・後を継ぐ人居なかったのだろうか?
確かにユーカラ集が刊行されたのが昭和34年・・・私が10歳の時
それまでアイヌものはタブーだったのだろうか?

アメリカインディアンのように狩猟民族だったアイヌ・・・
その哲学は、世界的に見ても貴重なものだと思う・・・其れに触れた金田一博士
人類の起源にも迫れる予感は、心が震えたと思われる。
ワカルパ翁の哲学は、形而上学・・・博士の実感の科学に近い・・・
叩けば響く・・・お互い琴線に触れあって共鳴するように喜びを感じた。
恐らく二ヶ月間だったと思われるが・・・ワカルパのものを10冊残されている。
ワカルパ翁から聞いたことを確認する踏査を続けられたこと
それがユーカラノート46冊なんですネ
ワカルパ翁は、下場所(有珠・虻田・白老・長万部)の風習とかは・・・
沙流のものと・・・違うものでアイヌの本来の風習からは異質のものと云っている。

金田一博士がそれを確認したのが・・・金成マツさんの虎杖丸の曲
ワカルパ翁が残したユーカラと同じ題名のものが9曲残されているが・・・
博士は恐らく全部読んでいる筈・・・それらを外したのは???
よく金成マツ・知里幸恵の援助によって金田一博士の研究が成されたと云う
本があるけど・・・嘘ですよネ(*^_^*)
 


11/12/26 (月)  アイヌの哲学


アイヌは、生命現象の中でバランスを保つものをカムイとして拝むらしい
それと特殊な能力を持つものの神性も尊重して学んでいる。

土自体には、神が居ないと云って・・・ワカルパ翁は地神をアイヌの四大神様と説明している
地神と云うのは、樹を指していてShiri koro kamuiは一本の木・・・
その中で親分なのがShiramba(pa) kamui 森林全体の神はShiri ampa kamui(男神)らしい
似ているけど・・・概念が全く違う・・・(*^_^*)

バチェラー博士がKamui koro kenru(chise)と云っているのを沙流の物知りアイヌは
みんな可笑しくて笑っていたことをワカルパ翁は金田一博士に教えている。
金成マツ姉妹が平取で伝道していたんです・・・その部分が今まで見えて居なかった。
結局、遊牧民のキリスト教では、狩猟民族の哲学には浸透せず失敗に終った。
絶対神の無い和人の八百万の神々に近かったアイヌの神々
親近感を覚えるのは道理・・・漆器は憧れの的だった・・・Shisam(真の隣人)

狩猟に欠かせない皮剥の刃物・・・日本刀とか鍛冶の凄さを尊重している。
それが本当のアイヌの哲学だと思う。
決して土地を奪われたと思っていなかった・・・お互いに尊重していた
共存を模索していたアイヌも居たのが本当の処だと思う。
ワカルパ翁は、文字にしなければアイヌの伝承が無くなることを知っていた。
文字を持っているShisamに頼るしかない・・・
その頃姿だけはアイヌの風貌でも嘘こきが多かったと思う(*^_^*)

どんな時代、どんな人種。どんな環境であっても・・・役割を全う出来る人少ない
他を尊重する哲学がアイヌには在る・・・それがアイヌ語
確かに男尊女卑の忌まわしさはあるけれど・・・男の役割はしっかりしている。
アイヌの舟の神は、女らしい・・・だから女を舟に乗せると嫉妬して振り落とそうとする
納得(^_^)v
 


11/12/25 ()  国立博物館


国立の博物館が北海道に出来るそうで・・・その調査費用600万の予算が付いたそうで
誰が調査するのだろう?・・・白老、所謂下場所が拠点に成るらしい・・・(*^_^*)

でも、ワカルパ翁が残したものを研究し尽くさないと臍を噛むことに成ると思う。

明治31年から平取で11年間キリスト教の伝道に努めていた金成マツ媼のことは
知っていたと思うし・・・バチェラー博士のことにもワカルパ翁は触れている
アイヌ側は、どう見ていたかが解って興味深いものがある。

ワカルパ翁が子供の頃、12・3歳になると男の子はオモチャを賭けて・・・
ウコチャランケで競い合い・・・訓練されていたことが解る。
その中から優れた者を選んでユーカラを伝承したものと思える。
ユーカラは、娯楽でなく・・・そのまま伝承しなければならない厳格さが
命だったことを示している。

儀式の時に使う刀と冠(sapampe)の意味とかアイヌ文化の全てを
網羅しているワカルパ/フォルクローレ
金田一ユーカラノート46冊に含まれている・・・
その中でも、ワカルパ翁が残したユーカラのみがユーカラの原典
これを国でしっかり翻訳して、一般の人に公開すべきだと思う(*^_^*)
 


11/12/24 (土)  ようやく・・・チャランケ


言葉を駆使してお互い納得するまで討論するチャランケ(言葉の仕舞)に辿り着いた(*^_^*)
チャランケを理解しないとアイヌの世界が理解できない程のもの・・・

纏めの半分くらいに達した感じ・・・
 


11/12/23 (金)  Shantatoripaina(月に住む人)・・・


金田一京助全集第八巻のSantatoripainaとは微妙に違うのがワカルパ/フォルクローレの
月中人・・・ワカルパ翁の方が素朴で構成がしっかりしている。恐らく原典であろうと思う。

それと今日解ったのは、ユキの
Ponotashutunkuruは途中が抜けていなくて・・・
私の勉強不足によるもののようだと解った(*^_^*)
金田一博士が訳されているのを見ると・・・辻褄が合うんです(-_-;)
沙流の雅語は、アイヌでも解らないものだけに・・・そんなに悲観はしておりません。
そうやって開き直れるくらい難しいんです。(*^_^*)

それで翻訳したものを公開出来るようなので・・・無駄骨折れにならなくて良かった(^_^)v
ユキのものは・・・金田一博士殆ど訳されているみたいなので・・・安心した。
ユキのものは、創作がない素朴で純粋の伝承だから私は好きだナ〜
カムイユーカラは、基本的に童話だと思う・・・
ワカルパ親子のkami yukaraは、素朴なんだけど・・・哲学を感じる。
子供の心には、強烈な印象を与えると思う・・・
 


11/12/22 (木)  Nusakoro kamui・・・


イナウを立て幣場を統括するカムイなんだがオキクルミは夫婦神と云っていて・・・
アイヌの働きとか仕事とかを見守っている神らしく・・・畑が良く出来るようにも見ているとか

太陽神は女で月神は男だとか・・・その思想の根本を表現していて面白い(*^_^*)
西洋ではアポロンは男神だし・・・全く逆の思想がある

祈りの言葉を今、勉強しているが・・・崇拝すると云う感覚ではなく・・・相対的な立場で
お互いの立場をしっかりやって一番良いようにしよう・・・俺もやるからやってくれ!(*^_^*)
それがアイヌの哲学みたいだ・・・

金田一博士が知里幸恵にワカルパ翁のことを話したことあるのだが・・・
博士が知里幸恵の神謡集から受けた印象は沙流では、厳格な掟があって
幌別では、それ程拘束されずに違ったルールが一人歩きしていると云ったものでは?

沙流周辺地域では、厚真に優れたユカラクルが居たらしいが・・・受け継ぐ人が居なくて絶えたみたいだ
厚真の酋長が総乙名のツレアンの処に酒飲むに来て何か伝えたとか・・・
酋長同士の交流も在ったことなどアイヌの男の世界を視界に入れないと
なかなかアイヌ文化は、見えて来ない・・・
コポアヌ媼の言葉に「女は神言は云うものでも聞くものでもないから/知らぬ」と
大正3年に云っているから神々の正式な名なども知らなかったと思われる。
普通の祈りと祈祷の時使う神の名も違うくらいだから・・・(*^_^*)

金田一博士は、男がやるユーカラ・メノコユーカラ・オイナ・ハウ・サコロペ
ハウキ・カムイユーカラ・ウゥエペケレ・シノッチャ・・・全てを記録されている。
その中での幌別のものを評価されていて・・・こう云うのも存在していると
云った処で全体の一部として捉えられていたみたいだ。
個人的な取捨選択をせずに・・・先ず残すことに専念されていた。(*^_^*)
 


11/12/21 (水)  覆舟変化物語・・・


覆舟変化物語は、虎杖丸の曲・蘆丸の曲に次いでワカルパ翁が伝えた曲・・・
きっと面白いのに違いないと思う・・・(*^_^*)

今まで世界文学全集とか読破したことあるけど・・・ユーカラみたいに面白かったのって?
そんなに数多くないように思う・・・創作はそれなりに面白いが・・・

近代人の想像力の殻を破って解き放さないとナカナカ理解できないところが面白い(*^_^*)
子供の想像力を鍛えるには最高のものかも知れない。
狩猟に依る生活って・・・自然界の動物とか鳥とかの生活に近いから将にサバイバル
その知恵を学んで・・・北海道独自の文化を築き上げると面白いと思うナ〜

ワカルパ/フォルクローレで面白いことが書いてあって・・・鹿は天国では犬で神になれないそう
狐でもカミアシ(化け物)が居てそれにはイナウをやらないとか・・・
何でもかんでもイナウとお酒を上げないそう・・・(*^_^*)
そう言うことが具体的に今まで解らなかったからアイヌ文化が見えて来なかった。
 


11/12/20 (火)  紫雲古津の末裔・・・


オキクルミの神話がそのまま生活に結びついていた百年前の紫雲古津・・・
百年前と云えば・・・私の親父が生まれた年なんですネ〜(*^_^*)

これで自分の先祖がどのような人達であったか?・・・判ってる分には何かしら落ち着きを覚える。
その遺伝子に刻み込まれた・・・理屈ではない感情の部分、大概の人は持て余す(*^_^*)
分けもなく込み上げてくる激情とか・・・理屈では割り切れない行動とか・・・
ワカルパ/フォルクローレには、ワカルパのエカシキリ(系図)が載っていて・・・
カユシピンナ(妾の子)がアイヌの世界ではフーリ(怪鳥)を退治した英雄として名高い。
Wendrap yukaraは、七代前のエカシが伝えたそうで・・・

ワカルパ翁は、本妻の末裔に招かれて行ったことがあって・・・随分歓迎されたと云っている
本妻の末裔が居た処は、鵡川のポペッ(穂別)で・・・そこから一人メノコ連れてきて
八郎さん(ウレシパツクの弟)に添わせたとも云っている・・・
その伯母(ユキにしてみれば)から聞いたのが・・・
「Pishkano a pishka」と云う “Kesorap kamui yayeyukara”自叙伝

伝承は、あくまでもそのまま伝える能力があるか?に掛かっていて・・・
判らない部分を誤魔化して勝手に創作した人が殆どだったことも事実
ワカルパ翁の蘆丸の曲は、途中で終っている・・・古老から此処までしか聞いていない(*^_^*)
それが伝承だと思う・・・

ワカルパ翁は悉く、下場所(有珠・虻田・長万部辺り)の風習とか神々に対する
イノミ(祈り)とかは、本来のアイヌのものではないと云っている・・・具体的に
何故?今まで幌別とか他の地域のものだけを研究者はやってきたのか?

同化政策に都合が良いものだけにお金が廻ったのか?
例えば金成マツさんの22曲の意訳に2億円は掛かっていると思うと・・・
納税者としては、許し難いことなんですが・・・(*^_^*)
そう言うことが・・・顕在化してしまうワカルパ/フォルクローレ
決して私の創作ではなくて・・・ワカルパ翁の教えを只そのまま発表するだけ(*^_^*)
 


11/12/19 (月)  浜益行き・・・


今日休みなので恒例のシャケの飯寿しを取りに行く予定だった・・・
石狩方面は、凄い雪だったので・・・大丈夫かな?
帰宅して直ぐ女房と浜益に行って来た・・・途中少し雪が降ったけど大丈夫だった(*^_^*)

飯寿しを取りに行くと年の瀬を感じます・・・
後、12日を残すのみとなったが・・・覆舟変化物語今年中に届くかな?
マイクロフィルムのコピーって慣れないとナカナカ難しいもんです(*^_^*)

ワカルパ翁のYukaraとForkroreが揃うと本当にアイヌの世界観って・・・
何時の時代にも当て嵌まる哲学が生きていて・・・勉強になる。

アイヌの神々の勉強も今年中に終らせて於いて・・・1月からワカルパ/フォルクローレの
纏めに入って行こうと思っている・・・アイヌのバイブル

例えば、川上勇治著 サルウンクル物語(増補版)に書かれている事なども
ワカルパ翁は、博士に教えている・・・トパットミについてのお話しで・・・(*^_^*)
たった2ヶ月の間に良くもまぁ・・・アイヌの全てを伝えたものだと驚愕する程
幌別も含めてのことだと思うが・・・所謂、下場所・・・有珠・虻田の辺りの風習・習慣・掟・諸々・・・
沙流とは、違った次元のものだとも教えている・・・(*^_^*)
ワカルパ翁は、アイヌには・・・渡り党・唐子・日の本の3局があること認識していた。

阿倍比羅夫が相手にしたのは唐子アイヌだと思う・・・所謂yaunkuru
金田一博士が突拍子もないこと仰っているのは、コシャマインの蜂起なんて無かったと?
唐子アイヌにしてみれば・・・渡り党の内部の揉め事で記録には残さなかっただけ?
和人は、アイヌ対和人と記録しているが・・・そうでは無い
東北のアイヌと流刑のロクデナシが放たれた渡り党の揉め事にしか映らなかった。

それどころでは無く・・・メナシウンクル(日の本)が寝首を掻くに来るから・・・
その情報をユーカラとして残した・・・超機密情報
漏らしたら神罰が下るというもの・・・ワカルパ翁は、里に帰る時・・・
博士から貰ったお金で・・・上野の写真館で写真を写している・・・
覚悟は出来ていたのだと思う・・・もう逢えないだろう・・・と

もう一つシャクシャインのことも沙流では、伝えていないように思える・・・
メナシ・クナシリの蜂起と云われているツキノィエでようやく出てくる不思議(*^_^*)
シャクシャイン=sankusuainu・・・出しゃばりアイヌ
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シャクシャインは、ハエウンクル(ハエ川筋)のオニビシ(Onnepish)を討った。
ハイウンクルを討ったのでは無かった・・・(*^_^*)
沙流のhaiunkuruと千島のchupkaunkuruは、言葉で人を殺すそう・・・
そう言った今まで知らなかったアイヌからの視点の記録・哲学
その鮮やかさに皆さん目を奪わられると思う・・・(*^_^*)
 


11/12/17 (土)  金田一京助ユーカラノート


金田一博士が学生の頃からバチェラー博士の辞典などで勉強しいたのとは・・・
全く違ったアイヌの世界・・・先駆者として赤子のように一から遣り直したのが良く解る。
一旦、全て捨てて・・・空っぽにしてから挑んだのが判る。

老子の教えに・・・家の中が空だから住めるのだと云うのが在るけど・・・
物置みたいに一杯詰っていると住めないよナ〜(*^_^*)
ワカルパ翁の情報は底が知れないから・・・質問するとポンポン的確な答えが出てくる。
それを次から次と書いていったのが・・・ワカルパ/フォルクローレ

只、不思議なのは・・・ワカルパは同じ事を繰り返した部分が殆どなくて・・・
似たようにみえるけれど・・・それは、違うことを説明している・・・

金田一博士は、一つ疑問を投げかけている問題がある・・・
ワカルパ翁がアイヌラックルとポイヤウンペが一緒に出てくるのは無いと言ってることと
Wendarap yukara・・・7代前のエカシが気分悪く成って目が覚めたとき
聞こえたユーカラには、将にアイヌラックルとポイヤウンペが出てくる。
ワカルパ翁は、此のみである・・・その当時オイナにもポイヤウンペが出てくるものが
沙流の上(かみ)でやられていることを憂いてのこと・・・

矛盾は、全然ないのに・・・(*^_^*)
Wendrap yukaraは、OinaからYukaraにバトンタッチしたことの象徴
ユーカラ集を始められた時にOinaから始められたのは正解だったけど・・・
次、ユーカラに移行するときにWendarap yukaを最初に持ってくると
読む人には、すっと入り込めるように思える。
博士は、ユーカラなどは、独立した物語と考えておられたように思う。

実は、Oinaとメノコ版Oina・・・男のユーカラとメノコユーカラ
カムイユカラ
それらが曼陀羅を描くように・・・有機的に配置されていたことにハッキリと認識
されていなかったようで・・・ユーカラともメノコユーカラとも分化してしまった
創作のものを先頭に持ってきてしまった為・・・混乱を招いてしまった。
その当時では男のユーカラが沙流にしかないことをハッキリ認識されて
いた筈なんですが・・・(*^_^*)

どんな理由があるにせよ・・・金成マツさんのものを先に出したのは、拙かった(*^_^*)
 


11/12/16 (金)  ワカルパ翁の滞在期間?


記録では、6月25日から8月10日までは判るのだが・・・何日まで滞在したか?判らない
しかし、それらしい手紙の返信に26日というのがフォルクローレに在る?
と云うことは・・・2ヶ月間に10冊のノート満杯のことを伝えたことになる・・・
博士の25年間のノートは46冊・・・知里幸恵の2冊引くと44冊
何と22.7%も占めているんですよネ(*^_^*)

身内のウトムリウク・タウクノ・ユキのものを含むと・・・25%になると思う
これを整理すると・・・古からのアイヌ文化が見えてくる。
今まで金田一博士の筆録ノートの一部だけで論じられていたアイヌ文化
本当のことを知るということが何と楽しいものか?
世界に類をみない文化が100年前に存在していた北海道・・・皆で大切にする工夫が必要

イオル構想は、全道を扱っているユーカラを土台にして徹底討論してからでないと
ダイナミックな活動も望めないし・・・魅力も薄れていくと思う。(*^_^*)
 


11/12/14 (水)  #3  遂に連絡在り・・・


昨日、道立図書館から電話が入り・・・女房が受けたらしい・・・
休みなのに何故?・・・起こさなかったの?・・・(*_*)・・・私が夜勤だから(*^_^*)
今日のAM9時半に電話呉れるらしい・・・(*^_^*)

果たして・・・見つかったものか?・・・否か?
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道立図書館のSさんから電話が入り・・・國學院大學図書館にあるそう・・・(^_^)v

電話番号など教えて頂いて・・・早速、電話してみた・・・
複写依頼書を郵送して下さいとの事で・・・早速依頼書書いた。
これで、来年のワカルパ翁没後百年目に全部翻訳出来そうですネ〜(^O^)

ワカルパ翁のもの整理ついたら・・・コポアヌ媼のメノコユーカラなどの
転記だけでも進めて行こうかな?・・・そうしたら訳してくれる人出てくるかもネ
転記も慣れないと結構大変なんです(*^_^*)
出来れば、アイヌの青年が訳して呉れると・・・一番良いことなんですが・・・?
アイヌの人達も知らなかった・・・アイヌの本当の伝説が紫雲古津に残っていたこと

しっかり知って欲しいと思います・・・そして、自信を取り戻して新しいアイヌを
実現して貰いたいと思う。
ワカルパ翁が14曲のユーカラを保持していたことは、人間業とは到底思えない程
凄い能力だと云うこと・・・世界に誇れるものであると云うこと。
人間の頭脳って矢張り・・・凄いものだと実感する。
悪い心で利用すると・・・これ又、悲劇を生むことになる

ワカルパ翁は、精神が湧水のように清らかで善のみに心を砕いていたので
悪の部分が無い分・・・キャパシティが倍に成ったのかも?(*^_^*)
これは、パラドックスだけれど・・・人間の大事な哲学かも知れない。
矢張り、ワカルパ翁は、哲学者で詩人だ。大酋長のTureanも
頼りにしていたこと・・・解るような気がする。
 


11/12/14 (水)  #2  刀のタカラ「アイヌのヌイ(彫刻)したものでなく」(ワカルパ/フォルクローレより)

日本から渡ったものに次の様に色々名あり

 

emushpo
 

☆ iune mushpo

一番良し

☆ saemaki
☆ yayanemushpo
pirorun emushpo
yukatainep
pontono karape
porotono karape

一番良し
一番良し
ビロロへサキに上がったから

一番の宝
一番の宝

 

tannepiko
 

pirorun tannep
rakko tasap
shikkoto tannep
kokokoni kairan
poro emush
seuri kairan
yashamomap
pakkai tannep
iyun tam

ビロロへサキに上がったから







 日本の人の形ばっかり一パイしたもの


tureanotekoの家 ほんとの大将の家だから其の処に沢山ある
これだけのもの皆、村にある。 これらを持たぬ者を貧乏と云う。

江差 
esashun seppa 一番良い
Kunnemoと云う人、江差で作る imusjnipi  tuki  shintoko
一番品が良い。 漁場でカラ(コ?) アイヌ ムチャに使われる。
 

鍔にも 

chikoipa
ine suipa chikoipa seppa kota kap nep aetui tumi
村の代りになるもの〜どんな敵 村に押し寄せても、其れ出すと
 喜んでオンカミ(礼拝)してとって、村を害さずに帰る。

刀のこと ekashi taraka   ekashi
病人ある時、鍔抜く。火の神へもの云う。直す

腹へこすって枕下へ入れ祈る・・・その言葉 秘密
 


11/12/14 (水)  刀について・・・アイヌ刀(ワカルパ/フォルクローレより)


刀は、言葉悪いところ直してくれる神なり。己のramachi(心)よりよくわかる。
 

 itak ramat ne
 ene wa kusu 
 ene kopirika 

itakno pito
inomi teksam
kopunki ne



 
良くもの云う神様

己の口云う事下手なら 直して行ってくれ !

今でも若いもの刀差して 外へ出して イノミさせる。 刀やtannepikoは男なり イカヨウも男
これを擬作した太刀形のパスイと一尺位のイカヨウemushpo ikoro ikaypikoroとは女なり。
金田一博士 画
昔、年寄り沖へ出て鯨殺しているものを見る。人の切る如し
何だろうと思ってると 刀 波から出る(repun kamuiなり)
その形とって刀作る。nokachikaraと云う刀 これを鍛冶に作らせる。
アイヌの刀の中、一番よく切れる。

ib(p)etam〜ひとりでに抜けて ひとりで振り動く刀
 


11/12/13 (火)  Webサーバの引っ越し・・・


以前一回在ったような気がするサーバの引っ越し・・・(*^_^*)
来年1月に又あるらしい・・・新しOSなのでCGIの動作確認をして欲しいとメール来た。
サーバも器械だから・・・疲れるわな(*^_^*)

サーバは、心臓と同じ・・・休んだらお釈迦だもんな〜(-_-;)
新しいOSって・・・何だろうと思うけどファイルシステムは、同じだと思う・・・EXT
Perlのディレクトリを調べるだけだと思うが・・・?
でも、サーバのセキュリティが上がるのだけは、間違い無いと思う
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CGIを使えなくなると・・・ユーカラ群の翻訳が出来なくなるので・・・
真剣にやらねばならないですもんネ〜(*^_^*)
CGIを認めているサーバでないと・・・ユーカラ群の翻訳は、殆ど不可能に近いんです。(*^_^*)

現行の辞典は、殆ど使い物に成らないし・・・自分で辞典を作るしかないのが現状
インターネットに掛かるお金ってそんなに差がないんです。
それならCGIを使えるプロバイダの方が・・・良いに決まっている。
 


11/12/12 (月)  ヌッキペッのツナレまで・・・


大正二年にワカルパから現存するユカラクルを教えて貰っていた一人ヌッキペッのツナレ
ワカルパは、ツナレのことをハウキの名人と教えている。

大正四年の樺太の調査でも、ツナレのことを聞いていたからハウキの名人として
樺太でも知られていたものであろうと思う。博士はハウキは樺太で筆録すれば良いと
考えておられたのか?・・・大正12年までツナレに逢っていない。

私の推理では、大正二年にワカルパが大酋長ツレアンの病気平癒の祈祷をしてから
コポアヌと一緒に上京して、その当時伝承を面白可笑しく変えているのに・・・
これではアイヌの本当のことが残らないという危機感に苛まされ・・・
全て本当の事を文字にして貰おうと覚悟を決めて、素直な気持ちで挑んだ。
筆録しやすいように、ハッキリ、ユックリと工夫して伝えたように思う。
そして沙流川筋のユカラクルの事も教えた。

ユカラ伝承者は、特殊な能力(そのまま伝承する力)を必要とされる為、子供の内から
その能力を試されていたと思う。又、夢を見てユカラクルに変身したのもいたようで・・・
しかし、基本は伝承であるからアイヌ世界のデータベースである重責を負う。
普通の生活もままならないのに、でも村の男の中で村社会を守る者が必要
誇り高い者がそれを引き受けた。

博士の家で筆録も後半になり・・・里で病人が出たと連絡が入り・・・
帰らねばならなくなる[その病人とは、憶測ではあるが、ワカルパ夫妻が共に
盲目になり身を寄せていたウレシパツク(タウクノの姉)の弟八郎さん]
従わざるを得ず・・・博士は又、逢えると期待して、ワカルパは紫雲古津に帰った。
しかし、筆録させて貰える筈のユーカラの曲名3つを残して・・・

帰って直ぐ八郎さんの祈祷をして・・・何とか回復して・・・
世話になった貧乏な博士に秋味を食べさせたくて・・・博士に貰ったお金で糸を買い
オキクルミの教え通り網を編んで・・・盲目なのに冷たい沙流川に入って
一匹も捕れずに風邪を引いて亡くなってしまう・・・まるで聖人

亡くなったことは、直ぐ博士も聞いたのでしょう・・・
博士は、聞き逃したユカラを翌年の春四月にコポアヌと息子のタイノアシに
来てもらつて確認するが・・・コポアヌが禁を破ってOkkayo yukara1曲伝える
タイノアシは、ユカラクルでは無かった。Shisam uwepekereを伝えている

博士の周辺の人達の何方かが聞きつけて、踏査費用を道庁から出るよう
骨を折ってくれたものか・・・大正四年に樺太と紫雲古津を徹底調査する。
しかし、改めてワカルパのみがユカラクルだったこと確認することになる

大正12年になってコポアヌの案内で、21歳の久保寺青年ともう一人と
四人で最後のユカラクル ヌッキペッのツナレを訪れるのであるが
ツナレは、結核に罹り、明日とも知れぬ瀕死の状態だつた。

博士は、虎杖丸の曲の最後の戦いとそれに関してのお話しをされ・・・
恐らくは、博士はワカルパから教えて貰ったものと、聞き逃した三曲の
ユーカラを話したと思われるが、ツナレは、三曲のことは知らなかったのでは?
そして、その代りユーカラ最長編の「鹿の皮衣」を演じてくれたが・・・
最初の方だけで後、頭が朦朧として続かず・・・博士はペンを置いた。

男のユーカラ(ユーカラと呼ぶ)は、別物で独立しているもので沙流のみに
在ったもので蝦夷全域を扱っているもの・・・後は地方のもの
それもワカルパ/フォルクローレに書いてある・・・
概要は、ヤウンクルとメナシウンクル(レプンクル)の葛藤の歴史。
 


11/12/11 ()  沙流 貫気別の黒川ツナレ・・・鹿の皮衣


11月24日にコピーしてきたのを良く読んでみると・・・鹿の皮衣だった

ツナレのエカシキリ(系図)

Rekiure ー Sakanposo ー Ambu ー Kuwapauk ー Tummoto ー IIpishkauk ー

Shitomriki ー Uwankote
・          ー Tunare

最初カタカナで書かれていて、後ローマ字に成っていて・・・見開きで8枚・・・16頁の筆録
これが知りたかったんです。「鹿の皮衣」はハウキかと思っていたのだが・・・
ポイヤウンペが出てくるので間違いなくユーカラであった。

そして、博士はペンを投じて目を閉じ・・・
「あぁ これが、アイヌの民族的大叙事詩がこの世に影を没する最終の幕か!」と呟いた
大正12年ユカラクル最後のものであった。
このことを認識しないと真のアイヌ文化が見えてこない・・・重要な事柄
次回で詳しく書いてみよう。(*^_^*)
 


11/12/09 (金)  #2  Uwepekere・・・説話(ワカルパ/フォルクローレより)


童話も子供にuwepekereのつもりして ukashpa otte(教訓)にepakashnu(教え)するもの。
[ここでの童話はカムイユカラ(神謡)を指しているのだと思う]

ー・・・ 狐について ・・・ー

狐くらい山で物わかる獣なし。 良いのは極良い 悪いのはうんと悪いが。
牙の長いもの神さまになるが、短いのは神様になれぬ。
頭上におき、熊見つけるか否かと云って落とす。見つけないとなれば
頭下に落ち、見つけるとなれば起きて落ちる。
[されこうべを置いて牙が地に着く位のものでないと神にならぬ
onne(年取る)したものは長い。]
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ワカルパ翁が東京に持ってきていたお守りが、この狐の頭骨にイナウで
飾っていたもので、時々お酒を上げていたらしい・・・
大正四年に紫雲古津でワカルパのShinnurappa(供養)をした時
博士がワカルパの形見に欲しがったので、兄さんのウトムリウクがこの占いをして
起きて落ちたので、博士に渡した。博士はハラハラしたそう・・・
ひっくり返って落ちたら何としようと・・・複雑な気持ち良く分かる(*^_^*)

もう一つ噴き出してしまうお話しは・・・大正12年
ワカルパ翁の愛娘ユキが、伝承者の娘と云うことで、外国の研究者に頼まれて
大阪で教え終えて、東京の金田一博士の家に長く滞在して
ある時、ユキがどうも体の調子が良くないと云い出し・・・アイヌの教えでは
どうも家の建つ位置が悪いと云う。博士はその為に引っ越ししなければ
ならないのか?少し戸惑った。それは大変と・・・ユキに
何とか成る方法はないのか?・・・訊いてみた。
恐らくウトムリウクだと思うがユキに信天翁(あほうどり)の頭骨のお守りを
渡してあって・・・そのお守りにお酒を上げると良いのだと云う。
お酒を買ってやると、けろっと直って又、元の元気を取り戻したそう
金田一博士も引っ越ししなくて済んでホッとされたようで・・・

そのお守り床に置くのも勿体ないから天上から吊るして於いて
春彦さんの友達が突いて遊んだら・・・カンカンに怒っていたらしい・・・
ユキが紫雲古津に帰る時、置き忘れて帰って・・・伯父さんに
こっぴどく叱られらしい・・・そして、博士が小包で送った。

そう言った微笑ましい話題が博士の周りに充満していた・・・(*^_^*)
 


11/12/09 (金)  八重九郎のサコロペ・・・


釧路の八重九郎のサコロペに興味が湧いてきた・・・
ワカルパ/フォルクローレに書かれていることを確認するのに大正7年に
金田一博士は道東を訪れている。しかし、その時は丸山ハナ(十勝伏古)サノッケマッ(釧路春採)
坂井イソ(北見)から筆録されている・・・その通りだったのか?

その通りだとすると・・・知里博士の説が正しいことになる。
私の説も補強することに・・・(*^_^*)
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ワカルパ/フォルクローレは、色々なことを含んでいるので・・・
それを確認する作業が広がって行く・・・(*^_^*)
幌別のものは、出鱈目もイイところだけど・・・仕方ないところもある

男のユーカラが無かった・・・メノコユーカラでも無い虎杖丸の曲を作り上げてしまった。
虎杖丸の曲は、男であればワカルパ・ツナレ・ヤヤシ・モトアンレク・
女であれば・・・金成マツ・平賀エテアノ・ウテカレ・・・

ワカルパ/フォルクローレでワカルパ翁が証しているのは、メヨイ小袖の童
ケチャウ小袖の童はkamiash(化け物)だと教えている・・・
これは、非常に重要なことを伝えているものだと思う。
ワカルパ以外は、これを省いている・・・虎杖丸の曲の最も不思議な言葉を
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八重九郎のサコロペに含まれて居ないか?・・・それも楽しみである(*^_^*)

そのように有機的に繋がってくるのが伝承の特徴であると思う。
金成マツさんのは、伝承でない創作なので研究対象から除外した方が良い
アイヌ文化研究者の中に・・・一人称なのに複数動詞を使うのは矛盾していると
云う人がいるけど・・・雅語の特徴の一つで悪神であっても尊敬語として複数形を
使うと・・・ワカルパ翁から金田一博士が聞いて・・・本に書いてあるのに・・・
それも、ワカルパ/フォルクローレに大きく書いてある(*^_^*)

ワカルパ/フォルクローレは、アイヌのバイブルみたいなものだから・・・
研究者は、先ずこれに目を通して・・・それから発言するとそう言った
恥ずかしいことを云わなくて済むと思う。
そう言うことを云ってるから・・・研究が停滞するんでしょうネ・・・(*^_^*)

日常でも成人の男に、命令形を使う場合・・・yanを使わないとチャランケ沙汰になる
とか・・・兎に角、アイヌの世界が見えてきます。
アイヌ語の深さに興味が湧いてくる・・・人間として弁えていなければならないもの。
アイヌの男として鍛えられていなかった知里博士は、そこを間違った
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大正4年の紫雲古津の日記は、そう長いものでないけど・・・
大正2年に聞き忘れたものを大酋長ツレアンから教わったことなど・・・
ワカルパ/フォルクローレから浮かび上がってくる
ワカルパは、昔、総乙名のツレアンを親のように慕って尊敬していたし・・・
ツレアンもワカルパを沙流大一等の最後のユカラクルとして頼りにしていた。

ツレアンの後を継いだワカルパの兄さんウトムリウクも博士に男のやること
いくら和人でもNishpaと認めて全て話した。
 


11/12/08 (木)  本当のユーカラ・・・


男のみが伝承するユーカラ・・・女は知っていてもやってはいけないもの・・・
その真のユーカラは、ワカルパ翁所伝の11曲のみ存在している。

その4曲を金田一博士が翻訳されて・・・他界されてしまった・・・
残ったものは、博士でないと翻訳出来ないであろうと話されていたものか・・・
奥様は、「今度生まれ変わってユーカラを訳して下さいな」と仰っている(*^_^*)
でも、博士は最長の虎杖丸の曲で全体の1/3を使って注釈を付けられている。
これは、自分が途中で倒れたとき・・・何とか後を続けて欲しいと云う配慮のよう
それと長編の順に翻訳されている点も見逃せないこと・・・
そのことは、残りを翻訳してみて解ったことです。(*^_^*)
金田一博士が訳された4曲656頁 私の訳した6曲444頁 合計1100頁

最初、ユーカラの絵を描きたいと思って自分に分かり易いように4曲現代風に直して
残りの一曲でも良いから読んでみたいと・・・無駄骨に終わろうとも構わないからと
辞典を作り・・・閃いたのは4曲のユーカラの文字検索をすれば即、辞典になること
著作権に配慮してカタカナ表記したのが却って怪我の功名(*^_^*)

それで金田一博士のお孫さんに当たる方にメールしてみたが相手にして貰えず・・・(*^_^*)
Webの検索から道立図書館にマイクロフィルムの存在を知って・・・驚いた
早速、電話して訊いてみると・・・在ると云う
そして、川口びと戦い物語をコピーして来た。その原文を転記しようと見ると・・・
まるて゜分らない・・・ワカルパ翁から筆録したときの生々しさだけが分る(*^_^*)

果たして正しい転記が出来るものだろうか?・・・と愕然とした。
でも、辞典まで作ったのだからやってみようと・・・間違っても良いからと
スペルが不明な処?マーク付けて書いて行った。
現代風に直したとき・・・原文を読みながらカタカナに直したので・・・
こんな音の言葉って無かった筈とか・・・言葉検索しながら直して・・・
短篇だったので・・・何とか辻褄が合ってきた・・・

それで何とか成るかな?と思って・・・残りの5曲全部コピーして
翻訳は、時間を掛ければ一曲くらいは、出来るかも知れないと思い立って
5曲の転記を次々進めていった。これは、結構大変な作業だった。
でも、金田一博士の必至の姿がヒシヒシと感じて挫ける訳にはいかなかった。
転記は、博士とは逆に短篇から徐々に慣らして行ったのが良かったかも(*^_^*)
2010年11月4日〜12月11日・・・約40日で転記を終えて・・・
最初翻訳は3年覚悟していたが・・・2011年2月8日約50日で粗訳終えた
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道立図書館のマイクロフィルムには、Wakarpa/yukara 2volが欠けていて
その中に虎杖丸の曲の後編・蘆丸の曲・覆舟変化物語が記されていることと
後、3曲伝える予定であったこと・・・Wakarpa/forkloreで知った。
Hure epeshep pekennup tapkop・Repunkurunoka yaunkurunoka・
Shirannotunkuru otumi oshma
それがあれば14曲のユーカラが揃ったのに残念なことです(-_-;)

博士が明治39年にカネカツクから筆録した「首苞・首肴」を訳されていないのは?
「首苞・首肴」は金成マツノートにもあるもの・・・
それと「川口びと戦物語」もあるけれど・・・内容まるで違っている
金成マツさんの虎杖丸の曲は全く別物の類
その他にも蘆丸の曲・草人形・八串肉串戦物語・Ponkemaratki・金獺記・紅焔白焔
悪夢の曲などあるが・・・金田一博士はそれを除いて訳されている?
萱野茂氏も、避けて他を訳している?
道立図書館にマイクロフィルムあるから一度見てみようか?

ある最近の本にMutku turen matの代りにHure epeshupeを筆録したと書いてある
これは、真っ赤な嘘である・・・
ワカルパ/フォルクローレが明らかになったら・・・今までの本の大部分が
訂正を余儀なくされてしまうであろうと思う。
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アイヌ文化の真実を知ると・・・その素晴らしさに気付く人
復活させようとアイデアを捻りだしてくれると思っている。
只、その最高峰ユーカラを演じられる人が出現するか?に懸かっている(*^_^*)
 


11/12/07 (水)  Nishpa puri・・・首領(長者)の素養


ワカルパ翁は、金田一博士のことをNishpaと呼んでいる・・・歳は20歳離れていても・・・
翁は、自分が死んだら沙流の伝説が滅ぶことを知っていた・・・
その時、真の男のユーカラを保持していたのが自分だけだと・・・
大酋長のツレアンも平賀のサンゲレキも皆知っていた・・・

Chitomte itakのYukara オキクルミのUpashkuma・・・もろもろを
文字にしないと残らないことを知っていた・・・
それを見事に忍耐強く書き残してくれたShisamの天才を尊敬したと思う
そう言った素養を身につけた人をNishpaと呼ぶんだと思う。

ユーカラに出てくる ireshpa poka eyaikoramu petet ne kane・・・
女子のnishpa puriが如何に難しいことであるか・・・(*^_^*)
それを怠った場合の悲劇をメノコユーカラで伝えている・・・
nishpaとは交易などで成功して村人にもそれを分け与える人を云う
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金田一博士が明治39年に平取のカネカツクから「首苞・首肴」を初めて筆録した。
金成マツさんは、明治31年から明治41年まで平取で伝道をしていた・・・
平賀エテノアの洗礼名は、ホリ アンナでは・・・?
その他にも・・・コタンピラとか・・・色々ある

紫雲古津には、蝦夷全体の情報が集まっていた・・・
Hauは、その地域の物語でYukaraとは次元の違うもの・・・
Menoko yukaraもちゃんとテーマがあって女子のもの・・・これも蝦夷全体を扱っている
Uwepekereは、地域の説話・・・

Oinaはの原典は、ワカルパ夫人のタウクノ媼のものであろう
Oinaにもメノコ版があって・・・それが西浜の神で・・・
オキクルミのUpashkumaがアイヌ文化の原典で・・・
Kamui yukaraは若年者用のお伽噺であろう

アイヌの神々・kamiash(魔物)・kamuinomi(礼拝)の詞・祈祷の詞・
熊送りの詞・葬礼の詞・・・木のこと・動物のこと・鳥のこと
チャランケのこと・・・アイヌの系図のこと・・・ムックリのこと・・・ウポポのこと
全てに渡って短期間に理路整然と教えているワカルパ翁・・・
優れた狩人として中年まで野山を駈け巡っていた実体験からの
生きた情報・・・それがワカルパ/フォルクローレの正体である。
金田一博士が師と仰ぎ・・・傾倒したのは本当のことである。
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その存在を知らないで・・・論じられてきたアイヌ文化論
何ともお粗末なことであろう。
 


11/12/06 (火)  カッパについて・・・(ワカルパ/フォルクローレより)


chishinap kamui をこしらえたモト

カッパのモトは、chishinap kamui(草人形) オキクルミやったのはainu moshiri はじまって 
ここへアイヌたすけにオキクルミ天から下った時 patum kamui(疱瘡の神)
この国土にあがりアイヌ死ぬ

(その時 chishinap kamui を六十一作り nusakoro kamui kamui ekashiから教わって)

ヨモキは槍刀にこさえてさし いきるものない故に これで神をつくる。
疱瘡の神はアイヌ国に来てアイヌ死ぬから このchishinap kamui を造って
疱瘡神といくささせる。

(これ作って立てた処 saru河は門別の向い shinutai にその崖あり)

沖から ホーソー神 大変な家来つれて来、オキクルミはチシナプ神を以て
たたかい たたかい 六十皆死す。あとの一の大将生きて沖から来たもの皆まける。
それで人助ける神になり 今でもやる。その時死んだchishinap kamuiカッパになる
 

ヨモギの刀と槍をもたす
頭少しワケル
片手もげると もげるが手は一体とおして一本でつくるがchishnap kamuiだ

  故にカッパは、片手ぬけば グルッと両手ぬける。
  海で死んだから河に居る。大概は沙流川尻にあって今でも拝みある。

  因みにユーカラ「草人形・くさひとかた」に掲載されている
写真はこれです。
  金田一博士が萱野茂氏から入手した写真なのでしょう。

 


11/12/05 (月)  昨日の続き・・・(*^_^*)


知里幸恵の「shirokani ranran pishkan」に似たカムイユカラを鍋沢ユキが
大正12年に・・・八郎さんの妻(伯母)から遊びに行ったとき聞いたと云って博士に伝えた。
それは、「Pishkano a pishka」と云う “Kesorap kamui yayeyukara”自叙伝
筋書きでは、貧乏な子供がkamui chikap(神の鳥)を撃ち落として帰る。
Huchi(媼)にイナウを作るよう頼むが、inawkeは男しか出来ないので断られる。
Kesorap kamui(ユカラにも出てくる霊鳥)は、この子が大きくなるまで守護することに。
そうすれば、お酒とイナウで送って貰えて・・・天国で顔が立つ(*^_^*)

kesorap kamuiは、kotan kor kamuiの梟ではない。
turen kamui(人に憑く守り神)この場合は、成り立つお話し・・・
ユキの所伝として・・・今度訳してみよう。

本当のユーカラクル(ユーカラ伝承)は、村の中枢に位置していた・・・それは男
ユカラだけは、女に禁じられていた紫雲古津・・・他ではそれが崩れていた。
アイヌ文化の原典に迫れるワカルパ/フォルクローレ・・・
これは、皆さん絶対・・・興味が湧くと思う・・・そうなんだ〜成る程と(*^_^*)
そして、狩猟民族の世界の輝きが魂を揺さ振る・・・
 


11/12/04 ()  梟とオキクルミについて・・・(ワカルパ/フォルクローレより)


梟(ふくろう)は、kotan koro kamui (kamui chikap)と云う
upashkuma(昔語り)では一番の神になる kotan koro kamuiになるつもりで
北海道へ下ろした神なりと云う。カムイフチは、あれさ飯たいておがむ神
梟は、kotan koro kamuiになるに天からさきに来た神だから
オキクルミも拝む神之。故にアイヌも拝む。今でも酒のむとき
kotan koro kamui  kamui ekashi と云って拝む。

何時、千歳へ森と云う村からユーラップのアイヌだのと共に山越して来
大きな鍋で飯たく、フ フ と梟云う。森のアイヌの一人nepta wenkamui hauki ?
nep chitoshki と云う。だんだん近く来てフ フ と云い小屋の上に止まって
ウフ
と云う時、その声で皆半殺しになり 大鍋あらいに持って来た時
又フ フと云うや 鍋まま川中へおちる。
Uishipareと云う爺(千歳)その人々居る近所へ狩り小屋たてて居
大さわぎしてた。その神フフと云って、この爺も半殺しにならんとす。
耳つんぼし。それから山子ども何とも音ない。
夕飯の頃 あかりつけて行てみると、皆死んでる。kamuiわきへ行て
フフっと こそっとやってるから、わるい事云って殺されたならんと
むったり 晩祈祷す。たすけたらイナウ立て お酒あげるからと云う。
それから森、ユーラップのアイヌへチャランケかけて、皆拝む神なのに
悪口したからと。その爺一昨年までいきてた。
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熊は確かにkimun kamuiと云うけれど・・・力の強いものをkamuiと云う。
熊はアイヌにとって一番のご馳走だけど命を落とすこともある。
そう言うことのないよう無事の猟が出来るよう又、次の猟を願って
送りの儀式を山で済ませると云う・・・

アイヌは、鳥でも獣でも何でもhayokpe(鎧)を着て、天から降りて来るのは
その目的、役割があってそれによってお酒とイナウを送るのではないのか?
何でもかんでも屠って・・・酒とイナウで送れば良いと云うものではなくて・・・

それを知らない者が扱うと・・・酷いことに成るというお話しがワカルパ翁のお話しでは?
オキクルミも拝む神を勝手に屠る話を作ってはいけないような気がする。
どうしても・・アイヌの世界が見えて来なかった点でもある。
金田一博士が、知里幸恵の神謡集は、彼女自身の編集によるもので
学術的には、価値の薄いものとしているのは、納得した。

伝承と創作の違いとは云え・・・創作してはいけないアイヌの神々の世界
正しい神々の世界を明らかにしているワカルパ/フォルクローレ
 


11/12/03 (土)  浜益の樹齢1500年の樹・・・オンコ


オンコ(一位)の樹は、密で粘りがあって・・・昔、私の親父(大工)が流し台を作ったことある。
腐れ辛いというのと・・・水漏れがしないという事らしかった(*^_^*)

アイヌは、このオンコで弓を作る・・・理に適っている
浜益の黄金山に行く細い山道の途中に樹齢1500年と推定されるオンコが在る。
成る程、シリコロカムイ(樹)の親分と云った威風堂々の樹・・・
ユーカラを調べ始めた頃、きっと神様が天辺に宿っていると思って・・・
ここに居た英雄ポイヤウンペを昔、見たなら・・・教えて下さいと念じて触ってきた(*^_^*)

ワカルパ翁は・・・「木にはshushu(ヤナギ)otukanni(ミヅキ)chikupeni(エンジュ)
Punkau(ヤツカバ)shikerepeni(シコロ)tunni(カシワ)pero(ナラ)此の七木は
一番良い木としてoinaカムイのupashkuma(昔語り)がある。」
神様にやる木なりと。 イナウにやったりする木

「木の中で一番根性きたない“人殺す殺すとばかり思っている”のは、setanni(グミ)
だから これもイナウに成らぬと」オキクルミが云っている
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ワカルパ翁の教えは、伝承を基にされていて・・・自分の考えではないこと
徹底している・・・ユーカラも一語一句伝承通りであると推測出来る。

これが今までしっかり認識されていなかった為、停滞していた。
 


11/12/02 (金)  いやー嬉しい・・・(~o~)


昨日、道立図書館から電話が入り・・・女房が受けたらしい・・・
それによると・・・今、國學院大學の図書館で調べて貰っているらしい・・・
それが無くなっていたら国家の損失・・・いや、大袈裟ではない(*^_^*)
道立図書館の方が一所懸命捜して下さるのは、有り難い
個人であれば到底相手にして呉れないでしょうと云う配慮・・・感謝<(_ _)>

大正3年にコポアヌ媼がOkkayo yukaraとことわって一曲、博士に伝えたものある。
コポアヌ媼は、男のユーカラは、決してやらない生粋のアイヌの女
アイヌの社会は、男の系列を示すパスイと女の系列を示す腰紐があった・・・

ワカルパの姉ワッカタとコポアヌは、同じ腰紐であったらしい・・・所謂、ルーツ
アイヌの女は、強い・・・どこでもか?(*^_^*)
 


11/12/01 (木)  #2  HPの容量変更・・・(*^_^*)


Biglobeの無料HP容量は100MBで・・・50MB増やして150MBでやっていたが限界に来た
コンテンツを削って容量の空きを作る方法もあるけど・・・13年間の積み重ねなので(-_-;)

そこで50MB増量して200MBにした・・・ユーカラのコンテンツを自由に作っていける
それと、画像のコンテンツも大丈夫だ・・・(*^_^*)

インターネットで色々な情報を取得できるが・・・通信速度に配慮しなければならないです。
例えば・・・金田一博士の筆録ノートマイクロフィルムの詳細目次
道立図書館のPDFは、1.63MB有ります・・・ナローバンドの地域では、殆ど見られない(*^_^*)
それをHTMLで編集し直した私のものは、54KBです。ナローバンドでも直ぐ表示される。

インターネットは、凄く便利なものだけに・・・両刃の剣の側面も持っている。
ナローバンドの方にもなるべくストレスを与えないように工夫しなければ成りません。
動画なんて、光通信でなければ・・・暴力に近いものだと認識しなければ・・・

インターネットの為のHTML【HyperText Markup Language】
最初、メモ帳とかテキストエディタで書いていたこと・・・懐かしい(*^_^*)
でも、基本を学ばないと・・・自由にコンテンツは作れない。

例えば、ユーカラを印刷して読みたいと思っても・・・その通り印刷出来ない構成だと
腹が立つ・・・(*^_^*)
私は、パソコンを持っていない人達の為、パソコンをもってインターネツトをやれる人が
その人達のため、印刷出来るようにHPを作っている。
北海道の昔の浪漫を知らずに・・・死んでいくのは、余りにも悲しいと思う
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知里幸恵の「銀の滴降る降るまわりに」は、アイヌ社会を破壊する要素がある
ワカルパ翁の教えでは、梟(kamui chikap)kotankoro kamuiは
オキクルミより先にアイヌモシリに降臨した神だから拝むだけだと云っている。
コタン プンキネ カムイ・・・村の守り神を殺したら・・・
本人だけはイイけれど・・・村が危険な目に逢う・・・矛盾

釧路とかメナシでは、梟の送りをやったらしいが・・・人間に害を与えない神を殺すのは
行き過ぎだと思う・・・(*^_^*)
 


11/12/01 (木)  アイヌの神々について・・・


ワカルパ/フォルクローレでは、神事は男のみで女はやってはいけないと書いてある。
ワカルパ翁は、Nusakoro kamuiは夫婦神であると云っている。

有名な知里幸恵の「銀の滴降る降るまわりに」 (Shirokanipe ranran pishkan)では
Nusakoro kamuiは女の神で老女と決まっていると断言までしている。
これは、祖母のモナシノウク 養母のマツ媼から聞いたことだと思うが・・・
もし、間違っていたら神様に叱られる(*^_^*)
弟の知里真志保博士もそのことには疎かったと見えて訂正していない・・・
紫雲古津では、本来起らないことであったろう。

幌別に何故ポイヤウンペのものが在ったのか?・・・不思議で成らなかったが
1741年の大津波で全滅状態になって日高から移住した人がいたらしい。
それで沙流のものを基にして語り継がれる内に娯楽として定着したのであろう。

知里博士は、明治の初頭にユーカラは、完全に途絶えていたとする説だが
その微かな残り火が紫雲古津に残っていたという奇蹟
原典のカムイユカラ・オイナは、実に簡潔で美しいもの・・・
創作でギンギラギンに飾ったものは、言葉も韻が無い
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kamui oinaで私が一番好きで、心が幸せになるのは・・・
タウクノ媼のもの・・・kantokoro kamui(kamui ekashi)でも娘に甘い所
男には厳しく教える・・・その教えを持ってオキクルミはアイヌに教えた。
草人形(kina chishinup kamui)もkamui ekashiから教わった

その草人形神(翁)の作り方もワカルパ翁は、博士に教えている
二風谷アイヌ文化資料館のものとは、チト違う(*^_^*)
そう言った違う所が・・・そのまま伝わってきて現在に至っている。
何でもないような所に大きな落とし穴がある形而上学の典型
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東日本大震災で大津波の存在を知った現代人・・・
過去には、何度も経験しているが・・・直ぐ忘れるのが人間のハンカクサイ所

悪魔的な力を騙して使うのは・・・駄目なこととポンケマラッキがポイヤウンペを
諭している・・・結局、一族とか同族に降り懸かってくる災い・・・
因をつくれば必ず果がある・・・自然物には対応出来るが・・・
自然界に無い魔物を作り出したら・・・手が付けられない
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科学技術を駆使して宇宙の研究をしても人間は、地球以外では
生存出来ない・・・地球を生命体の親(神)と考えると・・・
丸いのに何故?・・・下に居るものが堕ちないのか?と馬鹿な考えある
引力と釣り合って生活している・・・植物・動物・鳥・・・
自分で空を飛べる生き物って・・・生物の中で一番賢いかも・・・
恐らく・・・津波の被害には遭わないと思う・・・

確かに鳶が上昇気流に乗って・・・遙か彼方に沢山舞っているのを見ると・・・
人間って如何に馬鹿かって思う・・・動物の一種のこと忘れている(*^_^*)
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只、パスカルは、考える葦であると教えている
どうせ死ぬのが生物の世界・・・少しでも本当のことを知って死にたい
ゲーテのファスト博士がそれだった・・・
森鴎外の寒山拾得も・・・高度な形而上学・・・
金田一博士は、実感の科学と言っておられる・・・同じ体験とか
言葉付きとかの琴線に触れて・・・止めども無く会話が弾む心地よさ・・・
そう言う人に出会えたら・・・死んでもイイと思う