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Part13   11月の独り言



11/11/30 (水)  今日はお休み・・・(^O^)


今月は、アイヌ文化の何たるか・・・を掴みかけた月でホント良かった(^_^)v

金田一博士がワカルパ翁から聞き漏らした3曲のユーカラを必至に追い求めていたこと
よーーーく解った・・・そこいら辺分るとユーカラの面白さ倍増すると思う。
来月から解説風にそこいら辺・・・書いて行こうと思う
そして、ワカルパ/フォルクローレも書いて於いて・・・最終的に纏めようと思う。(*^_^*)
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今月のスパムを記録して於こう・・・
中国3個 フィリピン1個 台湾1個 日本1個・・・計6個  
先月1個消したので167個+6個で累計 173個
日本の1個は、悪名高きレンタルサーバなので・・・問答無用でサーバ全部潰した
スパムの巣窟に成っているレンタルサーバなんか無くてイイ!!

それにしても・・・6日まで来ていたスパムがピタッと来なくなった
もう少し頑張って呉れないと・・・狩りゲームが出来なくなってしまう・・・(*^_^*)
後、127本も銀の矢余っているのに・・・ガンバレ ガンバレ!! スパム!(^^)!
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今までに沢山のアイヌに関する本が出版されていて・・・
殆どの本、読んでみたが・・・何かが可笑しい???

儀礼に用いる冠(サパウンペ)とか刀(エムシ)の役割とか・・・
あらゆる儀礼の原典をワカルパ翁が説明している・・・実に簡潔で美しい程に(*^_^*)
紫雲古津のユーカラ群にしても足すこともない引くこともない・・・簡潔さ
アイヌの世界が見えてくる・・・曼陀羅のように鮮やかに・・・

感性の豊かな人・・・洞察力の鋭い人には解るが・・・
そうでない人には・・・稚拙に映るかもしれない(*^_^*)
その素晴らしさを何とか顕在化してみたいと思う
 


11/11/29 (火)  Wakkata・・・水汲み


ワカルパの兄さんと思っていたWakkataは、姉さんの間違いだった・・・(*^_^*)
ワカルパ翁が亡くなったウレシパツク(タウクノの姉)の家でシンヌラッパ(法要)をしたこと
ウレシパツクの弟・・・八郎さんを見舞ったこと日記で解った・・・

ワカルパ翁の教えたことを実地体験された博士・・・
カセンカウクには、面会されていないようだけど・・・ウトムリウクの前の総乙名ツレアンの家で
みんな集まって・・・宝物(エムシ・タンネプ等)を見せて貰ったらしい・・・
ワカルパ翁の云っていた通りの宝物だったと思う・・・
ウレシパツクの一人娘の婿がサャケを捕ったのもシンヌラッパの授かりと皆思った。

そして、ワカルパ翁が自分で網を編んでサャケを捕ろうとして沙流川に入り
風邪を引いて亡くなったのは・・・何とも云いようが無いが
シンヌラッパでシャケを捕らせてくれて・・・博士に食べさせようとのお話し・・・(*^_^*)
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シンヌラッパの遣り方とか全部、博士に教えているワカルパ翁
それがワカルパ/フォルクローレ
そして、古老と挨拶が正式に出来た博士は、受け入れられた・・・
ワカルパ翁は、沙流下流随一のユカラクルとしてみんな尊敬していた。
それを文字にして残して呉れた博士への感謝の気持ちもあった・・・

礼拝・祈祷については、兄さんウトムリウクからも徹底調査されている博士
 


11/11/28 (月)  金田一博士の書き癖・・・


ようやく金田一博士の書き癖が解ってきた・・・筆録するのに素早く書く工夫
これは沢山、博士の書かれたものを読まないと分らない・・・(*^_^*)
只、東北弁が交じっているので・・・北海道弁と似ていてその点親しみが湧く

他の人が真似できない特技にどんな時・どんな場所でも鼾をかいてぐっすり眠れたこと
これは、睡眠は記憶を整理するには必須であるということ・・・
頭脳の興奮を鎮静化させて・・・新しいことに集中出来ること・・・

ワカルパ翁に質問して・・・それに理路整然と答えていくワカルパ翁
討てば響く鐘のように・・・次々書き殴ったワカルパ/フォルクローレ
全く隙がなく・・・流れている見事さ
博士は泣きたいくらい・・・感動されたんだと思う
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明治39年初めて北海道に来られたとき・・・結構苦い経験をされた博士
幌別とか平取とか・・・カネカツクから筆録して・・・詩と気付く
そして翌年、樺太に行ってハウキを筆録する・・・けど五年間訳せなかった
民族の哲学は、言葉に表われる・・・特に男の雅語に
尊敬語を男に対して怠ると・・・チャランケになるというくらい厳しい世界

kutuneを虎杖と訳すのは、間違いとする知里博士の見解をワカルパ翁が聞いたら
チャランケでコテンパにされたと思う・・・(*^_^*)
それがアイヌ文化の研究に重大な影響を与えて・・・停滞したことが分る。
鳥の踊もウポポも根室から伝えられたことだとか・・・
アイヌの世界を伝えているワカルパ翁・・・

これを何とか纏めて・・・皆さんに知って頂く必要がありますネ(*^_^*)
 


11/11/27 ()  ワカルパ/フォルクローレ


今まで、金田一博士の随筆でしか解らなかったことが筆録ノートを読むと納得する。
今月はフォルクローレ3冊分・・・何度も読み返してみた・・・未だ半分しか理解して居ない。
アイヌの哲学をたった164頁に書いてあるので・・・それもバラバラに・・・(*^_^*)

ワカルパ翁と博士の真剣勝負・・・鬼気迫るものを感じてしまう・・・
教え残したいと云う真剣さ・・・知りたいと云う真剣さ・・・共に響き合っている
琴線に触れるとは、このことを指して云っているような気がする。

ワカルパ翁の喜びは、コタンに帰ってから大酋長Tureanにも報告したろうし・・・
兄、酋長ウトムリウクにも家族・村人にも話したと思う・・・
隣村の偉い酋長サンゲレキも知ったと思う・・・

それほど、ワカルパ翁は、貧乏であったがユカラクル・弁士として超一級だったこと
祈祷師としても頼りにされていたこと・・・アイヌの哲学者
ワカルパ翁が東京に行く前に、東の総乙名のTureanの病気平癒の祈祷をしたらしい
大正4年にワカルパ翁の三回忌を主宰したとき・・・生きていた古老(*^_^*)

明治40年のオチョポッカの日記と大正2年のワカルパの筆録
大正4年の紫雲古津の日記・・・
こんなにも面白いもの・・・今まで文学全集とか読んだけど・・・無かった。
実録だから・・・面白い
金田一博士にコンプレックスは、無かったのか?・・・と云えば東北弁?
決してそうではないような気がする・・・今までさんざん博士の文章を読むと
歩くをアリク・・・とかそのままで注釈を書いておられる。(*^_^*)
博士だけに解れば良いことだから・・・それでイイ
 


11/11/26 (土)  ワカルパ/フォルクローレ


ワカルパ/フォルクローレを読むと・・・本当のアイヌの世界が解る
日本人の視点で記録したものとは、違った内容のことが包み隠さず述べられている
今までのアイヌに対するイメージが一変するほどのもので・・・
金田一博士が傾倒するのも頷けるお話し

知里博士がその浅い学識から・・・kutuneを虎杖と訳すのは間違いと云ったことに
金田一博士は、酷く怒ったのは本当に良く解る・・・(*^_^*)

不幸にも、沙流の長老の教えを得ることが出来なかった為の拙さ
不遇と云えば不遇・・・学究なら金田一博士の筆録の閲覧を素直に
お願いするのが筋・・・博士は研究の為になると見せたと思う

ワカルパ翁は哲学者(形而上学者)で詩人・・・其の師はオキクルミ
オキクルミの時代・・・新冠に別の兄弟神が居て・・・魚を捕る網は
その兄弟神が作って・・・オキクルミが買ったそうな・・・
絶対神で無いところがホッとするアイヌの神々(*^_^*)
そうした日本の八百万の神々と喧嘩しないところが私は好きだ

アイヌもそれは感じていて・・・漆器を作るシサムの技術は高く評価していて
宝物として扱っていたのでしょう。良いものは良いとする心
良いものを沢山所有すると嫉妬して奪う敵と戦うのがユーカラ

そう言う強い美しい男に惹かれるのが女・・・
メノコユーカラは、それを極端な形で表現している・・・でも、あり得るのが
人間の社会
過去の物語と思ったら大間違いで・・・現代も同じテーマで悩んでいる人間
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農耕民族に成ってしまった和人の哲学とは違った・・・価値観
サバイバル極致の哲学の狩猟民族・・・融合出来ないか?

そのモデルに挑戦出来るのは、北海道にしか出来ない地理的条件
その中でも筆頭に挙げられるのが・・・トメサンペツ シヌタプカであろうと思う
余程、豊かで強い首領が君臨していた桃源郷・・・
アイヌの憧れのシヌタプカ・・・タプコプ(丸山)
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アイヌは、イオルだけで狩猟をしていなかったと云うこと・・・
100年前生存していた沙流のサンゲレキが石狩で4・5頭の熊を捕っていること
沙流と浜益の連絡は、いとも簡単に出来ていたこと・・・
そのダイナミックな行動は、現代人には理解し難いかもネ(*^_^*)

身体能力についてもワカルパ翁は触れている・・・本当に深い(*^_^*)
 


11/11/25 (金)  チャランケ・・・


アイヌ文化の一つにチャランケ・・・談判によって解決する方法がある。
これは、雅語(Chitomte itak)に精通していないと負ける。
aとeを使い間違うと・・・大変なことになる(*^_^*)

ワカルパ翁は、実際に起ったチャランケの文言も教えているし・・・
サンゲレキが石狩のアイヌにチャランケしかけられ・・・チャランケでは勝ったが
相手に裁判の話をされて・・・文字が書けなかったので恐ろしく思い
熊のキモを一つ置いてきたそうで・・・チャランケのことを説明している。
文化とは、生活するのに起る問題の解決だと思う・・・

衣食住のこと・・・社会の秩序のこと・・・全てが包含される
伝承に嘘があってはいけないし・・・娯楽などとは遙かに違うもの
文化が豊かになればそれも良いけど・・・でも、堕落(*^_^*)

生活の基盤と云うか・・・準拠枠が文化の根幹だと思う・・・
雅語は、尊敬語の使い方が特殊なアイヌ語・・・文化の極地
それを知っていた樺太の古老は、沙流の言葉は尊いと云っている所以

知里博士のアイヌ語研究は、立派なものだが・・・この雅語が抜けている為
kutune shirikaを虎杖丸と訳すのは間違いと指摘したのではないかと考える
バチェラー博士・更科源蔵・高倉新一郎各氏にも痛烈な批判を加えている。
アイヌの弁士としてのチャランケのchitomte itakに精通していなかった為・・・
アイヌの男としては、チト拙い面が在った・・・
弱いから徒党を組むのは、何時の世にもある・・・

金田一博士は、日常語(yayan itak)は、余り得意でないと仰っているが
古老と会見するときの挨拶は、雅語でアイヌより巧く喋ったから・・・
古老も博士を粗末に扱わなかった。

紫雲古津の日記を読むと・・・古老・村人から如何に尊重されていたか解る
ユーカラに出てくる些細な事柄でもそこには詩でしか表現出来ない
広くて深いものが含まれている・・・高尚さ
ユーカラを読む為の解説みたいなワカルパ/フォルクローレ
これを整理して公開すれば、ユーカラの面白さが倍増すると思う
そして、アイヌ文化のなんと素晴らしいことかも・・・発見出来ると思う
 


11/11/24 (木)  #3  ウテカレのKutune shirika


ウテカレの虎杖丸の曲の最終戦いは、矢張りペシュツル女の部分が無く
内容が少し変わっていた・・・
それでも、鍋沢元蔵翁のものよりは、未だましと云った感じだ(*^_^*)
ツナレのは、どうやら無いようである。
でも、すっかり気が済んで虎杖丸の曲の問題に終止符が打てた !!(^_^)v

ユーカラは男のやるもので、女にやらせたら勝手に変えるから禁止したこと
よーーーく解った(*^_^*)
でも、ウテカレのメノコユーカラで面白そうなものが目に入った。
転記が楽しみなもの相当あるので・・・これから退屈せずに済むかもネ(*^_^*)
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大正12年にツナレと合って・・・ツナレから二人のユーカラクルの名を聞いている
Shimontuk と Ikoantek・・・Ikoantekは、ワカルパ翁からも聞いている
ユーカラ伝承者(男)は、それぞれ知っていたということだと思う。

金田一博士のユーカラノートを読めば・・・全て書かれているのに・・・
何故?・・・アイヌ研究者は、読まなかったのだろうか?
博士の遣り方は、Hennoyeにしたってワカルパ・コポアヌ・ユキと何度も確認している
Kutune shirikaにしても最後の部分を確認している・・・ついでにモトアンレクのも
そう言う所は、学者魂の学術上での真義を求めていたから・・・
大正4年にウテカレの虎杖丸の曲の最終章を聴いて・・・
ワカルパ翁が云っていた男がやるポイヤウンペのものだけがユーカラと云う・・・
既に大正4年に知っていたと云うこと・・・?

ハウ・サコロペ・ハウキ・・・それぞれの地域のものも沙流には在ったと云うこと。
胆振もポイヤウンペとは言うけれど・・・沙流から聞いて勝手に作り替えたもの
この構図が見事に浮かび上がってくる
知里幸恵がカユシピンナの伝説も幌別にあると博士に話している・・・(*^_^*)

カユシピンナは、沙流と鵡川の英雄であって・・・幌別のものではない。
幌別・石狩・十勝の方が文化的に古いとしている現行の定説
何故?・・・そんな馬鹿げたことに成ったのか?
時代背景も勘案しながら・・・検証してみようとも思っている・・・

ワカルパ翁が伝えていることで・・・狐について興味深いことがある。
その他にコポアヌ媼の息子アイノアシも博士は好きで高く評価している
植物のことも良く博士に教えている・・・
今まで色々なアイヌ研究者がやってきたこと・・・全てが書かれている
女の子は、モウルを着る年頃は・・・30歳になっても夫を持たないのはモウルは持たない
男の子は、12歳くらいに成ったら自分のオモチャを賭けてチャランケするとか

ホント、知らないアイヌの世界を全部明らかにしているワカルパ翁
何かそう言う世界で暮らしてみたい・・・(*^_^*)
 


11/11/24 (木)  #2  アイヌ民族問題・・・


世界中何処を捜してもない特殊な言語と叙事詩を持っているアイヌ・・・
これほど民族として明らかなものも無い・・・

多文化・多民族の共生を唱って政治団体が出来るそうですが・・・(*^_^*)
色々な地域のアイヌの伝承が残されて・・・一部は明らかになったが
本来、沙流のものをアイヌ結集して明らかにすべきところだと思う。

その上で、イオル構想とかの具体的な夢に進んで行けると思う・・・
全国に仮に3万人アイヌが居たとして・・・アイヌ人口の実態
伝承を残した人達の末裔の実態とか把握されているのか?
把握されていないのに・・・共生とは不思議な言葉だと思う
実態がないものとの共生は、不可能・・・(*^_^*)

ワカルパ翁の残したユーカラ・フォルクローレは、理論的に素晴らしい哲学
それを引っ提げて堂々と主張すれば・・・みんな解ると思うし
国だって直ぐイオル構想の為に動くと思う・・・
荘子の兵法・・・老子の教え・・・子供の教育・・・自然の取り扱い
形而上学まで包含している・・・アイヌ(人間)学

全国のアイヌ3万/北海道の人口550万=0.55%
現実を分析してから共生と云う言葉を使った方が良いと思う・・・
本来、アイヌの伝承は、アイヌが訳して残すべきです(*^_^*)
文字を許されて150年も経っているのに・・・チャント訳せない
意訳で誤魔化して・・・その挙げ句アイヌのことはアイヌでないと解らないと
嘯く・・・
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ワカルパ翁の知識というのは、凄いとしか云いようがないのは・・・
支笏湖が途轍もなく深いと云うことを金田一博士に教えている・・・
測量士の人が云っていたと云うのと・・・伝承も伝えている。
ワカルパ翁は、伝承が正しかったことが嬉しかったんでしょう。

その伝承というのは、国造りの神が海に入った時、チンポコが濡れなかったのに
シコツトに入ったら腰まで浸かったと云う話(*^_^*)
実際に日本で二番目に深い湖
ユーカラでは、カムイオトプシがポンシコツ媛と結婚する・・・
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アイヌに関する研究書籍沢山あるけど・・・
自ら狩猟し儀礼に通じ・・・故事に通じ・・・チャランケにも応じたワカルパ翁
自分が死んだら沙流下流の伝説が消えてしまうのを知っていた・・・
と云うことは、他にユーカラを受け継いでいる男が居なかったことになる。
それを新平賀のサンゲレキとかも知っていたことになる。

ワカルパ翁が金田一博士に伝えたことの中で・・・ユーカラ4曲だけが
世にでただけで・・・その全容が埋もれたままに成っている・・・

例えばブシ(矢毒)の神に祈る言葉とかアマッポ(仕掛け弓)の時に
祈る言葉とかもある・・・主旨は熊はイイけど人は殺さないでくれ!
オキクルミから教えて貰ったものなんだからネ・・・というもの。
そう言った生活に結びついていた言葉から本当のアイヌ文化が
解ってくると思う。
ワカルパ/フォルクローレを何とか纏めるのが三年目の目的に成りそうだ。
中身が濃いので一筋縄ではいかないのが最近解った(*^_^*)
没後百年目にして全容が解ることになる。

それが終わってから膨大なユーカラ群の転記を始めたいと思う。
そういうことから始めて共生関係が成り立つと思う。
 


11/11/24 (木)  コピー・・・


今日、ウテカレの虎杖丸の曲をコピーしてこよう・・・
考えてみたら・・・ツナレの筆録は、結核菌が付着していたため破棄したかも知れない。
でも、調べてみよう・・・(*^_^*)

金成マツさんの虎杖丸の曲は、伝承ではなくて完全に創作だし・・・
鍋沢元蔵翁のは、ワカルパ翁のものを完全な形で残していない。
エテアノのは、粉飾だらけで倍の長さになっているし・・・
駄目押しのウテカレで虎杖丸の曲の問題に終止符が打てる。

ワカルパ/フォルクローレとユーカラから今まで漠然としか分らなかった
アイヌの世界が鮮やかに甦る・・・
神々への祈り・チャランケ・系図・弁士・ユーカラクル・・・
過去の実話・幣・刀・パスイ・・・後のアイヌの為の事柄・・・全て
草人形のことまで・・・
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大正3年に刊行された「北蝦夷古謡遺篇」を明治40年オチョポッカで
隣村トンナイチャ酋長ラマンテ(クサエ)から筆録した状況が日記で分かったし・・・
大正2年にワカルパ翁を迎えたとき、そのハウキを読み聞かせたと思う。

大正3年と大正4年は、ワカルパ翁から聞き漏らした3曲のユーカラ
ひょっとしたら誰か持っているかも知れないと必至だったけれど・・・
矢張り、ワカルパ翁だけが知っていたものであったのでしょう。

博士は、内容は兎も角・・・残ったものそのままで公開しようとされた。
内容については、全部訳された時点で評価されるであろう・・・と
しかし、アイヌの男達の信頼を得て苦行のような筆録と
対峙して奥底まで覗かせて貰ったのは博士一人であった。

相肝胆照らすとは、そう言うことだと思う・・・
お互い邪心なく・・・知る喜び・・・知って貰う喜び
本当のアイヌの精神と云うか思想と云うか・・・それが学べる

熊を山で捕った場合・・・山で送る祈りをして・・・イオマンテの場合は
小熊なので専用の送り方をして・・・
一度送ったものには、決して拝まないとか・・・
胆振の方では腐ってしまったものも拝むとか・・・(*^_^*)
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アイヌの世界が極度に変化した時代を純粋にアイヌとして
誇り高く生き抜いたワカルパ翁の雅語は、非常に貴重
そして、紫雲古津のものだけでも・・・転記しておきたいもの(*^_^*)
 


11/11/23 (水)  連休・・・(^_^)v


今日、明日と連休・・・

アイヌ文化の研究の百年史が見えてくるワカルパ/フォルクローレ(民族伝承)
現在の定説は、(沙流のものは新しい)としている点
その反対のことを云っているワカルパの伝承・・・(*^_^*)

樺太ではハウキは、沙流と同じ、男がやるものであったように思う。
ワカルパ翁からヌッキペッの黒川ツナレは、ハウキの名人と教えられていて・・・
大正4年の樺太踏査でも沙流の黒川甲太郎は、ハウキの名人と聞いている。
沙流と樺太の関係は深いことを示している・・・

沙流でも新平賀などは、アイヌの掟が崩れていた地域だと思う・・・
サンゲレキの妻ウテカレが男のユーカラをやったのでも分る(*^_^*)
ウテカレの息子の嫁さんがエテアノで・・・久保寺博士などがお世話になった人
虎杖丸の曲でワカルパ翁の倍の長さを誇る人
その姑女のウテカレの虎杖丸の曲の最後を筆録している金田一博士(*^_^*)

現在の定説では、幌別の方が古いとしている点
金成マツさんの虎杖丸の曲が古いとすると・・・アイヌ文化は、実につまらないもの
何でも金・・・金・金・金・・・
金成マツさんは、明治31年から11年間平取にキリスト教の伝道で住んでいた。
エテアノの洗礼名がホリアンナと云うらしい・・・
金成マツさんとの繋がりが在ると思う・・・
鍋沢元蔵・コタンピラ・・・みんな繋がってくる・・・
知里幸恵がコタンピラの蘆丸の曲を一回聴いて・・・すっかり書き出したのも不思議(*^_^*)
11年も平取に居て・・・虎杖丸の曲が全く違ったのに、博士は戸惑ったと思う
 


11/11/22 (火)  アイヌ語の難しさ・・・


ワカルパ/フォルクローレには、興味深いことが沢山含まれている。
その一つにアイヌの父と云われているバチェラー博士のこともある。
バチェラー博士は、教会のことを kmui koro kenruと云っているが
古語kenru=chise=家 正しくは kamui ea kenruと云うらしい。

因みに kamui koro は、カサカキ=梅毒に罹っている者 
kamuiと云う言葉は、迂闊に使えないほど深いものでありますネ〜(*^_^*)
本当の意味を知っているアイヌは、絶対近寄らないでしょうネ
 


11/11/21 (月)  ユーカラクル(伝承者)・・・


ワカルパ翁は、ユーカラを伝承している人を全て知っていたようである。
鵡川の隣、厚真にも居たらしい・・・
矢張り、沙流ではワカルパ翁だけがユーカラ伝承者であったらしい・・・
誰もが一目置く存在であったが・・・天才が故の孤独

鍋沢元蔵翁(モトアンレク)のこともワカルパ翁は博士に教えているがユーカラ伝承者
としては、教えて居なくて・・・彫刻の巧みなシサムの血としている・・・(*^_^*)
幌別の金成氏とか・・・一切話に出てこないのは、主流アイヌの世界から少し異端・・・
所謂、渡り党に近い存在で在ったと思われる。
金田一博士が面白いことを仰っているのは・・・コシャマインの蜂起なんて無かったと・・・

結局、渡り党同士の内紛で・・・昔からのアイヌには関係なかったのでは?(*^_^*)
シャクシャインの蜂起が何処かに記録されていないか?・・・調べてみるけど
ハイウンクルのオニビシ(オンネピシ)を討ったサンクスアイヌ(シャクシャイン)の
ことを考えるだけでも・・・忌々しいので記録から抹殺したのかも知れない(*^_^*)

釧路(クスリ)には、悪いのが居たらしい・・・
ユーカラに登場する・・・レプンクル(沖国人)と云うのは、オホーツク文化人(メナシ)
ワカルパ翁のユーカラでは、その点ブレが全く見受けられない。

二風谷には、ユーカラクルは、存在していなかったこと書いてある。
だから幌別の創作のユーカラノートを保存していること理解出来た(*^_^*)

ユーカラでは、シヌタプカの周辺の首領がポイヤウンペの命を狙う
シャンプトウンクル・ルペットムンクルの存在のように・・・
 


11/11/20 ()  確認したいこと・・・


大正4年に新平賀のウテカレから虎杖丸の曲の最後を筆録されている・・・それと
大正12年の貫気別のツナレの最後も筆録されている筈?・・・(*^_^*)

ワカルパ翁から聞いていたツナレは、ハウキの名人だということらしい。
ワカルパ翁から聞き取り漏らしたユーカラを持っていないか?必至に捜したと思う・・・(*^_^*)
沙流川筋では、誰も居なかったんだと思う・・・
ワカルパ翁が博士から貰ったお金で糸を買って・・・網を編んでサャケを獲って
博士に送ってやろうと川に入り・・・風邪で亡くなったったと云うのは・・・
何とも・・・胸に詰る想いがする。
それと共に、三曲のユーカラが永久に分らなくなったという・・・悲しさ
でも、ユーカラと云うものはこういうものだと・・・十一曲残したのでワカルパ翁は満足か?

誰もアイヌに受け継ぐ能力が無いのを現実に見てしまったワカルパ翁の戦略は、
シサム(和人)の文字を持った優れた人に筆記して貰うしか無いと・・・
奇跡的に金田一博士をコポアヌ媼が見つけた・・・不思議な縁

ワカルパ翁は、貧乏であったけれど・・・アイヌの思想家でも在ったと思う。
幾らシサムの天才でも・・・アイヌの思想はこうだと自信をもって教えている。
博士にとってみれば・・・大師匠としてそのまま受け入れる用意があったか?
学者の悪い癖も捨てきれなかったから・・・間に合わなかったと云う面もある。(*^_^*)

江戸時代の終焉と明治政府の入れ替えに蝦夷が使われて・・・アイヌが行き場を無くした。
それをワカルパ翁は、経験した・・・シヌタプカも破壊された・・・

ウポポは、根室の風習で沙流で流行らせた人物の名までも残している。
口琵琶姫を読むと・・・ムックリは、チュプカウンマッヌプルメノコ(巫女)から
伝えられたこと想像出来るし・・・
創作ではない本当の民族伝承フォルクローレ・・・これを認識する必要がある。
 


11/11/19 (土)  ワカルパ翁・・・


ワカルパ翁の残されたものは、本当にアイヌの世界をつぶさに覗けるもの・・・
しかし、プライバシーの部分も含んでいる・・・
百年経ったとは云え・・・公開は難しいかも知れないネ・・・慎重にしなければならない。

でも、ツキノィエの本当の正体とか・・・松前側の記述とは反対の評価をしているアイヌ
金田一京助ユーカラノートの翻訳を今すぐにでも始めるべき・・・
私の仮説が・・・仮説でない定説になってしまう程の内容を含んでいる。(*^_^*)
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アイヌの全てを後のアイヌの為にそのまま残そうとしたワカルパ翁
そして大正2・3年とそれに色を添えた紫雲古津の人達。
更にそれに念押しのコポアヌ媼・・・ユキ
一大絵巻が甦る・・・
その点から云えば・・・全てを公開すべきだとも思うが・・・(*^_^*)
 


11/11/18 (金)  さぁーーどうかな?


先月の22日にお願いしてきた覆舟変化物語 samchip upshi chipako ashkuru (atuisarunkuru)
今日は電話してみよう・・・

ユーカラとして残った貴重な一曲だから諦めるわけにはいかないですもんネ(*^_^*)
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wakarpa/forkroreでサンゲレキに訊いてみたいとしているのが・・・
otasutunkuruの出自のこと・・・大正4年の筆録の何処かに書いてあるか?
調べてみないといけないですネ
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電話してみると・・・今のところ未だ分らないそう・・・(*^_^*)
国文学資料館の図書館に調べて貰っているそうです。
道立図書館のマイクロフィルムは、昭和48年に編集したものらしい・・・

これで道立図書館にも完全な形で充実したら研究者にもイイことですもんネ(^_^)v
私は絵を描く為の資料研究も相当進んだのでイメージが膨らみつつあるし・・・

金田一博士の残された筆録ノート46冊のユーカラ群の原文転記だけでも
やっておきたいと思っている・・・
それをシヌタプカに残したいとも思っている・・・(*^_^*)
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世界中で叙事詩を持っている民族の一つが北海道で生活をしていたということ
なんともワクワクする浪漫なんだろうと思う・・・
年金が貰えるようになってリタイヤしたら・・・毎日絵が描けるんですよネ〜
それまで2年間に絵の具とかロールキャンバスを沢山買っておかないとネ

春から秋にかけて・・・寒くなったら矢張り札幌かな〜(*^_^*)
幌村の廃校をアトリエ・ギャラリーに使わせて貰うよう・・・その内お願いしよう
その道がどうやら開けそうだから・・・(*^_^*)
冬は、翻訳に没頭すれば・・・案外、金田一博士のユーカラノート
全部訳してしまうかも知れない(*^_^*)・・・と思って計算してみた
金田一博士が筆録したものは、200篇を超えているんだけど・・・
1/3は、訳されているとして150篇を・・・一篇10日として一ヶ月で3篇
一年で36篇・・・150/36=4年半・・・半年絵を描けば9年かかる
75歳までかかる・・・げげげっ(*^_^*)
これは、矢張り国家の仕事である(*^_^*)・・・それに気付く政治家今、居るか?
 


11/11/17 (木)  雪がどっと・・・


ポプラなんか未だ葉を付けているのに・・・雪だ
今日は休みで浜益温泉に行く予定だったが・・・色々有り次回にさせて頂いた(*^_^*)

それで、のんびりテレビを見ていたら・・・宝石のカットキキョウカットというものやっていた。
五角形の多面体は12だと知っていたが180面のカットだと云う?
五角形は黄金比に密接な関係があるし・・・日本人の職人の一人にしか出来ないらしい
六角形になると多面体に成らない不思議・・・
円周率も割り切れないけど黄金比も割り切れない課題・・・
だから科学で割り切れない問題が存在するということを知らねば成らない(*^_^*)

ワカルパ翁のフォルクローレとユーカラは、可成り高度な哲学・・・形而上学
金田一博士は、85歳で邦訳に帰ったが・・・間に合わなかった(-_-;)
それとも、封じられたか?・・・ワカルパの詩曲がどれだけ美しいか・・・知る人博士のみ?

私が解らないのは何故?・・・金成マツ媼のメノコユーカラから始めたのか?
沙流ではユーカラは、男のやるもので決して女はやってはいけない掟
女には専用のメノコユーカラというものがある・・・
他の地域のhauは、使う言葉はホボ同じ・・・
Oinaは、沙流の物語・・・ユーカラは、石狩のシヌタプカ ポイヤウンペの物語
メナシ(東方)との攻防が近代までそのまま続いていたアイヌ社会
その古代版がユーカラ
確かに金田一博士が仰るように時代性を排して悠久に語り継がれるべきもの
というのは、本当のことだと思う。
ワカルパ翁が残したhauは、その中間地域のものと考えること出来る。

ワカルパ翁の残してくれたものを全て訳して・・・整理すると
アイヌの世界が鮮やかに甦る・・・
来年のワカルパ翁没後百年を以て・・・Chatkosampa(空がぱっと晴れ渡る)

金田一博士がワカルパ翁のものに戻った時の
ユーカラ集第八巻の序
これなんです・・・
コポアヌ媼が実際に住んでいたチセ・・・コポアヌ媼のニンカリ(耳飾り)が
Ponkemaratki・・・ロルンプヤラ(神窓)から幣とバックの山が見えます。
ku(弓)もエムシ(刀)も壁に懸かっていて・・・
コポアヌ媼の蔭になっているのは、タイノアシ(大吉)であろうか?
金田一博士は、ape etok(rorunso)横座に胡座をかいている。

上の写真の白髪・白髭の古老は、ツレアン?サンゲレキ?ウトムリウク?
アイヌの男は、実にイイ姿をしているものですネ

あと、博士の序文・・・この後、88歳で翻訳作業が出来なくなるんです。
15巻までやると後の人が、残りの筆録を翻読出来るでしょうとしている。
でも、出来なかった・・・(*^_^*)

博士にも功罪があるけれど・・・最大の罪は、メノコユーカラから始めたこと
メノコユーカラは、金成マツ媼よりもコポアヌ媼のものをやれば良かったのに・・・
カムイオイナは、タウクノ媼のものを本伝とすべきだった。(*^_^*)
最大の功は、本物のユーカラを残して下さったこと・・
筆録出来なかった3曲は、心悔しく思うけれど・・・
せめて、wakarpa/yukaraの第2冊に入っていた覆舟変化物語は
世に出して上げたいです。

ワカルパ/フォルクローレは、その当時の本物の伝承者が解ると云うこと。
アイヌの宝とは、どういうものであったか?・・・江差が出てくる
全道の情報が酋長に集まっていたということ・・・沙流に
ワカルパ翁は、自分と同じくらい物知りにサンゲレキとカセンカウクを挙げている

共にチャランケでは負けない人達・・・(*^_^*)
博士は、カンナリキにアイヌ語を教わったときにバチェラーを持ち出された。
博士は、その時にバチェラーがそう言っていると反論すると・・・
黙ってしまったと書いている(*^_^*)・・・チャランケで勝っている

そもそもアイヌの掟でチャランケはするもの・・・キリスト教では勝負にならない
同じ土俵・・・ルールでないと猪木とアリの格闘みたいな奇妙なことになる
方や倒れたらダウンを取られるのに・・・茶番だった

幌別は、既にアイヌの哲学が無くなっていて・・・被害妄想ばかり・・・
金成マツさんは、伝道で平取にも何年か滞在している・・・
悪伯父物語は、そっくりなものコポアヌ媼が伝えている・・・(*^_^*)

色々な思惑が渦巻いていた・・・アイヌの世界
それらを全て解き明かせる程のワカルパ/フォルクローレ
これは本来、国レベルでやることだと思う
 


11/11/16 (水)  アイヌの哲学・・・


アイヌの哲学は現代に通じる哲学を持っている・・・そして、相対論・・・
ワカルパ翁は、自分の先祖にカユシピンナと云う英雄がいたことを誇りとしている
そのカユシピンナの時代をづっと引き継いでいるアイヌの世界を垣間見る
ワカルパ/フォルクローレ・・・

面白いのは、アイヌでも生まれ変わってシサム(和人)に成ったりするらしい(*^_^*)
神にも悪神・善神・・・ツムンチカムイ(戦の魔神)・kamiash(化け物)・コシンプ(精霊)
ギリシア神話よりずっと有機的なアイヌ叙事詩ユーカラ・・・
絵にしてみたいと思うのが・・・普通の感情だと思う・・・
 


11/11/15 (火)  新たなユーカラ目録・・・


今まで聞いたことの無い題名のものが3曲あるのに気が付いた

@Hure epeeshep  ARepunkuru noka yaunkuru noka  BShiran notunkuru otumi oshma
しかし、紫雲古津から病気平癒の祈祷してくれとやいやい云われて帰ったので・・・
筆録に至らなかったようであるが・・・何とも惜しい気がする。
私は、ワカルパ所伝は、11曲と思っていたので・・・(-_-;)
結局、14曲あったことになるんですネ・・・うーーーん残念 ! !

金田一博士が砂沢友太郎氏に東京へ来てくれと涙ながらの頼んだと云うのは・・・
この3曲を知っていたんではないのか?あり得るんです・・・(*^_^*)
でも、行かなかった・・・???

可成り貴重な情報が含まれていたように思われる・・・
ワカルパ/フォルクローレを読んだら、アイヌの世界が一望出来る・・・
今まで金田一博士しか知らなかったこと良く分ります。

面白いのは、アイヌから見た最上徳内のこともチラっと書いてある。
ツキノィエの時代にチュプカウンクルが出て来たのでビックリした(*^_^*)
ワカルパの蘊蓄というのは・・・成る程凄いものです。
直ぐ上にwakkataと云う兄が居て・・・その人が又、凄い人だったらしい。
長兄のウトムリウクが優れた酋長だったから・・・兄弟仲が良かったんでしょう。

ツキノィエなんか弟の優れたことを嫉妬して殺したらしいから・・・(*^_^*)
松前側の情報では分らないアイヌ側の情報の方が本当でしょう。
 


11/11/14 (月)  じっくり時間を掛けて・・・


金田一博士が金成マツさんのものから・・・ワカルパ翁に切り替えたのが85歳
知里幸恵が上京したのが大正11年・・・大正12年に神謡集が刊行されている・・・
幸恵は博士に逢ってから4年の歳月を掛けて・・・13篇のカムイユーカラを書いた
モナシノウクなのか金成マツなのか?・・・
紫雲古津のカムイユーカラと較べて随分、詳細も技巧的で立派だな〜

大正4年にウテカレから虎杖丸の最終章を確認
大正12年にヌッキペツのツナレから最終章を確認
昭和2年に金成マツさんから虎杖丸の曲を一週間掛けて筆録・・・
博士は、愕然としたんだと思う・・・余りにも違う内容・・・(*^_^*)
それ以来、幌別のものは筆録する気持ちが失せたように思う

知里幸恵が上京したとき・・・コタンピラも客として蘆丸の曲を堂々とやった・・・
大正2年にワカルパ翁から・・・コタンピラのことは聞いていた・・・(*^_^*)
博士は筆録しなかったのでしょう・・・幸恵がそれを書き出したらしい・・・
幌別の言葉が含まれていること・・・本にこっそり書いている博士(^m^)

アイヌ語をやっていく上で・・・アイヌの世界、とりわけ男の世界・・・
ユーカラ・カムイノミ・チャランケ・狩り・・・全部雅語を使う世界
それを金田一博士は、沙流の大酋長ツレアンからシリカプのハイで作ったパスイを
土産に貰っている・・・アイヌの世界では、最高の勲章でしょう

シリカプ=角鮫(カジキ)のハイ(角)で作ったパスイ(酒箸)・・・
アイヌラックル=オキクルミの居城が在ったのがハヨピラの丘と云う・・・
hai-o-pira=hayopira・・・カジキマグロの角がある崖の上の所

もう一つ重要な違いがあるものが草人形(キナチシナプ)・・・
ワカルパ翁のものと違うのが二風谷アイヌ文化資料館のもの
そう言った細かいところを見逃してはいけないワカルパ/フォルクローレ
これは、公開する価値が大きいと考えている。
 


11/11/13 ()  Wakarpa/Forkrore・・・10


アイヌの男の世界を全部教えてくれた
Wakarpa/Forkrore・・・
ウポポ・・・ムックリのことも伝えている・・・

それを余すことなく・・・全てを纏めるには、少し工夫が要るようだ。
何でもないような言葉の端を捉える集中力が要求される・・・
ワカルパ翁の言葉は、古老たちからの伝承でその奥にはオキクルミの教えと云う
信仰に基づいた・・・確信がある。

オイナの実態を有機的にまとめ上げる工夫が必要である。
イオルが健全に運営・継続される哲学が必要であると思う。
 


11/11/12 (土)  Wakarpa/Forkrore・・・9


分らなかったノート一冊は、ワカルパ翁のものであろうと思う・・・
ユーカラ6冊でフォルクローレ4冊・・・合計10冊勘定が合った(*^_^*)
ワカルパを何とか纏めて・・・コポアヌのものを転記だけでも進めて行こうと考えている
 


11/11/11 (金)  イイこと分った(^_^)v


仕事場から浜益まで直行してコンビニで弁当とカップ味噌汁にお湯入れて・・・腹ごしらえ
幌村に行って時間潰して・・・浜益の食堂サンセットで女房に頼まれた梅干し買って
ユーカラ文庫の金田一京助全集第9巻当分の間貸してネ・・・として

それでも温泉の開館には間があるので擂鉢山の周囲を回ってみた・・・
なんと擂鉢山の組成は、石混じりの赤土であること分った
道路を造るのに簡単に崩して土砂が運ばれたこと・・・納得(*^_^*)

温泉の駐車場に着いて・・・やや時間が有ったので第9巻を調べると・・・
またもやなんと・・・クサエとラマンテ同一人物だと金田一博士チャント書いている(-_-;)
疑った下郎の勘ぐりとは・・・参ってしまったナ〜
謝るしかない・・・博士本当にゴメンナサイ_(._.)_<(_ _)>m(_ _)m
でも、ラマンテとのやりとりが分って・・・本当に良かったと思う
博士が大男のラマンテと対等にやりあって・・・大きな体して子供と同じだと
随筆集とは、少し違うけれど・・・まぁイイか(*^_^*)

10時から午後1時までS氏とユーカラ談義・・・率直に思っていることお話しした。
今度の休みに丁度、何かがスタートするらしい・・・オブザーバとして
出席させて頂くことになり・・・研究の張り合いが増した(~o~)
 


11/11/10 (木)  明日は、浜益温泉・・・


明日は、休みなので・・・浜益温泉に行って来ます。・・・シヌタプカの麓にある温泉です
そこの所長さんにシヌタプカをワカルパ翁が金田一博士に説明したように説明してこよう。

Wakarpa/Forkroreを読むと・・・バチェラー辞書を参照しているのが良く分る。
そのバチェラー博士繋がりで金成マツさんを訪ねた大正7年

知里博士は、沙流にある男がやるのがユーカラで対局にメノコユーカラがあって
後、神々のものがOinaとカムイユーカラがあることはっきり区別していた。
しかし、幌別には男のユーカラが独立して存在していなかったこと。
知っていた?・・・それで姉のランランにケチを付けたんでは?
伯母の金成マツさんのものも訳せなかったのでは?

又、砂沢友太郎氏からユーカラとは、シヌタプカのポイヤウンペのことを記録したものと
聞いていたのではないのか?・・・樺太でも沙流の黒川ツナレが有名であったのを
樺太で女学校の教員をして居るときに知っていたのでは?
そして、ユーカラは沙流のニシパの信頼を得た者だけが聞けるものだと知って
ショックを受けて・・・イコクッタラの間違いを起こしたんだと思う。

一番の危機に在ったユーカラを間一髪から救った金田一博士の洞察力は矢張り凄い
古代・中世のイオルを形成していたオイナとユーカラ・・・
それをしっかり考えてイオル再生事業が進まないと崩壊の憂き目を見ることになる。
金田一博士が仰っている悠久に語り継ぐべきユーカラの真意
 


11/11/09 (水)  Wakarpa/Forkrore・・・8


蝶のことを口語(yayanitak)では、heporapと云う・・・雅語(atomteitak)ではmoreureuと云う
和語で泡の儚さを うたかた と云うが如し(*^_^*)

ユーカラでkeiki(ひかがみ)〜膝の後ろの窪んだところが切れた者と謙遜の表現しているが・・・
金成マツさんの場合は、筋の切れた者と愚弄する場合に表現している・・・
そう言う所が沙流と幌別で大きく違う点です。品格とでも云うのか?

Wakarpa/Forkroreは、ホントのアイヌの世界を覗ける唯一のもののような気がする
これを整理して・・・楽しんで貰えるように編集してみようと思う。
金田一博士がアイヌのホメロスと傾倒したことが、如何に本当のことだったか・・・
私も今まで色々な本を読んだけれど・・・子供に帰ったようにワクワクするものに出会ったものだ
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アイヌの世界を覗くのに核になる男のユーカラがワカルパ翁が最後の伝承者
と云うことを・・・しっかり解らないと到底見えてこない世界。
その核が存在している地域は、アイヌの掟が生きていて歴史の悪に
翻弄されずに力強さとか誇りまで残っていた・・・

これは、アイヌ文化の再生にとって・・・必須のことだと思う。
Uwepekere Kamui yukarは、子供・年少のものの教訓として教えるものらしい
ユーカラとメノコユーカラは、大人の男と女の秘事みたいだ。
それらが曼陀羅のようになっている・・・Hauとサコロペの特徴なんかも
ワカルパ翁は、説明している。

幌別のものは、その範疇に入らないほど・・・別のもののように
ワカルパ翁のForkroreには、一切触れられていない?
 


11/11/08 (火)  Wakarpa/Forkrore・・・7


これをどうやって纏めて・・・解りやすいものに出来るだろうか?

沙流の雅語は、他の地域のアイヌにも分らない程のものなので・・・
アイヌ語の知里博士(幌別=登別〜下場所)でさえ・・・勘違いさせるほどの古語

Kutune shirika(虎杖丸=宝剣)・・・実はKamiash(魔物)であると教えているワカルパ翁
Kutu(筒状のもの=虎杖)に蜘を5・6匹入れて花でツッペをかうと・・・
一匹だけ生き残ったのには、毒があるそう・・・
ブシ(矢毒)のトリカブトに潰して混ぜると・・・毒性が増して10間(18M)行かない内に
当たった獲物は死ぬそう・・・熊でも(*^_^*)
色々なことが有機的に絡み合っている沙流アイヌの雅語・・・
カムイノミは男がするもので・・・ワカルパ翁の理論は美しいほど・・・
幌別のアイヌには、解らない世界なのかも知れないネ

沙流のブシは、最強で製法は、極秘のものだったらしい・・・
シャクシャインがそのブシを使えなかったのが敗因のような気がする(*^_^*)
ブシ(トリカブト)の神も居るアイヌの世界・・・

金田一博士が明治39年にアイヌ語を初めて聞き取ったカネカツクのルーツも分った
沙流の状況と・・・トミサンペツの状況は、極似している
人類の縮図のような気がする・・・(*^_^*)

輪廻転生も含んでいるワカルパ翁のForkroreって・・・今のアイヌでも日本人でも
理解出来るのだろうか・・・丁度、森鴎外の寒山拾得のように・・・
又は、ゲーテのファストのように・・・又又、シッダルタのように・・・
 


11/11/07 (月)  Wakarpa/Forkrore・・・6


金田一博士がワカルパ翁から聞いた話・・・国粋主義吹き荒れる中・・・
どうやって世に出そうか?・・・悩んだと思われます(*^_^*)

「ワカルパの蘊蓄は、たたけばいよいよ深く、ほとんど果てがしれなかった。」
本当にその通りで・・・Forkrore3冊に書かれている内容は、哲学書のように・・・
矛盾が見当たらないように・・・すぅーーと心に入って来る・・・理路整然

ワカルパ翁のユーカラを読むと・・・同じ感覚に陥る・・・矛盾無く受け取れる
不思議な深遠なものを感じていた・・・
今まで云われていた・・・ユーカラは、娯楽であって、演者によってその時の雰囲気で
自由に変えて楽しむ物とは・・・真っ赤な嘘(*^_^*)

第一人称を使うこととか・・・一人なのに動詞を複数形にするとか・・・全部書いている。
アイヌ文化研究者は、全部を研究してから発表すべきで・・・
それと全体協議会みたいな場を設けて・・・議論すべき
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伝統的生活空間(イオル)の再生事業・・・とやらが発案されているが
イオルを統合・管理するには、ワカルパ翁のForkroreが規範になると思う。
それと、原典のカムイオイナ・カムイユーカラ・・・・
そして、その知恵を身につけた指導者(3人)・・・

金田一博士は、沙流の指導者三人・・・サンゲレキ・カセンカウク・ウトムリウク
大酋長ツレアンと面会して信頼を得て・・・本当のことを知った。
 


11/11/06 ()  Wakarpa/Forkrore・・・5


Forkroreの中に・・・アイヌが発展していったことを神話として残っている。
それは、蝦夷から本州に渡ったこと・・・網の発明はアイヌであること
それだけでも貴重な資料だと思う。

今までは、和人側の記録で歴史を評価していたが・・・アイヌ側からの資料が
ユーカラ群・・・娯楽の為の創作は只、面白いもの・・・(*^_^*)

何時までもTopat tumiしていると本当に滅びてしまうぞ!・・・と警告したのがユーカラ
それに嫌気がさしてイケスイしたポイヤウンペ・・・
Forkroreを読むと古代・中世の蝦夷を画いているのがユーカラと納得する。
最初の推理がそのままで・・・面白くて仕様がない。(*^_^*)

後、2年研究を続けて・・・すっかり沙流の雅語をマスターして・・・
金田一博士の筆録を世に出して上げようと思う。
ワカルパ翁が命を賭して残したアイヌの世界を道民の皆さんにご披露しようと思う。
そして、沙流のハイウンクルの誇り高さをアイヌにも知って貰いたい。

狩猟民族は、自然の動物と同じテリトリー=イオルの中で生活していた・・・
他のイオルに紛れ込んだら・・・争いが起る
だからイオル内の情報は、把握管理していた・・・その知恵は、ニシパが受け継いでいた。
生き物の掟と云ってもイイ・・・知恵

それが科学という神をも畏れないもので・・・掟を忘れてしまった人間
バランスの問題だと思うが・・・共存のキャパシティ(許容度)
動物は、食べ物と群れの数が合わなく成ったとき・・・自殺行為をする
人間であれば聖人と云われている人かも知れない。

富の独占で・・・餓死する民を持つ指導者は最早、欲の塊の化け物(kamiash)
アイヌの始祖神オキクルミもイケスイしているが・・・飢饉の時、妹に食べ物を
コタンに配らせたが・・・不心得者が居て・・・その美しい手を引っ張った馬鹿が居て
怒って・・・天国に帰ってしまった(イケスイ)

指導者と云うのは、基本的に何かの時の為、富を蓄えるなら良いが・・・
自分の保身の為に蓄えるのが多いご時世・・・それをアイヌ語でkamiashと云う

交易で蓄えたお宝・・・昔は布とかであった・・・それを村人にも分け与えるのがニシパ
それを妹に教えるのが・・・ニシパプリ(長者の振舞)
それをしなかった場合をメノコユーカラで伝えている・・・(*^_^*)
ユーカラ群が老若男女全てに行き渡る教えとして曼陀羅を形成している。
 


11/11/05 (土)  Wakarpa/Forkrore・・・4


ずっと心に引っ掛かっていた問題・・・何故?金田一博士は、アイヌの秘密を知っていたのに
終戦後に発表するように成ったのか?そして、敢えて古語を使って訳したのか?
筆録とか日記では、東北弁丸出しで書いているのに・・・(*^_^*)

ワカルパ翁が伝えたものは、民族の哲学が見事に表現されているので・・・
同化政策に非常に都合が悪いもので在ったことは確かだと思う(*^_^*)
知里幸恵・・・創作の金成マツさんのものとか・・・
殆どの人が娯楽として捉えてるもの・・・
哲学の希薄なものには、政府は突っ込んで来なかったのでは・・・

ワカルパ翁の高度な形而上学には、少し警戒したのか?(*^_^*)
金田一博士が昭和43年に萱野茂氏にWendarap yukaraとhauを見せて共に読んでる。
Wendarapは、何となく分る・・・何故? hauを一緒に読んだのか?
昭和43年と云うとユーカラ集第8巻を刊行した年で・・・第9巻が校正に廻っていると
博士が座談会で仰っている。只、相談しただけなのか?

周辺地域のハウ・サコロペなどは、その地域の伝承であることが分る。
全道の情報が集まっていた沙流・・・東蝦夷の乙名を出している沙流
そこら辺、金田一博士が戦後、堰を切ったように・・・発表したように思える。
そして、88歳というご高齢で中途に成ってしまった。
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今日は休みなので・・・今まで固まってきたユーカラの資料を少し整理した。(*^_^*)
 


11/11/04 (金)  Wakarpa/Forkrore・・・3


覆舟変化物語 samchip upshi chipako ashkuru (atuisarunkuru)はアツ゜イサルンクルの
物語みたいなので・・・是非読みたいものです。
虎杖丸の曲に出てくるんだけど・・・地域が想像出来なかったものだから・・・(*^_^*)

Wakarpa/Forkroreを読むと・・・アイヌ文化が良く解る
それとユーカラは、私の軍事機密情報説を決定的にする事も発見した。
ワカルパ翁の伝えたもの全部を公開すると・・・アイヌ文化がすっかり見える筈

沙流川筋のコタンの乙名のこととか・・・ユーカラに出て来るコタンの推定可能なものとか
ユーカラに出てくる石狩彦のロクデナイ所を受け継いでいる石狩アイヌとか(*^_^*)
ユーカラそのものがアイヌの正体・・・
沙流は、オキクルミの教えをそのまま受け継いでいたこと・・・
キムンカムイ=熊送りに関してなど・・・全て含んでいて凄いものです。
それを、無駄の無い言葉でズバリ表現しているワカルパ翁は、矢張り天才だ。

ワカルパ/ユカラとワカルパ/フォルクローレをそのまま世に出せば・・・
蝦夷の古(いにしえ)が想像出来ると思う・・・
金田一博士の時代・・・書籍で表現するには、手続き・時間が物凄く掛かったけれど
今や、コンピュータと云う便利な器械があるので・・・全て表現出来る。
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先日、道立図書館で見掛けた
チラシ・・・興味があった・・・
ワカルパ翁が夷酋列像に出てくるTukinoyeとイトコイなどアイヌ側の情報を伝えている。
今まで聞いていたものとは違うもの・・・
ただ、12日は休みじゃないので、聴講したいけど無理・・・(*^_^*)
ワカルパ翁が、文字で残したいと言うのは、そう言うことだったんだと思う。
アイヌ文化研究者の目が金田一ノートに注がれる時を迎えたと思う。
そして、ワカルパ翁のユーカラの解析に手を染める人出てくると思う。(*^_^*)
 


11/11/03 (木)  Wakarpa/Forkrore・・・2


ワカルパ翁の系図は、概略を博士も発表されているが・・・細かくじっくり見ると・・・
物凄く嬉しいこと解った(^_^)v

大正4年の紫雲古津の日記に出てくるエマチってユキのことだとばかり思っていたのに・・・
ユキの下に弟が在ったことが解った・・・実は大正12年にユキが東京に来たときの歳が
どうしても合わなかったことが・・・ようやく解った(^_^;)

エマチと云う男の子が存在していて・・・その上にも二人兄弟いたらしい。
と云うことは・・・ワカルパ翁のユーカラの訳したものを届けられる可能性 大きい。
それと、ユーカラを実際に演じられる道が開かれるかも知れない。

矢張り、ユーカラは、酋長クラスでも出来ない人もいたようで・・・
特殊の能力が要求されたようですネ〜
エマチと合ったその後、一人の古老に合って話をしたことさらっと書いているが
ワカルパ翁の兄さんウトムリウクの先代の紫雲古津の大酋長ではないか?
沙流の偉い三大酋長の信頼を得た金田一博士でないと到底このような
アイヌの秘密を聞く事はないだろうと思う・・・

私が2009年にユーカラって何だべか?・・・で始まって
その二年前2007年に道立図書館でマイクロフィルムの細目次を発表している
可成り良いタイミングで取り組んだものだと驚いている。

ユーカラ・カムイノミ・チャランケなど多くは、雅語で語られる為・・・
日常語しか知らない人には・・・訳せない
それと、それを駆使して村を守っていた上層部の人達との付き合いの無い人も無理
そう言った人達とか・・・メノコの系図とかを知るのは、博士だけだったのでしょう。

現在では、プライバシーの問題があるので・・・個人レベルの調査では難しいかもネ?
でも、沙流のニシパの血筋の人でユーカラを再現したら素晴らしいでしょうネ
それをシヌタプカで出来たら・・・ポイヤウンペ喜ぶに違いない(*^_^*)
 


11/11/02 (水)  Wakarpa/Forkrore


ざっと目を通したForkrore・・・金田一博士が逢わずにいたらアイヌ文化の幕が完全に
降りたかと思うと・・・ゾッとするようなことが書かれている・・・

45日間の天才同士の真剣勝負・・・凄まじいものがある
それにしても・・・その短い期間の中で、良くもアイヌの全てと云う程のものを伝えた
ワカルパ翁の想像力というのは、驚くばかり・・・(^_^;)
Hemnoyeは、ワカルパ翁のものとユキのものがピッタリ合うこと分かった。
コポアヌ媼のは、少しずれている感じだ。(*^_^*)

Forkrore=民族伝承と云う厳しさに耐えていたワカルパ親子・・・見事で美しい
ワカルパ翁が嘘を付かないのを土産に来たと云うセリフ・・・
その当時、解らないことを隠して・・・知ったかぶりのアイヌが多かったと云うこと。

Forkroreで金田一博士は、ユーカラなどをやる人を弁士と云っている点
今の世では弁護士のような役割も担っていたのだと思う。

チャランケで蕩々と言葉を絶やさずに喋り続ける人をコタンでは、尊敬していたと思う
それでなければ・・・お宝を持って行かれる
チャランケでお宝を沢山集めるのも居た・・・虻田のサカナ・・・陸別のカネラン
童話として発表したリクンベツの翁は、コポアヌ所伝のもの・・・

一つ一つのお話しは・・・可笑しくて噴き出すのもあるし・・・
人間本来持っている残酷性とか嫉妬心とか侮りの心とか・・・
もっと素直に成れたら幸せなのに・・・とか
そのままストレートに表現しているユーカラ群
 


11/11/01 (火)  博士の踏査費用・・・


大正4年の踏査費用は、どうやら道庁から出ているみたいだ・・・
啄木を助けるのに・・・ワカルパ翁のお礼に・・・大切な本を売ってお金を作った博士
本を売らずに踏査の道が開けたのは、本当に良かった(^_^)v

今月は、コピーしてきたものをスッカリ調べておこうと思っている。
ワカルパ翁は三男で次男のwakkata(shinotparek)も雄弁であったらしいが・・・早死にしたそう
ワカルパ翁の血筋は、遠くカユシピンナの末裔で誇り高いのが分かる。
カユシピンナは、フーリ鳥をやっつけた英雄として物語りに出てくる。
元々鵡川に住んでいて・・・妾の子なんだけど親の面倒を良くみて・・・
沙流に来て栄えたらしい・・・本妻の子共等は、放蕩やり放題
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金田一博士の筆録は、膨大で何から手を付けて良いか分からないほど・・・
しかし、ワカルパ翁の11曲のユーカラを訳すと・・・分かって来る
後、一曲「覆舟変化物語」を訳すとアイヌ文化のバックボーンが確立する。

明治40年の踏査は、周りの人達からの聞き取り・・・ユーカラの聞き取り
大正2年のワカルパ翁の残したいという覚悟のお話し・・・
樺太のハウキをOina yukaraと呼んでいる

ワカルパ翁は、男のみがやるユーカラ・・・その対局のメノコユーカラの存在
ユーカラに似ているハウ・・・カムイユーカラ・カムイウゥエペケレ
カムイノミ(祈り)・熊送り(イオマンテ)の言葉など神々の種類
他の地域で崩れていたアイヌの世界を教えた

メノコユーカラは、コポアヌ媼から聞いて・・・カムイオイナ・メノコ版オイナ
カムイユーカラを紫雲古津のメノコ群から一気に聞き取った大正4年
ミンツチ(カッパ)の話Hemnoyeは、最初ワカルパ翁から聞いて・・・
その後、コポアヌ媼とユキからも聞き取っている。
ワカルパ翁とユキのものは、そっくりそのままであることが分かった。
コポアヌ媼のものは、未だ読んでいないが・・・楽しみだ(*^_^*)