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45ひき目のおさかな


2006年1月23日



  一年ほど前からトラ兄ちゃんとロクの折り合いが悪くなり、おかあさんは気を揉んでいました。 目が合えば唸り合い、時には掴み合いの喧嘩になって、どうやらロクの方が優勢に見えます。
  そのうちトラはパトロールに出かけなくなり、時々侵入してくる近所の茶白ネコを追っ払うのはロクの役目になりました。 これが話に聞く「ボス猫の交代」なんだと、おかあさんは納得したようです。
  トラが引退表明したためか、ただ寒いせいか、最近二匹は炬燵でいっしょに寝たり、庭で挨拶を交わしたりして、ひとまず平和になりました。
  トラも今年で13歳、人間でいえば70台になろうかという年齢。 大殿として鷹揚に構えて欲しいものです。
  心なしか面構えが逞しくなったロクですが、まだ力量不足らしくて、しょっちゅう引っ掻き傷を作って帰り、家で寝ていて突然に唸り声をあげることもあります。 ボスを張るのも大変なんだなあ、それにしてもあの甘えん坊のロクが・・・と、おかあさんはいじらしく思うのでした。


2006年3月14日



 トラ兄ちゃんが重い病気に冒されていることが判りました。 以下はおかあさんの日誌です。
    2/20  トラが突然、痙攣の発作を起こす。その後、家の中を徘徊。てっきり痴呆と思い込む。
    2/25  痙攣を繰り返すので、かかりつけの病院に連れて行く。「失明している。血栓かウィルスか原因は不明だが脳の障害」との診断
    3/3  痙攣抑止剤を使い始める。副作用か、足がふらつく。部屋の隅にうずくまる。何も食べず、排泄もしない。
     原因がわからないまま注射や薬を続けるのが不安で、あちこちにセカンドオピニオンを求める。
     熊本の八代市に脳の専門医がいることを知る。
    3/7  八代の松山動物病院に連れて行き、脳のCT検査を受ける。脳髄膜に腫瘍があることが判明。
     良性ならこのまま留まるが、最悪の場合、増大してヘルニアを起こし絶命する可能性がある。
     辛い結果に、帰りの車の中で涙が止まらず。でも原因がはっきりしてよかった。手術は現実的でないのであきらめ、対症療法で少しでも楽に余生を過ごさせようと思う。
    3/8〜  処方して貰った脳圧を下げる薬と、炎症を抑える薬を飲ませ始める。食事させるのに苦労する。
     スプーンで無理に口に入れようとして指を噛まれてしまった。
    3/10〜  体調が好転。自分で皿から食べるようになる。家中を活発に歩き、トイレで排泄できる。

3月14日

  ここ数日のトラ兄ちゃんの様子には驚くばかりです。 目が見えているとしか思えない動きをし、以前のようにおかあさんに甘え、大食漢ぶりを発揮しています。 天気の良い日は庭を散歩して、春の気配を楽しんでいるかのようです。
  おとうさんもおかあさんも決して、奇跡が起きて治ってしまったとは思っていません。 トラとの楽しい日々をプレゼントされたと考えています。 それが1週間なのか、1年あるいは5年なのかはわかりませんが。 1日でも体調の良い日があることに感謝しつつ、大切に過ごそうと思います。
  途方にくれるおかあさんにアドバイスをくださった方々−−−子育て中の獣医さんの弘枝ちゃん、八代の病院を紹介してくれた宮山先生(おとうさんの従妹です)、人間の脳外科医のお友達に相談してくれた大田さん、本当にありがとうございました。  



2006年3月31日



  大変なひと月余りの間に、季節はすっかり春になっていました。 トラ兄ちゃんの体調が安定して、菜の花畑の眺めや、庭のスミレの花を愛でるゆとりができました。
  陽だまりの中でトラが気持ちよさそうに伸びをすると、嬉しくなります。 ありふれた猫の仕草のひとつひとつに、小さな幸せを感じます。


2006年5月1日 新



  メリーさんのために裏庭の一画にイタリアンライグラスの種を蒔いてみたら、ひと月ほどでこんなに青々と茂りました。 軒下に近いので、雨の日にメリーさんを連れてくると嬉しそうです。
  イタリアンライグラスはエン麦よりも安価で、葉が細くて柔らかく、光を受け、風にそよぐ様がとてもきれいです。 裏庭の芝は雑草に負けてとっくにダメになっているので、いっそ一面麦畑にするのも悪くないかもしれません。


2006年5月4日 新


1年前
今年

  とよちゃんがうちに来て、ちょうど1年になります。 この日は奇しくも7年前、私が指宿で拾われたのと同じ日で、おとうさんたちは「猫拾い特異日」と呼んで外出を控えているみたい。
  とよちゃんは「無事に育つか」なんて微塵も心配させず、ぐんぐん大きくなりました。 大食振りはロクも顔負けで、ほんの子猫の頃から食事時にはロクの横にはりついて、どうすれば他の猫よりも早く、たくさん食べられるか習得したようです。
  今でも木登りが大好きで、おかあさんの前で「見て、見て」と登ってみせるのですが、お尻がぽってりと重いので1メートルほどでずり落ちてしまいます。
  ロク、ハチ、タマと比べて5歳、ジョームより12歳も年下のとよちゃん。 これからも眩しいばかりの若さと活力を振りまいてくれることでしょう。


2006年5月27日



  5月20日の夜、トラが網戸を開けて外に出たきり戻らない。 付近の考えられる場所すべてを探したが見つからなかった。


2006年6月20日



  トラ兄ちゃんがいなくなってひと月が過ぎました。 おとうさんとおかあさんにとって,つらい日々でした。
  元気だった頃、いつも散歩から帰ると「ただいま」と合図した居間のガラス戸の向うに今にも姿を見せるような気がして、おかあさんは何度もそこに目を遣っていました。
  猫は死期を悟ると姿を消すという話を昔からよく聞きます。 獣医師や学者はそれを、動物が重体になると安心できる場所に身を潜める習性だと説明します。 しかし12年も共に暮らし、皆に愛され、おかあさんを信頼しきっていたトラが何故家を出て行ったのか。
  八代でCT検査を受けた後、対症療法として3〜4種類の薬を服用し続け、視力が回復して、しばらくの間健康な頃と変わらぬ生活を楽しむことができました。 このまま腫瘍が大きくならずに年齢を重ね、天寿を全うできるのかもしれないとおかあさんは思い始めました。 ところが4月頃から再び左目の瞳孔が大きくなり体調の良い日、悪い日を繰り返し、その都度薬の量を調整していました。 5月になると食欲が極端に落ち目に見えて痩せ、一日中だるそうに寝そべっていました。 薬の副作用で頻尿になり後足がふらつき、それでも律儀にトイレまで往復していました。
  医師の所見では、腫瘍が増大して薬の効果が限界にきていること、更に悪化すれば右半身が麻痺する、痙攣が止まらない、急な心拍停止を起こす等の症状が出ること、そして苦痛が大きい場合は安楽死を考えた方がよいかもしれないとのことでした。
  トラは賢くて優しい子だから、おとうさんとおかあさんにこれ以上つらい思いをさせないように体力の残っているうちに自分で身の始末をつけた。 これがふたりの結論です。 トラは潔かった、立派な最期だったと思うことでおかあさんは悲しみを和らげることができました。
  トラ兄ちゃんは生後2ヵ月の子猫の頃、おかあさんが知人から貰い受けました。 一緒に生まれた8匹の中でひときわ大きく、人なつこくて可愛かったそうです。 東京での5年間家の中だけで大切に育てられました。 気のいい甘えん坊で図体が大きくなっても、いつまでもジョームの弟分でした。 霧島に移り住み、外の世界を知ると俄かに逞しくなり、よその猫の侵入を許さず周辺のパトロールに精出していました。 その後猫の家族が次々に増えると、年下の者には常に優しく頼りになる、正真正銘のボスでした。 病気を別にすればとても良い一生でした。
  私はひそかにこう考えています。 トラ兄ちゃんは湯治に出かけたのかもしれない。 長い旅の後病気を治して、また私達のところに帰って来てくれるかもしれないと。
  大きくて強くて優しかったトラ兄ちゃん、ありがとう。 そして、とりあえずさようなら。

ミケ子        






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